日本一過酷な競技会 (前編)
戦場は常に不公平なものである
この競技会を考案し、昨年から実施しているのは第4代WAiR連隊長、黒澤晃一等陸佐である。実はこの黒澤連隊長とは19年前、モザンビークのPKO取材で知り合った。当時は一等陸尉で、本隊のあったモザンビークの首都から遠く離れたドンドに派遣された小隊長であった。
この黒澤小隊長(当時)とのいきさつは拙著「不肖・宮嶋 史上最低の作戦」(文春文庫PLUS)に詳しい。
その黒澤小隊長は、当時から普通科(歩兵)一本、以後、特殊作戦畑を歩き、今では「軍神、黒澤」の異名をもつほど敵からも部下からもおそれられる指揮官となった。このWAiRの精神から装備まで黒澤色が濃くしみついている。
この競技会にも黒澤連隊長の意図が明確に貫かれている。ボート漕ぎにしろ丸太かつぎにしろ、一人が手を抜こうと思えばいくらでも抜ける。特に最もきつい丸太かつぎは、身長の高低によって負担が全く違う。
しかもこの丸太は一応150キロということになっているが、実は真ん中にもう一本丸太が加わった200キロのものが混ざっている。
おまけに、この丸太をかついで走る2キロはただの平坦な地ではない。溝や斜面や偽装網が待ち構える、とんでもなくきつい野原なのである。
これこそが黒澤連隊長の信念、「戦場は常に不公平なものである」を実現した競技会なのである。いざ、実戦になった際、敵の方が人数が多かったり、武器が優勢だったりということはいくらでもある。が、その不公平を嘆いたところで誰も聞いてくれるわけではない。
戦争は五輪競技ではない。スポーツマンシップも五輪の精神も入り込む余地など皆無である。