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できごと
【関西の議論】古地図が語る「竹島は日本のもの」…貴重な〝物証〟、「隠岐」との関わり明確に
観光パンフにも記載
竹島は江戸時代以降、近くにある鬱陵島(韓国)への寄港地としても利用されてきた。島根県は、今年に入って竹島と隠岐の人々とのつながりを知る資料を相次いで確認した。
隠岐汽船(隠岐の島町)が昭和15年に発行した隠岐諸島の観光パンフレット(縦38センチ、横53センチ)もその一つ。カラー刷りで折りたため、竹島を名所として取り上げており、隠岐汽船の寄港地や後鳥羽上皇行在所跡など隠岐の名所、牛突きなどの名物を写真とともに紹介している。
竹島については「西郷港より百浬(かいり)、島後の西北海中に吃立する2個の大岩嶼(しょ)と多数の小岩とより成る無人の島嶼であり、海(あし)驢(か)の生息地である」と解説。
裏表紙の隠岐諸島の地図「隠岐國略図」は、左上に竹島が記され、そばにアシカとクジラのイラストが描かれている。
竹島関係の公文書や資料などを公開している竹島資料室は「隠岐の名所とともに竹島も紹介されている。竹島が隠岐の住民によく知られていたことの証明」としている。
船舶の航路にも
さらに、竹島付近を通る船舶の航路が書かれた戦時中の地図2点も見つかった。島根県は「竹島が近代以降も日本の船舶の目印になっていたことが分かる」と強調する。
地図は、昭和17年発行の「太平洋素図」と18年の「太平洋全図」。国土地理院の前身にあたる大日本帝国陸地測量部が発行した。
地図には、2点とも左上に「竹島」とあり、鬱陵島は「欝陵島(松島)」と書かれていた。
太平洋素図には航路上に「小樽-大連」の表記があり、昭和元年に開設された航路「大連・朝鮮・北海道線」とみられる。
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