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今日はまずはアダムスキーの素晴らしい講釈から
引用して紹介します。
アダムスキー全集を記してくれた久保田さんにも
その素晴らしい解釈に感謝したいと思います。
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創造の神秘を考えよ
生きた人体を人工的に作り上げて
生きさせる方法を知っている人間は現代に存在しません。
科学者も知っていません。
しかしそれは行なわれていて、ここに私たちは存在しますし、
私たちが死んだ後も別な人々が出現するでしょう。
自然の働きの真のプロセスを思い浮かべてごらんなさい。
それはトウモロコシを取って地面に落とすのと似ています。
ほうっておけば数日してから母なる大地より小さな縁の芽が出てきます。
芽は茎になり、茎は成長して穂軸を出します。
そうするとまた穂軸を引き抜いて食ベます。
どのようにして成長したかがわかりますか?
あなたがたが知っているのは種子を地面に置いて水をやり、
成長してから食べたという、それだけのことです。
それがどのようにして成長するかを誰も知りませんし、
孔子、モハメッド、イエスその他の偉人にもわかりません。
この人々が偉大であったにしても完全な法則までは理解できなかったのです。
彼らが確実に知らなかったということになれば、現代の指導者も知らないはずです。
彼らほどの理解力を持たないのですから──。
種子がまかれて一フォームとなり、その後子供になる場合、
何が起こるかを知っている人はいません。
母親でさえも知りません。数カ月後に体内で小さな胎児が動くと母親は驚きます。
胎児の創造に関して秘密を熟知しているならば驚かないでしょう。
したがって、生命が創造される秘密について人間は何一つ
知っていないという事実を正直に認めようではありませんか。
ところが、生命の創造に際して「どうしたらよいか」を知っている
”何者か”が存在するのです。
できれば顕微鏡なしには見られないような微小な種子を想像して、
次に網状組織が作られて非常に微妙な模様になってゆく光景を描いてごらんなさい。
これはしだいにクモの巣のような一定の模様になってゆきます。
小さな線はやがて形成されるフォームの骨になる部分です。
もっと細かい組織の線は各部ヘエネルギーを供給する神経になります。
この模様は青写真みたいに描かれるのですが、
あらゆる線は互いに分離しています。
それからついに、いわゆるエクトプラズム形成の過程が始まります。
構造が明確になり始めて統一化が起こります。
神経間の絶縁物であるエクトプラズムが入ってきます。
神経組織はすさまじい力を持ちますので、それが互いに交叉しますと
ひどい痛みが起こります。
肉体内の痛みは二本の熱いワイヤーが互いに交叉するのと同じで、
接触点でエネルギーを燃焼させるのです。
これらすべての事が起こっているのですが、母親はこれについて何一つ知りません。
胎児を作り上げている”人”は、死というプロセスによってそこを離れるまで、
その中に住んでいる”人”です。
なぜ人間は自分が生まれた後に、
自分が自分の肉体を作ったということを知らないのでしょう?
