国民栄誉賞はこういう方に!
両耳の聴力を失った作曲家、佐村河内守(さむらごうち・まもる)さんに注目が集まっている。2011年7月に発売された「交響曲第1番《HIROSHIMA》」は、クラシックとしては異例の累計出荷枚数12万枚を突破した。...
...
[記事に戻る]
国民栄誉賞はこういう方に!
「+α人気」というのは、不幸だ。
現代音楽界からの妬みが憐れですね。
たいへんな苦労をされている。そういう背景を下地にして聴くと、やはり泣ける…。
しかし、音楽的に優れているかどうかとなるとまったく疑問だ。
ベートーベンは、ハンディキャップの有無に関係なく、疑いようのない大作曲家だが、佐村河内氏はとてもそうは思えない。
NHKは、フジコ=ヘミング氏や辻井伸行氏も同様な特集をした。いずれも現在人気してるが、通には無視されているのが現状。
自分は聴かないで勝手な評価をするのは避けるべく、ドキュメンタリーを見たり演奏を聴いたりするが、音楽として純粋に見るとたいしたことないと思う。
優れた音楽家の公演がガラガラなのに、こうした音楽家の公演がプレミアムチケットになる日本の今のいびつな音楽界を憂う。
なお、かかる音楽家にはいずれも商売じょうずなプロモーターが付いている。なんらかの“刺激”があったうえでNHKが動いてなければいいが…。
楽譜も読めない音楽評論家ではなく、楽譜を研究し読み説く音楽学者であり、NHKのクラシックを一手に引き受け、NHKから絶大な信頼をおかれる野本由紀夫教授が「1000年のクラシック音楽を知り尽くしていないとこの曲は書けない!」と言い切った野本由紀夫の言葉を信じています。
私は、佐村河内守に傷害やバックボーンを無視しても、交響曲第1番HIROSHIMAはとてつもなく優れた作品だと思います。
野本教授もいっていました「この曲は一音符たりとも無駄がない、カットすることができない凄い作品です!」と。
佐村河内守の才能を、フジコや辻井さんと同等に考える、否、売れたもの全てへの嫉妬は憐れでなりません。
私など、重い重い佐村河内守の交響曲第1番HIROSHIMAを肌で感じる時、複雑なだけのマーラーが小者に感じてしまうほどです。
佐村河内守はとんでもない才能だよ。辻井やフジコといっしょにすること事態あり得ない。そういう方は耳鼻科へどうぞ(笑)
まあ、よいけど、ベートーベンを安易に引っ張り出さない方が良い。
幾つかのコメントを見て、何だか聴いてみたい気もする。クラシック音楽の1000年の音とは何か、それも興味深い。
「…売れたもの全てへの嫉妬は憐れでなりません」
これは自分にも当てられた言葉であろう。かれらに否定的な人に対して投ぜられる常とう句である。たしかにそれに当たる人もいるが、自分はけっしてしっとはない。むしろ、理解したくて、ドキュメンタリーはできるだけ見て、公演にも足を運び、録音物にも耳を傾けている。
感性や“感動の沸点”は人それぞれであり、肯定的な人に対して攻撃するものではない。ただ感ずるのは、そういう人たちはその外の音楽(作曲家・演奏家)を聴いているのかということである。
ベートーベンは人類がいる限り聴かれるし、マーラーは今後50年は余裕で聴かれるだろう。佐村河内氏はそんなことは絶対にない。…当該曲の外に佐村河内作品は聴かれただろうか。
それこそ、学者がなんと言おうと、自分の耳・感性を信じ従うべきである。
あたかも裸の王様のような空気が流れているように見えて仕方ない。
可も不可もなしって感じだったかな、あくまで個人的な感想でしかないけどね。
>006
典型的な権威主義なのですが、もしかして釣り?
音楽なんて人がどう言っているじゃなくて、自分がどう感じるかではないでしょうか?
