第150回国会 憲法調査会 第5号
平成十二年十一月三十日(木曜日)
    午前十時一分開議
 出席委員
   会長 中山 太郎君
   幹事 石川 要三君 幹事 高市 早苗君
   幹事 中川 昭一君 幹事 葉梨 信行君
   幹事 鹿野 道彦君 幹事 島   聡君
   幹事 仙谷 由人君 幹事 赤松 正雄君
   幹事 塩田  晋君
      岩崎 忠夫君    太田 誠一君
      久間 章生君    小島 敏男君
      新藤 義孝君    杉浦 正健君
      田中眞紀子君    中曽根康弘君
      額賀福志郎君    根本  匠君
      鳩山 邦夫君    林  幹雄君
      平沢 勝栄君    保利 耕輔君
      三塚  博君    水野 賢一君
      森山 眞弓君    柳澤 伯夫君
      山本 明彦君    五十嵐文彦君
      石毛えい子君    枝野 幸男君
      大出  彰君    中野 寛成君
      藤村  修君    細野 豪志君
      前原 誠司君    牧野 聖修君
      山花 郁夫君    横路 孝弘君
      江田 康幸君    武山百合子君
      藤島 正之君    瀬古由起子君
      春名 直章君    山口 富男君
      阿部 知子君    辻元 清美君
      土井たか子君    山口わか子君
      近藤 基彦君    小池百合子君
    …………………………………
   参考人
   (東京都知事)      石原慎太郎君
   参考人
   (ジャーナリスト)    櫻井よしこ君
   衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
    ―――――――――――――
委員の異動
十一月三十日
 辞任         補欠選任
  杉浦 正健君     山本 明彦君
  水野 賢一君     小島 敏男君
  村井  仁君     岩崎 忠夫君
  山崎  拓君     林  幹雄君
  太田 昭宏君     江田 康幸君
  武山百合子君     藤島 正之君
  山口 富男君     瀬古由起子君
  辻元 清美君     山口わか子君
  土井たか子君     阿部 知子君
  野田  毅君     小池百合子君
同日
 辞任         補欠選任
  岩崎 忠夫君     村井  仁君
  小島 敏男君     水野 賢一君
  林  幹雄君     山崎  拓君
  山本 明彦君     杉浦 正健君
  江田 康幸君     太田 昭宏君
  藤島 正之君     武山百合子君
  瀬古由起子君     山口 富男君
  阿部 知子君     土井たか子君
  山口わか子君     辻元 清美君
  小池百合子君     野田  毅君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 日本国憲法に関する件(二十一世紀の日本のあるべき姿)

    午前十時一分開議
     ――――◇―――――
○中山会長 これより会議を開きます。
 日本国憲法に関する件、特に二十一世紀の日本のあるべき姿について調査を進めます。
 本日、午前の参考人として東京都知事石原慎太郎君に御出席をいただいております。
 この際、石原参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、大変御多用中のところ当調査会に御出席をいただき、まことにありがとうございました。参考人のお立場から忌憚のない御意見をいただき、調査の参考にさせていただきたいと思います。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 最初に参考人の方から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答えを願いたいと存じます。
 なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、御了承を願いたいと思います。
 御発言は着席のままでお願いをいたします。
 それでは、石原参考人、お願いいたします。
○石原参考人 石原でございます。本日は、この席にお招きをいただきまして、ありがとうございました。
 私もかつて自民党におりました議員ですが、党の中では憲法の議論をいろいろやってまいりましたけれども、公式にこの国会の場で憲法が論じられるというのは大変意義のあることだと思います。しかし、ここまで来るのに憲法が制定されてからおよそ半世紀たったというのも、まあ感無量と申しますか、ちょっと時がかかり過ぎたかなという感じがいたしますが。
 話がずれるようで実は重なっているんですけれども、アメリカの世界へのヘゲモニーに対する反発がいろいろ起こっていますが、ヨーロッパもまたその一人でありましょう。このヨーロッパが、ECからEUを経てユーロという通貨をつくり、ヨーロッパの主体性というものを経済を通じてもアメリカに主張をしようという体制をつくるまでに、やはり戦争が終わってから五十年以上過ぎたというのも、一つの歴史工学の中での必然的な時間だったのかなという気がいたします。
 いずれにしろ、二十一世紀における日本のあり方を占い、考えるために、国家の基本法であります憲法に忌憚のない意見を述べ合い、批判もし、必要ならば手直しもする、あるいは抜本的に物事を変えるということも、これはやはり国家というものの繁栄のために、国民のために、私たちがすべき大切な仕事だと思います。
 私、憲法についてつらつら考えるんですが、かつては私たちはこれをマッカーサー憲法と呼びました。いつの間にか平和憲法という呼称に変わって、平和を希求しない人はだれもいないわけですから、つまり、平和という理念をかぶせられた憲法があたかも一つの理念の象徴のごとき存在に私たちの意識、下意識の中で変わっていきまして、そして、その理念がいつの間にか確固たる現実のような錯覚を多くの日本人が持つようになった、これは非常に悪いことだと私は思います。
 かつて、私も非常に知己があって、一緒に旅行したりしましたが、司馬遼太郎さんが、あるとき笑って、石原さん、日本人というのは変なものやな、日本人にとっては観念の方がよっぽど現実性があるんやなという非常に皮肉な所感を述べておりましたが、私もいかにもそのとおりだという気がいたします。
 いずれにしろ、憲法も既存の一つの国家法、基本法でありまして、これを論じながらこれを考え直す、問題として取り上げるためには、私は、憲法なら憲法が現出したかつての時点での、ごく近い過去の歴史というものを私たちはもう一回正確に認識し直す必要があると思う。その認識の上に、歴史を分析し、そしてどういう意図を持ってこの憲法がつくられてきたかということを、またそのときの真の主体者がだれであったかということも私たちは考え直す必要があると思います。
 現行の日本の憲法が形づくられたあの時点、ごくごく近い過去、五十年前の歴史というものの規制によるものですけれども、しかし、それをさらにさかのぼって、この憲法がつくられたときの歴史的な条件というものを規制してきたもうちょっと過去の、さらに半世紀以前の近代史というものを私たちはもう一回考え直してみる必要もあると思います。
 つまり、言いかえますと、有色人種の中でひとり日本人だけが形成してきた近代国家としての日本の世界史の中での意味合いというものを私たちは考えて、それに対する評価が、有色人種と、ありていに言えばほとんどの有色人種を植民地として支配してきた白人の評価とがかなり相対的に異なるということも私たちは歴史の事実として認識し、憲法がつくられたときの五十年前の歴史状況、さらにそれを規制してきた過去百年に及ぶ、あるいはそれよりもっと前の近代史というものの中での日本の位置を考える必要があるのじゃないかと私は思います。
 これは決して私のドグマではなしに、白人の現代史、近代史の学者も認めておりますけれども、もし日本という国家が、その功罪は別にして、近代国家、言いかえれば強大な軍事産業国家として世界史に登場してこなかったならば、現実の世界の歴史は白人の植民地支配というものが続いている、これは間違いがない。それを崩した大きなきっかけに、近代国家としての日本の存在があったということを私たちは認識すべきだと思っています。
 これは決して私のドグマではありません。私がまだ若造のころ、二十代でしたけれども、ある有力な方の紹介で、エジプトに行ったときに会うことのできたナセルや、あるいはインドネシアのスカルノという大統領、あるいは私の非常に近しい友人でもあり、先輩でもありますが、私、アジアだけじゃなしに世界で最もプロミネントな指導者であると思うマレーシアのマハティールさんも同じことを言っている。これは、私会ったことはありませんけれども、日露戦争の後、国父としてトルコを帝政ロシアの桎梏から解放したケマル・パシャも同じことを言っておりました。
 国家というのは個人と同じでありまして、それぞれの個性、人格というものを持っております。その国家が持っている個性というものを自由に発揚することが、その発揚の仕方もよしあしがあるでしょうけれども、国家なるものの自律性の一つのあかしだと私は思うわけです。
 国家、つまりネーションでありますけれども、このネーションという言葉の起源は、大ローマ帝国のころ、つまり多くの植民地を抱え、広大な領土で形成されてきたローマ帝国のボローニャ大学に各地域のエリートが集まって、そこでは共通の言語である古代ラテン語で勉強もしていた。しかし、それぞれ自分が負うて出てきた郷土の文化とか伝統というものは、これはやはり郷愁も断ちがたく、当然、同じ故郷から出てきた仲間たちでつくるグループがありまして、言ってみると日本の県人会のようなものがたくさんの学生を抱えたボローニャ大学の中にあって、そして、その友好クラブのようなもの、県人会がナチオと呼ばれたわけでありまして、そこからネーションという言葉が派生しているわけであります。
 今日、いかに世界が時間的、空間的に狭小になっても、なおいろいろな国家、いろいろな民族があり、しかもそれがそれぞれ個性を持ち、独自の伝統、文化を持って、その相違、ディファランシーの上に、いい意味の競争もあり、悪い形の競争も紛争もあるということは否めない。
 これは、ある理念に燃えた人たちは、一種のグローバリズムとして、やがて世界が統一されて、人類皆兄弟という形で、国境というものがなくなり、人種の差がなくなるということを理念とされるかもしらないけれども、それはそれで結構でしょうが、とてもそれにおぼつくスパンの中で私たちは生涯を終えるわけにいかない。つまり、それははるかはるか先のことでありまして、決して夢物語とは言わないけれども、一つの理念としては希求されることは結構でしょうが、しかし、それをもって私たちの現実を逆に規制する、くくるということもとても危ういんじゃないかという気がいたします。
 国家の持っている自律性、つまり個性の発露といいましょうか、国家の主体性、自律性というものは、いろいろな国家としての行為の中にあらわれてくるでしょうけれども、それを抽象的にくくりますと、つまり、国家が国家としての個性を踏まえ、自分の利益というものを踏まえながら行っていく自己決定だと思います。また、国家社会としての命運を左右しかねない選択というものを自分でできない国家は、国家の名に値しないと私は思いますが、どうも今の日本を眺めていると、いささかちょっと危うい気がするのです。
 これは決して私一人の物の考え方ではなくて、ほどほどの歴史学者であったけれども日本ではばかに有名なトインビーが、「歴史の研究」という、彼にとっては一番有名な本でありますけれども、その中で言っていることは、いかなる強大な国家社会も必ず衰弱し、場合によったら崩壊し、滅亡もする。ただ、国家社会が衰弱していく要因というのはいろいろあるけれども、これはどれをとってみても決して不可逆的なものではない。それを意識してとらえて努力すれば失地を挽回することは必ずできるけれども、非常に危険な、国家の崩壊につながりかねない衰弱の要因というのは、何といっても国家が自己決定能力を欠くことであると言っています。
 その例に、彼はローマその他の強大なエンパイアを挙げているけれども、ローマの例は最も端的でありまして、自国の防衛、つまり国民の生命財産の保護、防衛というものをローマ人じゃなしに外人の傭兵の手にゆだねた。そういう決定というものをローマがした瞬間、非常に加速度的な崩壊が始まって、長い長い歴史のスパンで眺めると、信じられないぐらい短期間にローマは衰弱して滅びてしまった。私は、これは決してローマだけじゃなしに、今後もそうだと思いますけれども、いかなる国家社会、民族にも当てはまる一つの歴史の原理だと思う。
 それをだれがどう意識するかということが非常に大事でありまして、今日この国会の場でようやく論議の対象になっている憲法というものも、私たちにとっては国家の基本法でありまして、すべての法律の体系というものもここから派生して出てくる。その限りにおいて、つまり憲法というものに対する私たちの意思というのは、いつも自由であり、柔軟であるべきだと思う。
 さらに、さかのぼって考えてみたときに、私にはいろいろ問題があり過ぎるこの憲法が、先ほど申し上げたいかなる歴史的な規制の中で、条件の中で誕生してきたかという歴史的な考察を、私たちは今こそ冷静に、ごく近い過去でありますから、いろいろな有効な史料がある。史実がある。特に、アメリカの現代史家は、戦後二十年たち、さらに三十年たった時点で、いろいろな機密文書が公開された、それを踏まえて日米戦争というものを随分振り返って考えています。ここでは余談だから詳しく話しませんが、アメリカの現代史家の中で、あの戦争は日本のイニシアチブで始まったと思っている人間は一人もいません。そのことについてはいろいろな論もあるでしょうけれども、私の知る限り一人もいない。アメリカが、アメリカのイニシアチブでこの憲法を作成し、それが日本人の意として選択されるという政治状況をどうやってつくったかということを、私たちは冷静に考え直してみる必要がある。
 物故しましたが、私の親友であった村松剛という非常にすぐれた評論家が、カナダの大学に交換教授で行っていて、数年いて、帰ってくる途中にニューヨークに立ち寄りまして、彼の思いつきで、日本があの戦いに敗れて降参をした八月十四日、向こうでは十四日、日本では十五日となっています。アメリカで一番ハイブラウなニューヨーク・タイムズ紙のエディトリアル、社説をコピーして持って帰ってくれて、私と亡き三島由紀夫さんにそれをくれました。同時に、公平を期すというか、参考の資料として、数カ月前にドイツが降伏したときの同じクオリティーペーパーのニューヨーク・タイムズの社説もコピーして私にくれた。
 アメリカが非常に苦労して戦ってやっと打ち負かした、強力な、ともに近代国家、軍事産業国家ドイツの敗戦と日本の敗戦のときの、同じ相手だったアメリカの論調といいましょうか、アメリカ人の意識を代表したこのニューヨーク・タイムズの論調というのは極めて対照的でありまして、ドイツの場合には、非常にすぐれた民族であるドイツがナチスという一つの虚妄のとりこになって戦争を起こし、世界じゅうに迷惑をかけたけれども、とにかくやっと我々も勝った。その限りで、我々は、実はすぐれた友人であるべきドイツに思い切った手をかして、その復興を助長しようということで、実際にイギリスも対象になったわけですけれども、荒廃したヨーロッパを復興させるためのマーシャル・プランが遂行されたわけです。残念ながらその後東西に二分されて、最近になって統一が果たされましたけれども。
 そのドイツの敗戦のときの論調とがらっと違いまして、日本の場合には、しかも漫画が添えてある。この部屋ぐらい大きな、何かナマズだか鯨だかわからない醜悪な化け物が倒れていて、それがあんぐりあいた口の中に、GI、つまりアメリカ兵がヘルメットをかぶって二人だか三人入っていって、大きな大きなやっとこで、あんぐりあいた怪獣の口からきばを抜いている。その社説には、この怪物は倒れはしたが、決して命を失っていない、いまだ非常に危険な存在だ、我々はアメリカのために、世界のために、一生かかってでも、永久にかかっても、この動物のきばと骨を抜き去って解体しなくちゃいけないと書いてある。そして、その作業はあるいはこの戦争に勝つ以上に困難かもしれないけれども、アメリカのために、世界のためにこれを行わなくちゃいけないとはっきり書いてあるのです。
 つまり、それを分析すれば、アメリカ人にとって、あるいはアメリカが代表してあの戦争に勝ったと自負している自分が背中にしょった白人社会にとって、日本という近代国家の存在は非常に奇異なものです。これはドイツ・ナチスの、あのナチスは一種のヒステリーでしょうけれども、しかし、あの狂気に駆られたナチスの集団をも、なお彼らは一種の狂気として、倒した後は、それを克服すればドイツというのは見事な国になるという期待をあえて述べているわけですけれども、日本の場合には全く違いまして、倒れてもなお日本は白人社会にとってはエイリアンだったわけです。そして、依然として彼らにとっては不気味で非常に危険な存在であるということがちゃんと書かれていて、これを徹底的に解体しようということで戦後の統治が始まった。これはもう紛れもない事実であります。
 私は恣意的に申し上げているのじゃないのです。それは、例えば、ニュースでも皆さんもさんざんごらんになったでしょうけれども、あのミズーリ号の甲板で、日本の代表団が、丸腰になった将軍たちも行き、重光外相もシルクハットをかぶってあそこに行って調印した。あの調印文書は何かというと、ポツダム宣言を受諾するという書類に調印したのです。そして、そのポツダム宣言は何かというと、この宣言を受諾する限り日本は無条件で軍隊を解体する、武装解除するということしか書かれていない。まさにそれを日本は受諾した。
 そして、マッカーサーは、そこで非常に短いスピーチをしまして、そして翌日、マッカーサーのスピーチから丸二十四時間たたないうちにGHQで内外の記者団を集めて会見して、何を言ったかというと、きのうの調印式を見ても、諸君、想起したまえ、日本は無条件で降伏をした、そしてきょうから日本の統治が始まる、私は責任を持ってそれを遂行する。
 これには、当時の暫定内閣の東久邇内閣の閣僚たちは、みんな良識のある方ばかりでありましたけれども、愕然としまして、こんなばかな話があるか、我々が受諾したのはポツダム宣言の受諾であって、無条件降伏なんか絶対していない。かんかんがくがく閣議の中では論議があったけれども、日本人にとっての降伏、被占領という処女体験がために動揺が大き過ぎて、結局これに対する正式な抗議というものは行われ得なかった。
 これは、非常に強引なアメリカの講じたトリックでしょうか、つまり詐術であります。
 対照的には、ドイツは降伏するときに三つ条件をつけています。それは、まさに国家の自律性、自己決定というものを阻害しかねない外国の干渉を、国家にとって三つの致命的な案件については排除する、もしそれが受け入れられないなら我々は降伏しないという形で、連合軍もそれを受諾して、とにかくドイツの降伏を認めたんです。ドイツがつけた三つの条件は何かというと、降伏はするが、翌日からも国軍は残す、ナチスは責任を持って解体するが、ドイツ国軍は残す。つまり、ドイツの国民の財産と生命の防衛はドイツ人自身がする。それから、ナチスは自分たちが淘汰するし、それが残したあしき教育の制度なり残滓は自分たちの責任を持って除去するけれども、戦後のドイツの子弟の教育はあくまでもドイツ人のイニシアチブで行って、一切外国の干渉を許さない。それから第三は、当然新しい憲法を創定しなくちゃいけない、これもドイツ人のイニシアチブで、一切外国の干渉を受けない。これを受けられないなら我々は降伏しないということでドイツは条件をつけて、連合軍もそれをのんで、ドイツの降伏を許した。
 日本はまさに対照的でありまして、マッカーサーが一方的に日本は無条件降伏したと言い切った瞬間、それをはね返す力がなかったために、戦後の日本の教育も憲法も、そして与えられた憲法の中で、国軍どころか一切の防衛力を認めない、日本人もみずから認めない、そういう誓約というものをさせられた。憲法の九条はそのために講じられたわけです。
 その後、非常に強引なマッカーサーの詐術から始まった日本の統治というものに対する徹底した統制が行われて、当時にしてみたら、ごく数カ月前の出来事に対する批判というものは一切許さない、物すごい過酷な言論統制が行われた。日本のメディアのだらしないところは、こういうものに対する反発は一切どの新聞も行ってこなかった。
 それを告発したのが、たった一人江藤淳でありました。彼の、たしか「閉された言語空間」ですか、これは非常に大事な大事な資料ですし書き物ですけれども、彼はそこで当時の日本人のふがいなさ、特に日本の言論のふがいなさというものを告発していますけれども、実際に戦争中以上に微に入り細にわたる言論統制をやったんです。そして、私たちはそういう統制された言語空間の中で、彼らがつくって与えた憲法というものをあたかも至上の理念のごとき、つまり錯覚というものが造成されてきて、ついに、今日の結果から見れば、私は、アメリカの見事な統治政策が成功して、日本人は意識どころか下意識から解体されたという気がしないではない。
 私、割と早くに年若く文壇に出たものですから、文壇と非常に親交のあった白洲次郎さんと文壇の催し物とか、小林秀雄さんと非常に親しかったもので、私も小林さんの近くに住んでいましたから、そんなことで折々一緒にお酒を飲んだりゴルフしたりしながら話をしたのです。この白洲次郎というのは、皆さんよく御存じのように吉田さんの側近でありまして、それでGHQとの交渉をすべてやった。ただ、この人は非常にこの憲法について疑義を抱きながら、特に九条に関しては、親しかった吉田茂と衝突して議論しながら、結局、自分の仕えている上司でありますから九条も是とせざるを得なかったのでしょう。この人が、実際に彼らが英語で起草した憲法の翻訳というのを、そのときいろいろな状況の中で非常に急いで拙速に、二日だか三日だかでやったんでしょう、それでその話をよくしていました。
 私は後で申しますけれども、日本の憲法、特にあの評判の高い前文というのは醜悪な日本語でありまして、私は文学者ですから、あの醜悪な日本語を文章としても許すわけにいかない。その話もしましたら、白洲次郎というのは非常にさっぱりしたすばらしい男でしたけれども、あのべらんめえのおじさんが私に、そうなんだ、おまえ、おれはずっとイギリスで育ったものだから、日本語より英語の方がよっぽどうまいんだ、そのおれがかなりいいかげんな日本語でうんうんとやったんだよ、あんなものはでたらめに決まってら、とにかくマッカーサーがいなくなったらさっさと直すと思ったら、ばかだね、日本人というのはまだ同じことをやってやがる。自分で自分につば吐くみたいな話じゃないですかと言ったら、いや、全くそうなんだけれども、しかしおれ一人でどんどん行くものじゃないからなと言っていましたがね。
 この白洲さんというのはいろいろなエピソードがありまして、非常にすばらしいキングズイングリッシュをしゃべったものだから、彼らから見れば田舎っぺのマッカーサーの属僚たち、何とかというナンバーツーかナンバースリーの将軍が、あるとき白洲次郎に、白洲さんの英語は見事ですなと言ったら、うん、まあ君の英語も少し勉強したらもうちょっとましになるよと言って、相手がかんかんになって怒ったというぐらいに達者な英語遣いでありましたけれども、同時に、非常に正確な日本語をしゃべった人です。その人が、個人的にはそういう述懐をしておりました。彼が、一人の日本人として、自分も含めて日本人をそういう形でそしるというのは、むべなるかなという気がいたします。
 例えば、私、本当に前文というのは醜悪。うたわれている理念はいいんですよ、ごく当たり前のことですよ。ですけれども、それを表現するに、翻訳としても非常に拙劣な日本語でありまして、これは皆さんの言語能力をテストするつもりはないけれども、あの前文に、ここに「この憲法を確定する。」とありますね。これはたしか原文はエスタブリッシュという動詞だったと思うけれども、法律をつくるときに、確定すると言いますかね。普通だったらこれは、法の表現でいったら制定でしょう。
 それから、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する」云々とあるけれども、前置詞一つ、助詞一つの問題かもしらないけれども、「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、」とは言わないですな、日本語では普通。欠乏を免れですよ。こういうところにやはり致命的な日本語の乱れがある。
 だから、私は、今日の若い世代の言葉の乱れというのを大人はひんしゅくしているけれども、いつの時代でも、若い人は若い表現をするので、それが拙劣か歴史的なものになり得るかどうかわかりませんが。とにかく、日本人の日本語に対する敬意というものの欠如、無神経は既にこの前文で始まっているのです。私はこれは、国語の教育からいったって、こんなものは、たとえこの一字二字でいいから変えてもらいたい。ということで、私はやはり、余りにもいろいろな問題があると思うのです。後で個々に御質問があるようですけれども。
 私は、とにかくこの憲法を考え直す。いろいろな瑕瑾があるでしょう。いいところももちろんあります。いいところは残したらいいのですが、変える変えないの問題じゃなくて、我々を有形無形で支配し、規制している国家の基本法の憲法というものが、歴史的な、どういう条件で規制されて現出したかということを、もうそろそろ冷静に、歴史の事実というものをつなぎ合わせながら、決してモンタージュじゃなしに、重ねながら、もう一回歴史的に分析する必要があると思う。そして、そこに日本人のどれだけの自主性、自律性というものが加味されたか。私はほとんどないと思いますけれども。
 つまり、あり得たとしたら、この憲法が採択されるときに、自由党は、仕方ないじゃないか、暫定的に引き受けると言い、共産党は熾烈に反対した。ある意味では、私は、あのときの共産党の反対というのは、コミンテルンの支配とかいろいろあったでしょうけれども、しかし、言い分だけを眺めれば、国家というものを一番きちっと認識した真っ当な反対論だったと私は思いますな。
 だけれども、とにかく、結果としてこれが国会で是とされた。そこら辺ぐらいは日本人の意思というものが加味されたかもしらないけれども、そこより、国会に議題として提出される前に、一体日本のイニシアチブというのがどれほどあったかということを歴史的に検証すれば自明なことでありまして、私は、だから今国会ですべきことは、そういった歴史というものを踏まえて、国家の宣言、国家の自律性というものを再確認しながら、この憲法を歴史的に否定することなんです。
 否定するのはどうこうって、ただ、とにかくこれは好ましくないし、こういう形で、決して私たちが望んだ形でつくられたんじゃないということを確認して、国会で否定したらいいじゃないですか。否定するには、内閣の不信任案と同じなんで、過半数があったら通るのです。手続じゃないのです。改正の手続に乗ることはない。私は、これを否定されたらいいと思う。否定された上で、どこを残して、どこを直すかということの意見が始まったらいいのです。
 とにかく、今の改定の手続といったって、これはやはり白洲さんが言っていましたけれども、直させるつもりがないからあんなややこしい手続にしたので、彼は、直す必要はない、こんなものはとにかく否定してしまったらいいんだと言ったのを今になって思い出すんです。
 私は、やはり国会が、ごくごく間近な過去の歴史の規制というものを分析して、決してそこに、この憲法が起草された段階では、ほとんど日本人のイニシアチブは及んでいなかった、そういう占領下という特異の状況にあった。その憲法というものに私たちの自律性、意思というものが反映されていない限り、国家の基本法としてのレジティマシーがないんだということを国会全体で認めて、これは日本人の民族の尊厳のためにもみんなで認めて、後はまた国会でそれぞれの立場の代表が集まっているところで議論したらいいけれども、まず、これをやはり歴史的に否定していただきたい。
 それは、内閣不信任案と同じように過半数の投票で是とされると私は思うし、そこで否決されれば私はもう何も異論を挟まない。そういう作業こそひとつ国会で積極的にお考え願いたい。これは非常に簡単で、国民が納得する一つの、国民を代表する国会の意思の表示だと思います。
 しかるべき上でどこをどう直すかという議論がされたらいいので、前文の前置詞、助詞がいい悪いというのは非常にトリビアルな話ですけれども、やはりこれは象徴的な意義があると思うのです。つまり、日本語になっていないからおかしいので、何で前文という大事な部分が日本語になっていないか。つまり、日本人のイニシアチブが及んでいない、発想が英語でされたというだけの話です。
 そういうことで、私は、やはり半世紀以上たった今日、国民の自負、自覚、国家の尊厳、自律性というものを反映して、ごく間近な過去の歴史でありますから、それらを分析することで、この憲法を歴史的に、正統性がない、レジティマシーがない、つまりあの時点で日本人の意思というものが何ら反映されていなかった、そういう現行の法律が、完全に自主独立を取り戻した日本でレジティマシーを持つか持たないかという議論を、抽象論のようですけれども非常に大事なものだと思いますので、国会でぜひやっていただきたいということをお願いして、一応お話を終わります。
 ありがとうございました。(拍手)
○中山会長 ありがとうございました。
 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
○中山会長 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。柳澤伯夫君。
○柳澤委員 石原参考人というお呼びかけ方はどうもちょっとなじまないという感じもしますので、石原先生ということで呼びかけさせていただきます。(石原参考人「石原さんにしておいてください」と呼ぶ)いやいや、石原さんでも結構でございますけれども。
