極右のルペン党首・ビンラディン・文鮮明を結ぶ線・・・(WACL:世界反共連盟)

The Western Goals Institute (WGI) と、その前任者は1990年に
The World Anti-Communist League (WACL=世界反共連盟) と合併した。
Jean-Marie Le Pen(極右政党国民戦線党首)はWGIのディナーに出席した。

ビンラディン=世界反共連盟(WACL)に所属・運営。(CIAエージェント)

文鮮明=国際勝共連合総裁。
1970年に世界反共連盟(WACL)の世界大会を開催した。(CIAエージェント)

The Western Goals Institute
http://en.wikipedia.org/wiki/Western_Goals_Institute
The Western Goals Institute (WGI) was a conservative pressure group in Britain, re-formed in 1989 from Western Goals UK, which originated in 1985 as an offshoot of the U.S. Western Goals Foundation. Its stated intent was anti-communism, although the group was also known for its opposition to non-white immigration into Europe and Britain.

The Institute and its predecessor were affiliated with the World Anti-Communist League. In July 1990, WGI sent a delegation to the 22nd WACL Conference in Brussels and from 1991 WGI was the UK chapter of the senior World League. In 1992 the World League declined to be further associated with the Institute.[citation needed] The group was disbanded in 2001.

In December 1991, after a visit by French right-wing leader Jean-Marie Le Pen at the request of the Institute The possibility of founding a new right-wing party, on the model of Le Pen's Front National, appears to have been abandoned by Smith after the Conservative Party's win in the 1992 General Election ensured that proportional representation stayed off the political agenda for the foreseeable future.

World Anti-Communist League
http://www.hull.ac.uk/arc/collection/pressuregrouparchives/wacl.html
Amongst the papers of Patrick Wall MP are four files of correspondence with Ku Cheng - Kang, Honorary Chair of WACL, an alliance of anti-Communist groups based in Taiwan. These files span 1981 to 1986 and include correspondence with leading members of the League's British chapter, the British Anti-Communist Council. Patrick Wall acted as President of the Council. There is also one file of correspondence with Andrew Smith, Executive Director at the Western Goals Institute (which became the British chapter of WACL in 1985). Western Goals acted as a 'bridging organisation' for extreme right international parties into the Conservative Party and the file includes publicity leaflets for a front organisation known as Conservative Students.

テロリズム 世界勝共連合:犯罪の国際主義
http://doujibar.ganriki.net/translations/1-01,anticommunismleague.html

この論文は、一つの謀略的組織が誰によってどのように形作られ、どのように利用され、そして放り出されるのか、という筋道がよく解ると同時に、第2次世界大戦が何を残し、その後の世界で何がどのように展開させられ、そこから現在まで何が継承・展開させられているのか、という、現代史の重要な認識の一部を成すものである。特にこの勝共連合とビン・ラディンや文鮮明などとの関係が今日になって最大限に生かされていることは、すでにご存知の通りである。またこの世界勝共連合(WACL)が最も活動を活発にしたレーガン政権時代に頭角を現したのが現在のネオコンであることにも注目させられる。

蒋介石、文鮮明およびナチや日本の戦犯たちによって台湾で発足した世界勝共連合(WACL)は、最初にニクソンによって東南アジアからラテンアメリカにかけての反乱に対抗する手段として使われた。7名の国家指導者がその会議に参加した。後になってレーガンの時代に再び活力を得て、冷戦中に米国の軍産複合体とCIAの道具と化した。彼らは政治的な暗殺とあらゆる紛争地域での対ゲリラ勢力の形成に携わった。紛争地域にはアフガニスタンも含まれるが、ここではオサマ・ビン・ラディンによって代表されたのである。

1982年の反ソビエト戦争の資金 

[連合があらゆる前線で活躍]

アフガニスタンでのソビエト勢力と戦うために、アメリカ保安委員会[15]はWACLのそれに関する部門に資金を提供した。ヘリティジ基金に本部を置く自由アフガニスタン委員会(Committee for a Free Afghanistan)である。この作戦は、マーガレット・サッチャー、およびMI6の長ニコラス・ベセル(Nicholas Bethell)卿の米国公式訪問を期に開始し、J.ミルノール・ロバーツ(J. Milnor Roberts)将軍がその指揮を取った。

