大野裕氏の本当の意図
皆さんは雅子妃の主治医である大野裕氏についてどんなイメージを持っているでしょうか?
認知行動療法の第一人者というイメージが先行し、薬漬け精神医療を変える救世主であるかのように思っている人々が少なからず存在します。(特に公明党の皆さん!)
しかし、彼の本当の意図はこれです。
「雅子妃の主治医でもある大野裕氏に言わせると、日本人に行うべき最大の認知療法は、精神科の薬にまつわる偏見や認知を変えさせることだそうだ。要するに薬が怖いと思われ過ぎているから、治るはずの人も治らないということだ。」
薬を飲ませるように方向づけることが彼の認知行動療法の目的です。いや、偏見も何も、「安全」「画期的」「劇的」「副作用がない」「医師の指導の下に飲めば大丈夫」という精神科医の情報こそが事実からかけはなれた偏見の塊なんですけど・・・
もちろん、このコラムを書いている精神科医はそういう意味でも最悪の部類です。生き残り法としてもっともいけない方法を推奨したり、勝手にオリジナルのガイドラインを作ったりとやり放題ですね。母校の恥です。
しかし、そんな和田氏も、大野氏と比較すると霞んで見えてきます。大野氏の本当の意図を理解するといろいろなことが見えてきます。こころの健康基本法の恐ろしさも理解できてきます。製薬会社が大野氏に金を積む理由がわかりましたか?
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コメント(9)
転載させていただきました。
2012/7/20(金) 午後 5:20
今晩は
このヤンゴトナキお妃様も「薬」を服用していなかったら、もっと早く快癒されたと思いますよ。
こんなに長引いたのは偏に薬を服用した為ですよ
ね。
2012/7/20(金) 午後 9:10 [ 影法師の嗤い ]
そもそも闘病の思想がおかしいんだと思います。
コレラ菌や結核菌が発見されると、病原菌を叩けば病気は治る、病気と闘うべきだ、という闘病の思想が生まれ、それで医学は闘病の思想一本やりになったのでしょう。
ほとんどの人は生まれた時から闘病の思想の洗脳を受けているので、治療(被害)を受けて初めて気づくことになります(気づかない人もいます。強力な洗脳です)。
精神疾患に闘病の思想を持ち出すと、敵は病原菌でなく自分自身となります。自分の全人格を敵に回して闘い、自分で自分を否定し傷つけてしまう。
認知療法は、その自己否定の具体的手段のように映ります。大野医師らは、自分で自分に毒(薬)を盛って自分を殺し、病気に勝ちましょうとおっしゃっているのですね。
でも、病気は闘うものではありませんから。
2012/7/21(土) 午前 9:50 [ acacia ]
以前は『精神病は病気じゃないです[合法麻薬覚醒剤を売りさばくための口実です]』というブログをやらせていただいておりました。
今は『精神科医は医者じゃないです[白衣を着た売人です]』というブログになっています。
闘病の思想がおかしいのかどうか知りませんが、ふつうの医学なら病気に対して闘病という話につながるかもしれません。
精神医学は医学じゃないです。
元々は精神医学は精神病理学といって、単に精神的に不調な人物を観察するという学問です。観察して分類分けするだけで、治療はできないという学問です。
精神医学は、その学問が麻薬覚醒剤を手に出したという代物といえるでしょう。
精神医学で定義された病気や障害は一般的な病気などとは異なるものです。
CCHRの動画にすべて出ている事なので、CCHR動画をみて学べます。
学ぶ事で、精神科医より知識をつける事が解決策です。
悪い人たちがのさばらないように知識をつけ、行動する人が増える事で世の中が変わりつつあります。
2012/7/21(土) 午後 2:50 [ satoshi_3210 ]
それにしても、この大野という人物は詐欺師中の詐欺師みたいなやつですね。※まあ、精神科医の中にはよくいるんですよこういう奴らが。
薬漬け医療に苦しんでいるという体験をお持ちの、精神科患者さんや患者のご家族の方でも、
この大野が主張する認知行動療法推進の動きが「薬漬け医療を改善する」という主張に見えて、思わず、大野を応援してしまう。という罠。