 石原先生、自由民主党の国会議員であられたときに、特に我々が一時野に下ったときに、自民党は立ち直らなきゃいけないということで、平成六年の四月でしたか、橋本政調会長のもとで、二十一世紀委員会という、非常に広範囲な課題を考える会を事実上主宰をされたことがございます。そのときにつくられた「二十一世紀への橋 新しい政治の進路」、「二十一世紀委員会からの報告」という副題がついたものが手元にあるわけでございますけれども、今のお話を聞いておりまして、やはり自民党議員をおやめになると随分伸び伸びとされた発想をされるのかなという感じを率直に持ったわけでございます。
 というのは、このときの文書によりますと、憲法についても非常に慎重な態度をとられまして、憲法改正が必要であることは当然認めていらっしゃるわけですが、九条についてはむしろ、ここ当分、五年なり十年なり棚上げをして、その他の修正なりをすべきではないだろうか、こういう御提言をなさっておられます。それは、そういうお立場というか変化を反映されたのかなという感じがいたしますが。
 やや具体的なことになるんですが、この中で、部分的修正なりというテーマの中で、こういうくだりがございます。「この国際化の時代に順応して長期にわたる在日外国人の権利と義務の明文化」というようなところが、先生が多分お書きになられた「二十一世紀へのグランド・デザイン(骨子)」という中間段階での文書の中にそのくだりがありまして、先ほど私が述べた最終報告のところをそれに続けますと、「例えば、彼等が居住する末端の地方自治体の首長への選挙権などは是認されるべきではなかろうか。」こういうくだりがございます。
 最近、先生の言葉を新聞でちらっと拝見をしたら、どうもこれと逆のようなことを御主張になっているのではないかという印象を私は持ったのでございますけれども、まず、これをお書きになったときに比べて本当にお変わりになったのか、そして、お変わりになったとすれば、それはどんなお考えの推移によるものか、お教えいただければありがたい、このように思います。
○石原参考人 御指摘のとおりでありまして、前段の九条の棚上げ論は、とにかく憲法の改正も焦眉の問題だという自覚は私はずっと持ってまいりました。
 あのとき、ヒアリングを内外でして、特に外側でしたんですけれども、印象的だったのは、連合の山岸会長と、鷲尾さんですか、今会長になった人が事務局長でいまして、両者がとてもおもしろいことを言ってくれたな。石原さん、とにかく憲法を直しましょう、九条になると非常に厄介な問題が起こってくるから、まず憲法を直す癖をつけた方がいい、納得のいくところはどんどん直したらいいということで、私は、なるほどなというので、要するにその発言をしんしゃくして、ああいう形の提言をしました。
 とにかく、そうじゃないと九条がいつもバリアになりまして、つまり、九条が妙に観念化して絶対化されて憲法を表象しているものですから、憲法というとすぐ九条という連想が働いている。ですから、連合の労働組合の連中が、とにかく憲法を直す癖をつけましょうというのはとてもおもしろい発言なので、それからヒントを得てああいうレトリックをしました。
 それから、後段のこと、これは私はちょっと中で議論をしたんです。私はそのときから反対だった、参政権については。ただ、これをどうしても入れろと言う人がいまして、中で議論があったんですけれども、限られた人間でやっていましたから、それでも、そうすべきだというので、私はそのときに、果てない議論をしてもしようがないので、とりあえずある期間まとめなくちゃいけないと思ったものですから、ああいう文章にしました。
 それで、長期に滞在する外国人の権利義務が、これは必ずしもすべて参政権とか被選挙権ということではなくて、違った形でも、私は具体的に書いたような気がするんですが、半分市民になりかかったような外国人の日本社会に対する権利と義務というのは、やはりきちっとうたう必要がある。加えて、そこに参政権という声が挙がったんですが、私はそのときも否定的でしたけれども、議論の末、その限りにおいて衆寡敵せずで、多分反対したのは私一人だったと思うので、仲間の顔もありますから、ああいう形でまとめました。私は依然として、今反対です。
○柳澤委員 わかりました。どうもありがとうございました。
 ちょっと話題が飛ぶようで恐縮なんですけれども、日米安保、石原先生、かねてからアメリカと日本のあり方というのは、今のお話にもあったように大変強い関心を持たれて、御主張もたくさんあるわけでございますが、この先生の「二十一世紀へのグランド・デザイン(骨子)」というのを見ますと、今後の日米安保の意味合いということを論じたくだりがありまして、そこから「日本を含めたアジアの集団安保体制というものにも発展するかもしれない。」つまり、アメリカの能力と責任において日米安保の意味を保証していくということであれば、そういうことになるかもしれない、こういうくだりがあります。
 今、日米安保の延長線上に何を考えるかというときに、国会に、一つは集団的自衛権を考えていこうという説と、それから、石原先生がここで言われるように、地域的集団安全保障までその延長に見ていこうという二つの考え方が私はあるように思っております。それで、私の立場は、むしろ先生がここに書かれた地域的集団安全保障体制を展望した方が、そして日米安保というものを考えていった方がいいという考え方で、この点は全く同じなんですが、その基礎にある先生のお考え、あえてここで集団的自衛権ではなくて地域的集団安全保障体制を展望された背景になるお考えをお漏らしいただければ大変ありがたいと思います。
○石原参考人 クリントンの政権というのは非常にどこかえたいの知れない、実に強引にダブルスタンダードを使って、日中問題についてもそれで日本は振り回されている節があるんですけれども。ただ、やはり、その同じクリントン時代に、当時の橋本総理が突然サンタモニカに呼ばれて、用件は何かといったら、秋に行われる日米首脳会談の打ち合わせだった。そんなものは役人がやればいいことでして、日本の首脳があそこへ出ていくことはない。果たせるかな、あそこで新しいガイドラインというものを突きつけられた。
 それは皆さんそれぞれに情報を持っていらっしゃるでしょうけれども、李登輝さんが初めて開かれた台湾の総統選挙で出たときに、中共はそれを牽制するためにミサイルの威嚇射撃をやった。それだけじゃなくて、実はDIAが捕捉したことは、日本の与那国島の沖と台湾の高雄の沖、つまり台湾と日本の領海に、誤射と称して、正確な誤射ですね、アメリカもやるし、どこもやるんだ、正確な誤射と称して一発ずつミサイルを撃ち込む計画があったんです。それが漏えいしまして、アメリカは非常に強く反発して、インド洋からも一隻呼んで、日本からも原子力航空母艦が威嚇のために台湾海峡に出動して、それで、もしそういう誤射と称する威嚇をするならばもっと積極的に行動するぞと通告したので、結局、中国はやめました。
 そのときに、非常に急いで行ったために、アメリカは過敏に緊張して出動したわけですから、日本側から出ていった航空母艦に対する給油の作業を非常に日本はリラクタントで協力しなかったんですね。それに対するアメリカの反発が、今までもずっとあったんですけれども、例えば日米合同演習をやってけが人が出ても、日本の地方の病院というのは、その地域の特性もあるんでしょうけれども、そういうものに対しての対処をしないような事例もたくさんありまして、これが一体果たして安保条約というものの実態でいいのかということで、もっと踏み込んで、つまりアメリカは新しいガイドラインをそこで提示した。
 それは要するに、中国という国の軍事拡張主義は、近未来のアジアの安定と平和にとって極めて厄介な存在になったという認識を日本も持てという形であれが押しつけられたわけでしょう。私は、それはそれで妥当だと思うんですが、やはり日本はあそこでアメリカに試されたと思う。
 この間も、サッチャーさんが暮れにいらしたとき話したけれども、日本は随分のんきですねと言われた。ソビエトが崩壊して帝国主義というものは完全になくなったと思ったら、ひとり中国が帝国主義をやっているわけです。これは、軍事力と強大な経済力で、文明、民族、伝統というもののディファランシー、差異というものを全く無視して強力な統治を行うという一つの国家覇権のパターンですよ。それが世界で淘汰された。ちっちゃい形でユーゴなんかもあったわけですけれども、それが唯一続いている国が中国なのに、日本は随分無神経ねと言っていましたけれども、また言われてしようがないと思うんです。
 それで、私は、中国人は別に嫌いでも好きでもありませんが、今の中国政府の姿勢には我慢ならない。それは、中国の要人が、沖縄県なんてもともと中国の領土だと言い、私も当時随行でついていきましたが、沖縄返還交渉できちっと文書にして返してもらった尖閣諸島を、今になってみると自国の領土だと言い出している。アメリカもずるいから、そういうことに対して証言を逃げている。
 こういう中で、軍事力の拡大を背景にした共産党という独裁政権のレジティマシーは、毛沢東が人民を解放し、トウショウヘイが経済を開放した後、彼らが独裁政権でやれることといったら、軍事力を背景にした領土拡張で、それで自分のレジティマシーを維持するしかないでしょう。ですから、私は、非常に危険な選択をしていると思うし、現に、コンフィデンシャルな話ですから詳しいことは申しませんが、江沢民なんというのは、自分の保全のために軍の特に過激な若手と、とんでもない計画の立案を唆して、個人的にそういうコミットメントをしている。これはとても危険な兆候だと思う。
 ですから、私は、集団安保というのは、中国という非常に危険な路線を歩みつつある国に対して、日本がアメリカとのパートナーシップの中で推すべき選択の一つだと思いますけれども、しかし、そのアメリカそのものが、軍事力を持つ世界の警察官と自負している国として、かなり変貌してきた。
 私、おもしろい本を読んだのですが、一年ほど前に、私が非常に好きな作家のノーマン・メイラーが、日本の月刊のプレイボーイマガジンのために非常にすぐれた個人インタビューをしておりました。その中で、いろいろな問題で私インスパイアされたのですけれども、アメリカはもはや世界の警察官たり得ない、アメリカができる戦争というのはもう限定がある、決して血を流す戦争にアメリカは踏み込んでいかない。つまり、もっとわかりやすく言うと、グランドフォースを使った戦争をアメリカは絶対にしない、せいぜいするのはコソボの戦闘だと。
 そして、彼はとてもおもしろいことを言った。これは日本の技術も随分加味しているのですけれども、アメリカの現代戦というのは、五千メートルの上空から地上を行くビークル、車両を正確に撃つことはできる。しかし、五千メートルの上空からだと、これはバスだかタンクだかわからないということで、アメリカはバスを撃ったわけでしょう。あれで七十何人、人を殺したのです、市民を。そういう戦闘は、メイラーの言葉をかりると、戦争としてのレジティマシーがもはやない。
 ですから、私たちは、そういうアメリカの後退というものを考えていくと、私は、やはりアメリカとの集団安保体制というものを一つのステージとして、その先は、柳澤さんがおっしゃるみたいにアジアのアライアンスの中での安保体制というものを考えざるを得なくなってくると思います。
○中山会長 石原参考人に申し上げます。質疑時間が限られておりますので、答弁は簡潔にお願いをいたします。
○柳澤委員 ありがとうございました。
○中山会長 石原参考人の御出席のお時間が十二時まででございますので、質疑者の数がまだございますので、よろしくひとつ御協力願います。
 島聡君。
○島委員 民主党の島聡でございます。
 石原参考人、石原さんとお呼びしてよろしいのでしょうか、石原さんにお尋ねしたいと思います。本日は本当にありがとうございました。
 今、憲法の歴史的な考察をというお話をされました。これにつきまして私の意見だけ申し上げさせていただきますが、私は石原参考人が文壇にデビューされたころの昭和三十三年生まれでございまして、そういう議員たちが、もうそろそろこの歴史的な考察という事柄の議論をするのは終えてもいいのではないか、生産的な……(石原参考人「そんなことはない」と呼ぶ)生産的な議論をするためにはこれは終えて、そして新たな二十一世紀の日本のあるべき姿ということを考えて憲法をつくっていくべきではないかというような意見を持っているのが多いと思いますし、この憲法調査会でもそのような意見を私は申し上げたと思います。
 それで、質問に入らせていただきますが、今、地方自治の舞台におられるわけであります。この国会におられて、東京都知事として今活躍をされておるわけでございますけれども、憲法の第八章九十二条の地方自治の本旨、ザ・プリンシプル・オブ・ローカル・オートノミーというのは、これは、憲法の中においては、ある意味で日本の意思がある程度入ったものであるというようなことを書いている学説もたくさんございます。
 石原参考人にお尋ねしたいのは、イタリアが今、憲法改正を九七年一月から始めております。いわゆる州の権限が列挙されていたものを、今度は国家に留保される項目を列挙する方向性でやっている。石原さんがことしを地方主権元年にしたいという言葉を使っておられますけれども、一般的に、地方政府と中央政府の役割分担を考える場合には、例えば外交とか防衛というのは中央政府がなすべきである、そして地方自治体はいわゆる生活環境、住民などのものに密着するものをなすべきだという議論が多くあると思われます。
 石原参考人は、いわゆる外交、防衛に関する議論を東京都知事になられてからも積極的におっしゃっているわけでありますが、中央政府と地方政府といいますか、それの役割分担というものはどのように自分の中で整理されているのでしょうか。
○石原参考人 前段の、あなた、やはり歴史の原理というものを全く錯覚というのか無視して、つまり、歴史というのはコンティニュイティーで流れているわけですよ。だから未来を考える。未来を考えることで、未来は将来になるわけだ、人間の意思を反映して。そのためにやはり過去というものを踏まえなかったら、あなた、未来に対する正確な予測なんか立ちませんぞ。その年に……(島委員「踏まえてはいます」と呼ぶ)それはおかしいよ。それから……(島委員「そっちがおかしい」と呼ぶ)おかしいですよ、あなた。
○中山会長 発言は会長の許可を得てお願いをいたします。
○石原参考人 それから、中央と地方の問題ですが、例えば、NHKは発表しなかったけれども、各知事に、もし新しいガイドラインが発効したときにはどういう条件でこれをのみますかというアンケートで、私一人だけが、私は無条件でのみます、協力します。たった一人の知事だそうです、発表されませんでしたけれども。
 それは、やはり国あっての地方、国あっての国民ですから、同時に、地方あっての国という構造というものがこのごろわかってきた。というのは、何も中央集権が古くなったということじゃなくて、つまり、地方が抱えている問題は、例えば基地にしろ原発にしろ、国家の命運を左右する大きな大きな、フェータルな問題があるわけですので、それに対する地方の意思というものをそんたくしなければ、例えば地方は地方にそれぞれの選挙があるわけですから。
 だから、さっきの話にちょっと戻りますけれども、日本にいる外国人に選挙権を与えるというのは、アメリカの今の選挙を見てごらんなさい。あれだけ膨大な世界一の大国も、大統領の選挙は百、二百の差で争われて、どうなるかわからない。そのときに、例えば新宿区の区長の選挙でもいいですが、あそこには独特の町がある。そういったものが東京全体の治安を攪乱する可能性だってあるときに、区長の選挙にそこに住みついている外国人の意思が反映されて、彼らの利益が他の区民の意思なり利益というものを逆転させるみたいな判定になりかねないから、私は、やはり地方においてもなお選挙権を与えることは反対で、ならば国籍を取りなさいと言っているわけです。だから、そのために、国籍を変える手続というものを合法化して、簡略化したらいいと思うのです。
 いずれにしろ、私は、そういった地方と中央の相関関係というのはますます密接になってきて、濃くなってきたということを地方側も中央側も意識すべきだと思っております。
○島委員 一時期、例えば連邦制という議論等もありました。連邦制の議論というのは、要するに、抜本的な自治体の権限アップということであります。例えば、法律の制定権というものが地方自治体に、今は当然ないわけでありますけれども、そういうことも必要ではないかという議論があったわけです。
 二十一世紀の日本のあるべき姿像ですから、将来的に地方自治体が、例えば法律の制定権あるいは課税権、今は限定された形であるわけでありますが、自治体がそういうふうに持った方がよい行政ができるというように石原さんはお考えなんでしょうか。
○石原参考人 去年、地方分権一括法なるものができた。大変格好いいのですけれども、五カ条の御誓文みたいに、五カ条の御誓文は内容があったけれども、つまり実質のない法律でして、どんな行政だって財政が伴うわけで、それを保障する財源、税源の分与というものが中長期でしょう。国会の中期、長期というのは、私も長くいたからわかるけれども、あなたがやめるころまでそれが続いているかわからないよ、これは本当に。そんなものをつくられたってちっともありがたくない。ですから、私は外形標準なんかもやったんですけれども、今度も、国の税調なんて当てにならないから、東京都の税調をつくって、与党の税調にも働きかけて、地方分権一括法でない内容というものを地方の限りでつくっていかなくてはいけないと思います。
 しかし、やはり国家は国家ですから、国というもののイニシアチブが及んでいる部分はたくさんありまして、それをやはり、この時代になったんだからという形で地方というものを考えて、国会なら国会の議員たちがもうちょっと踏み込んだ議論をし、もうちょっと踏み込んだ発想で物を考えてもらいたいですね。
○島委員 時間がございません。最後にもう一つ、テーマをかえてお伺いします。
 二十一世紀の政治体制、先ほど柳澤先生の発言に、どうも東京都の方で伸び伸びとやっておられるという御発言がございましたけれども、今の日本の内閣は、御存じのように議院内閣制であります。憲法六十六条は、内閣はその首長たる内閣総理大臣で組織するとある。内閣総理大臣が今なかなか権限を発動できにくい状況にあるのではないか。
 お尋ねしたいのは、今、首相公選制ということがかなり議論を始められております。国会を通して、議院内閣制で首相を間接的に選ぶというのが今の状況でありますが、それよりも、国民が直接選んでいくという首相公選制の方が、二十一世紀における割と速いスピードの時代には、政治スタンスとしては望ましいのではないかと私など思っているんですが、石原さんはどう思われるでしょうか。
○石原参考人 御同感ですね。きょうそちらにおいでの中曽根先生に私は誘惑されまして、物書きのころに生まれて初めて政談演説を、中曽根さんがかつて唱えていらした、首相は国民投票で選ぼうというキャンペーンで、高崎まで行ってやったことがあるのですけれども、私は、やはりその方が、時間的、空間的に日本が狭くなってきているときに、国民のコミットメントの意識を育てると思います。
 中曽根さん御当人がそういう主張をかねてからしていらしたから、中曽根さんの総理大臣というのはまさに大統領的だったです。私の選挙区でしたけれども、大島が爆発したときに、中曽根さんは一晩で決めて、とにかく全部エクソダスして出てこいと。あれは私に言わせると内閣法違反ですよ。超法規ですよ。ですけれども、当たり前だ。
 内閣法というのは、つくられてから直っていないんだ。これはマッカーサーがつくった法律で、余計なことを日本の政府は考えなくていい、いざというときは全部GHQがやってやるんだから余計なことを考えるなという、こんな内閣法、総理大臣の権限が、ただ内閣を招集するだけしか与えられていない、こんなばかな法律がいまだに続いている。だから中曽根さんは、あそこではっきり、もう超法規的に大統領的な決断をされたのです。私は、政治家というのはそういうものだと思う。
 だれとは言わないけれども、この間も内閣の偉い人と話していて、国民全体が被害を受けている、ばたばた人の死んでいる排気ガスの問題なんかでも、やはり国がやらなければいけないことがたくさんあるんだ。そうすると、各省の省益が分裂しているものだから、役所の意見がそろわないからと愚痴を言うから、それは君、そろえるのがあなたの仕事じゃないの、政治家はそのためにいるので、場合によったら役人の首を切ったってやってくれと、国民の生命の問題だから言ったんだけれども。手続、手続のフォーマットにおぼれてしまって、何か結局政治家ががんじがらめになって、自分で手かせ足かせをはめて、国民はいらいらして眺めているだけ。
 だから、僕は、そういう点でも、まず、行政のトップに立つ総理大臣を国民が選ぶというのは、現代ではごくごく妥当な方法だと思います。しかし、こんなものは、憲法の改正から考えたら百年河清を待つで、さっき申し上げたみたいに、一回憲法を歴史的に否定していただきたい。
○中山会長 赤松正雄君。
○赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。石原参考人におかれましては、大変にお忙しいところ、ありがとうございました。
 先ほどお話を聞かせていただいて、いろいろなことを感じたのですが、日本の憲法前文の日本語の乱れ、稚拙さ、一字でもいい、たとえ一カ所でもいい、変えてほしい。なかなか私も胸に迫るものがありました。また、制定過程の問題等、私個人として極めて、日本の憲法に対する位置づけというものは共感を感じる部分が多いわけでございます。
 ただ、なおかつ、それであって、石原参考人のお話を聞いていると、何だか私の心のどこかで少し危うさを感じるというか、懸念が幾つか出てきます。その原因は何かなと思ったら、文学者であられる、作家であられるから、言葉が少し生々しいというか、非常に過激な表現をされるのかなという気がいたしました。
 本題に関係ないかもしれませんが、一つぜひ聞いておきたいと思うのは、私が当選をして国会議員になって七年になりますが、七年の政治家生活で、あえて残念ながらと言いますが、残念ながら石原参考人が衆議院議員を辞職されるとき、今からたしか五年前だったと思いますが、在職二十五周年を記念されるに当たって、最後にこれでやめるとおっしゃった、あの国会演説が最も痛烈な印象と、最もすばらしい国会演説だったなというふうに残念ながら思います。
 あのとき、官主導から脱却できない政治、政党、政治家へのまさに痛烈な批判をされております。思い返してみますと、「日本の将来を毀損しかねないような問題が幾つも露呈してきているのに、現今の政治はそれにほとんど手をつけられぬままに、すべての政党、ほとんどの政治家は、今はただいかにみずからの身を保つかという最も利己的で卑しい保身の目的のためにしか働いていません。」これで、議事録によると「(拍手)」と書いてある。私はこれを読んでまさに笑ってしまいましたが、しかし、もう一遍丹念に見ると、石原参考人は「ほとんどの政治家は」とおっしゃっておるから、多分、拍手した人は、自分は違うというふうに思って拍手をしたのだろうと思います。
 あれから五年がたちました。ある意味で、石原慎太郎という人が政治の表舞台から消えて、私は正直言ってほっとした部分があったのですが、今再び登場された。石原参考人の日本の政治に対する失望はやんだのか、それともとどまるところを知らないのか、このあたり、大変恐縮ですが、短く、まず御感想を聞かせていただきたいと思います。
○石原参考人 ごくごく私ごとでありますから、いずれにしろ昔の名前で出ていますから、よろしくお願いいたします。
○赤松(正)委員 さっきのお話の中で、いろいろなアジアの指導者の、私もマハティールさんにはお会いしたことがありますが、ナセルやスカルノやマハティールの例を挙げて、ドグマじゃないんだということで、近代国家日本の世界史における意味合いという中で、日本という国家が巨大な軍事産業国家として登場してこなかったら、やはり世界は白人支配という格好になったであろうという意味の、正確を欠くかもしれませんが、そういうことをおっしゃった。非常に印象に残りました。
 ただ、私が思いますのは、先ほど言った、石原さんのお話に対して幾つか共感も感じるのですが、ちょっとひっかかりを感ずる部分は、巨大な軍事産業国家として登場してきたという、この歴史的な事実というのはあるわけですけれども、その背景の中には、やはりそれに対する強い反対の意見、強い反論もあって、そういうものも存在して今日まで来ていると思うのです。
 そういう中で、ひとつこれも御意見をお聞きしたいのですが、一九六五年、今から三十五年前に桑原武夫さんが中江兆民の「三酔人経綸問答」の解説のところでこう言っています。よく御存じだと思いますが、平和や自由や防衛といったあらゆる問題で、日本は、中江兆民のいた時代、「三酔人経綸問答」を書いた時代と全く基本的に枠組みというものは変わっていない、こういうふうな指摘をされています。
 私は、これを通じて、いわゆる洋学紳士風の理想主義と、それから豪傑君風のパワーポリティックスのぶつかり合いというものがあって、それを南海先生流の穏健的現実主義というものが、理想主義とパワーポリティックスのぶつかり合いを高みから見ているという位置づけが「三酔人経綸問答」の基本的な位置づけだろうと思うのです。
 今、どちらかというと、パワーポリティックスの部分が後景に下がって、むしろ穏健進歩的な現実主義というものが前に出ていっている、そんなふうに私自身はとらえているのですが、石原参考人の場合は、これは誤解かもしれませんが、いわばパワーポリティックスの部分を代表される考え方を持っておられて、その石原参考人のようなお立場が、かつての「三酔人経綸問答」における南海先生的立場に立って今おっしゃっているということが、少し私なんかが危うさを感じるところの原因につながっていっているんではないか、そんなふうに思うんです。
 ちょっとわかりづらい表現だったかもしれませんが、「三酔人経綸問答」に言うところの、明治から戦争を経て今日に至るまでのそうした日本の国のあり方というものをめぐる理想主義、現実主義、あるいはさっき言ったようなパワーポリティックス、その辺についてのお考えを少し聞かせてください。
○石原参考人 私は、中江兆民のその文章を読んだことがないんで、あなたのおっしゃることに正確な認識を持ち得ないと思うんですけれども、決して私は、有色人種の中で唯一強大な軍事産業国家たり得た日本の政治的な意味合いがすべて一〇〇%ポジティブなものとは思いません。
 現に、日露戦争に日本が奇跡的な勝利を上げた後何が起こったかというと、白人の植民地進出は限界にも来ていたんでしょう、そこでぱたっととまるわけですね。強いて言うと、ムソリーニが、ファシズムがイタリアを統治して、その後は売名的にエチオピアを併合したぐらいで、あんなところは資源も何もないところですから一種のパフォーマンスだったんでしょう。しかし、かわって日本は、ミイラ取りがミイラになって植民地経営に乗り出すわけです。
 ただ、振り返ってみても、近代史というものの政治原理は何だったんですか。それは、もちろんルネサンスあるいはヒューマニズムその他のものがあったでしょうけれども、しかし、国際政治においては帝国主義しかなかったんですよ。是非の問題じゃないですよ。それは、要するに、植民地にされるか植民地を持つかの競争原理しかなかったんです。
 例えば、私のインドの友人も、何人もいるんですが、その連中たちが、ガンジーは尊敬するけれども決して評価はしない。つまり、無抵抗主義で我々は何を得たかといったら、結局、長くイギリスの統治に屈しただけじゃないか。だから、どちらに人間性を感じるかは別にしても、いずれにしろ、その人が、むしろ我々は大挙して反乱してイギリスに抗すべきだった、現に日本が戦争を起こした後、我々はやって勝てた、何であの試みをあの当時できなかったかという言い方をしていましたが、これはこれなりにインド人の一つの認識なんでしょう。
 ただ、日本もまた、日露戦争という戦争は、日清戦争もそうでしたけれども、隣国の大国の植民地になることを忌避して、まさに司馬さんの小説じゃないけれども、坂の上の輝く雲をつかんだわけですな。これがやはり大きな転機になって世界史が変わってきた。それにヒントを得て、ケマル・パシャはトルコの国民を督励して帝政ロシアの支配の桎梏から解放した。
 その他この他、ナセルとスカルノが、マハティールも、全く同じことを言ったんです。我々は日本の存在にインスパイアされた、同じ有色人種で日本人ができたことが何でできないのかということで、私たちは第三次世界大戦を戦った。第三次世界大戦とは何ですか。あなた方は知らぬだろうけれども、我々の独立戦争ですよ、勝ち組の白人が戻ってきてもう一回私たちを植民地化しようとするときに、私たちは熾烈に戦った、そのエネルギーを与えてくれたのは日本だと。
 私は、それは彼らの一つの評価であって、私たちは別にそれでおごり高ぶる必要もないけれども、そういう外国の、かつて白人の植民地支配に呻吟してきたそういった指導者たちの告白というものを真摯に聞いたらいいと思うんです。
 私は、何もパワーポリティックスが絶対とは言いません。ただ、やはりそれが国際政治の大きな力学として原理的にも世界を支配しているときに、それを無視して、人間主義だ、ピースだということが起こるかといったら、ガンジーの正確な評価は私知りませんけれども、それを批判するインド人の憂き目を私は味わいたくないと思います。
○赤松(正)委員 ありがとうございました。終わります。
○中山会長 武山百合子君。
○武山委員 自由党の武山百合子でございます。
 本日は、お忙しい中ありがとうございます。
 早速ですけれども、石原さんは参議院議員をなさって、そして衆議院議員をなさって、そしてこのたび東京都知事をされているわけですけれども、国会というところをずっと経験と体験の中から、そして今度外から見られて、今の日本の参議院の役割は何かということをちょっとお聞きしたいと思います。
○石原参考人 私が参議院にいたころは、参議院は衆議院のカーボンコピーだと言われましたが、今はむしろ非常にその役割というものを発揮してきて、チェック・アンド・バランスというのでしょうか、その存在感が出てきたんじゃないのでしょうか。
