1960年
1960年2月発行の『外務省発表集10号』要約
第二次大戦(1939年~1945年)開戦当時100万人いたコリアンが終戦直前には200万人に。
これは職を求めて自分から望んでやってきた人とその子どもたち。
つまり出稼ぎ。
国民徴用令による徴用労働者はごくごく少数だったし、
ちゃーんと決められた賃金が支払われてたんだよ。
しかもコリアンが徴用されて労務者になったのって、1944年9月〜1945年3月までの短い期間なんだよ。
帰国方法 |
人数 |
日本政府手配の船で帰国 |
約90万人 |
個別に引き揚げ |
約50万人 |
合計
|
約140万人
|
引き揚げに際しては 復員軍人、軍属および動員労務者等は特に優先的便宜が与えられた。
つまり、国民徴用で日本に来た朝鮮人はすぐに帰れた。
1946年
1946年3月、マッカーサー元帥の命令で日本政府は残留朝鮮人全員に帰国希望調査をしたよ。
帰還希望者 |
約50万人 |
残留希望者 ←!?
|
約15万人 ←!?
|
でも実際に朝鮮に帰ったのは…
約8万人(´・ω・`)
残留者…約57万人
つまり、
残留者は自ら望んで日本に残った
1950年6月25日〜1953年7月27日
朝鮮戦争中(1950年6月25日〜1953年7月27日休戦)は帰還事業は行われなかった。
南朝鮮へ |
数千人 ※常時船便があった |
北朝鮮へ |
数十人(推測) ※船便なし、自費で香港経由等で帰還と推測 |
朝鮮に引き揚げずに自分の意思で望んで日本に残った人たちの大部分は早くから日本に来ていた人たちだった。
戦時中に日本にやって来た労務者や復員軍人軍属で日本に残った朝鮮人は凄く少なかったんだ。
1947年
1947年3月マッカーサー元帥の命令で北鮮への引き揚げ計画が立てられたよ (※1946年3月の米ソ協定で約束した計画)
ところが…
引き揚げ申し込みは1万人いたけど
実際帰ったのは350人
だけだった(´・ω・`)
p<´`ω´`>q)))〜カエロウトオモウニダ・・・ ⊆クルッε=ε=ε=ε=\<丶`∀´>/ウソニダー
-
戦時中に徴用労務者として渡来して日本に残留している人の数
1960年2月頃登録されている在日朝鮮人 |
61万人 |
最近実施した外務省当局による渡来事情調査の結果 |
245人 |
終戦後、日本政府は帰国を希望する朝鮮人に対し常時帰国できるよう道を開いていたし、実際帰国した朝鮮人が多数いるよ。
現在日本に残留している朝鮮人は徴用で日本に来た245人を含め全員が自分の自由意思で(つまり自分で望んで)日本に住んでいるんだよ。
日本政府が【本人の意思に反して】日本に留まるよう強制している朝鮮人なんて犯罪者を除いては一人もいないよ!
密入国の証拠も日本にはたくさんあります。これはその一部です。日本語ですが。
ここで密入国と入れると1200件も該当します。
1995年06月18日当時の国会議事録には多くのコリアンがあらゆる手段で密入国し、発見され、捕まり、強制送還しようとしても本人たちは帰りたがらない、南コリアン政府も受け入れないという最悪な状況が描かれています。
- 衆議院会議録情報 第022回国会 法務委員会 第23号