第46回 幸子が泣いた夜
2012.04.23更新
ステージ上の歌声は、すぐ裏手の楽屋口通路にも大音量で響いていた。いかにも演歌なAメロの伴奏と、客席からの拍手に送られて壇上に立った小林幸子は「孔雀」を歌い始める。2003年12月31日の午後10時過ぎ、第54回紅白歌合戦は東京・渋谷のNHKホールでクライマックスへと向かっていた。
通路に設置されたモニターを報道陣が取り囲んでいた。歌が間奏を終える頃、他紙の先輩記者が言った。「あれ? おかしくない? 衣装が開いてなくね?」「あ・・・ホントだ」「リハーサルの時の羽根がないよね」「ないっすね」「あれ? 寄りの画ばっかになった。絶対おかしいって!」。直感的にヤバイと思った。ちょうど記事の出稿時間と重なっていたため、現場にいるウチの記者は入社2年目の僕だけだったからだ。
あの幸子の豪華衣装が失敗した。幅13メートルに広がるはずの孔雀の羽根が開かなかったのだ。新年を迎える前のほんのり感傷的なムードは消え去り、戦場の緊張感が現場を覆った。僕は放送記者クラブで原稿を書いている現場キャップに電話した後、会社のデスクに報告した。「やっぱそうだろ! これでやる。とにかく30分以内に70行くれ!」
歌い終えた幸子が楽屋口に戻ってくる。背後にある衣装の状態を目視できなかったはずの本人も、観客の反応から異変を感じ取っていたのだろう。舞台での笑顔は消え失せていた。「ね、ねえ、どうしたの? 失敗? ビデオ見せて」。出迎えた事務所の女社長は、己を責めるように下を向いて黙り込んでいる。楽屋で映像を確認した後、通路に戻った幸子は、しょげかえる社長の肩を抱いて「終わったことなんだから仕方ないじゃないの・・・」とだけ言って励ました。目尻のメイクは、うっすらにじんでいた。
関係者から故障の原因を「電気系統」と聞き出した僕はNHKホールを飛び出し、NHK14階の記者クラブに走った。そして、ひたすらキーボードを叩き、締め切り数分前に出稿した。
<2004年1月1日本紙掲載分より>
◆13メートル羽動かず
豪華衣装対決に用意された結末は、悲劇だった。美川憲一(57)に続いて「孔雀」を歌った小林幸子の巨大クジャク衣装が、羽の部分が開かないアクシデントに見舞われた。
同奏で赤のドレスが白に早変わり。中央の円形の小さな羽に続いて、幅13メートルの巨大な羽が下から上へ広がり、はばたくはずだった。しかし、羽はまったく動かず、中央の羽が光るだけ。NHK側も異変を察知したのか、後半は小林の上半身のアップだけが画面に流れた。
出番の後、事実を知らされていない小林は落ち込むスタッフを見て「どうしたの? 失敗? ビデオ見せて」と初めて事態を理解した。しかし、しょげる周囲をかばって「終わったことなんだからしょうがないじゃない」と言葉を振り絞った。
◆11年前も失敗
関係者によると、原因は電気系統とみられる。小林にとっては92年の「恋蛍」で、全身にあしらった電飾が一部しか点灯しなかったアクシデントに続く失敗。今回も2日前のテストでうまく動かず、何度もテストを繰り返した。前日のリハーサルでは成功したが、本番でまさかのトラブル再発。所属事務所関係者は「この3分に1年をかけてるんです。あまりにも悲しい結末」とショックを隠しきれない様子。
一方、ステージを完ぺきに成功させ「ボブ・サップなんてイチコロよ」とキメた美川は「何と言ったらいいか・・・。自分が納得しないと思うわ。失敗をいい形に持っていってほしい」とライバルを思いやっていた。
翌日、つまり04年元日から正式に音楽担当となった僕は、毎日のように「幸子プロ」社長に電話を掛けた。「孔雀の衣装、お披露目はいつになるんですか」。現場で担当した身としては落とせないネタだけに、しつこく食い下がっていると、2月に入った頃に「来週の歌謡コンサートでやりますからね」とコッソリ教えてくれた。
07年、芸能担当に復帰した時は、アニメ「ヤッターマン」の吹き替えを担当する幸子にスタジオで1日密着する機会があった。役柄はなんと「紅白メカ合戦」なるバトルで「美川憲一」と対決する「小林幸子」。収録を終えた後、お茶などを飲みつつ歓談する時間があった。僕が思わず「一回だけ紅白取材に行ったことあるんですよ。03年でしたか」などと口を滑らせると、幸子は「やだ、失敗した時じゃないのよ」と言いながら、楽しそうに笑っていた。あんまり正確には覚えていないが、普段の仕事はどんな感じなのかとか大学の頃は何をやっていたのかとか、普通の会話を普通に楽しくした記憶がある。あのクラスには付き物の「大御所ですが、何か」感は皆無だった。
幸子と社長との確執がワイドショー、週刊誌、そしてスポーツ紙を賑わせて早1カ月。真相は知る由もない。ただ悲しい。