山崎製パン社長の飯島延浩氏(同社サイトより)。1979年に現職就任。父親は創業者の飯島藤十郎氏
|
山崎製パン・久御山事業所(京都)の営業職Y氏(60代後半)は、03年の子会社サンデリカとの統合を機に、4人で回していた仕事を1人で担当するはめに。仕事量は増える一方で、多い月は残業が月151時間にもなったが、過労死水準で働かされても、「名ばかり管理職」のため残業代はなし。増員の申し出も無視され退職を申し出ても「無責任だ!」と所長に罵倒された。結局、うつ病と診断され、業務復帰できなくなり、京都南労基署より労災認定を受けた。時間外労働の記録を克明に記録していたY氏は、11年3月、会社を相手取り、未払い賃金など計1064万円の支払いを求め京都地裁に提訴。同年6月、会社側が「陳謝」のうえ解決金800万円で和解した。裁判資料をもとに、社員が倒れるまでボロ雑巾のように違法に使い倒す、山崎パンのブラックな労働実態を詳報する。
【Digest】
◇1人部署に配属されて残業地獄
◇「退職したい」と懇願すると「無責任だ!」所長
◇配送ミスで連日深夜1~6時出社、サビ残月151時間も
◇京都地裁に提訴、解決金800万円で和解
◇1人部署に配属されて残業地獄
製パン業界トップの山崎製パン(以下、「山崎パン」)。裁判資料によると、Y氏(現在60代後半)は1972年に、山崎パンに入社し、主にセールス課など営業畑を歩んだ。1999年以降は、京都工場・久御山事業所の営業課クールデリカ部門に配属された。
クールデリカ部門は、山崎パンの主力である食パンではなく、ひと手間加えて調理した、パンに具が挟まったサンドイッチなどを中心に扱う。その業務内容は、調理パン・弁当・惣菜の、販路拡大・売上管理・クレーム対応など。人員は、課長1人、係長1人、そして担当課員が、Y氏含め2人の、計4人体制であった。
Y氏の運命が一変したのは、03年7月からだった。同月、山崎パンのクールデリカ事業部が、子会社サンデリカに事業統合されることに伴い、久御山事業所など8事業所が、サンデリカによる運営になったのである。
サンデリカとは、山崎パン100%子会社で、1980年に設立されていた。事業内容は、調理パン・弁当・惣菜など、いわゆる「中食」の製造販売である。
この統合を機にY氏は、山崎パンに籍を置いたまま、サンデリカへの出向社員として、久御山事業所で勤務することになった。
肩書きは、「営業課営業担当係長」だが、係長といっても部下はいなかった。課員はY氏のみの1人部署だ。
しかも、事業統合に伴い、サンデリカで生産した商品は、山崎パンに卸し、山崎パンが各小売店に販売することになった。しかし小売店への販路拡大の営業は、サンデリカが引き続き行うこととされた。
要するに、Y氏のいる営業課の業務量は変わらず、これまで4人で行っていた仕事をY氏1人でやることになった。
当初、事業所長は、将来の増員を約束していた。だが、一向に増えない中、Y氏は何とかこなしていた。
ところが、さらに業務量は増えて行った.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。
|
デイリーヤマザキ(京都市内で撮影) |
|
|
山崎製パン本社。子会社サンデリカ本社は同ビル6階。(東京都千代田区岩本町3-10-1ヤマザキ岩本町ビル) |
|
|
京都南労働基準監督署(京都市伏見区奉行前町6) |
|
|
上は「Y氏の時間外労働の実態表(ごく一部抜粋)」。下は「月別の時間外労働(08年6月~10年2月)」 |
|
|
上は答弁書抜粋、下は和解条項 |
|