 私は、いろいろ不満もうっくつしたものもありましたが、六年間ですが、あそこにいていろいろな勉強もできたし、そういう意味では、今振り返ってもとてもその時代が懐かしいのですが、今ある参議院というのはとてもアクティブで、二院制の意味というのはやはりあったのだなという感じを今得ております。
○武山委員 ありがとうございます。
 当時、参議院に当選されたときは、恐らく名前を書いていただいて当選されたのだと思います。今国会で、名前でも、また政党名でもということで、非拘束名簿方式が来年の参議院選から導入されることになりました。国会議員がいわゆる全国区で本当に名前を書いてもらうには、メリットとデメリットがあるわけですけれども、有名な方あるいは業界団体からでは出られない、そういう意味で、政党名になったということは、私などにとっては非常にいい制度ではなかろうかと思っておりましたけれども、このたびまた、非拘束名簿方式といいまして、名前で書く、それと政党でもどちらでもということになったのです。その辺、御自分が戦った状態と、今度新しくなる、戦って名前で当選されて、その後政党になって、そしてこのたびまたもとに戻ったような形になるのですけれども、それは外から見てどのように感じますでしょうか。
○石原参考人 私は、全国区の参議院をやったのは非常によかったと思うのです。これが最初、憲法で決められたとき、こんな社会で全国を走り回って、もうへとへとになるぞという反対論があったけれども、結局かつての形になる。私が立候補したときには、ジェット機も飛び、新幹線の一部も走っていました。なお世の中が進んだ今、極端な話、稚内で演説して次の日に鹿児島へ行くことだって簡単にできるわけですね。私は、全国区の参議院で、非常にシェマーティッシュに、鳥瞰的に、バーズビューで日本を眺められたというのはとてもよかった、いい体験をしたと思うのです。私は、むしろ衆議院も、定数も減らしたらいいと思うけれども、その半分ぐらいは全国区にしたらいいと思うのですよ。
 ですから、私は、かつての全国区は非常にいい制度だと思っていますし、それを、ある事情で、隠然として日本の政界を仕切っていた田中さんが、もともと反対だったのが一晩にして変わったのです。ある事情で無理やり国会を延長しなくちゃならなくなった、あることのために。そして、結局あっという間に比例代表になったときに、何てばかなことをするのかと私は思いましたな。
 それで、私が出たときも、今東光にしろ大松さんにしろ石原にしろ青島にしろ、何だ、しょせんタレント議員じゃないかと。冗談じゃない、タレントがなかったらタレントと言われないんだと私は言ったのです。それは、世の中でいろいろな方から評価され、有名になるということは、才能がなかったらならないのですよ。
 私は、そういう点で、政治家というのは何もそんな崇高な仕事とも思わないし、職業とも思わないし、とんでもないエリートとも思わない。むしろ、世の中にその成果が定着している人間の方がある実績があるわけで、私は、その人の名前が名前として通って、その人が政治に志を持ったときに、その人を政治家として選ぶというのはごくごく当たり前のことだし、むしろそういうことで参議院なんか選んだ方が意味があると思っていましたが、それが比例代表という形になった。
 しかも、政党というものは何なのですか。かつてイデオロギーの対立があったときにはそれなりのレゾンデートルがあったけれども、今は名前も覚え切れない、くるくる変わって。政党そのものがもう一回シャッフルされる時期に来ていますよ。私は、そのときに政党を選べといったって、国民の方が辟易すると思うね。とにかくわからないのだから、何だか。私は名前を覚え切れない。
 自由民主党というのは、自由党と民主党が一緒になったんですよね。それが今度分かれて自由党と民主党になるというのは、私が自民党の党首だったら、コピーライトの問題で困ると言う。自民党が自由民主党と言わずに自民党、自民党と言うから、いつの間にか自由党と民主党が分かれてできちゃった。変な話で、国民にとってみれば、こんな迷惑千万な話はない。
 ですから、私は、要するに今の選挙制度の転移も過渡的なものだと思うし、そのうちに政党そのものがシャッフルされて、もう一回落ちついた形になるんじゃないですか。そこで新しい妥当な選挙制度が出てくる。その間は少し混乱したっていいじゃないですか。国民にとっては、知ったこっちゃないという感じだね、本当に。
○武山委員 国民にとって、そんなことはないと思います。(石原参考人「いや、政党がですよ」と呼ぶ)ああ、政党。
 それでは、有名な人しか出られないということもあるわけです、名の知れた方。石原慎太郎さんは、当時作家ということで全国的に名前もあったということで、そういう点で名の知れた人。しかし、その名の知れた人が国会議員になって、きちっと国民のために政治活動をしていただければいいわけですけれども、そこに、きちっと政治活動をしていない方、いろいろな意味で問題を起こす方、そういう方もいるものですから、本当に出したい人が出せないという欠点も実際はあるわけですけれども、参議院の役割ということでお話を聞きましたので、これはこれで一つ区切りをつけたいと思います。
 それから、先ほど憲法の歴史的なお話をいただきましたけれども、日本がこのようにいろいろ議論されてきたにもかかわらず、他国は何回も、特にスイスだとかヨーロッパでは、もちろんドイツでも改正が行われているのに、日本はこのように不毛の議論をずっと続けてきたわけです。私も、正直言って、憲法改正論者の一人ですけれども、いらいらしておりますけれども、なぜ憲法改正ができなかったのか、大きな理由を何点かお述べいただきたいと思います。
○石原参考人 それは、最初に申し上げたように、平和憲法という名前に変わった時点から、憲法というのが非常に理念的なものにとられ、つまり平和という理念の象徴のような存在になってしまったことで、非常に膠着した状況が現出してしまったんじゃないでしょうか。
 繰り返して申しますが、司馬遼太郎さんが言ったように、観念の権化になってしまったものだから、日本人は観念が好きですから、現実よりも現実性があるような錯覚で、一種の聖域化してしまったという気がいたします。
○武山委員 それからもう一つ、教育の中で近代史が戦後きちっと行われていない。それから、近代史の歴史の事実、これがきちっと政治の側も、また教育の上でも本当に行われていない。これは文部省の責任でもありますし、また政治の責任でもあると思いますけれども、その辺、教育の中で欠けているという部分についてはいかがでしょうか。
○石原参考人 全くおっしゃるとおりですね。
 私は、歴史は、自分が生きている時代から遡行して、お父さん、お母さんのころ、じいさん、ばあさんのころ、ひいじいさん、ひいばあさんのころの歴史から逆にさかのぼっていった方が、子供たちにも強い関心の対象になり得ると思うのです。古代から始まって、江戸で途中で終わってしまったみたいなのが大体日本の歴史教育の通例だけれども、現代史、近代史から中世へさかのぼっていく、そういう叙述というのでしょうか、そういう歴史の教育の方法というものがあってしかるべきだと思います。
○武山委員 どうもありがとうございました。
○中山会長 山口富男君。
○山口(富)委員 日本共産党の山口富男でございます。
 石原さんとお呼びしてほしいということですので、私もそういうふうに呼ばせていただきますが、石原さんはきょう、憲法は歴史的に見て正統性がないから、一回否定するところから始めたらどうかということを提起されました。
 私は、この点については、提起された論点も内容も石原さんとは認識を大きく異にするものです。確かに、第二次世界大戦で敗戦国になったドイツ、イタリー、日本を見ますと、それぞれの国の憲法制定過程というのは、石原さんの言葉をかりれば、個性があるわけですね。
 日本を振り返ってみますと、やはりポツダム宣言が求めた軍国主義の徹底的な除去、それから日本における民主的な傾向の復活強化、基本的人権の問題、こういうものを求めた世界の世論と、それからその当時の敗戦後の日本政府の認識の間に大変大きなギャップがあって、中でも、当時の幣原内閣が、戦前来の天皇主権に固執して、人権保障のない憲法改正案をつくり始めていた。それに対して、占領軍が現憲法の草案をつくった。このことは事実だと思うんです。
 同時に、この憲法草案に盛られた内容というのは、やはりあれだけのひどい戦争をやりましたから、ああいう戦争を二度と繰り返したくないという日本の国民の平和の志向と合致したものがあったと思いますし、特に戦前の自由民権運動以来の民主的な伝統、国民の中に流れているそういう個性というものも底流にあったというふうに思うんです。だから、あの当時、世論調査を見ましても、圧倒的な国民はこれを歓迎しましたし、その後半世紀の間、この憲法を暮らしと政治に生かす努力を尽くしていく中で定着をしてきたように思うんです。
 ですから、振り返ってみて、総体から見れば、一度否定から出発するということはやはり私はできない、こういうふうに思うんです。
 さて、この調査会の検討課題からいいますと、二十一世紀の日本のあるべき姿という検討課題なんですけれども、憲法に即して言うと、憲法の否定ではなくて、憲法に基づく国づくりと世界への能動的な働きかけが私たちに大変求められている重要な中身になると思うんですけれども、その立場から石原さんに幾つかお尋ねしたいんです。
 まず、憲法の平和主義の問題なんです。先ほど、前文の内容について、うたわれている理念や内容は当たり前でよいのだというお話があったと思うんです。それで、私、この点で、石原さんは都知事として、最近でもアジア都市ネットワークというものの構築を呼びかけて、世界とアジアの問題を東京都から見据えてきたと思うんですけれども、やはり日本国憲法の平和主義というものが、二十一世紀の世界とアジアの平和にとって確固たるよりどころのある力を持つと思うんですが、石原さん御自身は憲法の平和主義の意義について今どのようなお考えをお持ちなのか、お聞かせ願いたいと思います。
○石原参考人 お言葉をちょっと返すようですけれども、前段のあれですが、日本がやった戦争だけがひどいんじゃない。戦争というのはみんなひどいもので、だれも望まない。しかし、依然として起こる。それを、日本は日本の立場で、この地政学的な条件の中で、まず日本のため、そして隣人のために、どうやって平和を実現していくか、その手だての問題というのはいろいろ論もあるでしょう。
 いずれにしろ、私は、だれしもが平和を希求していると思うし、その維持のために努力をすべきだと思っております。アジアもまた、やはり私たちの力の及ぶところには相互に力をかし合って、平和というものを維持していきたいと思うけれども、片っ方にはとんでもない、時代錯誤と私はあえて言うけれども、帝国主義というものを標榜している国家があるわけですよ。これはやはり私たちは強く意識しなきゃいけないし、それを場合によったら牽制しなくちゃいけないし、場合によっては防がなくちゃいけない。
 日本に限って言ったら、かつて資源封鎖された時代と違って、日本は金融力というんですか、金融資産をたくさん持っている国ですし、技術力も経済力もありますから、資源を獲得するために軍事力を背景に外国まで出ていく必要は全くない、お金を出せば売ってくれる世の中ですからね。
 だから、私は、防衛という問題に関して言えば、完璧に自分を守る体制を手だてを講じてつくったらいいので、それはそれなりの一つ抑止力になると思います。
 いずれにしろ、自分だけじゃなしに、他人あっての平和共存であるし、自分たちが平和で過ごしても、周りに火の手が上がったんじゃ、これはやはり非常に危惧にたえない問題ですから。そういうことで、もうちょっと日本は自分の持っている力を有効に使った方が、アジアならアジアの平和の維持にもつながると思うけれども、全部アメリカさん任せだから。
○山口(富)委員 日本の持てる力を使おうじゃないかということの中身が問われてくると思うんです。その点では、議論を詰めていきますと、私と石原さんには大きな違いも生まれてくると思うんですが、その大事な中身の一つは、日本の憲法の場合、平和を維持する問題として、武力の行使や威嚇、これを禁じただけではなくて、常備軍を持たないというところまで徹底させたわけですね。
 振り返ってみますと、四五年に国際連合がつくられて、そこでも平和の探求ということが大きなテーマになりました。その上に、四六年に日本国憲法が生まれてくるわけですけれども、この憲法の制定議会の中でも、政府は国連憲章より日本国憲法の中身が一歩も二歩も前に出たものなんだという説明をたびたび行っております。
 それで、石原さんは、グループ黎明の会というんですか、この代表を務められたころに、九三年の四月に憲法新規制定第一次草案というものをお出しになって、九条を全面改定し、戦力保持を明記する方向をまとめられたようなんですけれども、これは今でもそういうお考えなんですか。
 それからもう一点、そういう問題について、都民の方々にそういう考えを明らかにして都政の運営に当たられているのですか。
○石原参考人 都政と国の防衛力というのは、かかわりはありますけれども、直接結びついた問題じゃありませんが、必要とされれば、私は自分の所信をはばかることなくいつでも述べます。それをまた都知事としての判断として都民が評価されたらいい。
 ただ、私は、今の憲法九条は、逆さに読んだって、横に読んだって、日本の言語能力、普通の日本人が読んだら違反ですよ。(山口(富)委員「それは自衛隊ですか」と呼ぶ)自衛隊は違反ですよ。だから、ただし自衛のための戦力はこれを保有すると三項で入れたらいいということをかねがね言ってきたわけですよ。
 さっきも、自民党が野党になってあっぷあっぷしているときには、何か指針をつくってくれというので、私が仲間と一緒にやりました。その段階では、九条の問題というのは非常に大きなバリアになるから、一応棚上げという形で、まずほかから、まさに連合の諸君が言ったみたいに、まず憲法を直す癖をつけよう、それは抵抗のないものからやっていこうじゃないかということでああいう叙述にしましたけれども。
 私自身は、防衛力を持たない国家はあり得ないし、それを他人に依存すれば、まさにかつてのローマみたいになっちゃうわけで、私は、自分の家族が侵されるとなったら、家長だから自分で死を賭して頑張りますが、それはやはり国家の責任の最たるものじゃないですか、国民の生命財産を守るというのは。それを外国人にゆだねるとか、あるいは他人の好意にゆだねるというのは、そんなものは理念でしかなくて、観念でしかなくて、それは他国の人間が見たら、みんな笑いますわな。
 ですから、私は、自衛隊でいいのです。軍であるけれども、それを自衛隊と呼ぶなら、それはさっき言ったみたいに、日本が外国へ攻めていって資源を獲得する必要なんか毛頭ないのだから。だったら、完璧な自衛をするためにその戦力はこれを保有するという一項を三項に入れたらいいと思うんです。
 だれが読んだって憲法違反ですよ。
○山口(富)委員 笑い物というお話が出ましたけれども、今世界では、憲法九条について世界各国も学ぶべきだ、そういう決議まで上がっていますし、アメリカでも憲法九条を世界に広めていく会というものが生まれているのです。
 私たちは、憲法違反の自衛隊については、その現状を、憲法九条が完全に実のあるものになるような方向で段階的に解消すべきだというふうに考えておりますが、きょうのお話を通じましても、やはり石原さんのおっしゃる憲法の平和主義の問題と、国民の皆さんが憲法の平和主義を堅持して二十一世紀に生きる日本をつくろうじゃないか、ここにはやはり大きな食い違いがあるなということを痛感いたしました。そのことを最後に申し述べて、質疑の時間が終わりましたので、終了いたします。
○石原参考人 ちょっと一言だけ、会長。
 それは、あなたのおっしゃることはわかります。世界で日本の理念を称賛する一部の人はいるでしょう。では、どこの国が日本に続いて自分の国の戦力を放棄しますか。その国があらわれてきてくれるのなら、私はいささか世界を見直すけれども。日本の九条を礼賛しても、では、どの国が日本に倣って自分の自衛力というものを放棄しますかね。そんなところはないね。あり得ないですね。
○中山会長 次に、阿部知子君。
○阿部委員 社会民主党の阿部知子と申します。
 石原参考人には大変御苦労さまでございます。私は石原さんという呼び方よりは、石原知事と呼ばせていただこうと思います。
 二十一世紀を目前にいたしまして、現在の日本の政治的、経済的並びに文化的混迷が多くの心ある人々の心に深くのしかかっているのは、知事も常日ごろ御指摘のごとくかと思います。
 そして、先ほど来、石原知事のお話を伺いますと、そうした混迷の大きな原因が、五十三年前ですか制定されました、石原知事の言葉によればマッカーサー憲法、そして、それがいつからか平和憲法と呼ばれ、逆に理念が現実を先行する形で我が国に定着してきた現実にあるという認識に立っておられますが、そもそもマッカーサー憲法を平和憲法という形で呼ばせしめた、逆に、国民の一人一人の希求するものもそこにあったように私は思います。
 そして、もう一方で、たまたま私は昭和二十一年十一月四日の新聞を見ておりまして、さきの昭和天皇が勅語として述べられておられる中に、「この憲法は、」「国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、自由に表明された国民の総意によつて確定されたのである。」ということを言明しておられます。また、引き続いて、この昭和天皇の勅語の中には、「国民と共に、全力をあげ、相携へて、この憲法を正しく運用し、節度と責任とを重んじ、自由と平和とを愛する文化国家を建設するやうに努めたい」ともあります。
 このような天皇の勅語、これに関しての見解もさまざまにございますが、例えばマッカーサー憲法を日本に受け入れさせるために天皇制を利用したというような分析もございますが、逆に、石原知事は、このときの天皇勅語というものも含めた憲法制定ということをどのようにお考えでしょうか。
○石原参考人 その前に申し上げますが、ちょっとあなたの解釈が違うんでね。
 私は、日本の現実の混迷のすべての原因が現行憲法にあるとは言っていません。ただ、日本が自己決定ができない、トインビーが言ったみたいに、その能力を欠いているがために国家が崩壊しかねない、そういう危機に来ているということの、その大きな潜在的な引き金というのはやはり憲法に象徴される、あると私は思います。
 それから、天皇の勅語というのでしょうか、私も、昔のことでそれをつまびらかにしないし、言われてみて、なるほどそういうことがあったかと思うかもしれませんが、しかし、あの勅語が発せられたときもまた、日本の立場というのは、敗戦直後のシチュエーションでありまして、現実と大分違っているんですね。
 ですから、それは天皇は天皇の立場で、この国をできるだけ安寧に保持しようということでそういうメッセージを発せられたかもしれないけれども、それからまた紆余曲折、時代が変わってきて、日本はそれなりの力を持ち、周りからも期待されているときに、私はやはり、天皇のお言葉があろうと、むしろ、そういったものを体するがゆえに、私たちはこの憲法というものをもう一回考え直す時期に来ていると思います。
○阿部委員 その辺は、もちろん見解の相違ですが、私は、先ほど来申し上げましたように、石原知事の言葉をかりますれば、国民の中の一人一人のガンジーが、かつての第二次大戦の悲惨な思いの上に立って平和を希求するために努力してきたのが戦後の五十数年であると思います。
 引き続いて石原知事にお伺いいたしますが、先ほど尖閣列島問題にもお触れでございますが、昨日から今朝にかけての新聞は、花岡事件における鹿島と元中国人の強制労働者の和解問題を報じておりました。二〇〇〇年に入りましてから、中国のハルビンにおける旧七三一部隊の世界遺跡への指定、あるいは二〇〇〇年九月に行われました、中国に残留せしめた毒ガスの撤去等々、日本と中国の関係は、ある意味で過去を一つ乗り越えて新しい関係を築こうという平和の芽も含んでいるように思います。
 その中にあって、石原知事は、専ら、自国の防衛は他のどの国も担ってくれないゆえに、対中国との国境紛争ともなりがちな尖閣列島問題、あるいは対韓国との間の竹島の問題、あるいは北方領土における対ロシアの問題も、いずれもある程度の自衛的武力をもってこれを解決されようとお考えか、また、その際の武力を当然ながら備えていくための経済的保障あるいは人員的保障、特に国内におけるいわゆる徴兵制についてお考えか否かについてお答えいただきたいと思います。
○石原参考人 私は、日本で徴兵する必要はないと思います。
 それから、尖閣諸島にしろ竹島にしろ、これは違った形の紛争ですけれども、それを解決するために私はじかに武力を持ち出すのは愚の骨頂だと思います。しかし、武力があるんだかないんだかわからない、自分の国土を自分の責任で守るという意思表示がどうもあいまいでわからない国家というのは、領土に関しても言いたいことを言われて、今中国の人たちが何を言っているか、日本はやわらかい土だ、泥みたいなもので、手でも掘れる、幾らでも物がとれると言っていますよ。
 私は、そういう日本の風土というものを造成するのに非常に悪い意味でマイナスの効果があった憲法を考え直せということを言っているわけで、また、そこから派生してきた日本人の、つまり、自分というものの、利益も含めてきちっとした主張をするというメンタリティーというものを造成していくためにも、やはり憲法は考え直すべきだと思います。
○阿部委員 石原知事の場合、憲法、とりわけ日本の自衛的軍隊の問題を国家の中核に置いておられますが、先ほど来申し述べましたように、私どもといたしましては、逆に、この憲法制定の試みは、軍隊を持たない新しい国家像を世界に問うたものだと思っております。
 時間の関係で次に移らせていただきます。
 憲法は、対国内的におきましては、いわゆる基本的人権、とりわけ二十一世紀にありましては、日本人と在日外国人、あるいは子供と御高齢者、それから障害のある人とない人のお互いの価値を一にする存在のあり方を問うたものであると思います。
 さて、先般、石原知事が視察に出向かれました府中療育センターで氏がつぶさにお会いくださいました障害児の一人が、私がずっと主治医を務めておりました患児でございます。この少年といいますか、青年になりまして、本年三月に二十四歳八カ月でその生を閉じました。
 知事は、府中療育センターにお訪ねの折に、このような子供たちの人格の問題あるいは生存の幸せの問題についてお触れになりましたが、きょう、私の手元にお母さんからいただきました一通のお手紙がありますので、御紹介させていただきます。
  亡くなって八カ月たちましたが、東大小児科での入院生活や外来での人とのかかわりが懐かしく今も思い出されます。一度お礼に伺わなければいけないのに、精神的にはまだつながっていたい気持ちが強く、まだ伺えずに御無礼しています。メンケス病という親にも背負い切れない重いハンディを持って二十四年八カ月を本当に頑張って生きた息子を誇りに思い、一緒に歩んだ年月から、私たちは生きるということを学んだような気がいたします。そして、真の優しさ、強さと人間的財産を残してくれました。
  昨年九月十七日の都知事の府中療育センターへの視察後、人格発言が報道されたとき、西欧ではどうだろうというような安楽死を示唆された発言にぎくりといたしました。これは、都知事のある意味での御性格のあらわれやもしれませんが、新聞の詳細記事では、都知事は療育センターに入所している人たちに初めて出会ってかなり戸惑ったのが実情ではないかという気もいたしました。このような機会が都知事に今までなかったとしたら、それが問題とも思いました。
  重度の障害を持つ人たちが初めて接する人々に与えるインパクトが強いのは事実で、人格を持つのかという疑問以外にも多くの衝撃を与えたようにその他の会見から推しはかれるように思います。
 その後、お母さんのいろいろな言葉がありますが、「息子がいたから多くのことを学び、多くの人々と出会うことができました。息子が生きることの意味を教えてくれた、そう確信しています。」というお便りをいただきました。
 私は、日本がこれから世界に誇るべきは、逆にこのような日本人のメンタリティー、それは西欧であれば消し去ってしまったかもしれない、この存在を守っていこうという心性にあるように思います。
 知事には、重ねて今回の御経験をそのような方向に深めていただければと思います。
 お時間の関係で終わります。
○中山会長 次に、近藤基彦君。
○近藤(基)委員 21世紀クラブの近藤でございます。
 石原知事には大変御苦労さまでございます。21世紀クラブというのは、黎明の会以来の衆議院の院内会派であります。
 私自身が二十九年生まれでありますので、戦後、もう物心ついたときには現行憲法が俎上にのっているというか、ありきという時代を過ごして、しかも戦後のどたばたというのは余り経験をしておりませんで、非常に物の豊富な時代を安穏と平和に暮らしてきたという人間の一人であります。しかも、六月の選挙で初めて当選をさせていただいて、まだ六カ月のほやほやでありますし、憲法調査会にそれから入れていただいて、憲法に対して前国会で制定過程を参考人を呼んで論議をしたということで、そこから私の憲法が始まっているみたいなもので、現実的に憲法を勉強したという、何となくという覚えはありますが、少なくとも憲法に関して関心を持ったということは、この憲法調査会に入ってからというのが現実であります。
 恐らく一般の人たちは、我々以上に憲法に関してほとんど関心がない。もう既に憲法ありきの状態から、たまに九条の問題あるいは二十条の問題で新聞に載る程度で、この憲法の平和あるいは国民主権、基本的人権というのはもう当たり前、この理念が立派というのは、平和を希求しない人もいないでしょうし、基本的人権を無視しようと思っている人もいないでしょうし、どちらかというと最も当たり前の理念だと思っております。
 ただ、制定過程において国民不在であって、日本の主張がどこまで取り入れられたのか。その辺で押しつけ憲法だ、あるいはマッカーサー憲法という話が出てきて、それを一度否定して、そこから各項あるいはその理念に関しての議論を始めるというのは大変同感なんですけれども、この憲法論議、改正するにも国民投票が必要だという現行憲法の規定でありますし、もっと国民に啓蒙活動をしたいという思いが我々には大変強い。憲法調査会でも、毎回憲法ニュースというものをホームページを通じて出しておりますが、国民的人気の非常に高い石原知事でありますので、この辺の教育を含めた啓発、あるいは現行憲法を知らなければまた論議もできませんから、そういった部分で、どうやったら国民的な論議を活発にできるか、何かお考えがあったらお聞かせいただければと思います。
○石原参考人 それは、どんと基本法としてあるものですから、みんなが精通しているはずのものだけれども、しかし、日本に限らず、どこの国の国民だって、自分の国の憲法を精査して読んだ人はいないと思うし、大体、経済人だって読んじゃいないんだ、偉そうなことを言うけれども。
 それで、例えばちょっと話が違いますが、安保の問題なんかだって、わけのわからぬことを言うから、あなた、安保読んだことあるんですか、こうこうこういう文言しかないのですよと言ったら、はあ、初めて知りましたという話で、憲法の是非を云々するにしても、学生のときに憲法をさっと読んだ人はあるだろうけれども、その後、法律の専門家じゃない限り、憲法をあえて読む人もいないだろうし、子供たちにどういうふうな形でこれを教えるかといったら、まあ難しいし、子供たちはもっとほかのことに生な関心があるでしょうから、難しいですな。ちょっとにわかに妙案は思いつきません。
 しかし、国会での議論が盛んになってくることで、それがいろいろなメディアを通じて波及していくことで国民の関心というのは高まってくると思うし、やはり何か一つ国民が関心を持たざるを得ないような問題について是非を論じるみたいな、そういう機会をできるだけ多く講じていくことでしょうね。余り妙案はございません。
○近藤(基)委員 私どもが一番最初に取り組んだのが、この憲法の原文、英文を、解釈を変えずに、中学生程度でわかる平易な言葉に何とか訳せないかということで、私ども、ある大学のグループに、サークル的なグループだったのですが、お願いをして、原文を渡して、何とか訳してもらえないかということで試みた経験があるんです。そのときに返ってきた回答が、石原さんに言わせれば非常に悪文だということでありますが、これ以上訳を平易にするといろいろな解釈が出てきてしまって、いわゆるやわらかい文章にし出すと崩れていく可能性があるということで、逆に言うと、これが防波堤になっているすばらしい文章であるという答えが返ってきまして、これははたと困ったなという思いがしているのです。
 ただ、私自身は、いろいろな解釈が生まれてもいいのではないか、それが論議になるんだろうから、何とかこれをもっとわかりやすい言葉にかえていく努力を今続けている最中なのでありますが、それも一つの啓蒙運動になっていくかな、あるいは国民的な論議、ここではいろいろな解釈が英文の場合にはできてくるんだ、ではどの解釈で進めていけばいいのかというようなことも考えてはいるのです。
 私らとすれば、まだ若いですのでどっちかというと改憲に走りやすい部分があるのですが、現実的な乖離がかなりいろいろなところでできてきているのも事実だろうと思います。
 私自身は、きょう石原さんにお話をお伺いしながら、一度否定するところからという話でありますが、否定する部分において、これは国会の過半数でいいのかどうかはっきりしませんが、改正に関する憲法の論議の中で、どうしても三分の二以上必要なのか、あるいは、否定してしまう部分でも改正だという話も実はあるので、その辺が非常に難しいところなんだろうと思いますが、この否定の仕方を、石原さんの場合は、全く全部を否定して改めて創出をした方がいいというお考えなのでしょうか。
○石原参考人 そうですね。やはり歴史的な正統性があるかどうかということをもう一回歴史の中でとらえ直して、歴史的な正統性というのは、つまりあの時点での日本人の意思がどれだけそんたくされたかという、立案からですよ、私はやはりそういうことを自分で問い直してみる必要があるんじゃないかと思います。
○近藤(基)委員 以上で結構です。ありがとうございました。
