-day after day-
2009/9/27
「寒くなりましたね」「日が暮れるのも早くなったね」
しかし、それから約1ヵ月半の11/15(日)最高気温21度と、エアコンいらずの日々は続いてるのであった。
取ったお店に出没してたクマ
茶色のほうは、とうとう2009/4/12に家に来てしまった・・・。来たというより、奴が取ってしまった・・・。
DKに別の生き物がいる感じ・・・。
2009/4/20
これ、どこのだったっけ?確か主役はこの日休んでたような・・・。
ケーニヒス・クローネだっけ?安かったんだよね。間に苺が入ってない。
08/12/23現在のDK。ピンクとブラウンの組み合わせが好きだーー。
うっうっ、キラー通りから行けば、20分ぐらいで着いたのに、方向音痴もまさかここまでとわ。。。
1:30ぐらいかかった。うっ(T_T)足痛い
どーーーしても欲しくてついに、暑い中汗をダラダラ流しながら、店を求めて彷徨い歩き、ついにゲット。
北参道駅周辺をぐるぐるまわった。。
人生はチェスのようなものである。
そしてお菓子を食べたくなるのである。
2000年〜2006年を振り返って。
振り返ると言うか、今まで誰にも話したことがなかったので、
文章にして約6年間の総決算としたいと思う。
人を外見で判断するのは難しいことですね。
1.初参加のオフ会で写真を撮られ、それを無断公開されたが、それについて何も言わなかったこと。
2.数ヵ月後に自分が同じことをしたら、注意されたこと。
3.オフ会で写真を撮られた直後(撮影を頼んでいない)、「私にだけにくださいね」と言ったにも関わらず、
無断公開されたあげく、そのオフ会は、「昼」、「夜」、「朝まで」と3パターンあった為、
「昼」と「朝まで」の2つしか出なかった私の写真は、会っていない「夜」の人達にも見られることとなった。
しかし、私が会っていない「夜」の人達の写真はなかったこと。
4.無意識に人(私)をなめた結果、私が黙っている性格ではなかった為、気分を害された方々のこと。
これらについて書いたものを読むと、いかに私という人間が、外見とは違って、きつい人間だということがよーくわかる。
そして、異常に「自由」ということに、こだわる人間だということも。
でも私は、自分が一番正しいと思わないし、
本当にその行動しか選択がなかったのか、
他の人だったらどういう行動をとったのか、
という観点で振り返る努力を怠ってはいけない、と思っている。
人間というのは、何か問題が生じて、初めてオープンになることもあるし、
全く問題が起こらないことがいいことだとは思っていない。
むしろ、問題の解決は、人間の成長の一助となることのほうが多いと思う。
法律が出来ていく過程を見ても、最初から全ての法律がカチッと固められていたわけではなく、
何か問題が起きたその都度、条項等を定め、制定されていった。
1.初参加のオフ会で写真を撮られ、それを無断公開されたが、それについて何も言わなかったこと。
私が初めて「オフ会」というものに参加したのは、2000年4月29日。
当時、一番大きく盛り上がっていたTRサイトのオフ会だった。
誘ってくれたのは、そのTRサイトの管理人さん。サイト自体も、その管理人さん中心に、色んな人が集まっていた。
私は今でも管理人さんのことを思い出すと、どれだけお世話になったかと、しみじみする・・・。
本当に頭のいい人で、たくさんのことを教えてもらった。今でも、ありがとうございました、と思わずにはいられない。
さて、そのオフ会は、私にとってはBBSやチャット、メール等で、
オンライン上では、既にコンタクト済みの方が多いオフ会だった。
そして、そこでデジカメを持っていた人達が、写真を撮っていたことを初オフ参加で緊張していた私は知らなかった。
その頃、昔のカメラはもう古く、デジカメというのを皆が持ち出していた時期だったと思う。
今はもう誰もオフ会に持ってこなくなりましたね。携帯で撮れるし。
後日、知らない間に撮られていた私の写真が、無断で公開された。
公開と言っても、管理人さんはそこはきちんとされている方なので、
そのオフ会に参加した人しか見れないようになっていた。
それに公開されたのは、当然、私の写真だけではなく、他の人達の写真もたくさんあった。
とは言え、勝手に写真を公開されたことに私は衝撃を受けた。
しかもその写真を撮っていたのは管理人さんだった。
そのことを、オフ会に参加されたある方に言ったところ、わかってくれて、
「『肖像権』というものがあるから、言ってもいいのでは?」と言ってくれた。
けれど私は、性格上、管理人さんには言わなかった。
それに、他の人だって同じことをされてるわけだし、
オフ会というのは、勝手に写真を撮って、
勝手に他の人に公開していいんだ、
ということを自分が知らなかっただけで、
