打てば響く。魂の鼓動が。
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僕も一度行ってみたいんですよ。ベルリンフィルのサマーコンサート。(葉加瀬) つい先月にも、フランクフルトを経由されてベルリンへ。まさにベルリンフィルとの共演のために、お出かけされた英哲さんなんですけれども、そもそもベルリンフィルとの共演することになったキッカケは、どういうことだったのですか? 7年程前に、ベルリン芸術祭っていうのがありまして、ベルリンフィルのメンバーで、シャロン・アンサンブルっていう八重奏団の室内楽のメンバーがいて、彼らが自分たちのコンサートをするので、依嘱作品を頼みたいっていうことで、松下さんっていう作曲家の方がベルリンで勉強をされてて、僕も長年知ってるんですよ。で、彼がその依嘱を受けて、「じゃあ太鼓の曲を書くからやらない?」って誘われたんです。その八重奏団とやった、「飛天雄」っていう曲が、だいたいの元になっているんです。 僕もビデオで見せてもらったんですが、あれは、元々は八重奏曲のための曲だったんですか? そうなんですよ。その曲が評判良くって、「あれをオケ版(オーケストラ版)にしない?」って話になったんですよ。 でも、僕が想像するに、室内楽と、英哲さんの和太鼓だと音量的なギャップみたいなものを感じざるを得ないんですけれども。 だからね、室内楽の時はもう少し小さな太鼓を使うんです。 なるほど。でもそれにしても、サマーコンサートって、ベルリンフィル自体は毎年やっているんですよね。 テレビのね、中継でよくやってますよね。僕もその画面でしか見たことがなかったんですよ。 僕もね、なんかの機会で目にしていたような気がしたんですが、しかし英哲さんが出られた時の、あの、観客の盛り上がりというんですか、スゴイものがありましたね。 ま、野外向きっていうかね、ああいう「動き」があって、音がどんどん伝わってくるようなものだから、野外でよかったっていうところはあったでしょうね。 あの英哲さんの登場されていたところが、全体の中でも一番盛り上がっているような気がしましたね。素晴らしい。僕は自分の部屋のビデオで見ているのにね、感動で涙が出てきちゃってね、止まらなくなっちゃって、ブルブルブルブルと身震いがするというんですか。本当にこう、底から感動させられたんですけれども、まずは、あの観客、何人いたんですか? 25,000人。だからね、PA使って、巨大なスクリーンも出てモニター画面に映るんですけれども、「クラシックを聴く」ということの概念をね、もう最初からひっくり返って覆されているような、まるでこれからサッカーの試合でも始まるのかというような熱気でしたね。もう開演前からウエーブもあったりして、大変な盛り上がりなんですよ。 もうヨーロッパの底力なんでしょうね。ドイツ、特にベルリンの人たちには、「クラシックは自分たちの音楽なんだ」っていうのがあるんでしょうね。 だから、ものすごく身近で、批評眼もあるっていうか耳も肥えているし、だからいい演奏、悪い演奏をきちんと観客が態度に表すしね。でも楽しむっていう時には、ああいう風にして徹底的に楽しむモードで全部聴こうっていうのが、いいですよね。あれは。 いやー、ベルリンフィルのコンサートにはいろいろなスタイルって、あるんでしょうけれども、僕が一番行ってみたいのは、あのサマーコンサートですね。気持ちよさそうですね。 気持ちいいですよー。それで、僕は客席でも聴いたことがあるんですけれども、舞台に立ってあの迫り来る歓声を聞く方がよっぽどいいんですね(笑)。壁のように25,000人がいるでしょ? あれがね、客席にいると隣近所の音しかわからないものなんですけれども、舞台にいるとね、全部音が来ますからね。すごいですよ。 一番感動するのは演奏者なわけだ(笑)。 