○中山会長 小池百合子君。
○小池委員 石原都知事、本日はありがとうございます。
 いろいろと御示唆いただきました。結論から申し上げれば、一たん現行の憲法を停止する、廃止する、その上で新しいものをつくっていく、私はその方が、逆に、今のしがらみとか既得権とか、今のものをどのようにどの部分をてにをはを変えるというような議論では、本来もう間に合わないのではないかというふうに思っておりますので、基本的に賛同するところでございます。
 きょうは、冒頭に、ナセルとかサダムとか私にとっては大変近しい名前が出てまいりました。私も十九歳のときにあの中東の地に行きまして、大変な驚きでございました、いろいろな面で。やはり国家というものを一人一人が考える、また、考えないことはある意味で日本にとって幸福だったかもしれない、それを考えざるを得ないような状況に置かれている人たちの不幸せというものもつくづく感じたわけでございます。
 特に、アラブ、そしてパレスチナ、さらにはその対向の位置にあるイスラエルということでいうならば、まさに国家の主権、パレスチナなどは国家の主権そのものどころか領土までなくしてしまったわけでございますから、このあたりの国際的なまさにパワーゲームとしか言えないその動きを目の当たりに見て、これが世界の現実なんだろうというような、認めたくはないけれども、でもそれが現実であるということをまざまざと見てまいりました。認めたくないというのは、日本の現実と余りにもかけ離れているからという、ただそれだけの意味でございます。
 その意味で、先ほども領土のお話がございましたけれども、国を構成する幾つかの諸要件の中にこの憲法も入ってまいりますし、それから当然領土も入ってくる。その領土について、相手の方の言っている言葉をうのみにするような形の国家というのはそもそもあり得ないんじゃないかというふうに思っておるわけでございます。その点について伺いたいと思っておるのです。
 ですから、これまでも領土のことなどもおっしゃっておられました。ある意味では当然なことだと私は思っているわけでございますけれども、日本人の領土に対する考えの希薄さについて伺いたいと思います。
○石原参考人 確かに、政治の大眼目というのは、どの国でも国民の生命財産の保持ということで、その財産の中には国土も入るわけです。日本人は、アメリカに対する一種の信仰が普遍してしまって、すべて最後はアメリカが解決してくれるというような変な妄想みたいなものが定着してしまった。その限りにおいて、つまり、国土に対して執着がないとか関心がないんじゃなしに、その問題も含めて他力本願になり過ぎているんじゃないでしょうか。
○小池委員 それは、すなわち、先ほどトインビーの言葉を引き出されました。自己決定能力を失った国は国家として衰退していくということで、他力本願、すなわち自己決定能力の喪失ということに言いかえることができると思います。
 日本で戦略という言葉はどこかミリタリーなニュアンスがあって、余り戦略、戦略と言うとおどろおどろしく聞こえてしまう。だけれども、世界を見回してみて、国家戦略のない国なんというのはないと私は思っているんですね。
 ところが、日本は、戦略を描く、そしてそれを一つ一つ実行していくということについてはまことに不得手な国であると思います。不得手であると同時に、戦略を築いていくインフラが整っていないというふうに考えるわけでございますが、今後の国家戦略を描くについての新たなインフラについて、必要な要件について伺いたいと思います。新たなと申し上げたのは、これまでそれを担ってきたのは霞が関がほとんどだったからではないかと思うからでございます。よろしくお願いします。
○石原参考人 私は、日本はいろいろな力を持っていると思いますね。それは、国の財政が疲弊していても、日本全体、国民が持っている金融資産は世界にフローしているものの三分の一強あるわけですし、技術だって日本人が関心ないだけで、ヒトゲノムなんて最初の読み取りをやったのは日本人でしょう。それから、ITのシステムの、全部とは言わないけれども、最初の、半分に近いものは、日本人が考えたのはみんな外国がピックアップする、関心を持っている。
 この間も、アメリカの国防総省の次官補代理か何かがヘッドになったリサーチのチームが日本に来て何を調べていったかといったら、デュアルユーステクノロジー、つまり、民間の製品に使われている技術だけれども、うまくやったらアメリカの国際戦略に組み込めないかというもの、これは引き金になったのは例のソニーのプレイステーション2ですけれども、そういう自分の力を日本人自身が余り認識してない。
 それから、おっしゃるとおりに、すべての戦略がないものだから、技術に関しても、金融に関しても、持っている技術力なり金融力というものをどう使うかということを日本人が決めずに外国人が決めている。こういうのは本当に情けなくて、手玉にとられているわけですよ。
 ですから、今小池さんおっしゃったみたいに、これをもう一回戦略に組み込んでいくために必要な要件というのは、まず自分を知ることじゃないでしょうかね。それは、役人の仕事じゃなしに政治家の仕事だと私は思います。
 だから、自分の持てる力を過信してもいけないけれども、何が足りなくて何があるかということ、かなりのものを持っているんだったら、何が足りないかというのは、それをいかに自分の意思で使うかという発想がないということだと思います。
○小池委員 ありがとうございました。
 きょうはいろいろと、憲法調査会でございますから憲法問題に関連してお話しいただいているわけですが、私は、むしろアメリカの戦略とすれば、日本にこの憲法を変えさせないのが最大の戦略になってくるんじゃないか。つまり、いろいろな点でがんじがらめにしておいて、そしてそのたびに出おくれるような形にして、最後は小切手外交をさせようというのが、これは一番アメリカにとっていい方法で、なおかつ思いやり予算というような形で置いて、ありがたくそこに海兵隊の人たちが住んでいるというような状況。ですから、アメリカの側から見れば、それが戦略なのかなと思ったりもするわけでございます。
 もう時間がございませんので、これで終わらせていただきますけれども、この現行憲法、これが戦後に果たした役割にいろいろな面で感謝もしつつ、ただ、二十一世紀を見詰める上で、今後の日本がどうあるべきかということを踏まえた、ある意味では帰納法的な憲法の創憲ということを目指すべきではないかという私の意見を申し上げまして、質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。
○中山会長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 石原参考人におかれましては、貴重な御意見を長時間にわたってお述べいただき、まことにありがとうございました。調査会を代表して心から厚く御礼を申し上げます。(拍手)
 午後二時から調査会を再開することとし、この際、休憩いたします。
    午後零時一分休憩
     ――――◇―――――
    午後二時開議
○中山会長 休憩前に引き続き会議を開きます。
 日本国憲法に関する件、特に二十一世紀の日本のあるべき姿について調査を続行いたします。
 午後の参考人としてジャーナリスト櫻井よしこ君に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 最初に参考人の方から御意見を一時間以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
 なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることになっておりますし、また、参考人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おきをお願いしたいと存じます。
 御発言は着席のままでお願いいたします。
 それでは、櫻井参考人、お願いいたします。
○櫻井参考人 櫻井よしこでございます。きょうはお招きをいただきまして、ありがとうございます。
 憲法調査会で二十一世紀の日本のあるべき姿を論じてほしいという依頼がございまして、お受けいたしました。憲法については私は全くの素人でございます。学者でもございません。いろいろなものを取材して書く立場でございますから、専門的な論議というものはなかなか荷が重うございますけれども、日本が二十一世紀、どのような姿であった方がいいのか、またどのような姿になるように国際社会が動いているのかということについて、まずお話をしてみたいと思います。
 正直に申し上げまして、二十一世紀の日本は、長い目で見れば大変すばらしい国になり得ると思いますけれども、当初は、少なくとも、ほかの国に比べて、より多くの困難に直面するのではないかという気がしております。これは、二十世紀の後半にかけまして、私たちの国が、改めるべきことを改めてこなかった、改革すべきことを十分には改革してこなかった、学ぶべきことを十分には恐らく学んでこなかったということが原因ではないかというふうに思います。
 ただ、日本の二十一世紀のあるべき姿というのは、こうした課題を乗り越える姿でもあるのではないかという感じがしております。その乗り越えるときの私たちの方法というのは、二十世紀では及びもつかなかったような透明なプロセスをもって多くの問題を乗り越えていくべきであろうと思います。私たちがデモクラシーと呼ぶ政治にふさわしいような、極めて透明なプロセスと公正なプロセスというものを何よりも大事にしなければならないというふうに感じております。夢を実現していくとともに、日本を日本たらしめている文化や歴史も大事にしていかなければならないと思います。
 この点は、戦後の歴史の中で、私たちは、前を見過ぎるということによって、後ろを振り向くということを余りにもしてきませんでしたけれども、人間の営みというのは、きのうからきょうへ、きょうからあしたへというふうにつながっているわけですから、日本自身が歩んできた歴史というものをもう少し落ちついて考えてみることも必要だろうというふうに思います。
 二十一世紀の日本がどうあるべきかという論議は、この憲法調査会で議論をなさっておられます憲法のあり方にもかかわってくることでございます。むしろ、その根幹に横たわっているのが憲法問題であろうかというふうに思います。
 ただ、すべてのなすべきこと、取り組むべき課題が直接憲法にかかわっているわけではございません。一部は憲法に絡まり、他の部分は法律や条例で十分に対処できる部分もあろうかというふうに思います。根本の理念というものは憲法にあるにしましても、二十一世紀の日本が歩むべき道を切り開く手段というのは多層的に探っていかなければならないと感じるゆえんです。
 二十一世紀の日本の姿は、二十一世紀の国際社会の姿と密接に関連しているわけですから、国際社会がどのように変わっていくであろうかということを考えなければならないと思いますが、そのときに、象徴的に二十一世紀の国際社会の政治を示すものがあるとしたら、九九年、私たちが目撃したコソボ紛争の中にそれが凝縮されているように思います。
 コソボ紛争は、日本人にとっては何か遠い国の出来事のようでございました。ユーゴスラビアという多民族国家の成り立ちが、私たちにはよくわからない面がございます。地理的にも遠くにございます。しかし、このコソボ紛争こそが二十一世紀の政治のあり方、国際政治のあり方の一つの軸を示しているような気がしてなりません。
 もう政治家の皆様方には釈迦に説法だと思いますけれども、コソボの紛争を極めて短く振り返ってみたいと思います。
 コソボというのは自治州でございまして、およそ二百万人の住民が住んでおりました。その二百万人のうちの大体九五%くらいがアルバニア系と言われております。この上に立っていたのが旧ユーゴスラビア政府でございますけれども、ミロシェビッチさん、もう既に退陣をなさいましたが、セルビア系の政府でございます。
 アルバニア系の住民たちは、一九八九年にベルリンの壁が崩れたときから、自分たちの独立の可能性を探り始めました。それに対して、セルビア系のミロシェビッチ政権は、大変な弾圧を加え続けました。NATOもアメリカも、セルビア系の政府に対して、そのような力による弾圧は許されないとたびたび警告をしてきましたけれども、セルビア系の政府による弾圧は続きまして、八九年から九九年までの十年間に二百万人のアルバニア系の住民が百三十万人から百四十万人に減ったという統計が出ております。
 六十万人から七十万人は一体どこに行ったのか。弾圧を逃れて近隣の諸国に逃げていった人々、及び虐殺されていった人々、それが六十万人から七十万人というすさまじい数になりました。
 九九年の一月の中旬に、コソボのラカックという小さな村がございます、日本でいえばこれは過疎の村のようなところなんですが、このラカック村の住民四十八名全員が殺されているのがわかりました。これがアメリカ及びNATO諸国の態度を硬化させまして、ミロシェビッチ政権と交渉に入りましたけれども、この交渉は決裂して、それが三月二十四日の空爆につながっていったことは皆様方が御承知のとおりでございます。
 この空爆は、アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、ドイツ、イタリアなどが中心となりまして、ほかのNATOの諸国はお金などを出してこれを支援いたしました。
 このNATO十九カ国による空爆は、今までの国際紛争に対する介入の仕方とは大変異なっておりました。国連の総会で一度も討議しないで、国連の決議を得ることがなしにこの空爆が行われました。これがイラクに対する多国籍軍の空爆とは大きな違いでございました。
 あの多国籍軍の空爆は、国連総会で何度も討議をいたしまして、十二本の国連決議を通しました。十二番目の決議はイラクに対する最後通牒ともいうべきもので、これに対する反対は二カ国、キューバとイエメンでございました。棄権したのが一カ国、中国でございました。ロシアも含めて賛成をしたのがイラクに対する空爆でございましたけれども、コソボに対する空爆は国連の決議なしで行われましたので、国際法の手続からいうと、これはとんでもない空爆でございました。にもかかわらず、この空爆を圧倒的に世界じゅうが支持したことの意味を私たちは読み取っていかなければならないと思います。
 この空爆に反対いたしました国は二カ国ございました。中国とロシアです。中国には、チベット問題を初めとする少数民族弾圧の問題がございます。ロシアにも、チェチェン民族に対する弾圧を筆頭に、国内の少数民族に対する大変厳しい政策がございます。そのようなこともあっての中国及びロシアの反対かとは思いますけれども、国際社会の圧倒的な数の国々がコソボへの空爆を支持したということは何を意味するか、これが二十世紀の国際政治と二十一世紀の国際政治の非常に大きな違いであると私は解釈しております。
 二十世紀の国際政治の中では、ある特定の国における少数民族の弾圧であるとか、デモクラシーのじゅうりんであるとか、人道主義の踏みにじりというものはその国の国内問題である、内政干渉をほかの国々はすべきでないというふうな態度が許されたのが二十世紀です。しかし、コソボに対する空爆が国連の決議なしで行われ、それを国際社会が圧倒的に支持したということは、二十一世紀の国際政治を動かす価値観というものは、もはや、人道主義のじゅうりんであるとか民主主義を無視するような手法は一国の内政問題では済まなくなるということを示していると私は思います。
 では、このことがもっと大きな意味で示しているものは何かと思いますと、人類は国境を越えて、人類共通の価値観の実現に向かって力を尽くしていくのが二十一世紀の国際政治の一つの側面だと思います。それは民主主義の擁護であり、人道主義の重視であり、一人一人の人間を大事にするという価値観であろうかと思います。
 では、ここで、このことを日本に当てはめてみるときに、日本に求められているものは何かということを私たちは考えなければなりません。これこそが、二十一世紀の日本のあるべき姿の一つの側面になると思います。
 私は、日本は明らかに、二十世紀において、人間というものを考える姿勢において非常に弱かった面があると言わざるを得ないと思います。日本の立ちおくれは、人道的な配慮であるとかデモクラシーを徹底させるという面にあったということも言えるのではないかと思います。ですから、このコソボ空爆を敷衍していったときに、日本が身につけるべき新たな価値観というのは、例えば難民を受け入れるであるとか、例えば政治亡命者を積極的に受け入れるとか、例えばお隣の国の中国に対して、チベットに対してどういう政策をとっているんですかと問いただすなどということが日本に求められてくるのではないでしょうか。
 チベットのダライ・ラマ法王は今インドに亡命して亡命政権をつくっておりますけれども、ダライ・ラマ法王が日本にいらしたときに、我が国はどのような態度をとったでありましょうか。外務省はダライ・ラマ法王に対するビザの発給にさまざまな条件をつけたと伝えられました。ダライ・ラマ法王御自身が、日本政府は中国に余りにも遠慮し過ぎているのではないでしょうかということをおっしゃいました。
 世界の先進国の国会で、もしくは議会で、中国におけるこのチベット問題を論議していない国は日本国だけであると言われております。チベット問題をどうするのか、このことを考える、議論するということが、例えば私が今申し上げた人道問題を政治に反映させるということの一つのあり方ではなかろうかというふうに感じます。
 チベットの歴史を見ますと、チベットは一九四九年に中国に占領されました。それ以前、チベットはずっと中立国でございました。チベットの人たちの話を聞きますと、中国のチベットに対する弾圧といいますかコントロールというものにはかなりのすさまじいものがあり、一九四九年に中国に国をとられて以来、九九年までの五十年間に、六百万人の総人口のチベット人の国に中国本土から七百二十万人の中国人が移住してきたといいます。これはチベット人の血を薄めるやり方でございます。私たちはこのことなどを忘れてはならないのではないでしょうか。
 とはいいながらも、このコソボ紛争は、ある意味ではこのような人類の目指すべきすばらしい理想というものを示していると同時に、もう一つ、世界の価値観は、とどのつまりはダブルスタンダードであるという厳しい現実の一面も示していると私は思います。
 例えば、アメリカ政府は、コソボに軍事介入しましたときに三つの理由を説明いたしました。その第一は、このコソボに対する軍事介入がアメリカの国益に合致するかどうかということでございます。第二点は、同盟諸国が賛同するかどうかという点でございます。第三点は、軍事介入が効果を上げるかどうかという点でございます。
 この三つの点が満たされたときにアメリカは介入するということでございますけれども、逆に言えば、この三つの条件が満たされない場合、民主主義がじゅうりんされようが人道主義がじゅうりんされようが、介入はないだろうということにもなります。
 人類共通の価値観であります人道主義、民主主義というものに、国家の国益、一つの国の国益が先行するときもあるということをこのことは示しているのではないでしょうか。つまり、グローバルな価値観とそれぞれの国の価値観がより切実なせめぎ合いの要素となり得るのが二十一世紀でもあろうかというふうに思います。
 さて、アメリカは今世界戦略を質的に変えつつあります。このことが日本の二十一世紀に大きな影響を及ぼすと思います。このアメリカの戦略が変わるということは、いや応なく日本はそれに対処しなければならないということです。
 では、アメリカはどのように変わろうとしているのか。
 今アメリカではブッシュさんが次の大統領になるのかゴアさんがなるのかということで、まだ最終的な確定がなされていないようでありますけれども、共和党政権ができようが民主党政権ができようが、多分次の政権が日本に対して提案してくる政策はこのような方向のものであろうということがこの十月に発表されました。両党間のブレーンたちが十六名ほど一緒になりまして、政策提言いたしました。タイトルは「日米成熟したパートナーシップに向けて」というものでございます。もう皆様方多分お読みでいらっしゃいましょう。私が今さら説明するのもおかしいとは思いますけれども、ざっと振り返ってみたいと思います。
 この「日米成熟したパートナーシップに向けて」という政策提言をつくった十六人の人々の中には、例えば、共和党政権ができれば国防長官になるであろうとうわさされているリチャード・アーミテージさんであるとか、レーガン政権時代の国防次官補でありましたポール・ウォルフォウィッツさんであるとか、もしくはレーガン政権時代のホワイトハウスの日本課長を務めておりましたトーケル・パターソンなどが入っておりました。民主党の側からは、クリントン政権の国防次官補としてあの有名なナイ報告を書きましたジョセフ・ナイさん、もしくは国防次官補代理でいらしたカート・キャンベルさん、もしくは民主党系の外交評議会研究員のマイケル・グリーンさんなどが名前を連ねております。この名前を見ましても、これがいかにアメリカの有力なブレーンたちが一緒になってつくったものであるかということがおわかりいただけるかと思います。
 この「日米成熟したパートナーシップに向けて」という政策の基本となっておりますアジア情勢の分析、アメリカが見たアジア情勢というのは、決して楽観を許さないものになっております。アジアの分析は非常に厳しい内容で、アジアの危機は極めて大きいのである、だからこそ、日本とアメリカが緊密なパートナーシップを築いて、二十一世紀のアジアに安定をもたらさなければならないという考え方でございます。
 それを象徴するものが、例えば日米関係、二十一世紀の日米関係は、現在の米英関係にモデルをとるべきだという言葉なのではないでしょうか。
 アメリカとイギリスの関係というのは、アメリカがもともとイギリスから分かれてできた国でございますし、血のつながりという意味では非常に濃い両国でございます。両国の外交政策を見ましても、どんなときにもアメリカとイギリスは対等な立場に立って、互いに緊密な協力関係というものを築いてきました。そのような関係に日米関係もなっていくべきだというのがこの政策提言の大前提として書かれております。
 そして、アメリカが指示していることは、この中で言っていることは、二十一世紀の日米関係の妨げとなる要素は、例えば日本が集団的自衛権の行使を認めないことだという記述がございます。具体的には、日本の集団的自衛についての規制は同盟関係の障害となっている、この規制を外せば安全保障上の協力は一層緊密かつ効果的になるというふうに書いてございます。
 それと同時に、日本にとっては直接的に大きな影響を及ぼすと見られます基地問題についても、アメリカは意味深長なことをこの政策提言の中に書いております。
 例えば、日本における米軍の足跡を減らす努力をすべきであるということです。特に沖縄の海兵隊について、より柔軟性のある配備と訓練の選択肢を選んでいくべきだというふうに指摘しております。これは、事実上、海兵隊員の削減という可能性を示したものではないかと私は読み取りました。
 実は、この一、二年、沖縄の米軍基地のあり方をめぐりまして、私も日米双方いろいろなところで取材をいたしました。その取材の過程の中で、海兵隊を大幅に削減するという案をアメリカ側が考えているという情報をとりまして、それの裏づけをとろうと思っていろいろなところにそれを当ててみましたが、日本側もアメリカ側も、公式にはこれを肯定する人がだれもおりませんでした。
 それで、私は、確認がとれませんでしたから、私自身はこのことを記事にはしませんでしたけれども、ことし七月、沖縄でサミットがございましたときに、各新聞社が大変な量の沖縄報道を伝えました。その中で、朝日新聞が同じ情報を、ほんの少しですけれども、書いてございまして、私は、この朝日の報道を見たときに、朝日も同じ情報を得ているんだなと思いまして、なるほどと思いました。
 この「日米成熟したパートナーシップに向けて」という政策提言の中には、同じトーンの記述がございます。今日に至りましても、海兵隊削減というものは、だれに聞きましても正面から行けば否定する要素でございますけれども、二十一世紀の日米安保条約の中で、海兵隊削減は現実の可能性として私たちは安全保障政策の中で考えておいてもよろしいのではないのかなと私は感じます。
 さて、いろいろな提言がこの「日米成熟したパートナーシップに向けて」の中に書かれておりますけれども、彼らが言っていることは、バードンシェアリングを進化させてパワーシェアリングにすべきときが来ているということです。つまり、日米は対等の立場に立って力を分担していくべきだという考え方であろうと思います。これは、かつてブレジンスキーさんがフォーリン・アフェアーズに、日本は事実上アメリカの保護国であると書きました。デファクトプロテクトレートと日本は書かれてしまいましたけれども、その当時のアメリカの対日認識と、少なくとも現在この政策提言の中に示されている対日認識の間には大きな質的な変化があると言わざるを得ません。
 アメリカがこれから求めようとしているのは、日本にダイナミックな防衛上の役割をともに担ってほしいということではないでしょうか。これを私たちが受け入れるにしても、受け入れないにしても、アメリカは恐らくこの議論を日本にしてくるのは間違いないと思います。それは、本質的に憲法を問う問いかけにもなっていかざるを得ません。この憲法に対してどのように私たちが考えていくかということが、この面からも非常に重要になってくると思います。
 さて、私は、先ほど、日本は二十一世紀のスタートに当たって、恐らくほかの国よりもより多くの試練を体験しなければならないだろうというふうに申し上げましたけれども、この日本の課題というのは、一つは、日本人の人間としての質の問題にもかかってくることなのではないかというふうに思います。
 私は、日本人は、いろいろな面から考えて、すばらしい資質を数々持っていると思っております。勤勉さはどの国の国民と比べても引けをとることはありませんし、日本人はまじめな国民の集合体でございます。それから、働くことをよしとしますし、優しさも十分に持ち合わせています。一生懸命に貯蓄をする性質もありますし、技術も大変にすばらしいものがあります。
 しかし、にもかかわらず、日本人は何か質的な問題を抱えている。それは、日本人の中に、ある意味では、問題をキャッチしてその問題から深く考えていく能力というものが不足しているのではないのかという気がいたします。つまり、論理力をはぐくんでこなかった、考える能力をはぐくんでこなかったような気がしてなりません。
 この論理力、考える能力をはぐくむためには一体何をしたらいいか。論理力というのは全体像を見る能力ということにもなるわけなのですけれども、歴史も含めて、日本の社会の現状も含めて、すべてについて考える能力をはぐくんでいかなければならない。その決め手となる情報ということについて、私たちの国ほどナイーブで無防備で考えなしで来た国は、世界広しといえども珍しいのではないでしょうか。
 例えば、私たちが今ここで論じようとしている憲法についてですけれども、憲法を作成したときに、日本には厳しいたががはめられておりました。日本に軍隊を持たせないというふうな考え方そのものは、一九三〇年代以降の軍国主義の日本に対する深い警戒感があったわけでございます。この一九三〇年代の軍国主義、それはどのように加速していったかということを見てみますと、非常に興味深いことが見えてきます。
 満州事変の始まりとなりました柳条溝事件は関東軍のしわざでございました。しかし、関東軍はこの情報をもちろん隠しました。隠して日本国の本国に報告をいたしました。外務省はこれをおかしいと思いましたけれども、外務省も決定的な情報を突きつけることができませんでした。
 そのときに大新聞はこれをどのように伝えたかということをちょっとここで引用してみたいと思います。
 ある大新聞は、この柳条溝事件について、極めて簡単明瞭な構図であると断じました。支那側、この支那というのは私の言葉ではございませんで、当時の新聞が書いた言葉でございますので、使うのをお許しいただければと思うのですが、よろしゅうございましょうか。
 この大新聞が伝えたのは、支那側軍隊の一部が満鉄線路のぶっ壊しをやったから、日本軍が敢然として立ち、自衛権を発動させたというまでだと報道いたしました。これはある大新聞の社説で書かれたことでございます。
 ほかのもう一つの大きな新聞は、やはり社説で日本軍の中国への攻撃をこのように書きました。機を誤らざりし迅速なる措置と持ち上げたのでございます。軍が機を逃すことなく迅速なる措置をとったことについて、この社説は、満腔の謝意を表すると書き、へりくだりました。
 つまり、このように満州事変については情報がゆがめられ、国民から隠されていって、その後のあの大きな大きな過ちへの坂を日本は転がり落ちていったわけでございます。情報を知らないことによって、もしくは情報をゆがめられることによって日本全体がどんな過ちを犯してきたかということは、満州事変以降のあの戦争のときだけのことではございませんで、現代でも、情報の欠落による多くの過ち、犯罪的な事象というものは起き続けていると思います。
 例えば薬害エイズでございます。薬害エイズについてはもう多くの皆様方が御承知でございますけれども、非加熱製剤が危ないという情報が入っていたときに、それを、一〇〇%確かではないけれども危ないという情報もあるのですよというふうな、情報公開をする仕組みが担当所管省庁としての厚生省のどこかにあったならば、あれほど多くの犠牲者が出るはずはなかったと思います。そして、この非加熱製剤が危険であるという情報が隠し続けられて、ずっと続けられて、多くの感染者が出て、裁判が起こされたときでさえも、情報は隠され続けました。
 どの党と言って責める気持ちはございませんけれども、歴代の自民党の厚生大臣は、この薬害エイズに関して常に厚生官僚の側に立ちました。一人、二人、数人の非常に問題意識の鋭い自民党の政治家の皆さん方は問題だということを言っておられましたけれども、政府全体としてはこの薬害エイズの情報というものを出すことはございませんでした。これは、民主党の菅直人さんが厚生大臣になって初めて、あの膨大な資料が出てきたわけでございます。