知ってたら当然、公開しないで欲しいとお願いしたけど、管理人さんのすることは間違いはないしと(まじめに)思って、
私は何も言わなかった。しかし、きちんと言っておいたら、次の2の出来事は起こらなかったかもしれない・・・。
そこは私の性格のなせるワザで、少しでも人との言い争いの種となるようなものは、
絶対に蒔かない人間だった。
そして、数ヵ月後の出来事。
2.数ヵ月後に自分が同じことをしたら、注意されたこと。
その初参加のオフから、数ヵ月後の出来事だったと思う。
BBQのアウトドアオフに、自分を含め、6人で行ったときのこと。
参加者は4月のTRオフに参加した人ばかりで、管理人さんも参加。
そこで今度は私が写真を撮った。そして、オフのメンバー、7〜8人にしか知らせていない、
検索ロボットにもひっかからない、私の個人的なHPに、管理人さんの写真を公開したところ、
管理人さんと、もう1人の方から、すぐ写真の公開をやめてとメールが来た。
えっ?!、なんで?わし、同じことされるとるやん??(^_^;)
そこで私は何と言ったか?
数ヶ月前に自分が嫌な思いをしたこと、でも、公開の仕方を気を付ければ写真を無断公開していいんだと
理解したことなど、要するに自分がされたことと同じことをしただけです、
というようなことは、私は一切、なーんにも言わなかった。
謝って、すぐに写真の公開をやめた。
そのときも、今も思っているのは、自分が人にしたことは良くて、
された人の気持ちは考えない(これは3にも言えること)人間が世の中には多い。
自分が人にしたことと同じことを人からされたら、自分もしたということに
気がつかず、気分を害することが、なぜかよくある。
管理人さんとその方も、そうなのだと思った。
(これは4でも同じことがあった)
だからと言って、私は彼らとぎくしゃくしたわけでも、彼らに対して見方が変わったわけでもなかった。
なぜなら、管理人さんもその方も、本当にいい方で好きだったから。
人にしたことは、自分に返ってくるし、私が何か言ったり何かしなくても、いずれ返っていくのだから。
だから「人にいいことをしましょう」とか言うんですねー。
要するに自分が可愛かったら、人にしたことは自分に返ってくるんだからねー、ってことですね。結構、コワイ世界じゃ(^_^;)
「自由」、私は選択の自由を含む、「人の自由」ということに、ひどくこだわる。
自分が自由を侵害されることを激しく嫌う人間であるからこそ、他人の自由というものを至極尊重する。
嫌われても、馬鹿にされても、憤慨しないし、理由がわかるから、取り立てて感情もわかない。
なので、あまり人の行為について責めないし、こうして欲しい、ああして欲しいと言わないが、
あー、○とちゃん、憤慨しないように(^_^;)
断固とした自分の言動はとるので、それが相手に衝撃を与えることになる。
「立ち向かう人の心は鏡なり」
このお2方とは、多分もう会うことはあまりないと思うけど、このお2方に限らず、
自分のしたことは、いつも正しいと思って生きている人は多い。
でも、果たしてそうなんだろうか、と常に自分の言動を振り返って考えられる人は非凡なる人だと思う。
人格者は少ないですからね。
「木しか見えない人」「大空にはばたく鷲のごとく、森全体が見える人」この差は大きい。
よく切れる剣のように、まわりをスパスパ切った気でいるが、実は自分のことは切れない、
それは、わかりにくいことで、本人も気が付かないし、また認めることに抵抗が大きい。
鷲のように全体を把握出来る方に、身近で出会ったことは、あまりないように思う。
3.オフ会で写真を撮られた直後(撮影を頼んでいない)、「私にだけにくださいね」と言ったにも関わらず、
無断公開されたあげく、そのオフ会は、「昼」、「夜」、「朝まで」と3パターンあった為、
「昼」と「朝まで」の2つしか出なかった私の写真は、会っていない「夜」の人達にも見られることとなった。
しかし、私が会っていない「夜」の人達の写真はなかったこと。
これは、2001年7月20日のTRの大きなオフ会でのこと。
要するに、1と2の出来事があったからこそ、私は「私にだけくださいね」と言った。
それでも、またも無断公開された。
私が会ってもいない人達に、顔を無断公開されたことに気が付いて、
指摘してくれた人は、ただの一人もいませんでした。それはそうでしょう・・・。
残念ながら、そういう方はいなかった。なので、今回も私は何も言いませんでした。
約5年後の今になって言ってますが。
写真を公開したのは、「昼」から全部参加していた方だったし、お酒もだいぶ飲んでいたし、
疲れもあって、「私にだけくださいね」と言われたのを覚えていなかったとも考えられると私は思った。
4.無意識に人(私)をなめた結果、私が黙っている性格ではなかった為、気分を害された方々のこと。
美輪サマがよく言われる、「人の不幸は蜜の味、人の幸せ癪の種」