感性がないやつが多すぎることがわかった。
おいらも学者の言うことは確かだとは思うけど、自分の耳を信じます。
佐村河内守の交響曲第1番ヒロシマは未来永劫続く名曲であり大傑作ですね。
否定的な人に投ぜられる言葉は「しっとしている」「感性がない」「耳鼻科に行け」というのが三大パタンだ。
どれも正面から批判できていない。そこで本意ではないが斜方面から対したい。
「一音符たりとも無駄な音はない」。通常、大バッハやモーツァルトの作品、あるいは超傑作にのみ使われる言葉だ。N教授は発言ではしばしば“盛る”傾向があるが、番組編集はそこを切取ったものだろう。また「音楽史上の様々な作品を知り尽くしてい」るとはうまく逃げたと笑った人もいるはず。
優劣を言うのはほんとはまったくナンセンスだが、N教授にマーラー・交響曲第3番との優劣を尋ねてみたらいい。濁した言葉しか出ないはず。
狭い音楽業界、“大人の事情の力学”は働いている。
自分が言いたいのは、メディアの取り上げ方やそれに扇動されて妄信的に飛付く客に疑問を持つということだ。佐村河内氏の苦心惨たんには敬意を持つが、それはそれである。
佐村さんの耳が聞こえない原因は 佐村さんのお婆さんの御霊さんが 耳鼻や脳に憑いてました 浄霊させてもらったので 少し聞こえるようになってるはずです
陰ながら 応援します
耳の状態を誰かに確認してもらえば
有難いです
私の遠隔のエネルギーで
多くの方の耳が聞こえるようになっつてるので 聞こえるようになっつてる可能性が高いです
変なコメントですみません
この音楽家がどんな音を出してみせたかにせよ、マーラーを小者にする必然は無い。
楽曲を聴かずしてコメントするのもどうかと思うが、そのような方面からの疑問ゆえ許されたし。
先ずは、四六時中轟音を耳にする状態とまるで音が聞こえない状態とは共存可能なのか。或いは、記事に依れば30代半ばで突然難聴が訪れたとあるが、それ以前にはどのような音楽作品が存在するのか。ゲームの作品などは有るようですが、大抵の優れた音楽家なら30代では既に成熟した独自の音楽を物にしている、ゲーム音楽を軽視する訳ではないが、そんな環境音楽に敢えて踏みとどまっていた理由は何か。更には作曲作業中の奇っ怪な有り様や薬などの常用、何か得体知れない人物のようでもある。
まあ、音楽家はその作品が全てを語ってゆくもの、ベートーベンやマーラーが偉大なのはその作品故であり、彼らの癇癪玉の所為ではない(笑)、この作曲家に対する勝手な憶測も大概にせねばならないだろう、これで終わりにします。
佐村河内さんは、間違いなく天才です。-交響曲第一番-を読まずにいろいろ思われる人、是非読んでください。こんなに痛みに耐え続ける人生があるのかと、涙が溢れてきます。
佐村河内守の音楽を否定するスレは、有吉佐和子曰くの妬みやっかみですので良識のある方々は無視して構いませんよ。
三枝成彰、吉松隆が擁護するのは解るが、現代音楽評論家の第一人者の佐野光司も長木すら佐村河内守にひれ伏してるというのに、おまいらときたら(藁)
否定・肯定のコメント、説得力あるのは否定の方ですね。それにしても日本人は優しいなと思います。外国じゃこんな事ありえない現象です。おめでたい。でも情けない。
アンチ某が必死なことはわかった(笑)
佐村河とフジッ子ヘミングは同じ事務所のようですね
アンチの人は売れない現代音楽の人たちの妬みと知りました(^∇^)
私みたいに素直な自分の感性で佐村河内守音楽に感動してはいけないの?
クラシックをよく聴く人にとっては一人の音楽家として認知、評価、そうでない人はこれをきっかけにベートーベンとかマーラーとか聴いて見たらいいんじゃない。
Nスペ見て、金スマ見て、昼の演奏したテレビ見た。その感想は胡散臭いの一言。いいと言ってる人ってほんとマジなの?(宣伝の人?)昼のは音大出の姉(音楽業界勤務)と聴いたけど、苦笑して途中で席立ったよ。マーラーとかいろんな作家の空気を使ってるだけじゃん。まあ初期の交響曲は一般にそういう傾向あるから、いいとこ「習作」ってところでしょう。
この方の音楽聴いて思いました。ベートーヴェンは真に物凄い天才だったんだなあと。とにかくベートーヴェンの偉大さを再確認させてくれた点に感謝感謝です。一般の人で耳が聞こえないと、ああなっちゃうんですね。本当に悲惨で残酷だと思いました。
p(^-^)qがんばれ、ゲンダイオンガクの人たち!
