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できごと
【関西の議論】古地図が語る「竹島は日本のもの」…貴重な〝物証〟、「隠岐」との関わり明確に
漁業権は漁協などの漁を認める権利。現行の漁業権の期限は平成25年8月31日までで、地元漁協による隠岐島漁業協同組合連合会が取得している。
県は4月23日、今年9月以降の10年も現行の内容で切り替える方針を決めた。漁場は竹島の岸から500メートルの範囲で、対象はアワビ、サザエ、ワカメ、イワノリ、テングサ。同漁連が継続して交付を受ける見通しだ。
男島と女島の表記
新たに見つかったのは、昭和初期に漁師らが竹島に滞在した際の状況を示したとみられる地図「竹島略図」。手書きのもので、西島を「男(お)島(しま)」、東島を「女(め)島(しま)」と記載。当時の島の様子を知る手掛かりになると注目されている。
地図は、県文書「渉外関係綴」に収録されているのを県が見つけた。昭和3年9月27日から10月20日まで漁師らが竹島に滞在した際の状況を記したものとみられている。「男島」と「女島」の呼称は隠岐の島の住民への聞き取り調査とも一致する。
洞窟で水が湧いた場所をさすとみられる「水」や火山の噴火口とみられる「穴」のほか、「トド狩場」の表記もあった。西島の北側付近でアシカを頻繁に目撃したという話があり、「トド狩場」はそれと符合する。
ダイコン栽培
竹島略図の東島には耕地の跡を示す「畑跡」と記された場所もあった。昭和初期に竹島での漁に関わった隠岐の島町の男性は生前、「竹島渡航の際には植え付けのよい葉ネギを1束持っていき、東島の畑に植えた。ダイコン、ハクサイの種も畑に植えた」と語っている。
「20~30日もするとダイコンやハクサイも葉っぱが出始めるので食べることができた。竹島の畑で育った青物はみそ汁の具として食べた」と証言している。
県は「昭和初期に隠岐の漁民に竹島が経済的に利用されていた。わが国が実効支配していた具体的な実態を改めて確認できる」としている。
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