 薬害エイズの民事訴訟においても、情報公開ということを原告側代理人の弁護団はどれほど求めたでございましょうか。どれほど求めても求めても、資料はないのであります、資料は確認できないのでありますという厚生省側の言いわけによって、情報公開は行われませんでした。
 ですから、情報公開をしないことによって、かつて日本は大変な誤った道を突き進んでいってしまいました。そして今は、薬害エイズを初めとして、多くの国民たちに犠牲を強いるような結果となっているケースが多々ございます。
 このことを考えましても、情報公開を徹底させることがいかに大事であるかということを、どうぞ皆様方、憲法調査会の皆様方にも知っていただきまして、もし憲法に何か新しいものを書き加えるということがございましたら、情報こそは国民の考える能力を引き出す道具なのだと考えてくださって、この情報公開を徹底させるということをぜひ書き込んでいただきたいというふうに思います。
 さて、日本は二十一世紀何をすべきかということを考えなければなりませんが、二十一世紀の国際社会の変化というのは、例えば、国際社会がいろいろなところで発揮する力を、ハードパワーとソフトパワーに分けてみたいと思います。
 このソフトパワーという言葉は、ジョセフ・ナイさんが初めに国際環境論の中で使った言葉なのではないかと思うのですけれども、ソフトパワーというのは、国際世論に影響を与えたり、情報を発信する力のことでございます。ハードパワーというのは、例えば相手に直接的に働きかける軍事力であるとか経済力のことだというふうに理解をしていただければと思います。
 二十一世紀は、紛れもなくソフトパワーが非常に重要になる世紀でございます。二十世紀はハードパワーが中心の世紀だったと思いますが、二十一世紀は紛れもなくソフトパワーの時代になると思います。その意味で、日本は余りにも大きなおくれを既にしてしまったと思わざるを得ません。
 例えば、アメリカは軍事的にも超大国でございます。これはハードパワーの大国でありますけれども、そのアメリカは今、私たちが気づかないうちに、もしくはもうだれの目にも余りにも明らかで、余りにも明らか過ぎて考えないうちに、ソフトパワー大国へとなりつつあるのではないでしょうか。
 例えば、私たちが国際社会、いろいろなところに旅行して、ホテルに行って、ニュースを見るときには何を見るでしょうか。CNNのニュースを見ます。このCNNのニュースは英語で伝えられます。アメリカ人の価値観で編集されたニュースです。知らず知らずの間に、私たちは国際社会のさまざまな出来事をアメリカ的価値観の枠の中で見ている。これこそすさまじいアメリカのソフトパワーの一例だと思います。
 このアメリカの強さというのは、情報を発信する強さ、例えば今申し上げたCNNです、また英語で話す強さということです。
 また、アメリカのもう一つの強さは、知的な強さ、パワーです。
 今、留学生にどの国に留学したいかと尋ねますと、大概の大学生や院生たちが、アメリカと言います。日本には残念ながら余り多くの学生が来てくれません。このアメリカに集う学生たちは、英語で学び、アメリカのプロフェッサーと交流し、アメリカ的な文化の中で生活し、アメリカに多くの友人をつくって、自分の国に帰っていき、自分の国のある意味ではパワーエリートとなっていく仕組みです。この知的なパワーは、ボディーブローのように、時間がたてばたつほど大きな力を発揮すると思わざるを得ません。
 もう一つ、アメリカが強い理由というのは、それぞれの分野で大変な数のプロフェッショナルを抱えているということでございます。
 例えば、今日本では司法改革も進行中でございますけれども、この日本の司法改革は何ゆえに起こったのか。アメリカが余りにも司法という意味で強くて、アメリカ的な司法の価値観というものを身につけることなくしては日本も立ち行かないとわかったからこそ、今日本は司法改革に懸命になっているわけでございます。
 司法にしても、公認会計士にしても、技術者にしても、アメリカにはすさまじいほどのプロの軍団が存在しております。こうしたものがアメリカの国力を支えているわけでございますから、日本は日本なりのソフトパワーというものを築いていかなければならないと思います。
 日本のソフトパワーも、情報発信でありましょうし、プロの育成でありましょうし、知的パワーの構築でございましょうけれども、こういった面で一朝一夕に追いつくということはなかなか至難のわざでございます。でも、今のままでも、比較的短時間に日本が国際社会に向けてリーダーシップを発揮して、ソフトパワーを輸出して、そして多くの国々に喜んでもらえるような分野というのは少なからずございます。その最も先鋭的な部門が、私は環境の分野ではないかというふうに思います。
 この狭い国土に多くの人間がひしめいて、多くの車が走って、多くの産業が興されて、私たちは幾つか大変深刻な環境汚染というものを犯してまいりましたけれども、その環境汚染という失敗を重ねた分だけ、環境を守っていく技術もまた他方では開発してきたと思います。幾つかの危機をそれなりにきちんと乗り越えてきた面もございます。私は、日本がこの環境面で国際社会のためになし得ることを決意をしてやっていくということが、日本のソフトパワーを強めていく一つの道であろうかというふうに思います。
 では、具体的にどうしたらいいかということなんですけれども、オランダのハーグでCOP6という会議がございました。三年前の京都会議、COP3の延長線上にございまして、三年前の京都会議では、この地球の温暖化を進めている二酸化炭素であるとかさまざまな種類の温暖化ガスを排出規制しましょうということが京都で決められました。九〇年の水準に比べて、二〇一〇年までに、日本は六%、ヨーロッパ諸国が七%、アメリカが八%削減したレベルにまで戻しましょうということを決めました。ハーグでは、これを具体的にどのような方法でやるということを決めるはずだったのですけれども、残念ながらCOP6は決裂をいたしまして、半年後にもう一回会議をしましょうということになったようでございます。
 私は、今の日本の政府がこの環境問題をどのくらいの比重で受けとめているかということを問うてみたいと思います。環境、環境と言う割には、本当に日本国政府はこの環境問題の持つ深刻さを理解しているのでしょうか。この環境問題を日本国が率先して解決していくという決意をしたときに、どれだけ大きなインパクトを国際社会に与えることができるかを理解しているのでしょうか。
 例えば、環境庁長官は民間の女性でございます。川口順子さんという、私も尊敬申し上げる大変に有能な女性でございます。私は、あのような有能な女性を環境庁長官に据えたからには、日本国政府はこの有能な女性が力を発揮できるだけの枠組みを用意しなければ大変に失礼な結果になるのではないかと思っております。民間から、しかも女性を登用したということで、この内閣は開かれた内閣なのですよという一つのアリバイに使っていると思われても仕方がないと思います。
 環境庁にどれくらいのお金と人間が割り当てられているか、予算をきょうの午後電話で問い合わせてまいりました。平成十二年度の予算を、環境庁と建設省で比べてみたいと思います。環境庁は、平成十二年度九百三十二億八千五百万円だそうでございます。何と少ない額でございましょうか。建設省は六兆六千六百八十九億円だそうでございます。
 建設省のもとでは、役に立たないような道路が多くつくられていないでしょうか。それは雇用を生み出すために必要だという理由もございましょうけれども、雇用を生み出すのであるとしたならば、キタキツネしか通らないような北海道の原野に道路を通すよりは、もっと多くの人々に喜ばれ、もっと多くの国々に喜んでもらえるような環境技術の開発のためにお金を費やし、そこに雇用を創出していくような発想を持っていただきたいと思います。
 ちなみに、環境庁で働く官僚の数は千二十七人でございます。建設省は二万三千百七十七人だそうでございます。この大きな違いを何とかして建設的な方向に構成変えしていくような知恵を発揮することが、日本のソフトパワーを強めていく有効な手当てになるだろうと思います。
 例えば、私、先日、あるトップクラスの企業の方に聞きました。公害対策、環境対策では大変すばらしい実績のある企業でございます。どのくらいのお金があれば、日本の企業という企業が環境産業に競って乗り込んでいってすばらしい技術を開発していくことができるようになるだろうかと聞きましたら、一兆円もあったらあっという間に日本はすばらしい環境先進国になりますとおっしゃいました。建設省から一兆円持ってくるなんということも不可能ではないのではないかと私は思います。これを決めてくださるのは、政治家の皆様方でいらっしゃいます。
 さて、ソフトパワーのもう一つの側面は、人間に対して優しいということです。これは、日本国民に対して優しいということだけではなく、外国の方々に対しても優しいということです。優しいというのは、しかし、ただ単に優しくするということではなくて、外国の人たちをちゃんと受け入れていくということでございます。
 冒頭にも申し上げました。日本は難民を受け入れない国として有名ですが、このようなことはあってはならない。日本は、亡命者を受け入れない国として有名ですが、このようなこともあってはならない。日本は、どちらかというと外国の人を排斥する力が働きがちですけれども、これもあってはならない。できるだけ多くの人たちを抱きとめながら、この国を立派な国にしていく努力が必要であろうかと思います。
 さて、日本人が外国の人をきちんと受け入れていくためには、自分自身の足元をしっかりと固めておかなければなりません。自分自身を確立することなく他人を受け入れる人というのは、自分をなくして他人に同化していくということにもなりますから、日本国は日本国の足場というものをきちんと固める必要があると思います。そして、このことは、戦後の五十年余りの歴史の中で余りにも無視されてきたことでもございます。
 私は、日本がもしくは日本人が、戦後の日本という国や日本人を正面から受けとめるのにややちゅうちょせざるを得ないような心理に陥るのは、あの第二次世界大戦に対するいわゆる罪の意識といいますか、そのような気持ちがあるからであろうかと思いますけれども、よいことも含めて、悪いことも含めて、もう一度日本人は歴史というものから学んでいく必要があるのだろうと感じます。
 ここで一冊の本を御紹介したいと思うのですけれども、お手元に配りましたたった一枚のメモ書きの、レジュメとも言えないレジュメの一番最後に、ロバート・スティネットという名前が書いてございます。これは、京都大学の中西輝政先生が多分日本に最初に紹介なさった本だと思うのですけれども、ロバート・スティネットという人が書いたデー・オブ・ディシート、これはまだ日本語になっておりませんで、間もなく日本のどこかの出版社から日本語になって出ると私は思っておりますが、このスティネットさんが書いた、欺きの日、欺瞞の日という本でございます。
 これは、今まで真珠湾の攻撃はルーズベルトの陰謀であるというふうなうわさが流れておりました。これは幾多の人々が論じたことですので今さら申し上げませんけれども、このスティネットさんの欺きの日という本は、今までうわさとして言われていた、日本軍の動きがすべて筒抜けになっていたということを、五百九十五点に上るアメリカの政府の文書を使うことによって証明している本でございます。第二次世界大戦のときのさまざまな機密情報がアメリカの情報自由法によって、あのときから五十年、六十年を経て今ようやく大量に公開されつつありますけれども、スティネットさんは十数年をかけましてこの本を書きました。
 スティネットさんというのは、前の大統領、ジョージ・ブッシュ大統領が海軍の軍人だったとき、第二次世界大戦のときに、ジョージ・ブッシュ中尉のもとで働いていた海軍の軍人でございまして、百回ほども戦闘功労勲章を受けたという人なんですが、戦後はジャーナリストになりまして、ずっと記事を書いておりました。そして、世界の戦争の専門家といいますか大変な権威でございまして、この方、八四年にジャーナリストから引退いたしまして、第二次世界大戦に集中をして、アメリカの情報自由法をフルに使って情報をとってこの本を書いたものでございます。
 さて、それだけのことならば、このスティネットさんの本は何も目新しいことはないわけでございまして、この本のすごさというのは、第二次世界大戦のときの日本軍の暗号であるとか電報が全部解読されたなどということにとどまらず、アメリカは一九四〇年九月の段階で対日開戦促進計画というものを作成していたということなんですね。一九四〇年九月といいますと、真珠湾の攻撃よりも一年以上も前のことでございます。
 これは海軍情報部のアーサー・マコーラムという人物が中心になってつくりました八項目にわたる対日開戦促進計画でございまして、八項目は例えばこのようになっております。イギリスの太平洋諸国における軍事基地、特にシンガポールの軍事基地をアメリカが使えるようにする。例えば第二段階は、オランダがインドネシアに持っている軍事基地をアメリカが使えるようにする。このようにしますと、日本は当然軍事的な脅威を感じるわけでございます。
 アメリカは八段階にわたって、どのようにすれば日本をいら立たせることができるか、怒らせることができるか、追い詰めることができるか、どのようにすれば日本が追い詰められて無謀な戦争に走っていくであろうかということを研究して、八つの段階におけるこの戦略というものをつくりました。
 では、ルーズベルトはなぜこのような戦略をつくったのか。当時のルーズベルトは、イギリスの苦境を助けたかった。ヨーロッパにおける戦線にアメリカが参戦して、イギリスを助け、民主主義を助けるということをしたかった。しかし、アメリカの世論は、伝統的にいつも外に出ていくのを嫌います。アメリカは大国ですから、何か私たちは非常にあの国は国際的だというふうに考えておりますけれども、アメリカは自国でほとんどすべて自給できるような国ですから、意外に視線は国内に向いておりまして、海外に出ていくのを非常に嫌がる国民性が強うございます。
 あのときも、アメリカがヨーロッパ戦線に参戦することに対して、アメリカの世論は九〇%が反対でございました。ルーズベルトは、これを参戦に賛成するような方向にどのように世論を誘導することができるか、あの日本をして無謀な、世界のどの国もが批判するような卑劣な戦争を始めさせることができれば、アメリカの世論はいきり立つであろうから、それによってアメリカは参戦することができるというのがルーズベルトの戦略でございました。
 八項目にわたる戦略を読んでみますと、日本人としては全身の血が逆流するような思いにもなっていきます。アメリカの読みどおりに日本は反応し、怒り、追い詰められ、いら立ち、あの無謀な戦争へと走っていきました。
 例えば、山本五十六元帥は、私の卒業いたしました新潟県長岡高校の大先輩でございます。山本五十六連合艦隊司令長官の神わざにも似た真珠湾攻撃の成功というものは、長い間日本人が、あの第二次世界大戦は非常に間違ってはいたけれども、でもあの真珠湾攻撃はすごかったというふうに、ある一種のハイライトとしてとらえられていると思いますけれども、あの真珠湾の快挙と言われた軍事行動でさえも、日本の連合艦隊が一九四一年十一月末に千島単冠湾から出発したときから、その動きを逐一アメリカ軍に捕捉されていたということがわかります。ハワイの近海に日本の連合艦隊が近づいたときには、きょうはここまで進んだ、きのうはここまで進んだと、毎日のように日本軍の動きが把握されております。
 となりますと、あの戦いは一体何だったのかと私たちは考えなければならないわけでございます。これもあれも、情報力の欠落ゆえに起きた悲劇ではないでしょうか。私たちは、第二次世界大戦で犯した日本の過ちを反省し、そして二度と繰り返さないようにすることが大事であると同時に、なぜ私たちがあのような戦争を始めてしまったのかということを冷静に客観的に分析することも大事でございます。
 その軸となるのは、我が国は、我が新聞は、我が政府は、我が国民は、情報というものをどのように把握し、分析し、それを共有してきたかということを振り返ってみることではないでしょうか。
 私たちは、第二次世界大戦のときも、情報の欠落によってあの満州事変の軍部の動きというものを許してしまいました。第二次世界大戦で負けてしまって、憲法をつくった折も、実はこの憲法は日本人がつくったものではなかったにもかかわらず、アメリカがつくったものでありましたにもかかわらず、一般世論の間ではこのことに疑問を提起することさえもなく、これをすばらしいものだとして受け入れました。
 日本国憲法には確かにすばらしい面は多々ございますけれども、当時アメリカが日本に対して厳しい検閲制度をしいていたということは、皆様方の御承知のとおりでございます。亡くなりました江藤淳さんが、このことを非常に詳しく書いてございます。余りにも厳しい検閲があって、この検閲があるということさえ国民には知らされませんでした。憲法はアメリカによってつくられたということさえ知らされませんでした。
 私は、憲法が国の土台であり国の姿であると思っておりますので、どのようなものをつくるにせよ、国民が一緒に議論することが必要だと思っております。しかし、それを経ずしてつくられたこの憲法、それも情報欠落のゆえであったかと思います。
 そして今、二十一世紀になろうとする今日、先ほど申し上げましたように、アメリカから新たな超党派の政策提言がございました。「日米成熟したパートナーシップに向けて」がそれでございます。もう既に申し上げましたけれども、この政策提言の中で色濃く打ち出されているのは、日本国の憲法改正でございます。
 私たちは、今こそ情報というものを、政府も政治家も官僚も国民も、多くの人たちが共有して、この国のあり方はどうでなければならないのかということを論じなければ、再び外国のプレッシャーによって私たちの国の根幹である憲法をいじるというふうなことになるのは余りにも悲しいのではないかと思います。
 そういう意味で、私は、この憲法を論じることになっても、変えることになっても、どのようなことになっても、あらゆる情報を国民に伝えつつ、透明なプロセスで、非常にわかりやすいプロセスで、公正なプロセスを心がけながら、この論議を進めていっていただきたいと思います。
 もとニュース番組で仕事をしておきながら、三分三十秒時間をオーバーしてしまいました。お許しをいただきたいと思います。
 ありがとうございました。(拍手)
○中山会長 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
○中山会長 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。高市早苗君。
○高市委員 自由民主党の高市早苗でございます。
 櫻井さん、本日は、大変お忙しいお体ですのに、ありがとうございました。今のお話の中で、日本の情報力、情報発信力の話、大変強く印象に残りました。
 櫻井さんは、これまでサピオで長く憲法について連載をしてこられまして、私もすべて拝読をいたしました。その中で、非常に早い時期から、憲法論というのは国のあり方論であると指摘をされて、現在まさにこの調査会も国のあり方を論じているわけでございます。
 論文の中で櫻井さんも書いておられましたが、私も、選挙のたびに、候補者アンケートで、できたら憲法について問うてほしいと願っておりましたし、また、何度か新聞社の方にも頼んだことがあります。つまり、憲法論というのは個々の候補者の国家論を浮き彫りにするものであると私は考えているからです。
 政界再編というのは、先般来いろいろありましたが、少なくとも、現在の総理の支持率であったり、また経済政策の一部の違いによってなされるようなものではなくて、私は、国家観、それから国家と国民のあり方といった物差しに沿ってなされるべきだと思いますし、真の政策による政界再編というのは必ず起こらなきゃいけない、その契機にこの憲法論議がなればいいなと望んでいる者でもございます。
 まず、国のあり方ということでございますので、短く簡単に私の私見を述べさせていただきます。櫻井さんには、賛同いただける点とそうでない点を後でコメントいただけたらうれしく思います。
 まず、日本政府のあり方、つまり国のあり方でございますが、国は、国民の生命と財産、それから国家の主権と名誉、さらには国益というものを確実に守り抜ける体制をつくる責務を持つと考えております。
 また、国が国民に保障するべき平等というのは、それは行き過ぎた結果平等ではなくて、機会平等であるべきだと考えております。これは、例えば税制による所得配分について考えるとき、また男女の格差とか、こういった問題を考えるときに私が物差しにしている点です。
 次に、国民のあり方ですけれども、国民は、自由や権利とともに、責任や義務をきちっと果たしていくべき姿勢を持つものであると考えております。
 以上について、まず簡単にコメントをいただけたらうれしゅうございます。
○櫻井参考人 今、三点おっしゃられましたけれども、基本的にこの三点について、私は高市さんと全く同じ考えでございます。
 国は国民の生命財産を守るべき存在ですし、それなくしては国家とは言えないのではないかと思います。国には主権がございますし、これもきちんと守っていくのが国家の責任であり役割であると思います。
 平等が結果平等であってはならないのは、これは余りにも明白でございまして、これは税制におきましても、そのほかすべてのことにおきましても、平等というのは万人に同じ機会を与えるということを意味しているのだろうと思います。
 そして、自由と権利の裏側に責任と義務があるということですが、これはどんな体制の中にいても人間として当たり前のことだろうと思っております。
○高市委員 ありがとうございます。
 私、冒頭に、国民の生命と財産を守り抜く体制づくり、これが国家の責務であると申し上げましたが、残念ながら、現在の日本は法的にもそれが可能な形にはなっておらないと思います。
 例えば、アメリカ合衆国国民が海外で紛争に巻き込まれたり誘拐をされたりした場合、米軍が救出作戦を展開いたしますけれども、日本国民が同様のケースに巻き込まれた場合は、自力で脱出するか他国政府に頼らざるを得ないのが実態でございます。自衛隊法上も、安全が確保されない場合は邦人輸送のための航空機、船舶を派遣できません。
 私は、国には、国内であるか国外であるかを問わず、日本国民の生命財産を守るため、あらゆる手段を講じて努力をする責任があると考えております。憲法でもそういった旨きちっと書き込んで、自衛隊法も同時に改正すべきと私は考えますが、櫻井さんはどうお考えでしょうか。
○櫻井参考人 湾岸戦争のときにイラクに人質にとられた日本人の話を聞いたことがございました。
 あのときは、日本人もアメリカ人もイギリス人も、多くの人が人質になりまして、イラクの軍事拠点に張りつけられましたね。それに対して多国籍軍が空爆を加えれば、人質までも死んでしまうという一種のおどしだったわけですけれども、そのときに、日本の人質は、爆撃機、戦闘機の音がすると、捕らえられている建物の中の窓から離れて、どこか隅っこの方にいち早く走って逃げるんだそうです。机の下に隠れるのか、家具の陰に身を隠すのか、いろいろなケースがございましょう。そのときに、この日本の方は、何回かそれを繰り返しているうちにふっと気がついてみたら、隠れているのは自分だけだとわかりました。ほかのアメリカやイギリスの人は、全然隠れないで、かえって窓に駆け寄っていって、空を見上げて、その戦闘機が一体どこの国の戦闘機なのか、肉眼で見てわかるかどうかは別にして、それを見ようとするんだそうです。
 それで、この日本人は外国の方に聞きました、どうして君たちは危ない窓際に走っていくんだと。そうしたら、彼らが、我が国政府はきっと我々を助けに来てくれるに違いないから、もしかしてあの爆撃機は我が国政府の爆撃機かもしれない、救援機かもしれないというので、一縷の望みをかけて窓に走っていくんだということでした。
 この日本の方は、そのときに初めて、海外でこのような危機に直面したときに、自衛隊は絶対に助けに来てくれないんだということを日本人だけが実感しているのであると、絶対に日本国、自分の国によって助けてもらえないというのは、これは、本当に日本は国家なんだろうかと、あの人質になっている間考え続けましたということを彼は言っておりました。
 私も、日本人が危機に陥ったときには、日本の国家の責任として、救援機を派遣するということを可能にするような状況になってほしいと思います。
○高市委員 参考人は、文芸春秋誌に掲載されました小沢一郎さんの憲法改正試案の一部について反論をされておられたのを記憶しています。小沢さんの主張は、国連常備軍を創設して、それに参加するのが日本の平和実現の道というようなもので、これに対する懸念を櫻井さんが表明されていたと思います。
 私自身も国連軍なるものの実体には疑問を持っております。もしも、今後、正規に国連軍という形のものが組織されたとしても、たかだか国連軍の大義はアメリカの大義なのじゃないだろうか、それが日本の大義だとは必ずしも言えないのじゃないだろうか、そういう不安も感じます。
 先ほど櫻井さんは、二十一世紀、普遍的価値と国益のせめぎ合い、そういう時代になってくると予想をされておりましたけれども、今の日本は、世界の普遍的価値が何たるや、そして日本の国益が何たるや、これを自身の力で判断し、決断をしていくという能力にやや欠けているのではないかと思います。
 例えば、アメリカ政治において、ユダヤ、キリスト教の政治に与える影響というのは絶大ですから、親イスラエル政策というのがそういうところから派生しているんだと言われても、私たち日本国民はぴんときません。宗教上も環境が違いますから、同じような価値観を持ち得ません。
 今後、日本の国のあり方として私が理想とするのは、外交や安全保障政策の決定に際して、独自の情報力を持ち、判断力を持つ、そして政治が意思決定能力を持つということで、アメリカの大義や正義に追随するのではなくて、日本の大義、正義に基づいて行動していくべきだと思っております。それができなければ、今いろいろ議論になっておりますけれども、集団的自衛権についても、あと集団安全保障についても、なかなか明確な形で決断もできない、議論もできない状況なんだろうと思います。
 これについて、櫻井さんのお考え、それから、恐らく情報ということが主になるのでしょうが、この意思決定能力を持つために、今後の日本の課題ということで、お考えがあれば、よろしくお願いします。
    〔会長退席、鹿野会長代理着席〕
○櫻井参考人 お尋ねの件の中には幾つかのポイントがあったというふうに思います。
 例えば、小沢さんの唱えている国連軍でございますけれども、これは理想としてはすばらしいものでありますけれども、高市さんが御指摘なさいましたように、現実の国連軍ということを見ますと、まだこれはある意味では結成されたことがないわけでございまして、多国籍軍を国連軍と呼ぶのか。しかし、小沢さんがおっしゃっているのは常設国連軍だろうというふうに思うんですが、もしこれができるようであるならば、私は、人類はある意味で今よりも一歩成長した段階でのことだろうというふうに思うわけです。実現性がかなり遠くにあるとしか思えませんので、その理想を忘れないで掲げつつも、日本国の安全保障体制を整えていくという発想は忘れてはならないのだろうというふうに考えております。
 日本の国益をどのように定めていくかということは、さっきもちょっと申し上げました。国益を見きわめるためにも情報力というものが必要なわけですが、日本は、情報に対して大変に無防備な国でございますし、また情報というものに対して非常に警戒感がないといいますか、警戒感がないから、いろいろな情報が飛び交っていてもそれをキャッチすることが難しいというふうなところがあるんだろうと思うんです。
 私は、情報公開をすることが非常に重要な要素だと思いつつも、現実問題として、お役所が情報公開を渋る理由も、ある意味ではわかっているつもりなんです。というのは、日本には機密情報を守る仕組みが全くないことも確かですので、守るべき情報、例えば外交の機密であるとか安全保障上の機密、特定のものはどうしてもしばらくは守らなければならないわけで、国家の営みというのはどうしても公開できないものがあるのは現実だろうと思います。
 ですから、情報公開法というものをつくると同時に、どの情報を守っていくのかということもきちんと定めて、そうしたものを守っていける体制にすることが、真の意味で情報を使う体制をつくっていくことにつながるんだろうというふうに思います。
 集団的自衛権については、日本は摩訶不思議な論理で、集団的自衛権はあるけれどもそれを行使することはできないんだという国会での議論だったと思います。権利はあるけれどもその権利を使うことができないというのは、事実上権利がないということではないかと私は思います。
 ですから、このような詭弁を弄さなくてもよいような体制をつくっていくべきでありましょうし、集団的自衛権について非常に日本が後ろ向きになるのは、それを許したときに、私たちの国が正常な正しい判断をすることができるのであろうか、歯どめがなくなってしまってもう一回無謀な戦闘に入っていくのではないか、周辺の国々がそのような日本を恐れているのではないかというふうな、自分自身に対する信頼感の欠如などが大きな要因なのではないかと思います。
 ここは、さっきも私、ロバート・スティネットの本を引用して申し上げましたけれども、すべての面であの戦争をもう一度見直してみるということが大事でございます。第二次世界大戦がすべて日本の邪悪な心から生まれたのか、そうではない面もあったのか、アメリカにはどのくらいの責任があったのかということも含めて考え直してみることが、集団的自衛権について真っ当な考え方をすることができる土台をつくっていくと考えております。
○高市委員 周辺事態法では、日本国全体の平和と安全を脅かすような事態が発生した場合に、日本は、紛争地域ではない後方地域において、米軍でしたら米軍の活動の支援をできることとなっております。後方支援の現場で、恐らく傷病兵の公立病院への収容ですとか水の補給、それから自衛隊や米軍による港湾や道路の使用、こういった事態の可能性が予想できるんですが、これらをなすには地方自治体の協力が必要になります。当該地域の知事がもしも協力拒否をした場合、日本の安全保障に重大な影響が発生する可能性も否定できません。