これは前にも話しましたように、四つの感覚器官のためです。
目はその肉体と共に生まれますが、それ以前に出生した経験はありません。
今回が初めてで、他の口、鼻、耳も同様です。
肉体の心も初めて出生したのです。
肉体を建設した”人”はただちに結果(現象)の世界に従うか、
または無理やりに結果(現象)を認めさせられますが、
これはその両親が結果(現象)に従って生きているからです。
両親はその子にたいして結果(現象)だけを見よ、
数百年続いてきた伝統と因襲という毛布で自身を包め、と主張します。
この哀れな”人”は一八歳、二〇歳、または三〇歳頃になったとき、
やっと目覚めて、すべてが間違っていたことを悟ります。
すべてはその”人”が自身の内部で感じている原型に適合していないのです。
しかしまだ克服しようとする”何か”があります。
その人が作った家(肉体)は、その家の中で本人自身を表現させようとはせず、
家はあくまでも自分自身を(家自体を)表現しています。
ついに本人は家(肉体)と一体化し始めます。
そして伝統、因襲、習慣等の重荷を負い始めます。
これは大きなあがきです。
本人が生命の真の意義などをごくわずかに悟り出すまでには、
今生の生活を終えようとしており、肉体を放棄せざるを得ない時に達しています。
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アダムスキーが創造、そして生命について
取り上げている内容です。
生命の科学で学んだ事との重複になりますが
私達は生命の設計図を持ってはいません。
しかし母親は妊娠してそれを胎児へと形作り
最後には出産と言う体験をすることになります。
これは本人に知識があろうがなかろうが
本人の意志とは無関係に引き起こる反応でした。
その間母親が意図的に反応する事があるとすれば、
食べ物の嗜好が変わり、そのことによって
子供を形作るために必要な栄養分を無意識のうちに摂取することでした。
しかしそれも母親が、子供の成育ために必要と意識して食べるのではなくて
気がつくとそうなるように誘導されていると言う実態があります。
つまりは母親を導く意志が母親の心へと働きかけて
いることになります。
私達は自分の意志とは無関係に
何かに導かれてその協力をする事があるのです。
肉体の怪我の修復に関しても同様の事が言えます。
その設計図は私達の心という意識から導かれるものでは
ありませんでした。
私達はその事を延々と繰り返しているうちに
それを当たり前の事であると認識するようになっています。
それに対して深い疑問を持つことなく
「そういうものだ」と思い込むことで
そこに疑問を持つこともなくなるのです。
何故にそんな事になるのかを説明する時であっても、
その生命の創造や見えない意志の導きと言う現象を
さらに別の現象を用いて説明するに過ぎず、
その現象を説明するために、さらに別の現象を落ちいて説明し
行き着く果てに、現象として認識できないものを
認識することなくその説明は終わります。
これが地球社会の科学と言われる物の実態です。
しかし現実には現象は目に見えないものから生じている、
もしくは現象が起きた時にはすでにその原因は見えない状態になっているわけで
それを因として追求するのが生命の科学の課題でもありました。
私達は例え肉体内部の全ての現象が
もしもDNAのような情報に基づいて引き起こされていると
説明することができたとしても、
今度はそのDNAを作り上げている背景や
そのDNAが出来上がった過程などはもちろん説明ができません。
そのDNAを作り上げた意志が存在することになりますが
それを説明できる人はいません。。
私達が現象と呼んでいるもの一番最初には
目に見えない法則が存在しているのです。
その法則、もしくはその法則を作り上げた意志を
賢明な人間は感じ取ることになります。
そしてそれを私達は至上の英知、創造主などと呼んでいるわけです。
アダムスキーがここでも触れているように
私達は例え肉体を再現できたとしても
そこに生命と言われるものを吹き込むことはできません。
(入れ替わりの法則はおいておきます)
創造から崩壊に至る生命のローテーションの過程で
その万物に生命を与えることのできるのは
私達には認識することのできない法則もしくは見えない力です。
それを無視して科学を万能であると認識するのはおろかですし
創造の主体となった存在の意志を否定するのも愚かなのです。
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アダムスキーは私達が生まれた後にも
自分達の生のローテーションを理解できない理由として
私達の肉体、そして脳機能としての心をつかさどる
目、耳、鼻、口という
四つの器官の存在を取り上げています。
(触感は魂が受け止める全ての感覚でした)
生命の科学では私達は肉体をとり変えながら
何度も転生を繰り返す存在であることを学びました。
しかし繰り返しの転生の中ではその肉体を司っている器官は
当然崩壊と創造を繰り返していることになります。
生まれ変わった時に自分の機能として存在している
四つの感覚器官は前世に自分が使用していたものとは異なります。
全ては新たに創造されたものであり
前世の肉体はすでに滅んでいるからです。
それは私達が心と呼んでいるもの、
自分の意識だと信じているものに関しても同様です。
