はじめまして、私は山田和義といいます。(1965年生)
私は4人兄弟の次男として商店を営む両親のもと何不自由なく普通に育っていきました。 子供の頃に病気で兄と弟を次々に亡くし2人兄弟となった私はふさぎ込む暗い性格の子供になっていき、その頃から悪霊が見えたり霊体験をするようになりました。大人になるにつれて霊体験も日常のことであまり気にもせず、普通に高校卒業と同時に某電気機器メーカーに就職することができました。
しかし、20歳の時に親が事業に失敗。負債をかかえ回り回って私は退職に追い込まれまれてしまいました。(当時、借金は家族までも巻き込むというそういう時代でした)
それから実家に戻り借金返済していこうと昼間はやれる限りの仕事、夜には自転車でチラシを配布などして頑張っていました。ところが、チラシ配布中に交差点で左折した車と電柱の間に挟まれ、血みどろになりながら救急車で運ばれ頭部挫傷〜4カ所の骨折、その他神経損傷の重傷を負ってしまいました。
事故の翌々日、警察から入院先を聞いた車の運転手は私の病室にきて「俺が止まっていたところにお前がぶつかって来た。車にキズが入ってしまったじゃないか。車の修理代を払ってもらうからな。こっちはいい迷惑だ。お前の治療費など払う気もない」と、ほとんど喋ることが出来ない私に対して暴言を浴びせて帰っていきました。
私は借金返済で生命保険も解約しており自転車では自賠責保険もなく、家の為に頑張らなければいけない時にこのような目に遭ったことで、自分を恨み、特に加害者に言われた言葉があまりにも酷かったことから、この時、生まれて始めて『相手が憎い』『絶対に許さない』『呪ってやる』と本気で自分の能力を使いました。
それから約1週間後、少し会話ができるようになった私のところへ事故の状況を聞きに警察官が来て、その話の中で『昨日、相手の運転手さんが心臓発作で亡くなった』ということを聞き、本当かどうかお見舞いに来てくれていた知人に相手の家まで調べに行ってもらったところ、本当に死亡していたことがわかりました。(当然の結果だと思い特に驚きもしませんでした)
警察は、後日加害者の実況見分をする予定でしたが既に加害者が死亡してしまったことから事実確認することができず、退院後(半年後)に私だけ実況見分を行ないましたが、加害者の車両は既に廃車され、現場に残されていた私の自転車も無くなっていたことから俗にいう「一人相撲」として警察は処理しました。
こように処理された最大の原因は私にあり、本気になって加害者を葬ってしまったことで自己嫌悪に陥り「一人相撲でいいです」と言ってしまったことによるものです。
その結果、入院費の返済と後遺障害だけが残り、私は身体障がい者(手の機能の喪失)になりました。
退院後に両親は離婚。家族はバラバラとなり姉と私の2人は築40年近い家賃5,000円/月のボロボロな2Kアパートで暮らし始めました。
身体に障害を持った私は就職先を探しましたが雇ってもらえる会社はなく、何でもいいから仕事をしなければいけないと思い21歳の時に『便利屋』を始めました。
便利屋といっても片手では大した仕事はできないことから、チラシ配布、買い物代行、犬の散歩代行、代理出席、チケット取り、調査や尾行とかいった単純な作業が主でした。
そうしているうち、様々な代行の仕事が来るようになり霊能力があった私に「呪いの代行をやってもらえないか」とのご依頼が来ました。
捨てるものが何も無く霊感もあった私は「呪いの代行」を有り難く承り、九州にある色々な霊場や怨霊の集まる場所を周り、滝行などもし呪業に取り組みました。
そして実際に相手の後ろから蓄えてきた呪い掛けたところ、半年後には依頼者の希望どりになっていました。
さらに1年後(22歳)の時に、犯罪被害者の方より「相手に直接仕返ししたいので手伝って欲しい」との依頼がありましたが、「違法なことはしたくない」と説明し、代わりに自分には「呪い掛けができます...」と被害者の方に話し、資金を提供していただき青木ヶ原の樹海での苦行や、さらなる修行を積み重ね、後日、2件目と同じように相手に近づき怨霊と貯めていた呪いの力を入れ込み、依頼者様がご納得していただける結果になっていきました。
また、その間で私の姉を騙し暴力をふるった結婚詐欺師がいたのですが、次の被害者が出ないように(世の中のために)1年後に呪い殺すなど、二十数年もの年月をかけた呪業で、自分の持っている呪いの力(効力)を確実に上げていく方法と呪いの儀式を自己流で習得するに至り、その後、地元の占い師や霊能者による口コミで「呪いの代行」を承るようになっていきました。
本当のところ、もの心ついた頃より悪霊のような霊がずっと付いていることは自分でも気付いていて、鏡に映るその霊は決して良い霊ではありませんが、私を助けてくれる霊であることは確かで、周囲の人に何がある時には「自分に心当たり」がありました。