確かに、こういう人ばかり。そうした世の中にあって、自分は絶対にそういう醜い、見下げ果てた人間にだけは
なるまいと思っている。
心の底から他人の幸福を喜べるし、全ての人の幸せの実現を願っている。
お金が一杯あるとか、何でも欲しい物が手に入るとか、地位や名誉やそういう幸福ではないです。
「愛は戦車」という言葉があるけど、キリスト教じゃないけど、本当に「愛」は無敵なんですね。
「他人への愛」が、自分の幸福の元ということに、早く多くの人に気がついて欲しいと思う。
ただし、そうした考えを持っている自分だからと言って、何でも人の言うことを聞いたり、
何でも許すかと言ったら、そんなことは有り得ない。
私は一見、地味で大人しくて、怒らないように見られる為、なめてかかる人がいる。
「こいつには、こういうことを言っても大丈夫だろう」と思うらしく、
他の人には言わないようなことを言ってくる場合がある。
それは、わかる。言うのをやめて欲しいとも言わない。ただ、大人しく黙っている私ではないということです。
「人を変えようとするのではなく、まず自分が変われ」は基本。
私はとにかく自由に固執する人間なので、職場やその他は別として、私生活で深い理由もなく、
「〜しろ」「〜するな」と言われたら、断固としてそれを容認しない。
あるオンラインゲームをしているときに、私が通りすがりの人とあることについて会話をしていたら、
「そんなことどうでもいいから、早くしてあげなよ」というようなことを言われたことがありました。
自由固執人間の私のハートに、その一言は当然、火をつけたわけです(^_^;:
炎は燃え盛りました。何を話そうが、どうしようが、それは私の自由。
その会話自体、誰かが傷ついたり、不愉快になったり、大きな問題が生じるようなものではなかった。
ただそれだけのことだけど、人の自由な行動に対して、命令されるようなことを断固として嫌う私は、
二度とそういうことを言われたくないと思ったので、「もう一緒にしない」というメールをしました。
相手が誰だろうと、同じことを言ったと思います。
これが、もし、他の人だったら、その方は「そんなことどうでもいいから、早くしてあげなよ」とは言わなかったと思います。
相手が私だから言ったんだと思うし、当然、まさか私が不愉快になるとも思っていないし、
そんなことを言ってくるとは思わなかったと思います。
私の態度で相手の方も気分を悪くされたことでしょう。もっと他の言い方があったのではないかと、
自分の態度を振り返って考えなくてはいけないと思いますが、
結局、「立ち向かう人の心は鏡なり」で、自分に返って来たのではないか?とも思うわけです。
そのオンラインゲームは、元々、ある方から教えてもらったゲームで、それがTRオフの人達に広まりました。
私は、TRオフのメンバーが一緒にやるのは当然と思いませんでした。
それこそ、どのような遊び方をしようと自由。
自由絶対死守派の私ですから(^_^;
だから、紹介して下さった方と一時期しか一緒に出来なくても、何とも思いませんでした。
でも、他の方は、TRオフのメンバーが一緒にやるのを当然と思う方もいました。
そういう考え方のギャップ、違いって、何か問題が生じて初めてわかることなんだなと思います。
「自分だって同じことをするのに、それが私からされたことだから気分を害した」ということがありました。詳細略。
メールでのやり取りの中で「自分だったら、そうする」と書いていたことが、まさに私が取った行動そのものでした。
そのことに気がつかず、私からされたことだから(この方は、あまり私を好きじゃない方でした)
かなり気分を害したわけで、でも、私はもうそのこと(自分だったら、そうすると言ってること)は指摘しませんでした。
同じことを人からされたら(特に私からされて)気分を害するのパターンで、
またその件だけでなく、過去から色々溜まっていたこともあることがわかったためです。
私はその方は嫌いじゃないし、とても頭のいい方で、可愛い方だなあと思っています。
このとき、周囲で間を取り持って下さった方、怒り心頭に達せず応対してくれたご当人の方々のことは、
本当にありがたいなあと思いました。
また、別件であったことです。
あるテーマについてBBS上で会話をしていました。
相手の方が幾ら自説を書こうとも、私の返事は一環して変わりませんでした。
「あなたの言っていることはわかります。でも私の考えは変わりません」
と言い続けたのですが、それが、その方を打ちのめすことになりました。
「もうこの話を終わりにしたい」と言ったと思ったら、また質問をしてきたり、
どれだけその人が参っているかが、よくわかりました。
阪神ファンvs巨人ファンの会話だって、自説変わらず、ファン心変わらず。
私が自分の考えは変わらないと言い続けたことに、なぜ打ちのめされたのか?