いくら心にすばらしい知識を埋め込んで
皺を大量に作るほど学び続けたとしても
私達の生のローテーションは記憶を失っての転生です。
心しか意識の経路として使用できない私達には
いつまでたっても宇宙的記憶を持つ機会はありませんし
(もしくは微々たる物)
自分の前世の記憶は肉体の崩壊と共に脳と一緒に消えてなくなります。
それを司っている四つの器官と同様にです。
私達は前世でいくらためになりそうな事を学んだとしても
生まれた時にはその記憶は全て消えていて
まっさらな状態の脳へと再び記憶を刻み始めることになります。
そしてその時に私達にとって悲劇となっているのは
私達が育つ社会環境なのです。
まっさらな状態で生まれ変わった事で
私達は先入観含めて何も持たない状況からの
人生を再び送り始めることになりますが、
私達は魂と言う意識の経路を理解していなかったゆえに
前世で宇宙的記憶を持つ事も出来なかったわけですし
記憶を持った転生ができなかったわけですから
当然生まれると同時に意識の経路として心を使用し始め
つまりは現象にとらわれた生活を再び始めることになります。
更にこの社会環境の中では魂と言う意識の経路を理解している人間など
殆ど存在していませんし、社会も心の価値観を大前提に作り上げられているのですから
その中で両親から更には環境から、体験から、
私達は心に囚われ、現象に囚われて生きることを
再び学ぶことになるわけです。
その中で慣習や習慣、そして伝統と言う名の正しくはない概念で身を纏い
気がつくと心と言う意識の経路と
現象という目に見えるものに囚われるのが当たり前になっていく。
本来私達の持っている魂=精神という意識の経路に
気がつくことなく
心とそれに従う四つの器官を使用しては
現象を認識しては生き続けるのです。
しかし私達の実態は魂です。
自分達が心と言う脳や感覚器官の作り上げた価値観と
それに対する反応に従っている間にも
その魂は自分の存在を主張し続け
時にはそれに気がつくことにもなる。
ごくわずかな人間がその事に気がついて
自分のことを理解し始めるのでしょうが
その時にはすでに歳を取っていたり
身に染み付いた心への執着が覚醒を妨害することにも繋がります。
アダムスキーがとても巧みな例え話をしています。
【その人が作った家(肉体)は、
その家の中で本人自身を表現させようとはせず、
家はあくまでも自分自身を(家自体を)表現しています。】
私達の肉体は仮の宿であり、
創造主の分身であり私達の実態でもある魂をいれる器でした。
その器は心と自由意志を与えられ、
それによって自分が自分であると言う認識を
持たされる事になりますが
その器が自分の意志だけを持って動き出し
本来の私達である魂を表現することが出来なくなっているのです。
魂の器が魂を表現することなく
その器自体を主体として自己主張を続ける。
そして魂を押しのけた私達の器の意志は
いつしか器の主人となり魂の意志を反映することも出来なくなる。
反映できなくなっているのは
私達が魂で受けとめることになる創造主の意志です。
そしてそれがいつしか当たり前になっているのが
この私達の社会であり
私達が今も肉体と心と現象に囚われることになっている
原因だと言うことです。
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ここではモハメッド、孔子、イエスと言う聖人の名が上げられていて
お釈迦様の名前がありませんので
工作員に突っ込まれることの無いように
そちらもフォローしておきます。
アダムスキーの側近のアリスポマロイが
アダムスキーから学んだことを語っている場面と、
アダムスキーが質問に答えている場面を引用します。
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文明が偉大な教師を必要とするときはいつもその教師が出現します。
ブッダ、モハメッド、イエス、その他の偉大な人が来ていますね。
ジョージ・アダムスキーも全く何の飾りも宗教臭さもなしに
簡単に教えを伝えてくれました。
だから人々にアピールするのです」
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孔子の使命は何だったのですか。
釈迦の使命は何だったのですか。
What was the mission of Confucius ?
What was the mission of Buddha ?
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彼らの使命は人間という形を通じてキリストを現わし,そ
れを宇宙普遍の状態にまで展開させ,こうして父の栄光をた
たえることによって,当時,世の中が受け取ることのできる
可能な限りの光明を世界にもたらすことでした。
Their mission was to manifest the Christ through
a human form. evolving it to the universal state,
and by thus glorifying the Father to bring to the
world the greatest possible amount of light that
it was capable of receiving at that time.