 それで、知事や、その知事の意思決定に影響を与え得る県議会議員などを選ぶ選挙、これは地方選挙でございます。先ほど櫻井さんは、外国人の受け入れ、これは政治亡命者であったり難民であったり、賛同できる部分も多うございますけれども、ここで考えなければいけないのは、外国人参政権を含めて、今後憲法や国のあり方を考えるときに、外国人の権利とその限界といった視点も必ず必要になると思うんです。
 一つは、先ほどの件ですが、永住外国人に参政権を与えた場合に、安全保障上の何らかのリスクが発生し得るとお考えなのかどうか。次に、外国人の権利とその限界ということ、受け入れ体制をつくっていく上で、どのようにお考えか、お聞かせください。
○櫻井参考人 外国籍の方々に選挙権を与えるということは、理論的にはその危機を招くということにつながっていくと思います。しかし、私たちが考えなければならないのは、定住、永住外国人の方々が、主に朝鮮半島からの人々でございますけれども、この方たちが三世、四世になってもなぜ日本国籍を取ってこなかったのかということも考えなければならないと思うんです。
 実際に帰化の手続の状況を聞いてみますと、非常に厳しいものがございまして、これではやはりとても嫌になるだろうなと思わざるを得ない状況は現実ございますので、私たちは、この人たちが日本という国にもう何十年も住んでいるという実績を評価して、永住外国人の方々に対しては、例えばスパイ工作に携わったとか犯罪を起こした、そういった例を除いて、基本的に全員に対して、永住外国人の朝鮮半島の出身の人々に対しては国籍を無条件で与えていくというくらいの政策をまず提示する必要があるだろうと思うんです。それを選ぶもよし、選ばなくてもよし、それは御本人の選択肢であろうかと思います。
 それで、選ばない人に関しては、それは外国籍の人であり続けるということですから、その方たちには、福祉の面であるとか、一緒に共存するという日々の生活の面での差別を徹底的になくしていく反面で、しかし、国籍のない方にはやはり選挙権は御遠慮願いたいというふうに申し上げるのがよろしいのではないかと思います。
 選挙権というのは、地方自治体レベルの選挙権であるとはいえ、高市さんもおっしゃったように、国政レベルの重要な案件についての決定権につながるものでございます。論議をする人は、そうはいってもわずかの数の外国人ではないか、地方自治体レベルのことではないかと言いますけれども、国家の仕組みというのは、論理的に考えて、こういうふうにしたらここからもしかして小さな穴があくかもしれないと考えたときには、日本国民の生命財産を守る国家としての責任を遂行するために、理論上の破綻というものを最大限避けるのが国家の責任だろうと私は思います。
 しかし、ここでもう一度強調したいことは、定住外国人の方々が今日に至るまで日本国籍を長く取ってこなかった、この心の面について私たちはだれよりも深く思いをいたして、彼らの日本に対するそのような抵抗感がどこから生まれてくるのかということを心して酌み取っていき、そのことをほぐしていくような、非常に前向きの政策というものを実行していかなければならないと考えております。
○高市委員 では、少し安全保障から離れまして、日本国民の権利と義務、冒頭に申し上げました件について、お伺いします。
 櫻井さんの書かれたものの中にも、日本国憲法の中に権利という文言が十六回、自由という文言は九回出てくる。一方、義務は三回、責任は四回しか出てこないというくだりがございました。
 確かに、国民の義務は納税、そして勤労、教育を受けさせる、こういったものでございますけれども、これも守られていない場合がやはり見受けられるのでございます。櫻井さんも御指摘になっていた消費税の問題でも、課税業者である商店などがお客様から預かった消費税を、今厳しい時世でございますので、運転資金に使ってしまったというようなことで、滞納している額が平成十一年度で六千三百億円に上ると聞いております。しかし、これらは国民の意識改革、また行政執行の徹底によって改善されていく可能性のあるものだと考えるのです。
 私は、憲法論議の中で、国民の権利と義務、そしてまた国民の自由と責任というものを考えていくならば、まず取り上げるべきと思っているのは公共の福祉という文言なんです。憲法十二条には、自由と権利についてその濫用を禁止し、公共の福祉のために利用する責任を求めております。十三条も、個人の尊重を定めて、生命や自由、幸福追求権に「公共の福祉に反しない限り、」という歯どめをかけてございます。
 非常に難しい議論なんですが、何が自由と権利の濫用に当たり、そしてまた、何が公共の福祉であるのかというものを明確にできないかなと考えるのですが、もしも櫻井さん、具体的な事例も含めて御意見があったら、よろしくお願いします。
○櫻井参考人 何が公共の福祉で、何が自由と権利かということの定義は非常に難しいと思うのですけれども、憲法の中にも非常に偏った形で権利と自由と責任と義務が書き込まれておりますけれども、私は、これは憲法に限ることなく、戦後の日本の社会そのものが権利と自由の追求に奔走してきたのだろうと思うのです。
 日本人が余りにも自分中心主義になってきたということは、憲法もありましょうけれども、私たちの社会の構造そのものが、特に高度経済成長以来の価値観というものが、人の幸せをお金ではかる、物ではかるというふうなところへ集中してきましたので、そのようになったのだろうと思います。
 ついこの間、大変おもしろい実験をあるテレビ局がしておりまして、これはいかにも象徴的だなと思ったのですけれども、このごろ周りのことを全然考えない子供たちがふえていて、いろいろな例はございますが、電車の中でお化粧をする女性たちがふえているということを聞きますね。これは別に、他人の迷惑になるのかならないのか、それを見て楽しむ方もいらっしゃるかもしれませんが、余りにも公共の、自分の周りのことを考えないということでは典型的だと思うのです。
 このテレビ局の実験では、女性たちにある一つのところからほかのところまで電車に乗ってもらって、乗ったときに封筒を渡して、その電車の中で封筒をあけて課題を読むのですね、アルバイトの女性が。その紙には、電車の中でお化粧をしてくださいと書いてあるのです。
 それで、お化粧をしてくださいという紙切れを見たときに、あるグループの女性たちは、戸惑ってほとんどしなかったのです。周りを見回しながら、気にしながら、お化粧をほとんどしないで座っていて、ある一人の女の子は、目的の駅に着いたときに駅の洗面所でお化粧をしました。
 こっちのグループの女の人たちは、電車に乗って、あなたの仕事はこれですと言われて封筒を渡されて、これを開いたときに、お化粧してくださいと書いてある。そうすると、こんな大きい手鏡を出しまして、自分の顔だけ見ながらずっと一時間くらい電車の中でお化粧をし続けているのです。
 この二つのグループにはっきり分かれまして、それで、この二つのグループの女性たちのバックグラウンドはどういうところにあるか調べてみたら、お化粧をしないで、周りの人たちに対して恥ずかしいという思いを抱いた人たちは、三世代家族の孫娘さんたちだった。お化粧を全然平気でずっとし続けた人は、核家族の娘さんたちだったんです。これは数が少ないですから、そこから何らかの結論を導き出すのは難しいかもしれませんけれども、このことが示しているのは、やはり家庭教育のあり方の重要性なんだろうと思うのです。
 三世代家族は人数が多いですから、自分だけのことにかまけていることが比較的できにくい。おじいさんやおばあさんは体が弱くなりますから、いろいろなところでいたわりの心を発揮しないと家族がうまくいかない。人間の中には弱い人もいるんだ、年老いた人もいるんだということを小さいときから教わる。他者への配慮が自然に働く。ところが、核家族ではそういったことが多分機会として少ないんだろうと思うのです。比較的、自分中心の生活ができてしまう。だから、電車の中で他人のことを全然気にしないでフルメークをすることができるのかなと私なりに解釈をいたしました。
 ちょっと話がそれたかもしれませんけれども、責任とか自由とか義務とか権利というのは、憲法以前の問題として、やはり家庭教育の中で教えていってほしいものだと思うのです。それが日本の高度経済成長以降の核家族中心の社会構造の中でできにくくなっている今、これは親の自覚にまつしかないんですけれども、その親自身が既にそのような気持ちをなくしていますから、これは国家の教育の中に、やはり公共の心というものを植えつけていくような教育が必要であろうかというふうに思っております。
○高市委員 最後に、けさ、石原慎太郎参考人が、マッカーサー憲法と呼んでいたものが平和憲法という名前になってから変えにくくなったと言っておられましたけれども、櫻井さんも、憲法に形容詞をつけるのをやめようと言っておられたんですが、この点について、一言ございましたらお願いします。
○櫻井参考人 憲法に限らず、形容詞をつけた途端に、人間はある種の思い込みの中で考えるようになると思います。例えば、ハト派という形容詞をつけたときに、ある一定のイメージを描きます。タカ派という形容詞をつけたときに、人間はある一定のイメージを描きます。一定のイメージが描かれた途端に、公平な、事実に即した、論理的な考え方ができにくくなります。平和憲法と言うことによって、憲法のすべてがよいことになりまして、憲法に対して目が見えない状況になりますので、どんなことを考えるときにも、形容詞はなるべく省いて、事実関係だけで考えるという思考訓練を私たち日本人はしていかなければならないと思っています。
○高市委員 持ち時間ですので、以上で終わります。本当にありがとうございました。
○鹿野会長代理 枝野幸男君。
○枝野委員 民主党の枝野でございます。本日は、どうもありがとうございました。
 お話は、なるほどと共感をさせていただいた部分、まあ情報公開のお話などはある意味では一緒に仕事をさせていただいたような部分もございますので、改めて意を強くした部分、あるいは逆にちょっと疑問を持たせていただいた部分、多々ありますけれども、まず最初に、チベットの問題にお触れをいただきました。
 実は、私も、あるいはそこにいる牧野議員はチベット議連の会長をやっていまして、こちらの五十嵐さんというのは事務局長をやっておりまして、私は前の会長をやっていまして、チベット問題をこういった場で提起をしていただいたのは大変ありがたく思っております。ただ、かなり御遠慮ぎみに御発言をされたのではないかなと思います。
 今、世界的な、普遍的な価値として認められているだろうということで御指摘をいただいたデモクラシーとか、あるいは人道主義、個人の尊厳というような価値観からすれば、チベットに対して行っている北京政府の対応というのは、明らかに許されるものではない。近隣諸国、チベットの隣人の一人として、我々は本来経済制裁などにまで踏み込むべき対応を求められるのではないだろうか。まあ国益という観点からすればそこまでできないにしても、少なくともODAの支援を行うなどというのは、チベット問題の一点を取り上げても日本国の外交姿勢として許されないのではないかというふうに思うんですが、その点さらに御意見をいただければと思います。
    〔鹿野会長代理退席、会長着席〕
○櫻井参考人 チベットの一九四九年以来の歴史を見ますと、やはりこれはすさまじいなあ、こんなことがお隣の国で起きているのを私たちはいかにして平静に見続けることができるんだろうかというふうに私は感じます。それから、チベットという国のことを忘れることが日本にとってどれだけマイナスになるかということも非常に痛感をしております。
 チベットに対して、ただ単に民間の大学がダライ・ラマ法王をお招きするということにとどまらず、私は、ぜひ日本の国会でダライ・ラマ法王をお招きして講演を聞いてほしいというふうに実は思います。ほかの国の元首で、それがクリントンさんであれサッチャーさんであれ、ダライ・ラマ法王が自分の国を訪れたときには、率先して法王にお願いをして、法王の宿舎に伺ってお話を伺うということをしているわけでございますけれども、日本国はビザの発給にも規制をかけるくらいですから、そのようなことは望むべくもないわけでございます。
 今、枝野さんがおっしゃいましたように、私は、日本が本当にアジアの国々から、日本という国はちゃんと考えているいい国だよね、アジアのために何かいいことをしてくれるかもしれないという信頼をかち取るためにも、やはり中国に対して正々堂々と正面から、チベット問題についてはいかなる弾圧も我々は許すことができない、チベットは二千年以上の歴史の中でずっと独立国であったのであるし、一九四九年に毛沢東さんたちのつくった中華人民共和国が一番先に攻め入ったとき、それがある意味で初めての外国の軍隊による占領でございますから、あのチベットを中国の領土の一部とすることは許されないということをきちんと述べて、そのような弾圧を続ける中国政府に対してはODAの削除も考えます、凍結も考えますということを言ってしかるべきだと思います。
○枝野委員 ありがとうございます。
 もう一つ、アジア外交、特に中国との関係という点では、チベットのお話がありましたが、台湾のお話がなかったように思います。私は、台湾という国との関係におきましても、特にデモクラシーという観点から、少なくとも我々の信じる価値観からすれば、北京政府の行っている統治のシステムよりも、政権交代が選挙によって行われている台北政府のもとでの民主主義の方がより我々の価値観に近い政治形態がとられて、そこで多くの友人たちが存在をしているという事実があるというふうに思います。
 ダライ・ラマ法王につきましては、私もよく存じておりますが、ビザのところで非常に大変でしたけれども、まだ入国することができます。残念ながら、台湾につきましては、現職の総統を離れても、事実上日本は入国ビザを出さないというような対応をしている。こうした日本の台湾に対する外交姿勢についての御意見を伺えればと思います。
○櫻井参考人 台湾に行ってみますと、この地球上のどこにこれほど親日的な、国と呼んでいいんでしょうか、国があるだろうかという大変に熱い思いに包まれるわけです。台湾の年輩の方だけではなくて、中年の方にも、日本に対して非常に友好的な思いを抱いている方が圧倒的に多うございます。
 台湾に行きますと、過去の歴史についても日本のことを非常によく理解してくださる方々が大変に多うございます。李登輝さんを初め台湾の首脳の方々は、ある意味では日本人よりも日本の文学を読み、日本人よりも日本の哲学を読み、日本の文化を愛している人たちです。
 台湾は、総人口の一二%が、外省人と言われる、もともと蒋介石総統らと一緒に中国大陸から来た人々、内省人と呼ばれる、もともとの台湾人は八五%を占めております。この八五%の人たちが、台湾は台湾である、中国の一部ではないと今言い始めているわけです。彼らは、みずからを新台湾人と呼びます。
 台湾の子供たちと話をする機会がございました。あなたの国はどこと聞きましたら、台湾だと言います。かつて子供たちは、台湾の歴史など学ばずに、中国の歴史だけを学ばされました。今、台湾では、新しい教科書ができて、きちんと台湾の歴史を教えているんです。その台湾が台湾人の望む形で存続を続けることが一番いいのだろうと思います。
 台湾の人々がぜひとも中華人民共和国と一緒になりたい、合体したいというのであれば、日本はそれができるような国際環境を整えることに力を尽くすべきだと思います。しかし、台湾人が、台湾人でありたい、台湾は独立したい、中国の一部ではないと望むのであるならば、それがそのとおりに実現するような国際環境を整えるのが日本の役割であろうかと思います。
 それは、台湾の将来がどのようになるかということは、アジアの民主主義の行方を占うものであるからです。台湾が台湾の人々の望む形で存続を続けることができるのであるならば、それはアジアに民主主義が機能するということでしょうし、そうでなくて、中国がたびたび言明しておりますように、武力によって台湾が中国の一部とされてしまうようでは、中国の持つ武力というものがアジアのデモクラシーをじゅうりんするということになっていくはずです。
 中国は、一九八九年のベルリンの壁の崩壊以来、アメリカやヨーロッパ諸国、それから旧ソビエトが軍縮を続けてきたのに比べて、大変な軍拡を続けてきました。毎年、年率二けた以上の伸びでございます。一番大きな伸びは、年率二八%という年もあったと思います。その中国の圧倒的な軍事力を、台湾を武力でコントロールするような方向に使われるとしたら、台湾の未来だけではなく、そのほかの国々の未来も危うくなると思います。日本国の未来も影を差されるだろうと私は思います。
 日本のためにも、アジア全体の民主主義のためにも、日本は、台湾人の望むような台湾であり続けることができるような外交的配慮、経済的配慮、政治的な知恵を働かせるべきだと私は考えております。
○枝野委員 どうもありがとうございます。大変意を強くいたしました。
 ただ、ここまでは参考人とほぼ意見が一致するかなと思ったんですが、実はここからはちょっと物の見方が違っておりまして、そこについて意見交換させていただければと思うんです。
 今の御指摘のとおり、コソボなどの様子を見ても、デモクラシーとか人道とかという普遍的な価値観のために、国際的な軍事力を含めた協力というか支援をするという価値観を仮に認めたとして、それを我が国の立場に置きかえたときに、ほかにもあると言われればほかにもあるのかもしれませんが、最も近いところで最も大きな話というのは、今の二つ、チベット問題と台湾問題であろうというふうに私は思っています。
 私は、実は結論的には反対なんですが、集団的自衛権とか集団的安全保障とか、概念はいろいろと今混乱しているようですが、いずれにしても、もし、日本の領土、領海、領空、そして国民を守るという以外の方法で自衛隊を活用するということがあるんだとすれば、当然のことながら、その最も可能性が高いといいますか、最も日本が関与せざるを得ない、関与すべき対象は台湾問題とチベット問題ではないか。ところが、そのときに、この台湾問題とチベット問題に対して我が国のとっている外交姿勢は、明らかに我が国がやらなければならないことと逆のことをやっている。
 つまり、台湾についてもチベットについても北京政府のいわば言うなりであるという状況の中で、仮に、例えば憲法の話とか安全保障の話で、要するにデモクラシーや人道主義を守るために日本の自衛隊を海外でも活用しますというその部分だけがクリアされたとしても、現実には、最も近く、最も必要なその台湾、チベットの問題について、あいまいというよりも逆向きの姿勢であるというのでは、矛盾が生じてしまうのではないか。
 したがって、もしも普遍的な立場から軍事力を海外で行使するというところを百歩譲って認めるとしても、まず、その前段階として、北京に対する我が国の外交姿勢を改める、これは憲法をいじるとか法律をいじるとか以前の問題として、いつでもできる話なわけであります。これができていないのに、近隣諸国というか、民主主義や人道のために海外で軍事力を行使するというところの話には、したくてもできない、その前提を欠いているのではないかと私は思うんですけれども、いかがでしょうか。
○櫻井参考人 確かに、枝野さんがおっしゃったように、論理的に突き詰めて言えば、その前提を欠いているのはそのとおりであろうかと思います。
 しかし、前提が全部整ってから次の段階の論議をするというのではないだろうと思うんです。すべてが整って、次の段階に進む用意が一〇〇%できたからそうしましょうというのではない。前提が一〇〇%になる前に、できるところから全部改めていくということが私は必要なんだろうと思うんです。
 日本の変化というのは、二十世紀を見ましても、余りにもスローで、余りにも少ないということがいつも言われてきました。これは安全保障に限らず、経済の分野でもそうです。日本が譲歩するときには、いつも遅過ぎて、いつも少な過ぎると言われました。それは、日本が余りにも変化することに憶病であって、それは自分自身の判断に対する信頼というものを持てないからだと思うんです。
 私は、日本人が、自分たちは、例えば集団自衛権ですか、安全保障に参加することを決めるけれども、それによってまた無謀な戦争に立ち入っていくというふうなことはないんだという、自分たちの心の中にしっかりとした歯どめがあるんだ、自分たちが論理的にきちんと考えていくことができるんだという自信さえ持てば、近隣諸国もそれを恐れることはないでしょうし、過ちを犯すことはもうないだろうという気がしているんです。だからこそ、すべての条件が整ったときに考えましょうというのではなくて、すべての条件を整えるべく全力を尽くしましょうという発想が必要なのではないかと思っております。
○枝野委員 櫻井参考人のお話は、その限りでは非常によくわかる話でありますし、多分、櫻井参考人と私とで、ここから先、つまり北京に対する外交姿勢の話、そして、ではそのために国際貢献として何ができるのか、そこで私は軍事のところについては参考人と違って消極ではありますが、これは同じ土俵で議論ができるんだろうと思うんですが、残念ながら、近隣諸国に対する軍事的国際貢献、そのための憲法改正を唱えている同じ方が同時に北京に対する軟弱外交の旗を振っていたりする、そういう政治家が少なからずいるという現実も我が国の姿ではないだろうか。そういう人に対してはやはり不安を持たざるを得ないという視点もぜひ御考慮に入れて、今後もいろいろと活動していただければと思うんです。
 もう一点だけ最後に、ちょっと違う視点ですが、先ほど日米関係のところで、対等、緊密、これからの日米関係、「日米の成熟したパートナーシップに向けて」という話のところで出てまいりました。
 もちろん、緊密な国際関係を米国との間で今後ますますつくっていくことは大切だと思うんですが、この対等ということの意味がどういう意味であるのか。つまり、確かに英米関係はさまざまな歴史的なつながりがあります。文化的な共通性もあります。一種の対等性というのがリアリティーを持つのではないかと思います。日本も、十年前あるいは十五年前の日本であるならば、いわば経済的な力において対等性という部分がある程度あったのではないだろうかと思います。
 これからの日本を考えたときに、人口が減っていく、経済も伸び切った状態であるという中で、もちろん、対等だという気構えは外交上必要だと思いますけれども、現実的なパワーの問題として、米国と対等な国力を持った国としての日本というのはこれから想定をするべきなのか。むしろ、そういうパワーバランスにおいては日本の方が非常に弱いんだけれども、その中で毅然とした姿勢を持つ国として生きていくためにはどうしたらいいのか、こちらの方が大事なんじゃないかなと思うんですが、この点のところ、御意見を聞かせていただければと思います。
○櫻井参考人 アメリカと対等と言うときに、私はアメリカと同じような軍事力を持つ日本をイメージしているわけではございませんで、私が申し上げたのは、日本はずっとアメリカから、まあ本音の部分では半分しか独立していない国とか保護国のような国というふうに見られてきたわけですが、そのような評価に甘んじる必要は日本は全くないということを申し上げたいんです。
 環境問題の話をいたしました。私は、日本は、環境技術についてはアメリカよりもはるかにすぐれたものを持っていると思いますし、環境意識についてもすぐれたものを持っていると思うんです。今私が申し上げたのは環境という一分野のことでございますけれども、そのほかにも幾つかあります。そのすぐれたものを二十一世紀のソフトパワーとして日本が発揮すれば、私は質的にアメリカには全然劣らない国ができると思っております。そういう意味で私は、アメリカと対等。
 また、安全保障の面でも、今の日米安全保障条約は、アメリカは日本を助けますけれども、日本はアメリカを助ける仕組みにはなっていないわけでございまして、これもやはりある意味では双務条約に切りかえていくべきだろうと思います。それは、戦いを好むということでは全くありませんで、独立した国として自分の国の安全保障は基本的に自分が担保するというところからスタートすべきだろうという考えからでございます。
 対等というのは、私は、日本にとって少しも難しいことではない、むしろ当然のことだと思っております。
○枝野委員 今のような意味であれば、まあ双務条約にすべきかどうかの意見はちょっと違うんですが、ほかのところはほぼ意見が一緒でございます。
 どうもありがとうございました。また今後もいろいろな御意見をいろいろな場でお述べいただければと思います。
○中山会長 江田康幸君。
○江田委員 公明党の江田でございます。
 きょうは、先生、お忙しい中、すばらしい講演をしていただきまして、ありがとうございます。
 私の方の質問としましては、ちょっと憲法論議からは外れるかもしれませんが、先生が先ほど二十一世紀の民主主義日本のあるべき姿ということで、ソフトパワーが非常に重要な役割を示すということをその講演の中で一貫しておっしゃられていたかのように思われます。そのソフトパワーを生み出す、また、論理力を引き出す、そういうソフトパワーをはぐくむ教育という観点から少しくお話をさせていただきたいと思っております。
 政治改革、社会改革をするにしても、またこの憲法論議でその改正について論議するにしても、我々を含む、また将来の子供たちに対する教育というものが非常に問われてくるかと思います。
 一つは、教育改革への基本的な考え方なんでございますが、我が党としましては、二十一世紀が目前に参っている中で、青少年問題と教育の荒廃ということがうたわれております。教育力の衰弱の問題としてこれを社会全体でとらえないと、その本質を誤るのではないか。
 例えば、二十世紀の教育に対する考え方というのが、富国強兵とか経済大国の実現のために、教育以外の何かの目標達成のため、手段としての教育という考えが一般的であったかと思っております。しかし、このような教育の手段視が、人間の手段視を正当化して、軍国主義国家や、また産業優先社会、公害による国土荒廃などに象徴されるような生命の軽視、それから暴力の放置など、二十世紀の主潮の誘因となったのではないかと考えております。
 教育というのは、本来、人と人の直接的触れ合いの中で、互いに教育者となり学習者となって人格の完成を目指す、そのこと自体が目的であったかと思います。人格の完成というのは、教育の目的であると同時に人生の目的でもある。民主社会というのは、一人一人の人格は異なっていても、その人格を互いに無上の価値として尊重し高め合う社会と考えるならば、民主社会は、教育を社会の手段としないで、教育自体を目的と位置づける、そういう社会でなくてはならない、そのように考えております。
 私どもはそのような考え方で今後の教育改革についても行っていこうと考えているわけでございますが、今論議されている教育基本法の見直しについて、先生のお考えをちょっとお聞きしたい。
 これは、教育基本法そのものが日本国憲法制定を契機に制定されておりまして、その精神において現憲法と軌を一にしております。特に、教育の目的を人格の完成と規定していること、それから教育が政治から中立でなければならないこと、そういうことは永遠に目指すべき指針であって、十分にその内容がうたわれているかと思うのですが、この教育基本法の改正について、日本の将来のあるべき姿をとらえながら、先生のお考えについてお聞きできればと思います。
○櫻井参考人 現在の日本の教育については、教育基本法の問題も含めまして、学校教育の現状も含めまして、家庭教育の現状も含めまして、日本は大幅に改善をしていかなければならないというふうに私は感じております。
 教育については、ある法律を一ついじったからどうなるということでは実はないのではないかと思うのです。日本の教育ほど今危機的な状況に陥っているものはありませんので、私は、すべての大人は、子供たちの教育のためにできることをすべて、できるだけ早くやっていくということが大事だと考えております。学校もいろいろな意味で変わらなければならないと思いますし、親も変わらなければならないと思いますし、それこそ教育基本法も私は論議をしてもよろしいというふうに思っております。どこからどのように少しでもよい可能性を拾い上げていくのかということを、全力を結集してやっていかなければなりません。
 外国に取材に行きまして大変ショッキングなことがございました。これは、アメリカの大学とか研究所に取材に行ったときの話なのですけれども、かつて優秀な留学生といえば日本の学生だったけれども、ここ十五年ほど学問のレベルががたっと落ちたというのですね。一体日本の教育に何が起きたのでしょうかと聞かれてしまいました。
 学問の水準が落ちているのは大学だけではございませんで、高校も中学も小学校も同じでございます。学問のレベルが落ちただけではなくて、子供たちの心の問題でも私たちは非常に深刻な問題を抱えております。
 そういうことを考えますと、ありとあらゆる側面からの、迅速で、大人たちが全力を尽くすような改革を今やらなければいけないというふうに思っております。
○江田委員 ありがとうございました。
 時間内での質問でございますので、教育の問題から、もう一つだけお聞きしたいと思っているのですが、先生が先ほど、ソフトパワーは人間に優しいということであると。その基本が非常に大事だと思っているのですが、一つ、外国人にも優しいという中で、その外国人との共存ということについてお話がございました。よく御存じのように、我が党は率先して、永住外国人の方に地方参政権を付与しようというお話を今国会でもさせていただいております。
 そういう中で、我が党の基本的な理由につきましては、まずは、地方のことは地域住民が自主的に自律的に決定するのが望ましいということ。それと二点目に、成熟した民主主義国家として、日常生活に関連する地方行政などの意思決定については、地域に特段に緊密な関係を持たれる外国人住民の意思も反映すべきであるということ。そして最後に、在日韓国人など特別な歴史的な背景を持っておられる方々には、また、日本で生まれて、日本で育ち、働き、そしてこの国で骨を埋めようとされている、全く日本人と変わらない生活をされている方々には、限りなく日本人に近い扱いがあってしかるべきだ。
