幸運な出会い
大学に入ってしばらくたち、私はクモの研究よりも土壌中の動物の群集について調査しようと考えていました。房総丘陵の清澄山で毎月一度常緑広葉樹林内の土壌に生息する動物たちのサンプル集めに汗を流していました。自動車など利用できず、もっぱら宿舎との間はリアカーをひいてサンプルを運んでいました。そんなある日のことです。とある林道の道端の潅木の葉の下に、卵のうを認めたのです。その形状からトリノフンダマシ類のものと直感したのですが、様子が少し違いました。全体がゴツゴツした感じだったのです。その卵のうに触ると、そこからクモがポロリと落下しました。卵のうに母グモがくっついていたのでゴツゴツしたように見えたようです。落下したクモは糸に吊り下がっていました。
それをそっと手にとってみて仰天してしまいました。マメイタイセキグモだったのです。土壌サンプル用の道具はリアカーに積んでありましたが、管ビンなどの採集道具は何もありませんでした。クモをそっと手の中に包み込んで、宿舎まで掛け戻ったのを、今はただなつかしく思い出します。
実は、日本にはナゲナワグモ属のクモは存在しません。しかし、イセキグモ類はひょっとすると投げ縄習性をもつかもしれないと予想している人がいました。それは私の兄である新海栄一です。けれども、これらは珍品中の珍品、兄の言葉を借りると「人生で一度出会えるかどうか」という代物です。ですから習性を調べたくてもクモそのものを手に入れることができなかったのです。生きたまま採集したこのクモはさっそく兄の手に渡りました。イセキグモ類の謎につつまれた網と餌捕獲法を解明しようと、兄はあれこれと方法をめぐらせて観察したようです。けれども、このクモは一度も網を張ることなくしばらくして死んでしまいました。「人生で一度」のラッキーな出会いをしてしまったので、もはやこれまでと思っていたのですが、それから7年後に同じ清澄山でふたたびマメイタイセキグモを採ってしまいました。それも2匹・・・・。なんと幸運なことでしょうか。
このクモはふたたび兄のもとにもたらされました。兄は今度こそと、容器内で飼育するのでなく庭の欅の木に離して、逃亡を覚悟してのいちかばちかの観察に挑んだのでした。そして、ついに日本で初めてこのクモが投げ縄習性をもつことを明らかにしたのです。この観察結果は「アニマ」という動物雑誌に掲載されました。
再びの出会い
イセキグモ類がナゲナワグモの一種であったことが判ってから、数年ほどの時がたちました。この間に私はジョロウグモの網構造の研究が発端となり、すっかり「網の研究」にのめり込んでいました。さまざまな網を調査するなかで外国の文献にも数多く接するようになりました。
そこには、あこがれのワクドツキジグモの網の調査報告もありました。そして、ナゲナワグモ類との関連性が述べられていました。それらを読むうちに、日本産のイセキグモ類の「投げ縄」は果たして外国のナゲナワグモ類と同じものなのか、あるいはどこか異なるところがあるのかについて是非とも調べてみたくなりました。けれども、なかなか採ることなどできません。まして、私は幸運な出会いをすでに二回ももち、「運」をすっかり使いきってしまっていました。ところが三度目の出会いはまったく別の方からもたらされました。
鳥類の研究で高名な高野伸二先生は、クモの研究家でもありました。採集会でのその「腕」はクモ仲間の語りぐさとなっています。私も何度か採集にご一緒させていただきましたが、温厚で楽しい方でした。そして、珍品探しの名手でした。その先生がご病気となられ、入退院を繰り返していたころのことです。退院の合間に訪れた場所のひとつが、東京のあきる野市五日市にある広徳寺です。ここでムツトゲイセキグモを発見したとの情報が入ったのです。たいていの人は発見した珍品をすぐにアルコール瓶に直行させてしまいますが、先生は違いました。「発見した場所にそのままにしてある」とのことでした。このときには、この後何年間にも渡ってムツトゲイセキグモの調査をここで続けることになるとは思いもしませんでした。このクモが毎年のように同じ場所に出現することなどないと考えていたためです。広徳寺では約10年に渡りムツトゲの調査ができました。むろん、毎年1〜2個体が見られたにすぎませんが、確実に観察できる場所を得たことはとても重要なことです。投げ縄の作成過程が見られましたし、まがりなりにもその生活史も判明しました。 |