薬漬けにあった人でも、白衣を着た売人を応援してしまう。それがトップオブ詐欺師の称号を得る人物がもたらした成果。
あなたやご家族が薬漬けにあったのは、あなたの応援している大野がいたからなんですよ。と言ってもなかなか伝わりにくい。
いずれ精神医療の闇を大勢の人が知る事になった場合、犯罪組織=精神医療を押していたのは公明党だった、なんて事にならないことを願っています。
公明党が麻薬覚醒剤ビジネスを推進する党などという汚名をかぶらないために、精神医療ビジネスと手を切ってほしいです。
犯罪に荷担しない。これはとても大切な事です。
公明党の支持者の方には、どんどんCCHRのDVDなどを回し見してほしいです。
2012/7/21(土) 午後 2:50 [ satoshi_3210 ]
病気(とされているもの)のうちで、闘病の思想が通用するものが例外で、ふつうの病気は闘わないほうがいいでしょう。
闘病の思想が通用するのは、病原が特定でき、その病原が体の外から体の中に侵入した異物、外敵であるものだけ。
闘病の思想が通用しない病気の代表が、精神疾患。精神疾患の原因がわかるなんてばかなことがあるはずがない。がんもそうですね。自分の細胞ががん化(変化・老化)するので、がん細胞は外敵でもなんでもない。
インフルエンザは外敵がありますが、ウイルスを叩くためにタミフルを飲んで、自分の命を犠牲にしてたら意味がない。
休養と栄養をとって、病気の自分を大事にする。いろいろあって精神的・身体的に不調になるのは普通のことで、心配いらないんですから。病気の自分を否定し薬なんか飲んで会社に行こうとしないでください。
闘病の思想が通用する病気の代表が精神薬の依存症であるというのは皮肉なことですね・・。
2012/7/22(日) 午後 1:39 [ acacia ]
大野裕が下手な言い訳ばかりしています。
http://book.asahi.com/reviews/column/2012072200006.html
何も出来ません、間違っていました、申し訳ありません
と言うべきだろ。
ったく。バカとしか言いようがない。
闘病というのは、うつ病とかでも必要ではありますけどね。
戦うべき相手は患者の中の精神病理、病魔であり、
精神科医は武器や食糧を与えて戦略を指導をすべき。
しかし、実際には闘うべき相手に闘う前に塩を送る、というよりも
武器や食糧を与える。
「薬を飲んで休養」、闘うべき人を休ませ、敵に加勢する。
単なる比喩で、わかり難いかと思いますが。実際にそういうことになっています。
2012/7/25(水) 午後 4:31 [ ops*jp ]
えーと。表現が違うだけでしょうか?
悪条件の中で頑張りすぎて、頑張りきれなくなって病気になった人が、どうして闘うのですか。
「うつ病を治す」「うつ病と闘う」「うつ病を克服する」・・
本のタイトルにも多い言葉ですが、私は逆だと思います。
「うつ病を治すな」「うつ病と闘うな」と言いたいです。
ある状態について、治さない、となると、その状態が病気か否かを言い争うまでもなくなるんですね。勝手に言わせておけばいい。
でも、治すことが前提にあると、治すためには薬だ、いや認知療法だ、いやそもそも病気じゃないんだ、とつまらない論争になるわけです。
医学の目的は病気を治すことではなくて、病人が病人として生活するための手伝いをすることだと思います。
医師は「お前は風邪をひいている」と診断して、「2、3日ゆっくり寝ていろ」と風邪ひきとしての生活のしかたを指導する。
うつ病になった人が病前と同じ生活をできるようにすることではなくて、うつ病のときはうつ病人らしい生活をさせる。薬も認知療法も、その邪魔になっている。
じたばたしない。治さない。闘うよりかえって忍耐や勇気がいることかも
2012/7/25(水) 午後 8:34 [ acacia ]
表現の問題ではありません。
>「うつ病を治す」「うつ病と闘う」「うつ病を克服する」・・
そういうわかったような、実はわかりもしないクセにキレイ事を言う
精神科医も臨床心理士やカウンセリングも全く理解できないないと思います。
失礼ながら語弊はありますが、患者も精神科医も反精神医療派にも共通した問題。
コレ以上はやっぱり理解してもらえないと思うので止めておきます。
2012/7/25(水) 午後 9:21 [ ops*jp ]