 こういう三つの理由から、私どもは、永住外国人の方々、これは一般の永住の方もまた特別永住の方も含めて、地方参政権を付与していくべきではないか、そういう時代に入っているのではないかという論議をしております。それこそが、将来の日本のあるべき姿を考えていった場合に、民主主義国家として開かれた国ということにおいて、非常に国際的にも大事な論議を今しているのではないかなと、真摯にその論議を続けております。
 そういう中で、先生は、この永住外国人の地方参政権付与についてどのようなお考え方を持っておられて、また国のあり方等においてどのような心配事があられるのかを率直に言っていただければ助かります。
○櫻井参考人 優しさというのは、ただの優しさであってはならないと思うのです。子供を教育するときにも、母親や父親がいつもいつも優しくて、世の中のルールであるとか規律であるとか、そういったことを教えなければ、無節操な子供に育ってしまいます。優しさが本当の意味で優しさの価値を発揮するというのは、それはある意味では自己責任の厳しさと裏打ちになったときだと思うのです。
 定住外国人に対する参政権の問題も、ある意味では同じような要素が含まれているのではないかと思います。今、江田さんがおっしゃいましたように、定住外国人の方々は限りなく日本人に近くて、これからもずっと日本に住んでいく、日本人と同じような価値観、感じ方をしているということであるならば、本当の優しさというのは、それでは国籍を取ることを考えてみたらいかがでしょうかということを提案することだと思います。
 国籍なしで参政権を付与するというのは、いつまでもその方に、社会の中での異邦人でいなさいと言い続けることなんだろうと思います。私は、それは本当の優しさではないと考えております。本当の優しさというのは、彼らが本当の意味でフルメンバーとなって、この社会で活躍していく道を問題なく開いてあげることなんだろうというふうに思います。
 また、国家というものは、国籍を持つ国民によって構成されるもので、ある一定の領土があって、その上に住む人たちがいて、その人たちの生命や財産や安全を守る組織としての政府があるというのが国家でございますので、そういう意味からいっても、私は、日本が国家として、その国籍を持った人たちに選挙権を行使していただくという、そこの線は守った方がよろしいかというふうに思っております。
○江田委員 先生の御意見を聞きながら、また多くの意見を聞きながら、我々もまた再度論議していこうと考えておりますが、その中で、帰化すべきというような議論に関しましては、私は、例えば韓国人の方、朝鮮籍の方は、やはりその国のプライドを持って、我々が日本人だと思うのと同じように、その国籍を誇りを持って持ち続けていきたいという方もいらっしゃるかと思います。
 そういうような方々に対して、憲法は、何人も、国籍を離脱する自由を侵されないと二十二条で規定されておりますように、帰化するかしないかを、地方参政権を付与できるかできないかというところに結びつけて論議するのはなかなか難しいのではないか。やはりここにおいては、またさらに深い論議を続ける必要があるかと思っております。
 そういう一つをとってもこれは非常に大きな問題でございまして、これからも、日本のあるべき姿、日本人としての考え方、国際的な、また民主主義国家としての日本人としての考え方というのを基本に考えていきたい、論議していきたい、そのように思っております。
 私はニュースキャスターではございませんが、ちょうど時間になりましたので、終了させていただきます。ありがとうございました。
○中山会長 藤島正之君。
○藤島委員 自由党の藤島正之でございます。
 きょうは、二十一世紀の日本のあるべき姿に関して、大変格調の高い御意見をお伺いできて、本当に感激しております。
 私、実はついこの間まで防衛庁に三十数年おりましたので、安全保障問題、先生も先ほど、やはり国家の重要な役割として安全保障の問題がある、こうおっしゃっておりましたので、まずその点について一、二お伺いしたいと思います。
 冷戦時代は、御承知のように、我が国の安全ということで自衛隊を中心に防衛力整備に励んで、同時に、米国のアジア政策の中で守ってきてもらったわけですけれども、この四十年ぐらいでかなり変わってきておるわけですね。また、せんだっても、極東ロシア軍は二割ぐらい削減するというようなことを言っております。
 そのようなことで環境も変わってきておるのですけれども、要は、今までは日本はアメリカの庇護のもとにあったわけであります。アメリカはこの数十年の間にアジアに経済権益が非常に膨らんできておりまして、現在では、アメリカとヨーロッパとの経済関係よりも、アジア全体、日本を除くアジア全体と言ってもいいのですけれども、この経済権益の方が大きいわけですね。そうしますと、恐らく米軍の存在そのものがかなり意味合いが変わってきているんじゃないかと私は思うのです。
 先ほど先生は、「日米の成熟したパートナーシップに向けて」ということで幾つか御指摘がありましたけれども、それは非常にソフトに言っているんじゃないかと思うわけでありまして、本音は、アメリカは日本を守るために在日米軍を置いているんじゃない、沖縄の海兵隊もそうじゃないかなという感じがしておりまして、要するに、アジアにおけるアメリカの権益を守るために在日米軍を置いておる。特に、フィリピンのスービックとかクラークの基地がなくなりますと、では、在日米軍基地がなくなったら一体どうするのかということを考えますと、アメリカとしてはどうしても必要な基地だ、こう思うわけであります。
 先ほど先生は、日米関係は対等な関係ということで、米英の関係のようなものをとおっしゃいましたけれども、今のような形でまだ引きずっておると、日本は米軍の守りの中におる、こういうことでは対等の関係ということはあり得ないわけであります。
 私は、これから先を考えるには、アジアの安定がもちろん日本の安定にとって一番必要なことは間違いないわけですけれども、そのアジアの安定を図るのに日米が対等で考えていく、こういう時代になってくるのが二十一世紀ではないかな、こう思うわけですけれども、御意見をお伺いしたいと思います。
○櫻井参考人 藤島さんのおっしゃるとおりであると思います。アメリカ軍がなぜ日本にベースを持っているか。これは、日本を守るためという面があるとすれば、もちろんあるんですけれども、そのことがアメリカの国益にかなうからということでございまして、どのような同盟も、どのような条約も、それを結んでいる国々は自国の利益を考えて行うわけですから当然のことでございまして、アメリカが純粋にただ日本のためだけにと考えることの方が多分非現実的なんだろうと思います。
 アジアの平和と安定のために日本が対等の発言をしていくということは、私は、日本のためだけではなくてアジアの国々のためにも非常に重要な要素になってくると思っています。
○藤島委員 ありがとうございます。
 それでは続きまして、中国と朝鮮半島の関係。我が国は地政学的に見て東アジアに位置して、その三国が非常に重要な位置にあるわけでございますけれども、現在行われているいろいろな政府の政策が何か支離滅裂なような感じに私には受け取れるんですけれども、そういう今とられている政策についてどう評価されておるのか。
 あるいは、一つの見方として、北朝鮮と韓国が分裂しておるままの方が日本の安全保障にとっていいんだといったような意見もあるわけでありますけれども、統一された場合、かえって脅威が増すんじゃないか、こういったような意見もあるわけです。その点についてはどういうふうにお考えでしょうか。
○櫻井参考人 藤島さん、中国と北朝鮮と韓国と三つお聞きになられましたが、北朝鮮と韓国が統一したときに脅威となるかどうかという点からまずお答えしたいと思います。
 いろいろな方がいろいろな分析をしております。北朝鮮が今のままの方がいいのだということを言いますけれども、北朝鮮と韓国がどのような形で統合するのかによるんだろうと私は思うんです。金大中さんのイニシアチブが強くなるのか、リーダーシップが強くなるのか、それとも金正日さんの方が強くなるのか。どのような形で統合されるかによって、統一朝鮮の日本に与える影響というものはかなり異なってくるだろうと思います。
 現状を見ますと、私は、韓国が中心的になるというよりは、むしろ北朝鮮の金正日さんの交渉の力というものが多少優先されているというふうに今見ておりますので、朝鮮半島情勢は非常に難しいところに立ち入っていくだろうと思うんです。
 これはアメリカ側の分析もそうなんですけれども、表面的には、両首脳の会合が行われ、交流が行われ、平和の兆しが見え始めたかに見えますけれども、これがこれから本当に平和につながっていくのかといえば、非常に大きく留保をつけなければなりません。
 ですから、私は、よい形で統一してくれるのならばこれ以上のことはないけれども、そうでない場合には、非常に日本にとって憂うべき情勢になるだろうと思っております。
○藤島委員 ありがとうございました。
 先ほど、集団安全保障の観点から、我が党の小沢党首が、国連軍に希望を持ち過ぎている、非現実的ではないか、こういうふうなお話もあったんですけれども、その点は、あるべき姿といいますか、努力すべき方向というのをはっきりきちっと打ち出している、こういうことでございます。
 その点に関連しまして、集団的自衛権の問題ですけれども、先ほど「日米の成熟したパートナーシップに向けて」の中でもありましたように、将来そういった問題を米側が言い出してくる可能性がある、こういうことであります。先生はこの点について、集団的自衛権、今内閣法制局が、あるんだけれども行使できないといったような変な解釈をしておるわけですけれども、この点を含めてどのようにお考えでしょうか。
○櫻井参考人 集団的自衛権は、サンフランシスコ講和条約でも認められておりまして、日米安全保障条約の中でも認められております。
 私は、内閣法制局の解釈というのは百害あって一利なしではないのかというふうに、ずっとそのほかのことについても考えておりまして、この「憲法とはなにか」を書くときにも内閣法制局の勉強をちょっとしたんですけれども、何ゆえに内閣法制局があのように強い権限を持つのか。政治家の皆さんこそが国民の代表であり、その政治家の皆さん方の上に立つのがそれぞれの省の、もしくは庁の大臣でいらっしゃるのに、その大臣の、閣僚の発言を差しおいて内閣法制局が、こうでなければならない、ああでなければならないと言う権限はどこに由来するのか。
 私は、内閣法制局の存在そのものが憲法違反であるというふうに思っておりますので、内閣法制局の出した集団安全保障についての、行使ができるとかできないという議論は非常に非論理的な理論で、受け入れることができないと考えております。
○藤島委員 それではもう一つ、権利と自由の関係ですけれども、現在の憲法は、国家からの権利とか自由の迫害を防ごうということでかなり書いてあるわけです。私はそれに対して、その裏には、他人に迷惑をかけないといったようなことからくる責任と義務を伴っているものであると思っているわけです。もうちょっと言いますと、個の確立、自己の確立にはそういった面が不可欠なものだと考えておるわけです。そのもとになるのはやはり、先ほど議論ありましたけれども、教育の問題あるいはしつけの問題が非常に意味があると思うわけであります。
 先ほど先生は、やれることは全部やるべきだ、しかも早くやるべきだ、こういうふうにおっしゃっておるわけです。先日、曽野綾子先生は、奉仕活動、こういうのも一つの方法じゃないか、こうおっしゃって問題提起されているわけですけれども、先生は、具体的にはそういった問題で、先ほどは抽象的なお話でしたけれども、何かお持ちでしょうか。
○櫻井参考人 学校での教育の仕方を見ておりますと、私の友人にも何人か学校の教師をしておる者がおりまして、話を聞いてみると、学校ではもう規律ということを教えることができない状況になっているというのですね。
 例えば、生徒が問題行動を起こしたと仮定します。先生が怒るとすぐに教育委員会に両親から通報される。そして、生徒が例えばずっと問題行動を起こし続けると、本当は登校をちょっとやめさせて自宅謹慎にさせるんだそうですけれども、このごろはその自宅謹慎をさせることができない。なぜならば、両親ともに働いていて家にはだれもいなくて、謹慎させたら子供がどこか一人で遊びに行ってしまうというふうなことがあったりして、できない。だから、登校させて特別の部屋に一人座らせて、先生が一人対応してやるんだというのですね。ですから、子供を怒るにも指導するにも物すごく大変な手間と暇とがかかって非常にやりにくい。
 ですから、私は、子供たちにルールというものをきちんと教えていく、それから競争というものは振り落とすということではなくて切磋琢磨なんですよという、社会に出たときに大人たちが直面するのは、まず第一に競争だと思うのですね。それが人間の社会の一つのルールで、当たり前のことなんだよということを、学校にいる子供たちに、親も先生も普通の大人も教えていくというふうなことが大事なんだろうと思うのです。
 ですから、例えば点のつけ方一つ、通知表の書き方一つ、宿題の出し方一つから、大人たちが心してそれをやっていくことがすべての改革の第一歩かなと思っております。
○藤島委員 本当に同感でございます。
 それから最後に、ちょっと次元の違う話ですけれども、非常に今、グローバリゼーションだとか、あるいはボーダーレスの時代だとか言われているわけですけれども、ITなどが入りますと、それがどんどん進んでいくわけですね。その中で、我が国は若干おくれているかもしれませんけれども、さればとて、やはりリーダーとしての国になっていかなければいかぬわけです。その辺について、今後の日本のあり方をどうごらんになっているのかお伺いしたいのと、先ほど環境政策について、これは大事な話だということがありました。私ども自由党も、これは本当に二十一世紀においては最大の問題にもなりかねない、こういう意識を持ってこれから取り組んでいきたい、こう思っておりますが、先ほどの点についてもちょっとお伺いして、私の質問を終わらせていただきます。
○櫻井参考人 ITもグローバライゼーションも、目的ではないということを認識したいと思うのです。ITというのは道具なんです。何かをなし遂げるすばらしい、神様でさえも追いつかないような物すごく効率的な道具がITであり、ある意味ではグローバライゼーションだろうと思うのです。
 日本人にとって必要なのは、このすばらしい道具を使いこなすだけの例えば創造性、夢を描く能力、そういったものがあるかないかということが問われているのだと思うのです。ですから私は、ITだけをやって、ITだけを目的にするような発想よりも、そこからさらに一歩進んで、ITを使いこなして、どんなにすばらしく、楽しく、幸せなことをやっていこうかというふうな、クリエーティビティーをこそ心の中に育てるような教育をしていくべきだろうというふうに思っております。
 あと、環境問題について自由党が大変に御熱心でいらっしゃるということは、大変うれしく伺いました。
 西澤潤一さんという前の東北大学の学長さんが、「人類は八十年で滅亡する」という本をお書きになりまして、何という恐ろしいタイトルの本であろうかと思って読んでみましたら、これがきちんとした科学的なデータに裏づけられているのですね。
 時間がございませんので、詳しく説明することはできませんけれども、あのCOP3からCOP6に至る温暖化ガスの排出規制というものがうまくいかなければ、大気中の炭酸ガス、二酸化炭素というものが、現在は〇・〇三六%なんですけれども、八十年後には〇・三%になって、海洋水とのいろいろな影響もあって、ラムネの瓶がふわっとあくように水中の炭酸ガスが噴き出してきて人類が本当に滅亡するという、科学的なデータに基づいた分析がございました。
 これは、八十年といったらもう目の前のことでございますので、ぜひ自由党だけではなくすべての政党の皆さん方に、二十一世紀、環境というのは最大のテーマの一つではなくて、最大のテーマなのだということでお考えをいただきたいと思っております。
○中山会長 春名直章君。
○春名委員 こんにちは。私、日本共産党の春名直章です。よろしくお願いします。
 私、二十一世紀を考えたら、軍事力による紛争解決の時代じゃなくて、国際的な道理に立った外交それから平和的な話し合いが世界の政治を動かす時代、必ずそうなると確信をします。その点で、憲法九条を持つ国として、そういう流れの先頭に立つ責務がある、私はそういうふうに時代を認識しているものですから、その点で少しお話を伺ってみたいと思うんです。
 お話の中で、この十月に発表されたアメリカの例の特別報告が出されました。そこの中の大きな視点は、アジアは引き続き危機である、危険がいっぱいだというふうに確かに書いてあります。しかし同時に、今も議論がありましたけれども、南北朝鮮の歴史的な首脳会談が成功して、自主的な統一への機運が広がる、こういう流れがありますね。
 それから、東南アジア諸国連合というのは、九〇年代にベトナムやラオスやカンボジアも迎え入れて、ベトナム戦争時代の対立も克服して、非常に前進してきているという状況があります。その中で東南アジア友好協力条約というのを結んで、そこでは、平和手段による紛争の解決、もちろん主権の尊重、武力による威嚇、武力行使の放棄、これを確認して前進する、こういう流れがとうとうとあるわけです。
 ですから、私は、新たな二十一世紀を展望したら、この平和のアジアの流れをいかに日本が促進するのかというところに力を注ぐべきなんだろうと思うのです。その点では、特別報告の認識と随分私はずれているように思うのですね。その点は参考人はどうお考えでしょうか。
○櫻井参考人 春名さんのお考えがそのまま実現すれば何とすばらしいだろうと思いますけれども、残念ながら、私は、過去五十年間もしくは五十五年間の日本の平和は、例えばの話ですけれども、憲法九条によるものではないと思っております。日米安保条約という軍事力を担保する同盟条約がありましたから、中国もロシアもそのほかの国々も日本に手を出さなかったということは否定することができないと思います。
 朝鮮半島が、確かに首脳会談が行われて、一見雪解けブームになっております。私は、ほかの国のことをとやかく言うつもりは全くございませんけれども、春名さんの御質問に答えるために、少し韓国の状況について語ってみたいと思います。
 金大中さんはノーベル平和賞を受けられました。韓国はこの歴史的な南北首脳会談を確かに実現させましたけれども、それはどのような形で実現させたのかということを私たちはしっかり見なければならないのではないでしょうか。
 北朝鮮と韓国の相互の譲歩によって実現したものではありません。譲歩を点数で言うとするならば、韓国側の譲歩が九十五あって、北朝鮮の譲歩が五くらいあって、ようやくこれは実現したものです。でも、それはそれで必要なことだったのだろうと思うのですね。向こうが五十、こっちが五十という状況にはなかなかならないでしょうから、韓国の方が度量を示してより多く譲歩して首脳会談を実現したということはすばらしいと思っております。
 しかし、その後の韓国で起きていることは何かということに私は非常に危惧しているものです。
 例えば、韓国のマスコミに対する報道規制というものがじわじわと起きております。これは、ことしの夏に韓国の国会で問題になりましたけれども、韓国政府はいかにしてメディアをコントロールしたらいいかというメモが出てきまして、その有効的なやり方というのは、マスメディアの主要な人物を、例えばわいろとかそういったスキャンダルで逮捕することというので、一つの新聞社の会長がちょうど逮捕された時期でもございましたので、このことは韓国で大変な問題になったのです。金大中さんは直接にそれにタッチしていないということになりましたけれども、現実問題としてマスコミのコントロールということが論議されている。
 そして、黄ジャンヨプさんという北朝鮮から亡命した人物がいらっしゃいますが、この方が今は自由に発言できなくなっている。それは、彼が北朝鮮の体制を批判するからです。黄ジャンヨプさんは、私は、自由な言論があると思って韓国に来たけれども、それを今制限されているんだと今も訴えているわけです。
 ですから、南北朝鮮の平和的な首脳会談そのものに対しては私は大歓迎でございますけれども、それがどのような形で実現し、どのような犠牲のもとに今それが維持され、そしてその先に何があるかということを考えると、手放しで平和の要素だけが広がっているという春名さんのお考えにはなかなか同意しがたいものがあると思います。
○春名委員 それですから、私は注意深く言ったつもりなんですが、そういう平和への兆しや流れを、日本はどういう立場に立ってそれを進めていくのかということが外交で大事なんだというふうに私は思っているんです。それは、憲法九条を持っている国として、その憲法九条を輝かせる、生かす道に進んでいくということが、今何より大事になっているんじゃないかというふうに私は思っているんです。
 その点で、少し先ほどの話に引き寄せてお聞きしたいんですけれども、特別報告の中で、集団的自衛権を認めるという話とか、アメリカのその文書なんかに出ているということだったんですが、今、中国やそれから朝鮮半島の平和、安定ということを考えたときに、私は日本がぜひ考えなきゃいけないことは二つあると思います。
 これに御意見をお聞きしたいんですが、一つは、侵略戦争に対する真剣な反省と補償です。このことについて、いまだにまともにやられていません。これがやはり本当の友好を結んでいく上で避けて通れない問題じゃないかと思います。
 第二番目は、例えば、一つ例を紹介しますが、ガイドライン法、周辺事態法が衆議院を通過した直後の四月の二十八日に中国の各新聞を見たんですけれども、光明日報という新聞ではこう言っているんです。日米軍事協力は新しい段階に入った、日本は完全に米国がアジア太平洋地域で行う軍事行動のための戦争の道具となってしまった、アジア太平洋地域に新しい不安定要素を加えた。人民日報という新聞では、日本が日米協力の見直しの機会に乗じてアジア太平洋地域で軍事的役割を拡大することにアジアの隣国は警戒の目を向けている。残念ながらこういう論評が載っているわけなんですね。
 つまり、アメリカと一緒になって、残念ながら憲法九条を壊す形で出ていくという方向に進んでいることに対する危惧が、私はアジアの安定にとって非常に大きな障害をもたらしているというふうに思えてなりません。
 最初に申し上げた侵略戦争への反省という問題と、集団的自衛権を認めるということになりますと、後方支援だけじゃなくて戦闘行動も一緒にやろうという方向に行くという意味ですから、特別報告は。そういう方向は決してアジアの平和に有効ではないというふうに私は感じます。その点いかがお考えでしょうか。
○櫻井参考人 侵略戦争で、一九三〇年代以降の日本の軍部の動きについては、日本国民の中で反省していない人は恐らく一人もいないのだと思います。私は、日本人のだれに聞いても、あの満州事変以降の日本の流れをいいと言う人は恐らくいないと思うんですね。
 ですから、さっきも言ったように、あのようなことになぜ日本が立ち入っていったのかということを私たちは原因究明しなければならない。その関係の中で、一九四〇年のアメリカによる対日開戦促進計画というふうなものもあったと。日本も愚かであったし、間違いはしたけれども、すべて日本ひとりのみという考え方では全体像は見えてこないのではないか。私たちは今こそやはり全体像を見るべきだと感じているということを私は申し上げました。しかし、全体像を見るということと、あの戦争を反省しないということは一緒ではなくて、日本人はあの戦争は間違っていたと反省をしていることは確かだろうと思うんです。
 さて、ガイドライン問題に関しての中国の反応を今御紹介いただきましたけれども、私はむしろ中国に問うてみたいと思いますね。
 何ゆえに、一九八九年からことしまで、十二年間ですか、前年に比べていつも二けた以上の軍事力の凄絶なる伸びをするのか。何ゆえに海軍力をあれほどビルドアップするのか。南沙諸島に対する、海軍力をバックにした中国の事実上島をとってしまうというやり方をどういうふうに説明するのか。日本が軍事大国化していると中国は言いますけれども、中国の軍事力はいかほどのものか。どれほどの核兵器を持っているのか。どれほどの長距離ミサイルを持っているのか。台湾に対して何ゆえに軍事的な示威行動をしておどすのか。何ゆえに、日本の近海に中国の海軍の艦船を派遣して、海洋を測量し、電波を収集し、どうして日本の情報収集をずっとやるのか。私たちは、津軽海峡を中国の艦船が行きつ戻りつするのを肉眼で眺めながら、日本の法律が、自衛隊法が許さないために、日本の船はただついていくしかできない状況に甘んじているのが現実でございます。
 日本国が軍事大国になるということをどなたがおっしゃっても結構だと思いますけれども、中国が言うことだけはいかにもおかしいと私は思っております。
○春名委員 アメリカの特別報告の中では、負担の共有、先ほど言われたバードンシェアリング、それから力の共有、パワーシェアリング、そういうふうに至るときだと。力の共有の中には、もちろん軍事力の共有ということも入ると思うんですね。そういう方向での進むべき道がアジアの平和にとってはとても有効とは私は思えません。
 その点で、最後に私はぜひお聞きしておきたいことがあります。憲法九条について、どうつかむかということなんですね。
 御承知のとおり、二十世紀というのは、その前の世紀から比べますと、戦争が切り取り勝手で自由な世紀から、やはり二度の大戦を通じて、戦争は違法だ、やってはいけない、武力紛争、武力行使はやめるべきだという方向に、そういう意味では二十世紀は大きく流れてきた、戦争違法化の流れが大きな流れとしてあるわけですね。私は、憲法九条というのは、第一項でそのことを定めるだけじゃなくて、恒久平和主義をもっと徹底させて、陸海空、戦力を持たないというところまでしっかり徹底させる、そういう方向に進んでいる。
 そういう今の憲法の九条に対して、例えばマレーシアのある新聞は、日本の指導者たちが平和憲法を堅持し、平和のために対話と外交の温和な手段を通じ地球の隅々で発生する紛争を解決しようとするならば、これこそ国際貢献であり、アジアや第三世界から好評や応援をかち取るであろう、こういう論評を載せている。九九年八月一日付のマレーシアの新聞なんです。そういう目で見られている、日本にとっては宝物と言えるものだと私は思うんですね。この指し示す方向にアジアの流れを進めていくというところが、私は二十一世紀の道じゃないか。
 この第九条の持っている世界史的な意義をどうお考えになっているかをお聞かせいただきたいと思います。
○櫻井参考人 アジアの人々、国々は、アメリカの軍事力がアジアの平和、将来を担保してくれるものではないと考えているということについてですけれども、私が取材した限りでは、マレーシアのマハティールさんもアメリカ軍のアジアにおけるプレゼンス、シンガポールのリー・クアンユーさんもアジアにアメリカ軍がいてくれた方がいい。フィリピンも、もちろん二つの基地を閉ざしてしまいましたけれども、閉ざした後で、アメリカ軍に帰ってきてほしいということで、もう一回フィリピンの中にある基地をアメリカに使ってくれないかという交渉を今しているくらいですから、私は、アジアの平和を側面からもしくは正面から援助するのがアメリカの軍事力であるという認識がアジアからなくなりつつあるというふうには思っておりません。
 それから、マレーシアの新聞がそのように書いたということですけれども、新聞がそういうふうに書いたということが事実であったとしても、全体がそのように言っているということにも私は同意しかねます。
 憲法九条の理想はすばらしいと思いますけれども、理想は理想だけであってはだめなんじゃないんでしょうか。理想をどのように実現していくかということを考えなければならないわけでございますから、理想と現実的な手段ということを両方考えるのが政治の役割であり、責任ある立場にいる人々のやることなんだろうというふうに思います。理想だけを言うことにとどまっていては、その理想の達成には至らないと感じております。
○春名委員 時間が来ましたので終わりますが、もし九条を変えるということになりますと、その理想が取っ払われてしまいますので、それには私は明確に反対です。そのことは申し上げておきます。
 ありがとうございました。
○中山会長 山口わか子君。
○山口(わ)委員 社会民主党・市民連合の山口わか子でございます。
 先ほどからお話を聞いていまして、憲法についての認識が随分私とは違うという思いで聞いておりました。歴史認識を正しく持たなきゃいけないというお話でしたので、私は、一人の人間として、私の自分史について少し歴史を振り返ってみながら考えてみたいというふうに思います。
 憲法をどの立場から考えるかということで、大いに異なってくると思うのです。例えば、政府の立場で考えるのか、国民の側で考えるのかで随分変わってくるのではないかというふうに思っています。
 私は、実は大日本帝国憲法のもとで生まれました。その憲法の中で生きてきた私は、暗黒の世界に毎日脅かされながら生活してきたわけです。私の兄は戦争で爆撃に遭いまして即死でした。当時、中島航空機へ強制的に動員されていまして、朝元気に出かけていきまして、夕方は死体で帰ってきたのです。もう一人の兄は、戦争中の食料難と労働強化が原因で結核にかかり、家でほとんど寝たままの状態でしたけれども、毎日のように軍国主義のもとで多くの人々が戦争へ駆り出されていくこと、東京は空襲で焼け野原に化していくこと、兄が殺されたことなど、非常に当時の政府に怒りを込めて抗議をしていました。しかし、母は、そんなことを言って、もし警察の耳に入ったら連れていかれてしまうのじゃないかとおろおろしていたことを今でもはっきり覚えています。当時小学校四年だった私は、親元から離れまして集団疎開をさせられ、極度の食料難で栄養失調の下痢がとまらずに、もう少しで死ぬところでした。
 もちろん、広島や長崎では原爆を落とされました。沖縄では集団自決、また日本兵による虐殺など、これが人間社会で起こることではないという大変悲惨きわまりない日本の状況だったのです。私はどのくらいそのときの政府を恨み憎んだか、想像がつかないのではないでしょうか。