マラソンのために行ったボストンで、すごい拾い物をしちゃいましたね(笑)。(葉加瀬) それにしても、和太鼓を叩いて、あれだけ世界中を飛び回るという人は、林英哲ただ一人だと思うんですけれども。そもそも、どこから「太鼓打ちの林英哲」が生まれたんですか? こういった人生になるとは思ってもみなかったんですよ。元々は美術方面に進みたいと、子どもの頃から思っていたんですけれどもね。あんまり運動が得意な方じゃなかったし、どちらかというと文化系だったんですよ。で、ただ中学1年生の頃、ちょうどビートルズが出始めたぐらいで、友だちから借りたレコードを聴いて「これはカッコイイ」と思ったんですね。 もともとはビートルズだったんだ。 そう。それでね、特に「She Loves You」のイントロのドラムの音が好きになって、太鼓やりたいと思ったの。 じゃあ、ロックバンドを組んで、ドラムを叩くとか、そういう世界だったんだ。 そうなんです。まあでもそれは10代の子どもがやっているにすぎないことだから、「プロになってやろう」とかはなかったんです。で、ドラムを見よう見まねで叩いてて、職業としては美術に行こうと思っていたんです。ところが、東京で浪人をしている時に、佐渡に太鼓のチームを作るから、その広報誌のデザインをやってくれないかと。 つまり、美術を志している若き英哲さんを、デザイナーとして雇おうということですね。 こっちは「アルバイトでお金になるな」と思って、ほいほい行ったら、それがエサで(笑)。メンバーが足りないから「お前、ちょっと心得があるんだから、やればできる」とか言うんですよ。 ドラムスやっていたんだから、太鼓を叩けるだろうって。 で、いろんな邦楽の先生が教えに来られてて、ちょっと叩いたら「お前、筋がいい」って。乗せられて。 それが佐渡の鬼太鼓座(おんでこざ)の始まりなんですか。鬼太鼓座というと、今でこそすごく有名ですが、その一番始まりの頃ですね? そうです。だから舞台の上で演奏する演目もなにもなくて、大体、それまでそういう芸能がなかったですからね。お祭りとか盆踊りでやる太鼓ぐらいのものでしょ。舞台の上で演奏だけで聴かせるようなチームはなかったですからね。結局一から作らなきゃならなかったんですよ。それでどんどん引きずりこまれたと。ボストンマラソンに出たりとかね。その頃は、毎日トレーニングで走っていましたから。 つまり、美術を目指していた、文化系の頃の若き英哲さんでは、太鼓を叩けないと。肉体改造をしたんですね。 トレーニングやってね。アメリカでのデビューっていうのがね、ボストンマラソンを走って、ゴールで太鼓を叩くっていうのがデビューでした。 フルマラソンを走って、ゴールで太鼓を叩く?! とにかく、3時間以内で走れとか、2時間40分以内で走れとか言われてたんですけど、あと5人手をつないでゴールしろとかね。そうじゃないと5人で演奏できないからとか言って。 (笑)。それ、何年頃の話ですか? 1975年。ところがね、面白かったのが、当時小澤征爾さんがボストン・フィルで音楽監督をしていらっしゃったんで、、小澤さんが家族で応援で来られていて、「ちょっとボストンフィルとやってみない?」ってことになっちゃって(笑)。楽団員の練習日に僕らが呼ばれて演奏しにいったんですよ。で、アイザック・スターンさん(世界的バイオリン奏者)が座って見てたんですよ。それで「スゴイ」とか言われたりして。 アイザック・スターンが突然、和太鼓の演奏を聴いて。はぁ。 それで、「音楽が肉体まで鍛えるとは思わなかった」とか、いろいろコメントを下さったんですよね。 なるほどねー。 それで、小澤さんが「オケと一緒にできる曲があれば、一緒にできるじゃない」とか言って下さって、誰かに頼もうということで、ベルリンにいらっしゃった石井眞木さんという作曲家の方に小澤さんが電話して、「何か、太鼓と一緒にできるコンチェルトを書いて」っていうことで、それでその作品が出来上がって、翌年には初演したんですから(笑)。