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ブラザーズがわざわざ危険を冒して地球人へと転生し
能力を落とした状態での転生から地球での覚醒を果たし、
その状態で私達に真理を語らねばならなかった理由は
地球人の進化は地球人の手によって果たされなければならないと言う
彼ら太陽系の人間達の決め事のためだったそうです。
彼らが宇宙船に乗ってやってきて
そのまま自分達を神や天使だと語り
そこで宇宙の法則を説明することがあれば
本当は一番容易であろうことも想像がつきます。
しかし彼らはそんな手段を取ることなく
あくまで地球人に対して影響を与えているのが地球人であり、
地球人は自分達の手で進化したのだと言う状況を作り上げたのです。
地球環境での転生は、この地球社会の低い波動の影響で
肉体的にも進化に限界があるでしょうし
彼らも持っている能力を大きく半減することも想像がつきます。
下手な一般のブラザーズではミイラ取りがミイラになると
いう話がありましたが、
そのためにも彼らの中で魂の進化の進んだ人間が
派遣されてきたのだと想像できます。
彼らがこの社会の中で一般市民として生まれ、
暮らしていく中で真理を語ることになれば
それはあくまで地球人の手による福音と言うことになります。
孔子とブッタに関しての役目の質問に対して
アダムスキーは彼らの役割は”キリストを現すこと”だと触れています。
繰り返しになりますがここでの”キリスト”は
私が以前から触れている”真理”もしくは神の意志を示す言葉です。
イエスキリストはイエスという人間を通じて
神の意志、真理を表現した人間だったと言うことで、
ペテロはそれを意味してイエスをキリストと呼んだのです。
キリストというのは本来は特定の人間を指し示す言葉ではなくて
真理や創造主の法を示しているわけです。
それをその時代や、その生まれた場所の環境に応じて
表現して見せたのが聖人達だということになります。
そして真理へと導くための手法は
その環境に応じて異なることになります。
インドのカースト社会に生まれた釈迦と
争いの激しい中東のユダヤ社会に生まれたイエスと
春秋時代の中国に生まれた孔子とでは
その時代や環境にも差がありますし
周囲の民族の意識にも慣習にも差があるのですから
それに適した教えも異なることになりますし
いきなり創造主の法・宇宙の法則を述べ伝えて
理解を受けるわけもありません。
精神の進化には段階が必要だったのだと想像できます。
現代社会でも説明をして理解してくれる人間もいれば、
身をもって痛い目にあわないと道徳さえ実践できない人間もいます。
そして昔の人間ほど粗暴で野蛮な傾向もあり、
無法状態で生きていた人間を真理へと導くための教えと
現代社会の人間を真理へと導く方法とでは
当然差も出てくることになります。
私達は聖人が語ったからと言って
その全てを時代背景も考慮せず受け入れることは
間違いに繋がるという事でもあります。
その教えは当時の時代に即して
精神の進化のためになると用いられたものであり
無法時代の決め事を現在の社会で正しいとすれば
そこにひずみが生じるのはあたり前の事だと思います。
アダムスキーがそんな内容を引用していたので紹介します。
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金星は愛の惑星で、万物を等しく尊敬する意味での愛です。
だからイエスが金星から地球ヘ来て愛の法則を説いたのです。
愛(慈悲)はあらゆる法則を完成させるのです。
モーゼは報復の法則を教えましたが、
これは民衆がそれ以上の高度な法則を受け入れる状態になかったからです。
実際彼は次のように言っています。
「行って、互いの喉を切り裂け」
私たちは理解力が欠乏しています。
ひとたび他人を理解するならば自分をも理解することになります。
また、自分を理解するならば、他人をも理解するので、
もはや他人を傷つけたくなくなるでしょう。
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平気で殺し合いをしているような人間に対して
「皆仲良くしてください」
という教えが理解されるわけがありません。
そんな不法行為をすると痛い目に遭うという事を
