靖国神社には英霊の遺骨や位牌もありません。
品川寺(東京都品川区)の住職である、醍醐寺第百三世座主 仲田順和師が、いわゆるABC戦犯と言われる方々の名誉回復をバチカン市国に懇願し、快諾され、のちにサン・ピエトロ大聖堂に英霊の位牌が奉納されました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE
<以下、「世界に開かれた昭和の戦争記念館」の第3巻より引用>
ローマ法王庁・ヴァチカンには、昭和の殉難者1068柱の霊が祀られている。
連合国の手で「戦犯」として裁かれたABC級すべての日本人「法務死」者の霊が、世界のキリスト教カトリックの総本山ヴァチカンに、他ならぬローマ法王によって祀られたのである。
順和師は昭和五十(1975)年にヴァチカンを訪れた折に、かねてより心を痛めていた「戦犯とされた人々」の鎮魂と慰霊のために、宗教の違いを超えて願い出たのである。
順和師の父であり先代座主でもあった順海大僧正は、学徒兵や殉難者の法要を欠かさず、「七戦犯の鐘」など慰霊の鐘も護持している。 その多くはキリスト教信者であった連合国側にとって、これほどの皮肉はない。皮肉というよりは、勝者の驕りに対する「神の戒め」であるとも言えよう。
時のローマ法王・パウロ六世に、日本人殉難者のためにミサを、と訴えたのは仏教徒の仲田順和師であった。
先代座主の遺志をついだ真言宗醍醐寺派別格本山品川寺(ほんせんじ)の仲田順和師の願いを、パウロ六世は快く承諾した。しかし、喜んで帰国した順和師にその後届けられたのは、法王の訃報であった。その後を襲ったパウロ一世も急逝し、異教徒の願いは空しく閉ざされたと思われた。
その順和師のもとに、ヨハネ・パウロ二世から親書が届けられたのは五年後の昭和五十五年四月、内容は「五年前の約束を果たしたい」との思いもかけぬものであった。
ローマ法王庁は、異教徒の願いを忘れてはいなかったのである。
パウロ六世の真心に応えようと、帰国直後から作製を依頼していた五重塔に殉難者千六十八柱の位牌を納め、ヴァチカンに奉納されたのは、同年五月のことである。醍醐寺五重塔を精巧に模した塔は、「戦犯」慰霊に共鳴した栃木県大田原市の木工芸家星野皓穂氏が、三年の歳月をかけ無料奉仕で完成させたもの。
五月二十一日には仲田・星野両氏も参列し、法王パウロ二世のもと昭和殉難者のための荘厳なミサがヴァチカンでとり行われた。
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英霊(=国を守るために散華された特別に優れた霊)の位牌は、サン・ピエトロ大聖堂に奉納されています。
反日勢力が猛烈に批判をする靖国神社には英霊の遺骨や位牌もありません。
靖国には、御祭神(英霊)の名前が書かれた霊璽簿(れいじぼ)はありますが、それも御祭神ではありません。御祭神は御剣と御鏡です。
神道には教祖もいないし教義もありません。
こうしなければならないという信者の義務もなければ、タブーもありません。
ちなみに、靖国参拝問題が急浮上したのは1986年。
朝日新聞が「我が国では侵略戦争を美化している、大問題だ」と書き立て、他国に対し日本を非難するように促したのが発端です。