思わぬ方向にどんどん転がっていったんですよね。 マラソンのために行ったボストンで、スゴイ拾い物をしてしまったっていうことで(笑)。すごいですねー。 だから、ほとんど素人同然の太鼓チームがですね、訓練としてはその時点で4〜5年やっていたんですけれども、それにしても、世界の小澤さんの指揮棒の下で太鼓を叩くっていうのはね、プレッシャーがすごかった。それがね、僕にとって「こりゃ、本腰いれなきゃ」っていうターニングポイントだったですね。 太鼓の音は、胎内での記憶を呼び覚ますのかもしれない。(英哲) 84年に、カーネギーホール。ここでの太鼓ソリストとしてのデビューを皮切りに、本当に世界中で公演されてきた英哲さんですけれども、今、ここに資料がありまして、バンクーバー、LA、パリ、西ドイツ、オランダ、イタリア、ポルトガル、メキシコ、シドニー、ベルギー、フィンランド、モスクワと、もう他にも数え切れないぐらい、35カ国にものぼるらしいんですよ(笑)。 そうなんですよ(笑)。 それは、もう世界中と言ってもいいですよね。本当に信じられないぐらいの数なんですけれども、どうですか、場所ごとでオーディエンスの気質に違いがあったり、ここはすごく思い出深い公演だったというのはありましたか? あのね、反応っていうのは、日本の人であっても僕のような太鼓を聴く機会というのがあまりありませんから、大体の人が初めて聴くわけですよね。だから、ほとんど期待をしていない人が、すごくビックリするというのが楽しみなんですよね。 ビックリ箱をやっているんだ(笑)。 わ、こんなにビックリしてくれたっていうね、反応がコロっと変わるのがとても面白くて。で、外国の人の方が、伝統とかそういうことを知らなくて、先入観がないものですから、上手くいった時には、非常に深い感動をしてくれているような気がしますね。 イノセンスっていうことでしょうね。 確かに「反応ぶり」っていうことでは、国によって文化の違いが出てきますね。拍手の仕方とか、例えばアメリカ人だと総立ちになって「ワーワー、ピーピー」大騒ぎになるけれども、ヨーロッパだとちょっとゆっくりしてるとかね。だからそういう風に、国民性の違いみたいなものはあるんですけど、話を聞くと、みんな大体、演奏はもちろん、「精神性」みたいなものを感じ取ってくれるようですね。 それはあるでしょうね。ビートを刻んでいく中で、感じるものっていうのは、僕たちにはルーツとしてあるのかもしれないけれど、それが果たしてヨーロッパの西洋の人たちにあるのかどうか。僕にとって謎だったんですよ。あるいは、そういう人種を超えた、根源的なところは変わらないのかも割としれないですよね。 それはありますね。例えばロスアンジェルスなんかで演奏する時は、例えば黒人の方の客層が求めるものと、白人の方が求めるもの、それは割とはっきり分かれるんですね。昔、グループ時代に長く公演していたことがあって、最初は日系人の人が多いんですよね。でも、段々それがグチャグチャになってきて、白人も黒人も若者も年寄りも、男も女も、もうわけがわからなくなってくる。で、それを見たロスの日系の人が、「こんな会場は珍しい」って。そういう会場の人たちに話を聞くと、「初めて聴いたのに、どこかで聴いたことがあるような気がした」とかね。「私は、アメリカ人で、初めて太鼓を聴いたはずなのに、涙が出てくるんです」とかね。多分、そういう反応っていうのはね、国籍とか性別とか文化とかって、関係ないって。存在の本質的なところに、響くような音なんじゃないかっていう気がしましたね。 いやぁ、本当にその通りだと思いますね。僕なんかも割と「バイオリン弾き」としてジェラスを感じますね(笑)。そこまで訴えられるんだもんなっていうのがありますもんね。