気になったから・・・神戸市児童相談所で児童福祉法28条審判申立て
児童福祉法33条によって各地の児童相談所は児童福祉を鑑みて一時保護ができるのは何も問題はないと思う。ただし、この一時保護が正しく行われているという前提による。
神戸市では、直近で児童福祉法28条審判申立てが家庭裁判所によって容認されたという情報を入手した。私はこの事案について、神戸児童相談所も家庭裁判所も賢明な判断をしたものだと思う。しかし、神戸市の児童相談所が保護した子供と親に対して適切な処置を行っていたとは聞くとこでは確認できない。児童相談所は、親との面談の中でも児童相談所側の考えを理解してもらうべく努力が足りなかったのではないか?と思えるような状況もある。
児童相談所は子供を保護するにあたり、何年も前から要保護児童としてその児童の位置づけを行ってきたようだが、その位置づけに基づいた適切な処置はあったのだろうか?甚だ疑問の残る部分もある。親は、何故か一時保護直後から、学校と児童相談所を揶揄するtwitterやブログ、facebookで散々喚き散らし、子供の事をどのように考えるのか?という主張をしないままに突き進んだその結果が児童福祉法28条の審判結果に至ったのではないか?そう思えてならない。
一時保護直後からこの親のtwitterを私は見ていたが、全てが他力本願であり自身の子供に対する考え方を示すのではなく、助けてください、力添えが欲しいただそれだけでした。そして、児童相談所は子供を拉致した!私は児童相談所被害の被害者だと名乗るようになりどんどんと怪しげな情報をネット上に垂れ流すような醜態を晒すものであった。私は児童虐待なんかやっていない!児童虐待の疑いで児童相談所は私の子供を拉致した!そういう根拠のない論調一本調子だったから始末が悪いのだと思う。
この親は・・・twitterで根拠のない事実で世間を煽ったという意味で私が許せなかったのは、ある新聞社が児童相談所被害の実態を把握するために全国から児童相談所被害の情報を集めているから新聞社へ連絡しよう!なんていうtweetだったと記憶している。今になって冷静に考えてみれば、この親は、新聞社へ児童相談所へ子供を拉致されたから取材をして欲しいと依頼をかけたところ、子供が帰ってきたら取材しますなんて言われて所謂門前払いを受けたことの腹いせに、世間を動かそうとして、新聞社が情報集めなんかしていないのに・・・妄想で情報集めをしてるなどと煽ったのではないかと考えることができる。
こういう妄想親は極めて、児童虐待の虞があるのだ、被害者だと言って実は加害者だということもよくある話だ!とある人は言っていた。私はその時は、ある人の進言によって、ブログやらtwitterやらでその親を揶揄するような事はやめたが、最近になってこうブログで事の詳細を記載することは、以下に記載するような極めて異常とも言うべくその親の言動がエスカレートしたからなのである。
斯く言うわが家に於いても、長男を児童相談所に取り上げられている私にはさほどの説得力のある情報発信はできないが、あまりにも呆れる、そして、本来あるべき子供の権利利益の保障に大きなブレーキをかける事になりかねしないという懸念から記事として掲載するものである。
その親は、自らをガン患者であり余命幾許かという状態にあると公言しているが、果たして子供を思う親の気持ちとして有り得る思考かと言われるとそうじゃない言動であった。子供を一人残して自分は死んではいけないと考えるならば、まずは自身の健康面を万全にするものだと私は思う。しかし、この親は死ぬ死ぬ!辛い苦しい!の連発で、主体はいつも自分。子供への愛情深さはほとんど感じられない。この子供が児童相談所に拉致されています助け出してくださいと、ネットに子供の写真を貼り出したが、その子供の写真はえらくみすぼらしい姿で、子供が適切な環境で養育されていたとは想像させないような写真であったりするから始末が悪い。
その親の書くブログを読んでいても、実際には子供のどうのこうの・・・とう話ではなくほとんどが、学校教員に対する恨みつらみ、児童相談所への恨みつらみが延々と書き連ねられているだけ。あの姿を見た当初の共感した連中だって今はほとんどが共感できていないんじゃないでしょうかね?だから、次から次へとパラサイトできる相手を探すアメーバのようになっているのではないでしょうか?ネット依存、所謂ネット廃人然りなのだと私は思います。ネットの更新履歴を見れば、夜中から朝方にかけての更新ばかり・・・これじゃ、健康面で体制を整えるというような話に誰も理解はできませんよね?
様々な・・・個人攻撃があちこちに散りばめられているようでは話になりません。その個人攻撃だって酷い妄想のように私は感じます。ある手をさし延べた女性に対しては、豚薔薇肉だとか揶揄したり、尽力していた市会議員を飛騨牛とか言うしまったくもってお門違いも甚だしいのです。こういう勘違いした親が勘違いのままに、ああでもないこうでもないと言うのは、児童相談所の所謂押すプレイ同等です。
この親が書いてあるブログには、児童福祉法28条審判で負けた!これで一生子供とあえなくなりました・・・なんて記事にしているのを見て私は最終的に判断することとなったのは、この親は子供を完全に自分のドールにしてしまっている。子供は親のドールじゃないのに・・・とあまりの思考貧困に困惑を隠せませんでした。こうやって、重篤な状態に子供が追い込まれるなら、いっそのこと児童相談所の介入で児童養護施設において子供が一人でも生きていけるようになってくれれば良いと思ってしまいます。本来であるならば、親の愛情を全身で受け健やかに成長することが一番ですが、この家庭にそんなことはきたいできません。
私は・・・この親にはっきりと言いたいのは、子供はあなたのドールではないです。子供の心を蝕まないように親としてあなたは子供と一緒に成長していかなければなりません。親と子はいつか必ず心も体も離れていく時が来ます。それが早いか遅いかの違いだけです。与えられた時間の中で、しっかりと子供と向き合うことが大切です・・・こう伝えたい。
それでも、この親は間違いなく誰の声も耳には入らないでしょう。この親の耳に届く声を発することができるのは誰もいません。この親の耳が働くのは、自身に都合の良い言葉が聞こえた時だけです・・・。どうしようもありません。管轄の児童相談所は聞くところによると、名古屋市中央児童相談所同等意味わからない押すプレイ集団らしいですですが、この件に関しては賢明な判断をされたのだと私は思います。そして、家庭裁判所も極めて正しい判断をされたのだと思います。
私にとってみれば・・・このような親がいることが私の家の中に降りかかってきてる児童相談所の欺瞞に満ちた公務執行を正当化するような材料にならないようにと願うばかりです。こうやって、自分が児童相談所拉致被害者だ!と豪語して自爆する奴らがたくさん出ることは、本当の意味で必要なことではありますが、児童虐待のない家庭にまでかもしれない?と児童相談所に思わせ一時保護しか子供の命を守る方法はない・・・と豪語させるような事になってはいけないのだと私は思っているんです。
しかるべき判断応力、しかるべき処置、しかるべき対応これが揃ってこそ本来あるべきの児童相談所ではないでしょうか?現状の児童相談所というのは、子供が死ななければ良いという思考の親を見張る監視機関になりさがってはいないでしょうか?これじゃ・・・第二次世界世界大戦中のナチスドイツの秘密警察(ゲシュタポ)と同じです。この思考に子供の未来は良い影響を与えません。
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