週刊女性2006年4月4日号
「結婚直後から、母親の優美子さんが御所に出入りしすぎと非難されていた。
あげくに、御所に届く贈り物をおみやげに持ち帰るなんて騒ぎもあったんです」(旧宮家関係者)
美智子様のお母様も内々に御所を訪問されることはあった
「ただ、訪問するときは目立たないように細心の注意をされていたのは事実。それに比べると、
小和田夫人は堂々と車で乗りつける。関係者が暗に注意もしたが、まったく通じなかったそうです」(元宮内庁関係者)
「マスコミは有力候補と騒いだけれど、皇室側では皇太子妃には不適格と否定的だった。そのため小和田家、
優美子夫人が、それについて釈明を求めたとも言われている」(婚約時の事情に詳しい関係者)
月刊テーミス2005年7月号
「外務官僚を支配する外交官夫人の会」
小和田恒氏は外務省でも指折りの野心家。柳井氏を次官にするための根回しに奔走し、その義兄弟に当たる
柳谷氏に働きかけ、殿下と雅子氏との縁を取り持ってもらったことは省内では有名だ。
もちろん、雅子氏の入省にあたっては、恒氏があの手この手で後押ししている。
昨年、皇太子の人格否定発言が物議を醸したが、
問題の発言内容についてのサゼッションを行ったのも恒氏だったと言われている。
東宮御所を雅子妃の母親が頻繁に訪れている。娘の気鬱を心配する親心からだろうが、
東宮関係者の間からは、あまり頻繁に訪問するのはいかがなものかとの声も上がっている。
優美子さんは東宮御所内の調度品などにも興味を持っていて、ときどき由来などを
詳しく聞いているようだが、そのあたりの距離感を心配する向きも少なくない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
拾い物
小和田家のエピソード
祖母江頭寿々子さん
皇室ジャーナリストの「雅子さまは気が強い」というコメントに猛反撃
その後寿々子さんは河原氏にお手紙も出した。
逝去の際、東宮御所に記帳所が設けられ、小泉首相も記帳。(2004年11月25日)
愛子さま誕生
優美子さんは慣例を破り天皇皇后両陛下よりも先に抱いた。
しかも、記者会見まで行った。
美智子様のご両親も紀子様のご両親も、天皇皇后両陛下の後に面会という慣例に従っていた。
天皇家の愛と苦悩 河原敏明氏著
第5章 皇室に娘を嫁がせた民間人の悲哀
雅子妃は愛子様の3年保育を望んでおり、
最初の1年は学習院幼稚園ではないところに入れたかった。
小和田家も雅子妃の方針に賛成で小和田夫妻は宮内庁と話し合ったが聞き入れられなかった。
お手振り
国連を天皇皇后両陛下が訪ねられたとき、案内役は恒氏
集まった人に天皇皇后両陛下が手を振るとなぜか恒氏まで一緒に手を振った。
優美子さんは青い、派手な帽子をつけ、周囲の失笑をかっていた。
お見送り
皇太子様の海外訪問(2004年5月)
御所で皇族方がお見送りそこにはなぜか優美子さんの姿があった(とニュースで報道された)
このとき雅子さまは欠席
駆けつけ
恒氏は香淳皇后ご危篤時に駆けつけた。
皇族でない恒氏は病床へは入れない。
宮内庁は大変傲慢な無礼な振る舞いという見解
宮内庁から追い返された恒氏は激怒した
ブラックリスト
某航空会社要注意リストに恒氏が載っている。
注文が多く、理不尽な文句が多くうるさい。
それなのに自分が他の客に迷惑をかけてもなんとも思わない
ショコラを機内に無理矢理持ち込み、放し飼い。注意しても聞き入れず、逆切れ。
搭乗拒否の後、ほどなくして海外航空会社のブラックリストにも載った。
食べ歩き
大使時代にフランス中のミシュラン1つ星以上のレストランを全て公費で試食。
飛行機のチケットとホテルが一流でないと外務省部下をすごい勢いで怒る。
別荘
雅子さんが一時期立て篭もった別荘は当初、小和田家の親戚所有のものという報道だったが
