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不肖・宮嶋のオラオラ日記

日本一過酷な競技会 (前編)

文・写真宮嶋 茂樹 プロフィール

みやじま しげき/1961年5月生まれ。兵庫県明石市出身。日本大学芸術学部写真学科卒業。幼少の頃のあだ名は「明石の火打ち石」。通称「不肖・宮嶋」。自称は「写真界のハリソン・フォード」改め、「写真界のジョージ・クルーニー」(年齢が同じやから)。写真週刊誌の専属カメラマンを経てフリーの報道カメラマンに。主に、修羅場を好むが負傷が絶えず、負傷・宮嶋と呼ばれていたものが、不肖・宮嶋に転じたという説もある。第2回雑誌ジャーナリズム賞、第4回日藝賞を受賞するも世界的ビッグタイトルには未だ恵まれず、そこが宮嶋の限界と揶揄されている。本人は「50歳引退宣言」を撤回し、新米カメラマンの頭を蹴落とすことを生きがいに55歳まで現役を続けると宣言し直している。

なお、著書は40冊以上。売れ行きは、そのほとんどが採算ラインをやや上回る程度。最新刊は東日本大震災の記録である「再起」(KKベストセラーズ)、「不肖・宮嶋のビビリアンナイト」(祥伝社)。文藝春秋からも6冊の刊行物があるが、なぜかすべて絶版。もちろん、刊行予定もない。

戦場は常に不公平なものである

 この競技会を考案し、昨年から実施しているのは第4代WAiR連隊長、黒澤晃一等陸佐である。実はこの黒澤連隊長とは19年前、モザンビークのPKO取材で知り合った。当時は一等陸尉で、本隊のあったモザンビークの首都から遠く離れたドンドに派遣された小隊長であった。

 この黒澤小隊長(当時)とのいきさつは拙著「不肖・宮嶋 史上最低の作戦」(文春文庫PLUS)に詳しい。

 その黒澤小隊長は、当時から普通科(歩兵)一本、以後、特殊作戦畑を歩き、今では「軍神、黒澤」の異名をもつほど敵からも部下からもおそれられる指揮官となった。このWAiRの精神から装備まで黒澤色が濃くしみついている。

第4代WAiR連隊長・黒澤晃1等陸佐。19年前のモザンビークでは1尉(大尉)の階級章をつけ、陸海空混成部隊のドンド派遣小隊長であった。

 この競技会にも黒澤連隊長の意図が明確に貫かれている。ボート漕ぎにしろ丸太かつぎにしろ、一人が手を抜こうと思えばいくらでも抜ける。特に最もきつい丸太かつぎは、身長の高低によって負担が全く違う。

 しかもこの丸太は一応150キロということになっているが、実は真ん中にもう一本丸太が加わった200キロのものが混ざっている。

 おまけに、この丸太をかついで走る2キロはただの平坦な地ではない。溝や斜面や偽装網が待ち構える、とんでもなくきつい野原なのである。

 これこそが黒澤連隊長の信念、「戦場は常に不公平なものである」を実現した競技会なのである。いざ、実戦になった際、敵の方が人数が多かったり、武器が優勢だったりということはいくらでもある。が、その不公平を嘆いたところで誰も聞いてくれるわけではない。

 戦争は五輪競技ではない。スポーツマンシップも五輪の精神も入り込む余地など皆無である。

ヘリからのキャスティング(海面降下)を想定して、3メートルの高さから飛び込む。軍靴も迷彩服も着たままである。それだけで泳ぎにはすさまじい負担がかかるが、その上、肩に銃をかついだままなのである。衝撃を緩和するため両足を交差させて飛び込む。

【次ページ】 さすがの猛者も何人ぶっ倒れることか……

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