もう、思い出したくもありませんが、兄と弟を亡くしたことと全く関係ないとまで言えないのかも知れません。
ところで、「人を呪わんば穴2つ」という言葉があります。
この言葉は人を呪う場合、相手の墓穴だけでなく、自分の墓穴も掘っておけという意味で、自分にも呪いが戻ってくる「呪い返し」を意味します。
私自身、まさにこれを意味するかのように、4年前、酒に酔った身も知らぬ人にからまれ、一方的に暴行を加えられた後、首を絞められ殺されかけました(傷害事件になりました)。
この事件では、私は体が不自由で抵抗すらできなかったこと、加害者が相撲経験者の土木作業員(怪力)であったこと、うつぶせの格好で頸部を両手で30秒近く絞められたことによって首の骨が骨折。瀕死の状態で救急搬送先され医師らの懸命なるお陰でかろうじて一命をとり止めたことがあります。
この事件によって私にはさらに等級の重い障がいが残り(神経障害含)、体も十分に動かず、現在でも痛み止めなくては生活できなくなっています。
これが、何らかの形で自分に返ってくる「呪い返し」というものです。
平成21年現在、(山田和義.本人です)
・身長180cm ・体重47kg
※ 呪う相手に近づかなければいけませんので顔は隠します。
体の障害から日常生活も満足にできなくなり体も痩せ細り、もうこれ以上の呪い掛けは止めることにしました。
しかし、自分自身が犯罪被害者になりこれらの障害で苦痛の日々を過ごしていると、どうしてもニュースで流れてくる事件や事故には関心が高くなっていき、そして、それらの事件をみていくと「犯人に対して刑が軽すぎる」「被害者本人や被害者家族は救われない」と、自分のことにように堪えきれない怒りが込み上げていました。
また、飲酒運転をしてのひき逃げなどは偶然な事故ではなく、なるようにしてなった卑劣な犯罪というべきですが、危険運転致死傷罪ではなく業務上過失致死罪(同傷害罪)が適用され懲役刑も軽いものになったりもします。
いずれにしても、事件や裁判に限らず社会生活において、加害者の相手が本当に反省していれば少しは救われる部分もありますが、口先だけで反省の言葉を述べたり、反省している風な態度を見せたり、保身のために平気で嘘をつく人もいて、被害者というのは精神的にも痛い目に遭わされ相手が反省していないことで ”やられ損”にしかなっていなのが現実です。
これは被害者でなければ分からない事柄でしょうが、私がそういった被害者と接し真近に見てきて痛い程にわかったことは、被害者には(私もそうですが)相手に対して堪えきれない強い怒りがあり、人から「前向きに」とか「あなたよりもっと酷い目に遭った人もいる」とか、そういう言葉は何の慰めや励ましにもないってこと。
そして、何の言葉もかけてやれないそういう被害者に対して、私に何ができるのだろうか?と考えたとき...
あなたに代わって憎い相手を「とことん呪ってやる」こと。
それが、能力を持った自分にしか出来ない役目であると気がつき、私はその役目に気づかされるまで様々な試練を与えられてきたのだと思えるようになりました。
犯罪被害者に限らず、理不尽な思いをしている人、暴力を受けても訴えられない人、精神的に痛めつけられてきた人など、心の底から「絶対に許せない」「呪ってやる」と思った方は山田和義に依頼してみてください。依頼を受けた限りには本気で呪業を行ないます。
※ 依頼人様は依頼をするだけで「呪い返し」は全て私が受けますので依頼人様は心配しなくていいです。
最後になりますが、私を殺そうとした犯人は事件後から心臓病を患い日々苦しんでいると刑事さんから聞いています。呪い殺して楽にさせるよりもこの世で苦しみ続けさせた方が少しは気分が晴れます。
当方を敵にすると恐ろしい人間ですが、味方にすると怖くなくなります。
ここに書いていることは事実です。
呪業師 山田和義
PS:考え方の1つとして、私がこの世に生かされたことは、神や仏から「これ以上の呪い掛けはやめない」との忠告だという考え方も1つあるかも知れませんが、首を絞められ死んでいてもおかしくない事件で、まだ生きていることは「自分の役目を続けていけ」という考えもあるかと思います。1つ誰かに何かをしてやりたいと思えば、1つ自分が犠牲になならければいけないのかも知れません。
人から怖くないですか?と尋ねられますが、一度死にかけた身、いつでも覚悟はできているつもりです。それより無抵抗な人に一方的に暴力を加えたり、関係ない人を巻き込むこの世の人間の方がよっぽど怖いと思っています。
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