後の報道により成婚後新しく買ったものと判明。
目黒小和田邸
機密費御殿と言われている。
二世帯住宅をたてたのは、雅子さまが外交官試験に受かった後。
またロシア大使館の裏金疑惑あり。
目黒小和田邸はロシア大使館が改築するときに立ててもらったという噂もある。
オランダの日本大使館
小和田夫妻はどこに行くにも大使館の車を使用
住んでいるアパートの修理代まで大使館に付けようとしている。
三顧の礼発言
雅子さまが軽井沢立て篭もり事件を起こした際、江頭豊氏が
「雅子は三顧の礼を持って皇室に迎えられたのに…」(雅子の思い通りにならない)と発言。
皇室側が雅子さまに「是非に」とお願いした事実はない。実際にはリストにないのに入り込んだ。
軽井沢立て篭もりと時を同じくして、恒氏は当時の首相小泉純一郎と面会。(2004年4月15日)
愛子さまを天皇にしようと画策した。
スペインエレナ王女の歓迎パーティーの招待名簿では雅子さまは追加だったので
既に印刷された名簿の一番下に手書きで名前が書いてあった。
参加を強く勧めたのは優美子さんだったと、当時のお手伝いさんが証言。
「小和田家の関係者が"皇太子から正式にプロポーズがあれば結婚を承諾しても良い"と話していた」
という情報がマスコミに入ったのは内定の大分前。
その話を聞いたのは皇太子が再度 雅子さまに接触を始めていた時期ではあったけど
まだ正式にプロポーズしてはいなかった頃。
その時点ですでに小和田家は娘の皇室入りさせても良い、と考えていた。
恒氏は海外でも国内でも、皇太子妃の父、愛子さまの祖父をアピール。
隠岐島
宮司「おしのびで皇太子妃雅子様のご両親もお見えになりました」
歴代皇族たちの来島写真に並んで小和田夫妻の写真が貼ってある。
結婚が決まっての会見
優美子さん 「子どもは親の背中を見て育つと申します。そのため緊張感を持って育ててきました」
その後の新聞記事で、
優美子さん「天皇陛下も皇后様もとてもイイ方なので安心です」
優美子さんのマスコミ対応
懐妊中の雅子さんの近況についてインタビューをうけ
散歩されたりしているのですか?という質問に対して
「ふんっ そりゃあ歩くでしょう?!」
週刊誌(主に週刊女性)を使っての両陛下に対する不敬不遜の言葉の数々
雅子さまのための皇室改革を叫んでいる。
講演会
雅子さんが皇室入りした後、「娘の育て方」という題目で講演をしようとしたが
宮内庁から厳重注意され未遂に終わった
たかり
実家は税金で警備。警察の警備を要求。
自身の警護も要求するが却下される。
警備がついているはずの実家には留守中責任能力のない青年が上がりこんでいるという事件発生。
それまで音信不通だった友人の宝石屋に成婚決定後、買ってあげるからまけろ!と押しかけた(宝石屋談)
たびたび東宮御所を訪れている優美子さんは
愛子さまの学校、雅子さまの処遇についてたびたび宮内庁や東宮職員、果ては皇太子にまで意見を言う。
ユニセフ
優美子さん(財)日本ユニセフ協会役員
日本ユニセフ本部の新築落成式に雅子さまも出席
日本ユニセフ(アグネスチャンの方)は本当のユニセフ(黒柳徹子さんがやってる方)とは別組織。
日本ユニセフは募金の1/4は自分達で使える。
本部の建設費25億円も皆様の募金で建てられ、疑惑も多い組織。
創価と恒氏
外務事務次官の内定コースには恒氏以外の人がいたが、
婚約内定後にあっさり覆り、事務次官の娘として雅子さまは皇室入りした。
恒氏には創価の噂もあり。
外務省にはわかっているだけで300名いる。
大鳳会と称して一大勢力を形成している。
役所の中で、最も学会員(それも、最も濃く池田大作の薫陶を受けた会員)の
占める比率が高いのが外務省である。
山田:池田が昭和63年1月に東南アジア4カ国へ外遊する時、
それに先立って、現地の税関当局などに便宜を図って貰うため