それ以外でも、例えば私とのメールのやりとりで、決して世間の常識ではないことを
「こんなことは常識」と、私には言えたとしても、では果たして飲んでいる席などで
その話が出来るかと言えば、絶対に口にしない。「そんなの常識じゃないよ」と言われることがわかっているから。
要するにこの方も、「こいつには、こういうことを言っても大丈夫だろう」と思って、
他の人には言わないようなことを言ってくる方だった。
それが、私からまさかそんな返答が返ってくるとは思わなくて、私の「きつさに」たまらくなったんでしょう。
これが他の人に言われたのならそんな風にはならないと思われ。はっきり言えば、なめていたんですね、この方も・・・。
では、私は自分の考えがあっても、「あなたの言う通りです。ご高説ありがとうございました」と言えばよかったんでしょうか。
もしそれで満足するような方なら、私は自分から話したいとは思いません。
他人の言動によって、心が波だつ、心を穏やかに出来ないというのなら、その程度ということだと思う。
袈裟を着ているから僧侶ではないし、経文を学んだ、教学を修めたから僧侶でもない。
「迷いの炎を吹き消した心の涼しさを保ち、上求菩提、下化衆生に命を捧げる」 のが真の僧侶です。
自分の心の波を抑えられないことを、他人のせいにし、
自分の心の波をおさえられないが為に、 自分ではなく、他人をどうかしようとするのは、いかがなものか。
人にしたことは、パターンは色々ありますが、必ず自分に返ってきます。
「立ち向かう人の心は鏡なり」
まず、自分の言動のよってたつところは何だったのかを振り返って、その結果として判断することこそ、
知恵ある人の姿ではないでしょうか。
他の人をなめることは、やめたほうがいいですよ。
自由には、必ず責任が伴う。
私が異様に固執する「自由」は、「何をしてもいい自由」ということではない。
私は、人からバカと思われても、失礼なことを言われても、嫌われても、理由がわかるから、あまり何とも思わない。
(私が、この人には嫌われたくないと思う方は別)
問題が起きる原因のひとつは、「理解出来ない」というのがあると思う。
なぜ、そういうことをするのか理由がわかれば、冷静に判断が出来る。
刑法に触れない範囲、他人を傷つけたり、不愉快にしたり、不幸にしたり、大きな問題が生じることがなければ、
「言論の自由、行動の自由、他人の自由の権利を侵害してはならない」と、断固として私は思っている。
そしてまた、「自己の自由の権利の侵害を決して許してはならない」と、
強固に思っている。
憲法で言うところの、
13条 個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重
すべて国民は、個人として尊重される。
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、
立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。これです(「公共の福祉に反しない限り」というのは、具体的にどういうことか、よくわからない・・・)
自由と言うのは、最大の尊重を必要とするものの一つなのです。
日本国憲法 全103条の前文の冒頭部分には、「自由のもたらす恵沢を確保し」とあります。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し(以下略)
12条と13条、18条〜23条は、自由についての条文となっています。
しかし、世界を見ると、今だこの自由を獲得していない人達は多く、差別の中で苦しんでいる人達が数多くいます。
人は皆、幸福になる権利があり、それは義務でもあり、人間の自由の権利は最大に尊重されるべきものですが、
選択の自由の結果、自己の行為には必ず責任が伴う、
自由ゆえに行ったことに関しては、良きにつけ悪しきにつけ、
必ず代償が伴い、それを負うのは自分自身に他ならない、ということを決して忘れてはならないと思います。
それが、愚かな行為の歯止めになるからです。('06/12/04)
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