 日本が敗戦を迎えたとき、私は正直に言ってほっとしました。これでやっと母親と病気の兄に会える、一緒に生活ができるからです。東京へ向かう列車の中で、全くの焼け野原となった東京の町並み、大変悲惨な状況でした。
 このように、大日本帝国憲法下では、天皇が主権者であり、立法、司法、行政の三権も掌握していましたから、政府の意に沿わない国民は反逆者として有無を言わさず牢屋へつながれたのです。そして、大変な拷問に遭い、殺された人たちも何人かいます。その上、侵略戦争の繰り返しの中で、多くの外国、とりわけアジア諸国の悲惨な犠牲に対して、その責任をすべての国民がとるのは当たり前のことです。
 この悪名高い大日本帝国にかわって現在の憲法が一九四六年に制定されたとき、私たち庶民は、これでやっと戦争はなくなる、民主主義の社会になる、女性も人間として基本的人権が与えられると喜びました。そして、将来の社会へ希望を持ったのです。憲法制定のいきさつがどうであれ、主権在民、民主主義、そして戦争放棄、基本的人権の尊重、こうした三本の柱をもとにした憲法を国民全体で選択したのです。言いかえれば、私たち日本人の決意表明以外の何物でもないと思うのです。
 憲法を論ずる対象として、いろいろなことを考えるわけですが、私たち一人一人、国民の決意表明として、この憲法は私たちにとってとても大事なものだというふうに私は考えております。もしかしたらアメリカがつくったかもしれません。でも、その当時、この憲法を国民全部が認めて、賛成をしてこの憲法が生まれたわけですから、私たちにとってはとても大事な憲法だというふうに思います。
 憲法の前文をぜひ思い出していただきたいと思いますけれども、
  日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
となっています。
 これほど見事な憲法を改正するなどというのは、どなたが考えていらっしゃることかよくわかりませんけれども、私は、全く当たらない、これは私たちにとって大切な憲法だというふうに思っています。
 私たちは、戦争によってではなく、ましてやアメリカと協力してでもなく、諸国民の公正と信義に信頼して安全と生存を守ろうと決意したわけです。言いかえれば、我が国の防衛手段は決して戦力ではなく、諸国民の公正と信義に信頼して安全と生存を守ろうという決意でありますから、自衛のための戦争、そして武力保持が許されるなどということはあり得ないと私は考えております。
 こうした憲法を私たちが守る責任、そしてこの憲法をもとに、二十一世紀に向けて、共産党さんもおっしゃっていましたけれども、私たち日本人の役割というのは、再び二十世紀の過ちを繰り返さないことだというふうに考えております。
 このことについて御意見をお聞かせください。
○櫻井参考人 今お伺いいたしました山口さんの御家族のお話には、心からお悔やみを申し上げたいと思います。私のおじも満州で亡くなりましたので、母の悲しみをよく知っておりますから、山口さんのお気持ちも間接的にわかるような気がいたします。
 ただ、今の憲法について、山口さんはすばらしい憲法だというふうに思っていらっしゃる、そのお気持ちはとうといとしながらも、私はやはり、この憲法ができたときの状況を考えると、山口さんがおっしゃったように国民が本当に心から歓迎したということは、どこまでの実態をつかんでいたのだろうかというふうに考えるわけです。
 自分たちの社会の根幹であります憲法をアメリカという国がつくって、それを私たちに与えて、しかも大変に厳しい検閲制度をしいて、憲法をアメリカがつくっているということさえ知らせない、占領軍の占領政策さえも批判させない、すべての批判を封じ込めた上で、この憲法についてのポジティブな面だけを国民に知らせて、それで納得させたというのが当時の実態であろうかと思います。
 この辺は、「一九四六年憲法」ですか、江藤淳さんの御本に非常に詳しく書かれておりますし、そのほかにも多くの事例がございますので、お読みいただければわかると思います。
 私は、デモクラシーの根幹というのは、一人一人の国民が考えることによって築かれていくのだと思います。一人一人の国民が、自分の頭で、何がいいのか、何が悪いのか、何を選ぶのか、何を選ばないのかということを考えて、国民総意のもとでそれを決める、それがデモクラシーの根幹です。
 考えるというときに、私は先ほどから申し上げているように、情報というものが非常に大事になります。片方の情報だけを与えられて、その情報の中だけで考えて得た結論が健全な結論だとは私は考えません。
 以上です。
○山口(わ)委員 確かに、アメリカから与えられたというのは百歩譲っても、当時の国民はこの憲法を、ああ、よかった、これから本当にあの暗黒時代の憲法から解放され、物が言えるようになった、そして男女平等の世界も来たということで喜んだわけですね。そして、五十数年たった今でも、私たちはその憲法のもとで平和に暮らすことができたわけです。
 確かに、憲法を守るこの政治的な流れの中では、もしかしたら私たち国民にとって都合のよくない、例えば最低生活を守らない、そういう法律ができましたし、先ほどから櫻井さんがおっしゃっているように、情報公開制度も余りきちっとはできていなかったし、環境権もなかったかもしれません。でも、これは憲法が悪いのではなくて、憲法によってきちんとした法律や規則が守られてこなかった、そこが私は大きな原因だというふうに思っています。
 ですから、私たちが今、これは私も議員としてきちっと反省しなきゃいけないのですけれども、当然これは憲法に保障された民主主義の中で、情報公開がきちんとされない、あるいは環境権が行使されないことはむしろおかしいのであって、これは憲法を改正しなきゃいけないという問題とは私は別の問題だというふうに思っています。
 ちょっと例を申し上げますと、例えば環境権の問題について先ほど櫻井さんはCOP6の問題を出されました。実は私は、日本の政府の態度が一体どういうふうにあのCOP6の中で論じられたかと考えたときに、私は一番悲しいと思うことは、二酸化炭素を吸収するためにいろいろな施策を必要としますけれども、日本の中で一番考えられているのは、二酸化炭素を吸収するために原発をたくさんつくる、これから二十一基つくるということを表明しているわけですね。
 ですから、私たちが環境を守るということは一体どういうことなのか。本当に私たちの安全、命の安全を守ることが環境権でなければいけないはずなのに、逆に私たちが一番恐れている原発を進めていこうという政府の方針には、私たちははっきり言って反対ですし、やはり憲法が悪いのではなくて、憲法のもとにいろいろな今まで法律や規約をつくられてきましたが、それが私たち国民にとって幸せではない、民主主義が守られない、生存権が守られない、そういう結果だというふうに考えていますが、その点についてはいかがでしょうか。
○櫻井参考人 御指摘のとおり、例えば環境問題であるとか情報公開の件が直接憲法に関連して行われなかったわけではないと思います。この点については、私、冒頭で、きょうお話し申し上げる課題の幾つかは直接に憲法にかかわるものもありましょうし、そうでない、政策であるとか条例によって解決されるものもありましょうと申し上げたのはそういった理由でございます。
 ただ、今山口さんがおっしゃいましたように、この日本国憲法のもとで平和が守られてきたという解釈につきましては、私はこれは同意いたしません。第九条があったから、第九条の一項と二項があったから日本の平和が守られたのではないと私は思います。日本の平和は、これがいいことか悪いことかわかりませんけれども、日米安全保障条約という軍事同盟によって担保されてきたという側面なしには語り得ないものだというふうに私は思います。ここは多分見解の相違ということになるのでしょう。
○山口(わ)委員 本当に見解の相違だというふうに思いますけれども、私は、戦争はやはり絶対いけない。この戦争に対する私たちの考え方が定まらない、直らない限り、日本の社会も、暴力という行為がなくならないとさえ私は思っています。
 そして最後に、国際貢献でございますけれども、国際貢献のお話がさっきから出ておりましたが、私は、軍事的な協力というふうに考えるべきではないと思っていますし、武器を一切つくらせないように徹底的に規制すれば、これは立派な国際貢献ではないでしょうか。日本が今言わなきゃいけないことはそこだと私は思うんです。そしてまた、そこまで言えないにしても、軍事費を削減して、浮いた軍事予算を海外援助に活用する、積極的に海外に出ようとする人材の努力に努めることも立派な国際貢献であるというふうに思っています。私たちは、人の役に立ちたいと考えていますし、何ができるかを考えるときに、何が何でも自衛隊海外派遣でなければいけないということではなくて、私たちにとってできる平和的な海外援助は何かを考えるべきではないかというふうに思っています。
 見解の相違が十分はっきりしましたので、何と申しましょうか、質問の時間が終わりましたので、これで終わらせていただきたいと思います。
○中山会長 近藤基彦君。
○近藤(基)委員 21世紀クラブの近藤でございますが、櫻井参考人には、大変長時間、ありがとうございます。私ともう一方で終わりますので、あと三十分ぐらいの我慢をひとつよろしくお願いを申し上げます。
 基本的なことで櫻井さんにお聞きをしたいのですが、現行憲法を改憲といいますか新しくした方がいい、新しく創設した方がいいというぐらいのお立場と考えているのですが、制定過程をこの前の国会から始めて、今回二十一世紀のあるべき姿ということでやっておるのですが、サピオの中を読ませていただきますと、大変今の条文と現実が乖離している部分がたくさんある、もう一つは、押しつけ憲法、いわゆる国民不在の統制下の中での憲法制定であった。どちらの方に基本的なウエートを置いて憲法を改正しなければいけないのか、櫻井さんのお考えをお聞かせください。
○櫻井参考人 憲法を論ずるときは、多分論議が具体的になっていけば、どこを優先しましょうという話は出てくるんだと思うのですけれども、私は、この憲法の成り立ち、アメリカがつくって日本に与えたという部分は、それをみんなが知って、では私たちが自分たちの憲法を考えましょうということで自主的に考える心ができてくれば、それはそれでいいんだというふうに思うのですね。アメリカがつくったから変えるという発想よりも、自分たちが考えたものではないし、自分たちは今考えようとしているのだというところに重点を置けばいいのだろうと思います。
 事実としてどこがどう違うのかと聞かれるかもしれませんが、気持ちとしては、民主主義の根幹というのは、国民が考えて仕組みをつくっていくことが民主主義の根幹ですから、そこのところを大事にするという意味で、私は、アメリカがつくった憲法であるということを認識すべきだと申し上げているのです。
 では、憲法を改正するとして、どこが不足なのか、どこを変えなければならないのか、またその反対に、どこを守って維持していくべきなのかの選択はやはり国民の議論を重ねてやっていくしかしようがないと思います。また、このプロセスを、余り時間をかけるのもおかしいと私は思いますが、急いで十分な議論をしないで不透明なプロセスで変えるとしたら、これまた後になって後悔をすると思いますので、もう二十世紀の政治がやってきたよりもはるかに透明なプロセスで、はるかに公正な議論を展開して、変えるなら変える、加えるなら加える、維持するなら維持するということを決めていった方がいいと思っております。
○近藤(基)委員 別にこの場は改憲の場ではありませんので、憲法調査会ができたということに関して、憲法に関して論議が一つ進んだのかなと認識をしておるのです。きょう石原知事あるいは櫻井さんがいらっしゃったおかげかどうかわかりませんが、傍聴席がいつもの憲法調査会と違って非常に混雑をして、入れかえ制になっておるのですけれども、これも一つにはいい参考人に恵まれて、若干国民に喚起ができたのかなと思ってはいるのです。
 午前中、石原知事にもお聞きをしたのですけれども、国民的論議をもちろん呼ばなければいけない、国民に憲法をもっともっと知ってもらわなければいけない、知らなければ論議にも参加できないということでありますので。
 ただ、私自身が戦後生まれでありますし、もう既に現行憲法のもとで暮らして安穏と平和をむさぼりつつ生活をしてきた人間でありますので、はっきり言って、憲法をまじめに勉強したのはこの憲法調査会に入ってからであります。恐らく一般の国民の方もほとんどそうなんだろうと思う。しかも、憲法を読んだこともないという、学校の教科書の中にちらっと出てきたかなというぐらいなもので、読んだこともないという人が大半なのではないのかなと思うんです。
 この憲法調査会でもホームページを通じて、憲法調査会ニュースという、その日にあった議論を次の日にはホームページに載せて国民の皆さん方に見てもらうということはしておるんですけれども、どうも憲法論議というのは、昔から平和憲法として既にあるものだということで認識をしてしまっていて、それを変える云々あるいは論議をするという土俵にまで国民的な意味合いで上がってこないという、大変残念に思っておるんです。
 もう少し国民に何か喚起をする手段といいますか方法といいますか、そういうものを何か櫻井さんの方でお持ちであれば逆に我々に教えていただきたいと思うんです。
○櫻井参考人 国民の皆さん方に憲法について考えていただくきっかけというのは、多分憲法をまず読んでいただくことだろうと思うんですね。憲法を読みますと、いかに憲法が実態と離れた存在になっているかということがよくわかると思います。
 例えば、行政権は内閣にありということが書かれておりますけれども、内閣総理大臣を初めとする閣僚の閣議で一体どのようなことが行われているかということ。私、「憲法とはなにか」という本の中でも書きましたけれども、閣議というものはほとんど実質的に何にも決めていないわけですよね。ごめんなさい、ここには元閣僚の皆さん方もおられて失礼なことになるかと思いますけれども、火曜日と金曜日に閣議が開かれます。その前の月曜日と木曜日に各省庁の官僚のトップであります事務次官会議が開かれます。この事務次官会議で全員一致で合意された法案だけが、物事だけが閣議に送られるわけです。この事務次官会議ではどういったことが相談されるかというと、各省庁の課長あたりからずっと上がってきた案件が事務次官会議に持ってこられまして、どの省庁にとっても損害のないような、どの省庁も得をするような法案だけがここの事務次官会議で通されていって、それが閣議にもたらされます。
 そうすると、これはやはり菅直人さんが「大臣」という本の中で書いておられて、私も直接に菅さんからお伺いをしたんですけれども、閣議というのは、官房副長官と呼ばれる官僚出身の方がMCみたいなことをするわけです。ただいまから閣議が始まりますと言って何をやるかというと、きょう皆さん方に了承してもらう案件を回しますと言って、こういう紙がどんどん回ってくる。閣僚は自分の名前を書いて署名をして判こを押す、それでまた次のが来るのでとても忙しいのだそうです。でも、それも五分か十分、十五分くらいで終わってしまう。閣僚の皆さん方は御自分がサインしている法案が一体どういう法案なのかも知らないでサインをするというふうな実態があって、これが何十年と続いてきているわけです。
 つまり、行政権は内閣にありなどと憲法に書かれていても、ほとんど実質的にそれは実態として存在しないわけですから、こんな憲法がおかしいのではないか、それとも、実態がおかしいのであるならば、事務次官会議などという憲法にも法律にも書かれていないような会議をなぜ存続させるのかということを問うていかなければならないわけです。明らかにおかしいのです。官僚のトップの人たちが決めたことしか大臣は決めることができない。しかも、閣議での発言は、あらかじめ決められたもの以外はいわゆる予定外の発言とされて記録にとどめることもできない。
 こんな政治不在の実態があるのでありますから、憲法と照らし合わせながらどちらがいいか、これは憲法の方がいいに決まっているのです、この点に関しては。だから、実態を改めていくようにするということ。
 つまり、こういったことも憲法をまず読んでみることからいろいろと始まるわけですから、私は、やはりおうちに日本国憲法、読みやすいのを一冊くらい置いて、それほど憲法が大事だという国民であるならば、もっと憲法を読んで、憲法が何を伝えようとしているのか、何を定めているのか、何を目指しているのかを知っていただきたいと思います。
○近藤(基)委員 大変耳の痛い話で、大臣経験者もここに何人かおられますし、うちのおやじが政務の官房副長官でありましたので私も実態的にはよく存じておりますので、ちょっとそれにはなかなか反論がしにくいのでやめておきます。
 私がこの憲法調査会で一番初めに行った作業が、まだ六月に当選したばかりでありますので、原文を読み直すという作業から入って、櫻井さんもサピオの中に、その文言、文章のスタイルの両方の点でわかりにくい、万人が無理なく理解できる言葉遣いと簡潔な文章による憲法にすることはできないのかとお書きになっていますが、私もそれと同じことを考えて、大学の後輩の英語をやっているグループに原文を渡して、中学生でもわかるぐらいの訳にできないかといって預けましたところ、そこまでやると解釈論が非常に強くなってきて、いろいろな解釈ができ過ぎてしまって、なかなかそこまでは我々の手には負えないということ。でも、それでもいいからということで今そのグループに続けさせて、逆に言えば、いろいろな解釈が出ていいじゃないか、その学生たちは余りイデオロギーにとらわれるような人間じゃないものですから、今やらせているのですが、これを何とかまとめてみたいなと思って作業をしておるのです。
 この憲法調査会もあと五年後、もう一年過ぎましたから、具体論に入ってくるのかよくわかりませんが、あと約四年をかけて調査をし、それをもって次の段階に進むということで、決してこの調査会が性急に何か結論を出そうとしているわけではありません。櫻井さんも一番最初におっしゃったように、我々政治家も憲法に関しては素人でありますので、いろいろな参考人の方、学者さん、憲法学者を呼んで今議論を重ねているところでありますので、また機会がありましたらぜひ櫻井参考人にお説を拝聴し、また我々若い人間の、改めての、二十一世紀に向かっての憲法の土台づくりにぜひ御協力をしていただければと思っておりますので、よろしくお願いを申し上げます。
 きょうは、どうもありがとうございました。
○中山会長 小池百合子君。
○小池委員 本当に最後の一方になりましたので、あと十五分間おつき合いのほどよろしくお願いいたします。
 櫻井さんとはほぼ同時期、私よりももっと先輩でございますけれども、同時刻、似たような職場で、似たような形で情報提供者であったということでございますが、私の時期よりも若干長くやっていらしたと思うので若干違うかと思いますが、当時を振り返ってみますと、ベルリンの壁の崩壊、そしてまた湾岸戦争、国内ではバブル経済真っ盛り、そしてまたそれが崩壊していく。
 私としていえば、そういったニュースを伝えながら、この国は一体どうなるのだろう、結局すべてこれは政治だという結論を導いて、ケネディじゃありませんけれども、アスク ホワット ユー キャン ドゥー フォー ユア カントリーの気持ちでこの場に身を投じたわけでございます。
 そして、やはりこの根幹の部分は憲法であるということから、憲法について語るということも当時はまだまだタブーでございましたけれども、しかしこうやって、若干私のスピード感とは違いますが、憲法調査会でこれだけ自由にいろいろと議論がされているということは、これは、約十年はかかっておりますけれども、一つの前進であるというふうに考えております。
 きょう、幾つか御示唆をいただきました。先ほどの日米の成熟したパートナーシップの構築について、これは大変興味深いものでございますし、また、ブッシュ、ゴア、どちらになったとしても、共和であれ民主であれ、基本的なアメリカの対日戦略を示しているという点でも、大変私も興味を持っていたところでございます。そして、結論的に、米英関係に似たようなものというふうなことをこの論文は伝えているわけでございます。
 私は、アメリカ側がこういうふうに言っているということに一つポイントはあると思います。例えば、さきに申しました日本のバブル経済、何が問題であったか。そして、それについて、政策のおくれであるとかタイミングのミスであるとか、いろいろあったと思いますが、例えば金利の問題などは、日銀が決めるというよりも、むしろアメリカの都合といったようなこともございました。それからまた、先ほど挙げられたCOP6の話でございますが、確かに有能な方を抱いていながら、日本政府の方にそれを十分受け入れて、言葉は悪いかもしれないけれども、活用するというマインドが欠けている。おっしゃるとおりだと思います。
 しかし、このあたりもアメリカの影響というものも感じられるわけでございまして、やはり一たん敗戦した日本と、それから、そもそもアングロ・サクソンその他宗教等々、歴史的にもつながりのある米と英との関係、そこに行くまでにはかなりの道のりがあるのではないかなと思うのでございますけれども、そういった問題点を克服し、米英関係のような日米関係に持っていくための、そこに至るまでの幾つかのポイントを挙げてくだされば、きょうはその中で、軍事の問題も挙げられたと思いますが、改めて伺いたいと存じます。
○櫻井参考人 私たちはかつて日英同盟というものを結んでおりました。一九〇二年だったというふうに記憶をしておりますけれども、あの日英同盟、一九〇二年というと、明治三十五年でございましょうか、そのころだというふうに思うのですが、当時の日本は明治維新から三十年しかたっていなくて、目覚ましい発展を遂げつつも、まだ東洋の大変小さい国であったわけです。
 片方の大英帝国は、一九〇一年にビクトリア女王陛下が亡くなりました。ビクトリア女王陛下というのは、在位六十三年間にわたった大変強力な女帝であったわけです。その当時のイギリスというのは、世界の七つの海を支配するという意味で大変に強かった。その流れがずっと続いていたときにこの日英同盟というものを日本はイギリスと結んだわけです。
 しかも、この日英同盟の中身を見てみますと、完全に対等なのですね。片方の同盟国がどこか一カ国から侵略を受けたり紛争に陥ったときには、もう一方は静観する、中立を保つ。二カ国以上から攻撃を受けたときに初めて同盟して戦うということなのですね。基本的に、自分の国の安全保障は自分の国が賄うという自己責任の大前提がそこにあった。それを小国日本が大英帝国を相手にして結んだというところに、日英同盟の日本側から見た一つの意味があるというふうに私は思います。完全に対等な平等な条約だったわけです。それは、当時の日本とイギリスの国力を考えれば望むべくもないようなことだったのですけれども、しかし、それを我が国は結んだ体験があるわけですから。
 今のアメリカと日本のさまざまな意味での力を比べますと、確かにアメリカは軍事的には超大国です。確かにアメリカはコンピューターを初めとする最先端産業で圧倒的な強さを誇っております。そのほかアメリカの強さは私もるる申し上げましたとおりで、あの国にはなかなか追いつくことができないのは確かなんですけれども、しかし、それはできると思わなければ対等の関係などというものは、どのような立場の国であれ人であれ、結ぶことができないんです。
 私たちは私たちなりに、日本なりに国際社会に貢献していくことができるという心を育てていくことが大事なのでありまして、そこを信じて国家の運営をしていかなければ、いつまでたってもアメリカから事実上の保護国と言われ、中国からは、日本はその辺に座っている国であって、日本を動かすにはアメリカを通しての影響力を行使するか、日本に対して強い態度をとればあの国はすぐに言うことを聞くというふうなことを思われないようになるためには、やはり日本人の心というものを育てていくしかないんだと思うんです。
 ですから、技術的にこういうふうにしたら日米が対等な関係に入ることができるというのは、考えてみればたくさんあると思うんです。どの産業をどのように育てていくか、どの技術をどのように伸ばしていくか、そのための予算配分をどのようにするか、人員の配分をどういうふうに図っていくかというふうなことで、一つ、二つ、三つ、四つぐらいの分野で比較的アメリカをしのぐことは可能だと思います。そういったことを具体的にやりながら、私は、日本人とは何かということを今私たちが考えていかなければならないのだな、それが一番大きな力になってくれるのではないかというふうに思っております。
○小池委員 今のポイントは、その意思を持つか持たないか、そこからまずスタートであるというようなことだと受けとめたわけでございますが、その意思の部分で、これは午前中の石原慎太郎都知事にも伺ったんですが、アメリカの強みということを考えますと、例えば、ワシントンでは毎週のように一種の国際戦略、アメリカを中心とした国際戦略についてのさまざまな観点からの国際会議が開かれて、そこに先ほどおっしゃったプロフェッショナルたちが知恵を出し合って、そして全体的に当事者感覚で議論をし、それがまたしっかりとホワイトハウスなどに、そこでの政策、考え方が反映するという非常に組織としての、システムとしてのダイナミズムを有しているということだと思うんですね。
 次の一月から省庁再編が行われます。先駆けて内閣改造ということも言われている。そういった意味で、今後の国家戦略ということを、おどろおどろしくじゃなくて、我が国はこれで生きていくんだというまさに背筋であり、そしてまた肉づけをする戦略をつくる場所として、例えば内閣府ということなども想定をしてその人材なども集めているわけなんですけれども、こういった国家としての戦略、これの重要性ということをもっと我々考えなければならない。まあ憲法というのとはちょっとずれるかもしれませんけれども、しかし、その戦略をつくる際の基軸となるのは憲法だという位置づけで、この戦略の重要性ということを考えています。
 その際の、幾つかインフラの要点があると思うんですね。そのあたりで、櫻井さんの優先順位をつけながら、この戦略を構築する際に必要なインフラということでどういうことをお考えなのか、伺わせていただきたいと思います。
○櫻井参考人 省庁再編につきましては非常に興味を持って今取材をしているところなんです。内閣府というものができて、それは首相のリーダーシップ、力というものを強めることを目的にしているわけですけれども、これは皆様方の方がよく御存じだと思うんですが、どうももくろみどおりの方向に行っているのかいないのか、むしろ行っていないんじゃないだろうかというふうな印象を、私は取材を通して持ちました。内閣府という形をつくって首相のリーダーシップを発揮させようとしても、実態は官僚の皆さん方が全部要所要所を押さえてしまっているようでは、これは、衣がえはしたけれども中身は前と同じということになるんだろうと思うんです。
 もう一つ私が、省庁再編の中、いろいろな省庁に対して興味を持っておりますけれども、郵政省が入るのは総務省でございますかね。総務省の中の郵政省が一体どういう力を温存していくんだろうか。郵政三事業をそのままにして、しかも、決済システムと言われるものを今自分たちを中心にしてつくりつつあるということの意味はどういうことなのか。国民金融資産千二百七十兆円と言われますけれども、そのうち六割がキャッシュ、四割が株券そのほかだと言われますと、国民が持っている預貯金は大体七百二十兆円ぐらいになるんじゃないかと思うんですが、そのうちの郵便貯金だけで四百兆円ぐらいあるんでしょうか、簡保を入れて。そうしたら、これが、世界でもまれなる巨大金融機関がどんと総務省の中に入っていって、しかも、ほかの省庁とは水と油のように、独自の人材を採って独自の運営をしようとしていることを政治家の皆さん方はおめおめと許すわけではないだろうなと思って私は今取材をしているんですけれども、どうもそこのところの見通しが暗くて、省庁再編というのは大変大きな事業でございますから、それを、せっかくのこの大きな事業を日本の活力というものを出すために前向きに使ってくれるような再編にしてほしい。
 そのためには、郵政族などという名前をもらって、特定郵便局長の票であるとか献金を当てにするような志の卑しいことは日本国の政治家には絶対にしてほしくないと思いまして、私は一介のジャーナリストでありますけれども、私の渾身の力を込めてこの問題をあきらめずに書いていこうという決意を実は固めているんですけれども、政治家の皆さん方にも同じようにしていただきたい。そういうことを政治のレベルからやっていくことが日本国の活力を高めて、ある意味では、あの大国アメリカにも負けないような国をつくっていく第一歩なんだろうというふうに思っております。
○小池委員 ありがとうございました。
 省庁再編でつけ加えるならば、先ほどの総務省の中に公正取引委員会が位置づけられるというのは、これは、監視される方と監視する方とが一緒になっているのでやはり問題点があるというふうに思っていますので、あと一カ月ですけれども、何とかこれをやっていきたい。
 それから、大臣の話も出ましたが、副大臣制度というのは「会議を開くことができるものとする。」ということだけになっておりまして、この副大臣会議という位置づけがまだ中途半端な形になっております。これまでの流れでいくと、ただのお客様に終わってしまうおそれがありますので、これはまさに政治の責任としてもう少し位置づけということを、特に認証官になりますので、ここはしっかりやっていかなければならないというふうに思っております。
 ほかにもいろいろとお聞きしたいことがございましたけれども、私も時間の方はきっちりとやりたいと思います。
 本当にありがとうございました。
○中山会長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 櫻井参考人におかれましては、長時間にわたりまして貴重な御意見を賜り、まことにありがとうございました。調査会を代表して、心から厚く御礼を申し上げます。(拍手)
 次回は、来る十二月七日木曜日幹事会午前八時五十分、調査会午前九時から開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後五時二十四分散会