当時、外務省の小和田恒官房長に強引に頼んでいる。
聖教新聞は毎日新聞より多い550万部を発行しており、
その印刷は読売新聞の印刷工場や毎日新聞の子会社であるに委託させて刷っている。
だから"ドル箱"ということもあって学会・公明批判が全く行えない。
山田:かつて米CBSテレビが製作した学会批判の番組を、
提携先中のNHK衛星で放映しようとしたところ、"
横槍"が入って 中止してしまったことがあった。
公明党議員がNHKの予算に注文をつけると脅したらしい。
またフジテレビの「報道2001」のあるプロデューサーは熱心な学会員で、
番組編成のスタンスは、常に学会寄りの制作ということで、局内ではよく知られており、
このようなマスコミ関係の要所々々には確りと、学会員が入り込んでいる。
93年の美智子様バッシングも、雅子さま成婚の直後。
創価=恒氏経由でマスコミが動いている可能性がある。
恒氏の弟
あるパーティーで滔々と雅子さんの血縁であることを自慢し、尊大に振る舞っていた。
自慢していた相手は、他ならぬ旧皇族に繋がる人物と皇后様の実家の親戚。
他の出席者は皆それを知っていた。
池田礼子さん(雅子さまの妹)
ディズニーランドに同行(自腹か税金か宮内庁でははっきりと言わない)
またオープンカーから報道陣を撮影
「皇太子妃の妹」という肩書きで雑誌にも寄稿している。
スキーや食べ歩き等、雅子さまのお出かけの時には礼子さんも一家でお供することが多い。
渋谷節子さん(雅子さまの妹)
「色彩の魔術―あなたを幸運にみちびく」
ゾラーZolar (著), 小和田節子 (翻訳)ディーエイチシー出版
10年以上前の話
とある有名インポートブティックで、他人が内金を入れて予約していた洋服を
礼子さんがダダこねて、あとから横取りしようとした。
低姿勢ならまだしも、「雅子様の妹さんがどうしても欲しいと言っている」と
譲れと言わんばかりに高飛車に申し入れてきた。
陛下の誕生会でも、歓談の時間に正田家と川嶋家の面々が
いつものようにじっと後ろに控えているのに、
小和田夫妻は 前に出てあちこちに話しかけようとして
「娘が欠席しているのによくもまあ申し訳なさや遠慮の欠片もなく」と顰蹙。
陛下の誕生日をお祝いする言葉で自省もせずに朗々と
「新潟県中部地震の折には日帰りで現地を慰問され…」とやって
皇太子共々場の失笑をかっていた。
あるジャーナリスト
正田家や川嶋家は身を慎み、控えめに過ごしているが小和田家は違う
娘が嫁に行く・・自分たちも嫁ぎ先と同等=皇族になる、という恐ろしい勘違い。
皇太子はまんまと小和田の陰謀に乗せられた、利用されたということだ。
姻戚の悪影響がその家に災いをもたらす例は歴史の中で見られてきたことで警戒する必要がある。
皇族でない一般の家の人間が、皇室を私物化するような動きについても注意を要する。
特に小和田氏はそれなりの地位や影響力(しかも政治的分野での)があるのだか尚更注意すべき。
週刊女性2006年4月?日号
雅子妃の母、小和田優美子さんの横暴ぶり
雅子妃の母、小和田優美子さんは東宮御所に入り浸り。
小和田優美子さんは、東宮御所に堂々と車で乗り付ける
何度注意されても聞かず、相変わらず優美子さんは車で東宮御所に乗り付けている
東宮御所への献上品を、小和田優美子さんは「お土産に」と平気で持ち帰ってしまう
皇太子と雅子妃のご成婚前、皇室は小和田雅子さんを皇太子妃にすることには大反対だったが、
優美子さんはわざわざそれは何故なのかと説明を求めに来た
そもそも、雅子妃だけでなく外国暮らしの長い小和田家そのものが
皇室を理解できていなかったのではないかという声がある。
雅子妃の父である小和田恒氏も、雅子妃が皇室入りした後も引退をせず
国連大使を勤めておりそのことについても批判がある。