「ヤンキー文化」ってすごい興味があります。良い意味で、まったく理解できません。
ネオヒルズ族=ヤンキーっぽい
今話題の?「ネオヒルズ族」って、すごいヤンキーっぽいですよね。あれ、何なんでしょう。
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サンプルの提示に暇はないのですが、たとえばこの人とか…。
ヤンキーの定義をWikipediaより。
ヤンキーとは、本来はアメリカ人を指すYankeeが語源。日本では、「周囲を威嚇するような強そうな格好をして、仲間から一目おかれたい」という少年少女。また、それら少年少女のファッション傾向や消費傾向、ライフスタイルを指す場合もある。口伝えで広まった言葉のため、本来の意味を知らない多くの人々によってあいまいな定義のまま使用されることが多く、「非行少年(不良)」「チンピラ」「不良軍団」など多くの意味で使用される
まさに、彼らの華美な服装、独特の語調などからは、「一目置かれたい」という欲求が透けて見えます。うーん、理解できない…。彼らの醸し出すヤンキーっぽさについては、別途論考を深めたいところ。
価値観の異なるクラスタが目に入る時代
暫定的に結論めいたものを書きますと、ネオヒルズ族の台頭=可視化という現象からは、「ソーシャルウェブによって異なるクラスタの存在が目に入りやすくなった」という現状が指摘できそうです。
実はネオヒルズ族的な人たちはそんなに新しくなく、情報商材系のクラスタではそれなりにこの手の文化は存在していたことを認識しています(地味に情報商材系はウォッチしています。我ながら趣味悪いですね)。
ひと昔前までは、彼らはそこまで強いつながり・注目を得ることはできなかったと思われ、普通に生きていれば目に入ることもありませんでした。
しかし、ソーシャルメディアの浸透によって、彼らのクラスタはぼくらの目に触れるほどまでに大きくなりました。ぼくらがソーシャルメディアでつながったように、彼らもまた、ソーシャルメディアでつながったのです。
「ネオヒルズ族」クラスタに限らず、ソーシャルメディアは異色のクラスタを多数生み出しています。
最近の例だと、「人肉食イベント」クラスタの例が思い浮かびます。あれはまさに、Twitterが生み出したクラスタです。Twitterなくしては、彼らは集うことはできず、ぼくらの目に触れることもなかったでしょう。
ウェブが生み出す新しいクラスタの中には、ネオヒルズ族や人肉食のように、一般的な価値観からはなかなか受け入れられないものも存在します。
ぼくらは、彼らのような「理解できない存在」に対して、いったいどう振る舞えばいいのでしょうか?
法の正義を持って断罪すべきか?嘲笑するべきか?本格的に対立、対話するのか?お互いの存在をやんわり認め、基本的にスルーしあうのか?
ぼくらの目の前に立ちあらわれた「ネオヒルズ族」は、そんな問いを投げかけているとぼくは感じます。さらに、この問いに対する答えは、まだ社会的に醸成されていないとも感じます。
ネット文脈的には、「嘲笑」が空気になっていますが、個人的にはそこにも気持ちわるさを覚えます(個人的には、彼らのクラスタのことをもっと知りたい、という興味深さを今は持っています)。
理解できないクラスタはまだまだ増える
重要なことは、まだまだこのような「理解できないクラスタ」が登場する可能性があることです。マジョリティであるぼくらはそのたびに、断罪し、嘲笑するのでしょうか?それは、魔女狩りへの回帰ではないでしょうか?
ぼくはネオヒルズ族云々を嘲笑するつもりはありませんし、それは不道徳だとすら思います。とはいえ正直、ところどころこっそり失笑してしまってますが、それはあくまで個人的な嗜好の話で、彼らが「間違っている」とまでは断罪できません。
みなさんはネオヒルズ族を、理解できますか?その上で、彼らを嘲笑しますか?断罪しますか?対話しますか?「そういう人たちもいる」と認めますか?
安易にケラケラと面白がるのではなく、ぜひ一歩深めて、当事者としてこれらの問いに向き合ってみると、これからの世界は少し明るくなると思います。