「投げ縄」はどのように作られるか
ムツトゲは昼間は葉の裏側にとまってじっとしていて、日が暮れるころになるとその活動を開始します。まず、葉の間に渡された「橋糸」を何度も行ったり来たりします。やがて、ある所にまでくるとここにお尻をつけて、粘性のある糸の引き出しをはじめます。この糸を3〜4cm出したところでとまり、ここで第4脚を交互に素早く動かして粘糸の繰り出しをします。この繰り出しは1分間ほど続きますが、見る間に大きなボールに成長していきました。やがて、糸の繰り出しをとめてその糸を第4脚から離しました。これが「投げ縄」になるのです。つまり、クモが直接足で持っているのではなく、橋糸に接着していたわけです。クモは前方にある糸をすこしたぐり寄せてから、おもむろに第2脚でこの投げ縄をもちます。粘糸を引き出し初めてから約2分間で投げ縄作成は完成しました。
このようにして作られた投げ縄は一晩中ここで吊されているわけではありません。およそ30分くらいの間に獲物がかからない場合には、引き上げて食べてしまいます。そしてもう一度作り直すのです。これはトリノフンダマシ類と同様に粘球の粘性が短時間で低下してしまうことが原因かもしれません。今後の調査課題と言えましょう。
ときどき、2個のボールがついた投げ縄が見られることがありました。これは、1個ずつ別々にボールを作り橋糸上でその2個を寄せ集めて持ったためです。外国には多連球の投げ縄を作るものが知られていますが、いくつものボールを別々に作成して同じように寄せ集めて持っているのでしょう。
ナゲナワグモ類は蛾の雌が発する性フェロモンを出して雄の蛾を誘引して捕獲していることが知られていますが、これは化学的攻撃擬態と呼ばれています。日本のムツトゲなどのイセキグモ類でも同様なことが行なわれているようです。ただ、餌となった蛾はシロモンオビヨウトの雄1個体が確認されているだけですから、さらなる調査が必要でしょう。
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「投げ縄」は「円網」だった
ムツトゲをふくむナゲナワグモ類が作る「投げ縄」の作成行動を見れば見るほど、私はトリノフンダマシ類のそれとそっくりであることに気付きました。粘糸には蛾を捕らえるほどの粘球がたっぷりと取り付けられていること。その糸をお尻から引き出す際には、他のクモでは見られない第4脚による繰り出し行動があること。トリノフンダマシ類では粘糸とタテ糸との接着点には獲物がかかると自動的に切れる構造(ローシァジョイント)が見られましたが、ここが切れて垂れ下った粘糸の状態はナゲナワグモの作る投げ縄とよく似ていることなどです。
実は、外国ではツキジグモ類の網が報告されていました。それはタテ糸が扇形に3本張られ、そこに粘糸が取り付けられたもので、著者は「三角網」と呼んでいました。粘糸の特徴や第4脚による繰り出し、ローシァジョイントの存在などはトリノフンダマシ類のものと同じです。つまり、この三角網はトリノフンダマシ類とナゲナワグモ類を結びつける、まさに「ミッシング・リング」であったわけです。図*を見ていただけばよく判るように、トリノフンダマシ類からツキジグモ類へ、そしてナゲナワグモ類へと網糸の減少(ウェッブ・リダクション)が起こったと考えることができます。
すなわち、ナゲナワグモ類の「投げ縄」は網、それも「円網」に起源が求められたわけです。ナゲナワグモの投げ縄が取り付けられていた橋糸は、トリノフンダマシ類の網の中央のタテ糸と同じものであり、投げ縄はヨコ糸と同じものだったことになります。そして、2連球の投げ縄はタテ糸(橋糸)にヨコ糸(投げ縄)が2本(ボールが2個)取り付けられたものとみなされるわけです。
ここでも、この本の中で繰り返して述べてきた「鉄則」が生きていました。それは網をただ眺めて外見上の「網型」だけに注目するのではなく、その微細な構造や作成の方法にまで気を配って比較したり、餌の捕獲法まで調査することが肝要だというわけです。そうすれば、「網」は私たちに自然界の法則や進化のさまざまな様子を物語ってくれるに違いないのです。
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