身をもって体験させることで
そしてそんな目に遭っている人間を目撃することで
改善される意識もあるのです。
同じような指導者であっても
時代やその習慣や生活環境が異なれば
教えも異なったものであることが必要となるわけです。
ところでここでアダムスキーがイエスキリストとモーセを
並べて取り上げているのには理由があると思います。
聖書ではイエスの前にモーセとエリアが現れ
三人で語っていたと言う話がありましたが、
アダムスキーの知るところでは、
イエスであった魂はモーセであった魂であり、
そしてそれはエリアでもあったそうです。
つまりアダムスキーが始めてコンタクトすることになった
オーソンという名の金星人は
イエスの生まれ変わりであるだけでなくて
過去にはモーセとして更にはエリアとして
存在していた人間であると言うこと。
聖書の中の歴史を作り上げてきた人間として
その責任を果たすことを意図していたのか
転生してはユダヤ民族中心に人々を導きつづけてきたのです。
モーセ時代と比較しても人々が進化したことで、
過去の戒律を放棄し刷新するために
イエスがユダヤ社会に与えたのがキリスト教であると
理解すればわかりやすいと思います。
その頃にはその戒律は時代にそぐわない物となっていた事と、
その一部が形骸化していた事や
律法学者などにより新たな人為的戒律や解釈が
特定の人間の利益誘導にも利用されるに至り
人々の意識も危険な方向へとむき出していたという実態もあります。
財産の所有や物欲主義、お金崇拝
借財による労働強制や人間への服従。
そんな時代に危険性を感じたことが
神との契約の刷新にもつながったと解釈することも出来ると思います。
ユダヤ教として発達した創造主の法を、
正しいものに置き換える意志を持って
イエスは2000年前に転生してきたのではないでしょうか。
モーセ時代の神は人格神です。
その人格神の時代には、時には横暴な神の振る舞いを宥めては
民族に取り次いでいたのがモーセと言う指導者だったはずです。
その下には長老会が存在していました。
これが後のサンヘドリンの原型となる人間達です。
モーセと言う指導者がいたことで
サンヘドリンも絶対的な権限を持つことも出来ませんでした。
その後の流れを見れば
モーセの存在が歯止めになっていたであろう事も
想像がつくのです。
そして彼らは当時の人格神の意志をそのまま受け継いだような
人間達なのかもしれません。
今の時代の常識で認識すれば、過激に感じる教えや律法でも
その時代の人間を管理するには最善の策だった。。。
そして厳格で過激な人格神の存在を牽制するためにも
モーセは苦しむ事になったのだと想像しています。
旧約聖書の時代は神も民も野蛮で粗暴だったからです。
モーセがイエス同様、創造主を演出していた天使達(ブラザーズ)に
守られていたらしいことは偶然ではなく、
彼がブラザーズの一員であったからですし、
時には創造主を演じる天使と会話したり
時にはそれに向かって怒りを表したりしていますが
イエスにもモーセにも共通している人格を
感じることができないでしょうか。
(40日間荒野をさまよったり)
少なくとも奇跡の演出に関しては
誰もが共通意識を感じる事になるはずです。
そして救世主も時代と共に必要とされる意識が
異なることになるのだと思います。
イエスキリストが次に地球にやってくる時は
もちろんイエスキリストではありませんし、
60年前にはアダムスキーがオーソンと名づけた
人格と肉体を持った存在として
イエスだった魂はこの地球社会に再臨しました。
今度の地球社会は2000年前と異なり、
世界が情報や経済でネットワークもつながっていましたし
王の代わりに国家と言う機能が人々を管理してもいました。
そこにイエスは予言どおり再臨を果たしたことになりますが
その時代に即した教えや戒律を与えようとすれば
それは時代に即した手法をとらねばなりません。
既存の国家や経済や思想を尊重して見せることでです。
現に彼らはアダムスキーを広報担当して
一般市民への広報を働きかけると共に
宗教の最高権威に働きかけ政治に働きかけ理解を求めようとしました。
天使達の50年~60年前の行動を
私達はそのように認識することも出来るわけです。
その下準備はバチカンのヨハネス23世の手によって
キリスト教ユダヤ教イスラム教の神が同じ神と宣言されたこと