バイオリンはやっぱり「歌」だとか「祈り」には適しているとは思いますけれど、英哲さんの太鼓を聴いて、感じるのはもっと深いところなんじゃないかなという気が、僕なんかにはして。 だからよく言うのは、子どもをね、連れてきたお母さんが、子どもが熟睡するんですって。小学校の低学年ぐらいまで、大体熟睡するんですって。面白い話で、それはお母さんのお腹の中にいる頃の心臓の音にとっても近くて、ほら、子どもって左に抱くと、大人しくなったりってよく言うでしょ。どうもその振動によって、そういうものが呼び覚まされるんじゃないかってね、思うんですよ。とても音は大きいんだけど、心が落ち着くとかね、安らかな気持ちになるっていう、そういう音なのかもしれないですね。 アフリカのオーディエンスほど、打楽器に対するセンスの優れている国はない。(英哲) 英哲さん、アフリカにも行かれたという…。この時はどんな感じだったのでしょうか。 6ヶ国。西側から、セネガル、ナイジェリア、コンゴ、ケニア、タンザニア、ザンビアね。とにかく面白いのがアフリカ人が音に反応する「素早さ」のスゴイこと(笑)。 その、人間の根源的な意味といえばですね、必ずアフリカからスタートしているはずでしょうから、そういうリズムの多彩なところもすごいですしね。リズムの大陸みたいなものですからね。アフリカって。 あんなに、リズムと打楽器音に対するセンスのすごいところって、ないですよね。文字がないところもあって、言葉の役割もしているから余計多彩なんでしょうけれども。例えばね、演奏でちょっとでもカッコいいフレーズがあったり、ソロで盛り上がったり、照明が変わったりするとね、その都度「ウワーッ」いうものすごい騒ぎになるんですよ。逆に演奏の合間は静かにしているんですよ。 それはね、山下洋輔さんのインタビューを読ませてもらったことがあるんですけれども、本当に興味深かったんですよ。 演奏の合間は割と「シーン」としていているんですよね(笑)。 僕らの感覚だと、演奏が盛り上がっていて、その後、拍手を待っているわけですよね。 そうそう(笑)。それですごいコールを待っていると「シーン」としちゃったりして(笑)。だからね、全部やって引っ込んで、「アンコールは何やろう?」とか言って、段取りを決めている間にお客は全部帰っちゃう(笑)。「え? あんなにウケてたのに」って(笑)。 演奏が終わって、拍手を受けるだとか、「ブラボー」と言われることだとかは、ヨーロッパ的なことなわけんですね。僕ら日本人にも、昔はなかった文化なのでしょうね。演奏中に「ワーッ」と騒いで、演奏者も終われば聴衆も終わるわけですよね(笑)。 だからね、演奏中、咳もしないで「シーン」としている方が異常といえば異常なんですよね(笑)。もうあの盛り上がりはロックコンサートみたいでしたよ。面白かったですね。 でも、終わった後は拍手もないんだ(笑)。やっぱり拍手に慣れている僕たちにとっては寂しいですよね(笑)。 だからね、できるだけ間を置かないように。曲間ゼロ(笑)。ユッスー・ンドゥールのライブもね、セネガルでね、夜中にやってるっていうんで見に行ったんですけれども、5〜6時間ぐらい、夜中の12時から翌朝の6時ぐらいまでね。それを聴いてわかったんです。1曲40分ぐらいの曲が普通なんです(笑)。 (笑)。 で、起承転結一切なし。金太郎飴状態が40分ずーっと続いて、それで盛り上がってる。 僕も、ユッスー・ンドゥールの東京でのライブに行ったんですけれども、ずっと一緒でしたね。3時間(笑)。 あれでいいんだ、と(笑)。 本当に音楽の根本的なところって、そういうところにあるのかもしれないですね。いかにソフィスティケイトするかとか、ドラマティックにするために、起承転結のようなものがあって、マナーが生れて、意思疎通が生まれるということでしょうね。 そう。