B787ショックで狂う、富士重の目算
中央翼の生産計画に影響か
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現在、富士重はB787の中央翼を、愛知県半田市にある工場でつくっている。B787の中央翼は2007年1月に出荷を開始、12年8月には累計100機分の生産を達成した。現在は月産5機分の中央翼を生産している。
今回の問題が起こる前、ボーイングは13年末にB787の生産を月産10機に引き上げる方針だった。富士重もそれに合わせて能力増強を実施。12年7月には半田工場のラインを従来から1本増やして3本に増設、すでにB787の中央翼を月産10機分生産する能力を整えているが、場合によってはここが余剰能力となる。従来機の「B777」向け部品とのフレキシブルラインになっているとはいえ、悪影響は避けられない。
業績への直接的な影響は限定的だが・・・
今回の問題が長期化しても、富士重の業績に対する直接的な影響は限定的になりそうだ。直近決算である12年3月期の売上高1兆5171億円のうち、航空宇宙セグメントの売り上げは803億円と全体の5%程度(12年度のセグメント売上高見通しは未公表)と、この部門の比重は決して大きくない。富士重は、本業の自動車事業では米国での販売が好調で、足元の円安傾向も手伝って12年度は過去最高益を更新する勢いだ。
だが、B787ショックは富士重にとって悩ましい。というのも、もともと富士重のルーツをたどれば、群馬県新田郡に生まれた中島知久平が1917年、群馬県太田町に「飛行機研究所」を創設したのがならわし。後に「中島飛行機」となり民間機、軍用機が生産された。その後、45年の日本敗戦とともに解体され、その後は富士産業と称しスクーターやバス車体など民需品の生産を開始。そして、53年には今の富士重工業が設立され、航空機生産と自動車の開発を開始した。
業績への影響は限定的とはいえ、B787ショックの波及次第ではルーツともいえる航空事業に、少なからずの痛手となりかねない。事態を見守るしかない富士重にとって、悩ましい展開が続く。
(撮影:尾形 文繁)
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