そしてヒンズー教や仏教も神の教えと認めたことで
出来上がったはずでした。
彼らの新たなる教えは公には公開される事もありませんでしたが
しかし地球の危機だけは救ってくれました。
核に拠る自滅への道を進むことだけはです。
ヨハネス23世とケネディーの死後
天使達の地球への働きかけは断念されたようですが
アダムスキーはその後も細々と身近な人間と理解者にだけは
生命の科学を述べ伝えるに至りました。
アダムスキーの側近の言葉からも、
アダムスキーが実は天使達の広報を地球社会が拒絶したことで
大いなる失望を感じていたのではないかとも
受け止めることも出来ます。
最盛期には80カ国で存在していたアダムスキーの支援組織も、
今ではホンの数える程度の組織しか
残されてはいないようです。
しかし私達は辛うじて、
その今回のイエスキリストの転生の手による
今の新しい時代に即した創造主の法への誘導である教えを
目の当たりにする事が出来たわけです。
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聖人達の多くは今頃頭を抱えているかと思います。
自分達の教えが新たな地球の争いの原因となっているからです。
それを刷新するためにも、バチカンを通じてアメリカ政府を通じて
世界に発する予定だった新時代の到来と
私達に与えられた新たな天使達からの指針は
残念ながらその目的を達成することは出来ませんでした。
この社会の中では相変わらず聖人の教えが争いの種になっていますし
更なる分裂も続いているのです。
しかし真理なるものを探求している人間は
いつしか全ての聖人の教えが共通のものであると言う事と、
それが創造主の法を語っていると言うことを
魂で認識するのだと信じています。
【貴方に無限の力の祝福がありますように】
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P.S.
地球社会全体を改善することは不可能です。
私達は心に囚われ誤った価値観の渦巻く社会の中に
長いこと漬かり過ぎて来たからです。
全身に、そして脳の皺にまで深く刻み込まれた誤った思想は
容易には消すことは出来ないと思います。
洗脳された人間含めてです。
しかし私達の社会には常に新たな命が誕生しています。
極端な話をすれば、既存の概念に取り付かれ
頭を硬くした人間の思考を変えることが無理でも、
新たに生まれてきた白紙の状態の人間に
真理を知らしめることは容易だということです。
この社会の中で誤った価値観を持ち
権力で支配している頭の固い中年や年配者にしても、
あと数十年すれば再び生まれ変わる事になるのですし
(今回魂を消していく人間は別として)
その時に理解を求めれば、
地球社会も地道に変わっていくことになるかもしれません。
私達が生命のローテーションを変えるのです。
アダムスキーは天国はここにあるのだと言っていました。
本来は創造主の作り上げた物は全てが
天国の内側に存在しているというのがアダムスキーの主張。
私達は創造主の内にこそ存在していて
その外側に存在することは出来ません。
その創造主が作り上げたものが天国そのものなら、
私達は当然その内にいるのだから
そこは天国で無ければならないと言うことです。
ただ、私達はその事を理解できていませんし、
ここにあるはずの天国を認識できず
それを心の価値観で変貌し続けて来たに過ぎない。。。
私達にとって必要なものを全て用意してくれたからこそ
創造主はそこに生命を作り上げたのだから
私達の社会にはこの社会を天国に作り上げる全ての材料も整っている。
(私達の地球は太陽系でも一番美しかったという話もありました)
後は自分達がその事に気がついて
自らの手でその天国を実現すればよい。。
天国は本来であれば外に求めるのではなくて
この社会の中で実現すべきだと
アダムスキーは言っているのだと思います。
現実問題、今の社会を考えれば、
私が触れていることは理想であり夢かもしれません。
しかし誰かがその意志を持って動かなければ
この社会が自然に改善されることもないと思います。
悪意は蔓延り他人を誘惑する一方で
義の意識はどんどんと淘汰され続けているからです。
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