だから本当に潔くて、気持ちのいいお客さんですよ。 一度でいいからそういうコンサート、経験したいなぁ(笑)。 僕ね、ビデオで、英哲さんが叩いている姿を拝見していると、とにかくソロが続いている中で、一体どんなものが見えているんだろうかって気になるんですよ。今日はそれをどうしても伺いたくって。 あのね、具体的なものは何にもないんですけれども、やっぱり演奏の時はね、「音で作る景色」みたいなもの、音の強弱とかね、それは色とか形には、ならないんですよ。純粋に音だけのイメージで作るんです。例えて言えば、太鼓の向こう側がタイムトンネルみたいになっていて、その時間を逆行しているようなイメージですね。 はぁー(笑)。やってみたい。ますます叩いてみたくなりましたね(笑)。 ずーっと、自分が生まれる前の意識まで見えてくるような。「前世の記憶」とまで言うとオカルトっぽくなっちゃうんだけどね。だからね、それが途中で切れちゃうと、1人でやっているときには立ち直れなくなるんですよ。それは困りますね。集中力が切れちゃうとかね。会場のいろいろな条件でね。でも演奏の時は、集中しているフリをしなければならない。お客さんもいるし。そうなると、そこから先は「芸」の世界ですね(笑)。それは場数を踏んでいると、ある程度それを気にせずにできるようになるかもしれないし、間違っても復旧できるようなテクニックを使うとか。 もう、あるところからは「叩いている」という「意識」もないんじゃないですか? そうですね。上手くいってる時って、本当にそうですね。あと体調もいい時。結局、くたびれてくると「あと何分続けなきゃいけない」とかいうペース配分のことが気になり始めちゃうわけなんですよね。でも、調子がいい時はほとんど気になりませんから。自分がやっているんじゃなくて、自分まで音に浸っているようなね。そういう気持ちよさっていうのは、ありますね。 それはおそらく、全てのミュージシャンがそうなんでしょうね。僕もそう。調子がいい時は、全然「弾いている」という気分がないですもんね。もうリスナーの1人になって、ずっとお客さんと一緒に聴いているんですよね。そういうのは、ごく希にしかないですけれども。その時が本当にベストアクトですよね。 で、その本当のベストアクトの後は、疲れがないでしょう? あれは、不思議ですよね。 スゴイ楽ですよね。でも1回それを味わっちゃうと、次にいつ味わえるかなっていうのを楽しみに演奏できますよね。 「これが、ベルリンフィルハーモニーの楽屋の床なんだよ」って言ったら、「どこが?」って(笑)。(英哲) もう、逢えたのが嬉しくて、音楽の話ばかり聞いてしまいましたが、英哲さんが、いざ、バチを置いた時、例えば海外ではどんなことをして過ごされているのですか? 仕事以外のときに、1人で旅行をするのも好きなんですよ。仕事を終えた後に1人でぐるっと回るとかね。 じゃあずっと行って、写真を撮られたりとか。 ええ。それでね、自分で自分を撮るのは難しいんで、自分の足だけを撮るっていうね。そういう写真のコレクションがあるんですよ。 面白いですね。つまり被写体は足なんだけれども、バックはその土地なんだ。でも見ただけじゃわかんないんじゃないですか? そう。だから説明しなきゃならないんですよ。でも説明するとウケるんですよ(笑)。例えば「これ、ベルリンフィルハーモニーの楽屋」とかね。「どこが?」とか言われるけど(笑)。 それは、ナイスアイディアですね(笑)。 セルフタイマーで自分を撮るよりはよっぽど面白いですよ。でもね、最初はこんなにウケるとは思ってなかったんで、なんとなく撮ってたんですけど、写真集を出すっていうんで、それを見せたら、ことのほかウケたから、最近は意識的に撮ってるんですよ(笑) |
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