佐村河内守さんはオリコン総合で2位の快挙をされ、クラシック=ゲンダイオンガク?なども飛び越えて、完全な市民権を得た国民的作曲家となられました。
もうキミたちが抗っても届かない世界の人なんだよ(о^∇^о)
いい加減気付こうよ。
佐村河内の音楽ってクラシックのカテじゃないよ。それにオリコン2位だから…って幼稚な論法。英字誌の例えがあるけど、前後の文脈知ってるの?レコ芸を今も購読する層ってはっきり言ってちょっとずれてる(今じゃ普通は立ち読みで済む程度の内容)。読者投票なんて、そんな人がやってるもんだし、プロモーションの組織票だって安上がりでできるもの。五年後、いや一二年後には絶対消えてる。かなり鉄板で賭けられるような話。とにかくあれが音楽史に刻まれるか否かは、主観の話にまで至らず、客観レベルで判断できる。それができないようでは話にならない。だいたい「妬み」という発想が出てくること自体さもしい。そんな捻れたのなんか音楽を日常的に楽しむ人には浮かんでこないよ。そのようないやしい発想が出てくる人がこのなんちゃって音楽が分かるのでしょうか?
テレビで客席の光景が映りましたが、通常のクラシックコンサートの客層とは明らかに違ってた。なんだかマルチ商法にかかるようなつぶらな目の人たちばかり。ああいう人たちにだけこの作曲家の「魂の交響曲」なる意図が伝わるのだろうな。全きシアワセな人たちです。
皆さま現代音楽の作曲家として認められなかった方ばっかにみえますが・・。機能調性であれほどの大作を書くことがどれほど至難か自分たちが一番分かってるんですよね。まぁ皆さまも死ぬまぎわまで調性の大作が書けるように必死にがんばってみてはいかがでしょうか?そうしたら天下のNHK様も取り上げてくれるやもしれませんよ。まあ、NHKスペシャルは不可能でしょうが。がんばって下さい。
あさイチ見たけど、あのNHKの扱いはあくまで「がんばる障害者、元気をくれる」です。必死にセールスしてる人には残念だけど、あれは狭義の芸術じゃない。広義では当てはまるかもしれないけど、せいぜい商業音楽。それはちょっと聞けば解るでしょう。知人の関西のオケ(この曲演奏した)の人が言ってたけど、共感なんて全然ないし、弾きたくないけど仕事だから仕方ないんだって。みんな本音はそうなんです。
「まぁ皆さまも死ぬまぎわまで調性の大作が書けるように必死にがんばってみてはいかがでしょうか?」。こういう主旨のフレーズを佐村河内オシは方々でよく使ってる。同一人物かそれとも佐村河内オシの傾向なのかは判らないが、これはクラシック音楽の門外者であることがはっきり判る。一体作曲家が何人いると思ってるのか。作曲家なんてごくごくごく僅か。それに第一佐村河内は完全に無視されてる存在。本当に心から下に見てる。羨ましがる可能性はゼロ。こんなこと言いたくないが、クラシック音楽を聴いてる者は佐村河内作品をバカにしてるし(バカにされてもしかたない曲)、そんであの三文劇風のテレビドキュメントをやってしまったからもう色物として見られるだろう。>>>あの事務所も最後までサポートする気なのだろうか。それが逆に心配になってくる
震災までも【宣伝】に利用してて悪質だ
※ハンドルネームは12字以内、入力必須。ハンドルネームが未入力の場合は掲載されません。
※文字数は400字以内。それ以上のコメントは原則として非掲載とします。
※誹謗中傷や差別的発言、不愉快にさせるようなコメントは掲載しない場合があります。
コメントの掲載基準については、コメントに関する諸注意をご一読ください。
関連記事
新着ツイート記事
おすすめワード
今旬ワード
スポンサードリンク
お知らせ
アクセスランキング
【スポンサードリンク】
|
聴衆に相手にされない出鱈目でしょーもない音楽しか書けない現代音楽界=楽壇はいっちょまえに権威主義の塊で、天才佐村河内守を過去から現在に掛けて辛酸を舐めさせ続けているようだ。
とんでもない話である。
便所の落書き2chの讒言を含め、もはや楽壇あるいは楽壇崩れの妬みやっかみ満載には吐き気をもよおす。
佐村河内守は、腐りきった世界のクラシック音楽の歴史を塗り替える救世主であることが真実である。