子供の「供」は、@おともの意味ではない、A公用文における漢字使用の目安である「常用漢字表」の文字である、と。
これに従い、たとえば平成十六年の文化審議会答申など、文化庁から出す文書においては「子供」表記であるとのことだった。
現状として、「子ども」表記が横行していることを認めつつ、正しいのはやはり「子供」なので、上記の二点を根拠として「臆することなく使用していただければ…」とのことだった。
本来、国語を守る先頭に立って良いはずの文科省もほとんどが「子ども」表記に変わってきている。
人権尊重の美名の下、着々と言い換えが進行していることこそ憂慮すべきである。
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「子ども」表記が広がった理由としては、およそ次の二点が言われている。
@子供の「供」は、お供の「供」だから、子供の差別にあたるということで、ある左翼主義の女性が主張し始め、「子ども」表記が広がった。
A子供の「供」は、供養の「供」と同じで、「供養=死」というのではかわいそうということで、主に、解放同盟や高教組などを中心にして学校現場で言われはじめ、差別語だとの誤解や批判を教師側が避けるという自主規制≠ナ「子ども」表記が広がった。
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子供の主体性を認めるべきとする立場の人たちが、「子ども」表記に統一し、川崎市が「子どもの権利に関する条例」を制定するなど流行のようになっているが、その根拠となると上記でも分かるように極めて怪しいものだ。
「こども」という大和言葉に「子供」の漢字をあてたと考えれば、「子」「供」に分けて差別語とする発想こそ無知に基づいている。
漢字と仮名の「交ぜ書き」も美しい国語を乱す元凶である。
行政が使う言葉は、社会の規範的な効果を持つだけに、「子ども」表記に安易に流されないことを望みたいものである。
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日本時事評論 第1592号(H17.9.16)より転載しました。
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