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「多様性を認めよ!」vs 「『多様性を認めない』という多様性を認めよ!」

2013/05/05


Twitterでご意見をもらったので書いてみます。


多様性を認めよ!=排他的になるな!

ブログを書きつづける理由はいろいろあるのですが、そのひとつは、「多様性が認められる社会を創りたい」というモチベーションだったりします。

ぼくの書いている内容は、多分あまり一般的、社会的ではありません(例:たかが挨拶ぐらい、できなくてもいいんじゃない?)。

ツイッターで匿名のおじさんたちから「社会人失格」と呼ばれたことも数多し。ぼく程度の異物を巻き込めない「社会」なんてウンコなので、これは変えていかないといけません。もっともっと日本人はわがままになっていくべきです。多様な社会というのは、わがままが最大限許容される社会だとも思います。


さて、そんなぼくに対して「『多様性を認めない』という多様性を認めよ!」ということば遊びを弄してくる人がたまにいます。今日はこれについて考えましょう。


「多様性を認めよ!」というぼくの要求は、「排他的になるな!」という要求の裏返しです。人々が排他的になればばるほど、社会の多様性は減じていきます。排他的であることをやめれば、自然と社会は多様になっていきます。

ゆえに、「多様性を認めよ!」と語る人は、「『多様性を認めない』という多様性を認めよ!(排他的であることを認めよ)」と語る人を認めることはできません。排他性は多様性を阻害する、根源的な要素だからです。


とはいえ、世の中には排他的な人々も存在します(ネトウヨなど)。いじめや犯罪と同じで、ゼロにすることはできないでしょう。では、多様な社会を創りたいと考える論者は、排他的な人々とどう付き合えばいいのでしょうか?


対話するか、外堀を埋めるか

まず、わかりやすいアプローチは「対話」でしょう。

「多様性を認めよ!」と語る人たちは、排他的な人々を排除することなく、自ら進んで近づき、対話・包摂していくべきです。「あんな排他的なやつらは無視すればいい」というのは、残念ながら欺瞞と言わざるをえません(ぼくも実践できていない、大変むずかしいことですが)。


間接的なアプローチとしては、直接対話するのではなく、外堀を埋めていって「無力化」していくことも考えられるでしょう。

たとえばネトウヨの問題なら、彼らと直接的に対話するのではなく、適切な情報を流布していくこと、メディアリテラシーを高めていくことによって、彼らに自らの排他性(不道徳性)に気づいてもらう、といったアプローチです。


時間にも限りがあり、肝心の対話もほとんど成立しないので、ぼくは基本的に、ブログを用いて後者の間接的アプローチを取るようにしています。完璧にはほど遠いですが、排他性を減じるため、余裕ある人を増やすために、情報発信をしていきたいところです。


多様性を尊重する人は、排他的な人々とどう向き合うべきなのか。これは深くて重要な問いです。ぜひアプローチを含めて、一緒に考えましょう。


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