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■3月11日 14時46分 | |||||
二日目の晩までは余震がひどかったうえ、門脇町方面に見える赤黒い空とヘリコプターの爆音に不安を掻き立てられながら過ごした。三日目の朝が来て、泥にまみれ、なすすべもなく人々が続々と大通りを歩いているのを見て、大変なことが起きているのだと実感した。 蛇田は無事だという情報があったのか、4日目からたくさんの人が訪れてくれた。安否確認所のような機能を果たせるのではないかと考え活動を始めた。これが復興支援のスタートとなった。仲間や友人の生存を確認するという不安と焦燥の入り混じる活動だったが、生きている姿を見た瞬間は、この先ずっと忘れ得ない喜びになっている。 いしのまき環境ネットとしての組織力を起動出来る状態でない、深刻な被災状況だったため、個人として活動している。けれども震災後の支援活動は、いしのまき環境ネットがあったからこそのつながりで展開している。 |
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■地域で炊き出し | |||||
■ボランティアの姿 | |||||
ピーク時はものすごい数のボランティアが入ってきた。自分がどこのチームに所属する者なのかわかるようゼッケンを装着していて、とても目立っていた。目立つことが、「ボランティアさんが来てくれている」「応援されている、頑張らなくちゃ」という活力を住民に与えていた。 交流のある他県の団体から依頼があり、「東北広域震災NGOセンター」の活動拠点として自宅を提供している。ここには4月9日からスタッフ数名とボランティアさんが来てくれていて、支援が手薄な遠隔地へと赴き、必要なものを伺い、購入して渡すという支援を行っていた。「必要な物を必要な分だけ必要な場所に届ける」という、一方通行ではなく会話を持ち信頼を培っていく形の支援を知って刺激になった。 |
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■これから | |||||
石巻は広いので、災害の度合いが本当に色々なレベルである。町内会ごとに色々な大変なこと、不満、不都合を抱えているがそれを吐き出すところがない。役所に行ってもすぐには対応してくれないという思いを抱いていて、仕方ないと諦めそうな雰囲気もある。けれども、諦めても仕方がなくて何とかするしかない。私たちのような第3者が入って整理することによって、市民の声を行政に届けて行く橋渡しをしていけたらなと思っている。 |
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(取材日 2011.5.29 鈴木) |
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