この委員会は直接に『自由のための闘い』への軍事的援助に参加した。それはCIA長官ウイリアム・ケイジー(William Casey )[16]の決定によって実現し、オサマ・ビン・ラディン[17]によって運営された。公開されるビン・ラディン・グループのサウジ拠点での協力者であるアーメド・サラー・ジャムジョオン(Ahmed Salah Jamjoon)長老および一人の南イエメンの元首相が、WACLとこのサウジアラビア資本家の子弟とのつながりを作り上げたのだ。[18]

フィリピンでは、WACLを代表したのがフェルディナンド・マルコスである。しかし1986年に彼が失脚すると、ジョン・K.シングロウブとレイ・クラインは新しい相談者を作りに現地へ赴いた。彼らはそこで反ゲリラの議員組織を作り、フランク・カールッチ(Frank Carlucci )[19]、ジョージ・H.ブッシュ、およびビン・ラディン家の友人であるフィデル・ラモス(Fidel Ramos )将軍[20]に目星をつけた。

ニカラグアではサンディニスタ革命と戦うために、WACLは、コスタリカにあるジョン・ハル(John Hull)の所有地に後衛基地を置きアルゼンチン人の教官を配置した。連合は同時にホンジェラスで参謀長官のグスタボ・アルバレス・マルティネス(Gustavo Álvarez Martínez)将軍によって提供された施設を利用した。この将軍は人権主義的な装いで隠蔽した国際難民救済団(Refugee Relief International)を利用しながら傭兵を雇っていた。

グアテマラでは国民自由運動のリーダーマリオ・サンドバル・アラルコン(Mario Sandoval Alarcón)がWACLに参加した。サンドバルは1974~1978年の副大統領であり、大統領のロメオ・ルカス・ガルシア(Romeo Lucas García)が操り人形でしかなかったのだが、この国の本物の主人であった。サンドバルは5年間に1万3千人以上を殺した暗殺団を組織した。

エルサルバドルではWACLは、台湾の軍事学校で教育を受けグアテマラからの援助に支えられたロベルト・ダウブイッソン(Roberto d’Aubuisson)を支援した。ダウブイッソンは後に、この地域のCIAにあたるANSESALの総裁、および極右準軍事組織である国家共和主義党(ARENA)のリーダーとなった。同時に暗殺団を組織してオスカル・ロメロ(Oscar Romero)大司教を殺害した。

[17]1983年にWACLはオサマ・ビン・ラディンの顔をシャツに印刷し次のような説明を添えた。『アフガニスタンの自由の戦士を支援せよ。彼はあなたのために戦う。』

[18] オサマ・ビン・ラディンはしたがってイスラム信者として紹介されたのではなく、対ソビエト戦に米国と共に参加するために、サウジアラビアの諜報機関の長官であるトゥルキ(Turki)王子によって選ばれた反共商売の人物として、であった。ビン・ラディンは当初は『自由の戦士』を必要とする諸機関の設立に専念し、その後それに合流する外国人のムジャヒデシンたちの補給を担当した。オサマ・ビン・ラディンは彼らの上でその権威を確立するためにその後にイスラム教徒に変身しただけである。

【WACL】《the World Anti-Communist League》
反共活動を行う民間組織。韓国で1954年に発足したアジア人民反共連盟を
世界的組織に変え、1966年に成立した。世界反共連盟。
http://kotobank.jp/word/WACL

国際勝共連合
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%8B%9D%E5%85%B1%E9%80%A3%E5%90%88
(こくさいしょうきょうれんごう、International Federation for Victory Over Commuinism)は反共主義の政治団体。世界基督教統一神霊協会(統一教会)の教祖、文鮮明が1968年1月13日に韓国で、同年4月、日本で創設した。日本の初代会長は「統一教会」の会長でもあった久保木修己。
> 1970年:世界反共連盟(WACL)世界大会を開催。
> 1975年:第21回APACL(アジア反共連盟)総会を開催

勝共連合というのは、統一協会と児玉誉士夫、笹川良一、岸信介らが結成したものであり、それは次のようなものである。

国際勝共連合会はWACL(世界反共連盟)から派生したものであり、このWACLは、ヤロスラフ・ステッコがその礎を築いたという。彼はウクライナの革命家であったが、ナチスに捕らえられると転向をし、ユダヤ人虐殺にも手を染め、反ボルシェビキ国家連合(ABN)という反共団体を結成し、それがWACLにつながっている。

日本の勝共連合は、その設立と、発展とも、自民党及び財界の首脳たちが中枢の人間として関ってきた。そして、その勝共連合の関係者の連携者として、日韓米の軍部、CIAがあった。政党では特に民社党が「シンパ野党」として深いつながりをもってきた。この「隠れ自民党」(民社党)は、財界や、戦犯の人脈も「本家自民党」と重なっているらしい。
http://pace2005.exblog.jp/m2005-01-01/


『謀略の昭和裏面史』(要約編)
http://d.hatena.ne.jp/pick-up/20070305

昭和29年 
CIAが【アジア人民反共連盟(APACL)】設立。

昭和36年 
朴正煕がクーデターで韓国の政権を握る。【韓国中央情報部(KCIA)】が反共右翼団体として【統一協会】を利用開始、勢力拡大させる。

昭和38年 
CIAがKCIA日本支部の顧問に笹川良一を指名。
自民党や警察組織などに影響力を行使。【原理研究会】設立

昭和41年 
CIAが【世界反共連盟(WACL)】設立、主力工作機関に統一協会を指定。
ジョン・K.シングローブが会長に就任、世界中の反共団体が参加。

昭和43年 
KCIAの公認で統一協会が【国際勝共連合】設立、日本で裏工作開始。
(岸信介が日本での組織化に協力、名誉会長に笹川良一が就任)

昭和48年 
岸信介が統一協会本部を訪問、ダグラス・マッカーサー2世らとの連名で服役中の文鮮明を釈放するように米国大統領に意見書を送る。

昭和52年 
安倍晋太郎と親しいKCIAの朴東宣が「アメリカ政界への贈賄」などの罪で起訴される。

昭和53年 
米下院国際関係委員会のレポートでKCIAと勝共連合・統一協会の関係が暴露される。

その後:日本共産党が勝共議員のリストを公表。現職閣僚から16人、自民党議員155人、新自由クラブ議員4人、民社党議員5人。(関係が深いのは韓国ロビーに近いか反共右翼色の強い人脈。国会議員では岸信介、中曽根康弘、福田赳夫、椎名悦三郎、
財界人、或いは右翼団体構成員、学者等では、これらの政治家の周辺にいる面々)

資料室(世界勝共連合:犯罪の国際主義) <Anti-Rothschild Alliance>
http://www.anti-rothschild.net/material/21.html
[WACLの創設]

1958年以来、ABNの総裁は台北でAPACLの年次総会に参加した。クラインとステツコは台湾のthe Political Warfare Cadres Academyを視察した。これは反共主義的鎮圧のために蒋介石政権の軍隊に訓練を行う教育機関である。

この学校は米国のthe Psychological Warfare Center of Fort Braggとパナマにあるthe School of Americas[8]のアジア版である。CIAは次第に、政治家グループと反乱鎮圧の指導者たちによる世界レベルの組織網を作っていった。1967年にABNとAPACLは合併し、世界勝共連合(World Anti-Communist League、WACL)が名乗りを上げた。そしてその活動を『自由世界』の連合へと広げていった。その新しいメンバーの中に、第2次大戦の間に作られたメキシコのファシスト組織で「王たるキリストの軍団(Legion de Cristo Rey)」とも呼ばれるロス・テコス(Los Tecos)がある。この連合は、73~75年のリチャード・ニクソンとその治安参謀ヘンリー・キッシンジャーがホワイトハウスを牛耳るときに、最初の最盛期を迎える。

その機能は統一教会を通して気前の良い保証を受けた。しかしこの事実は1975年まで公式に認知されていた。文鮮明師はその後この連合との関係が崩れたと主張するが、その日本人の代弁者である久保木修己の後ろで指導力を発揮し続けていたのだ。

フェニックス計画(1968~1971)とコンドル作戦(1976~1977)に適用されたWACLの役割には、東南アジアやラテンアメリカで共産主義のシンパであると疑いをかけられた何万人という人間の殺害が含まれている。それは今日に至るまで実態が明らかにされていない。