02 5月 2013 1 Comment
津田大介氏の発言から総括する太平洋戦争 世の中に本当の中立は存在しない
「ネトウヨが増えた原因は、編集されたアフィブログを真に受ける情弱が増えたから」:元ネタ
最近、ネットではみんなが一様に偏向報道とか中立とか口にするけど、過去人類の歴史が始まって以来そんなものが存在したことは一回もないし、これからも登場することはありえない。
中立ってことは常に天秤が傾かないっていう前提があって初めて成立するものであって、死にたくないとか俺が損するのは嫌だという感情の存在は欠片ですら認められない。
そして真実というのはあたかもカットされたダイヤモンドみたいな様々な面が視点によって光って見えるものであって、人間にはその一部の断面しかみることが出来ない。
従って真実を包括して解説できる人間なんか存在するはずもなく、一歩でもそれに近づくために多様な意見を取り込んで「自分なりの感触や結論」持つ以外にできることはない。
むしろ偏向した情報が溢れてることで現在の人間は真実により近いものを茫洋とした感覚で捉えることができるようになったといっていいのかもしれない。
真実や中立を口にしたがる人間の殆どはあなたを騙して神を僭称する極悪人か、中立的な立場と数字をちらつかせて金をだまし取ろうとする客観的詐欺師だろう。
真実ならいろんな人間が口にしてきた。
俺はムジャヒディンを否定しないけど、世界的には悪の親玉と言われているビンラディンやザワヒリでさえアラーとマホメッドの名を借りて真実を語っている。それが嘘なのか本当なのかは誰にもわからない。
ユダヤ人からしたらサタン同然のヒトラー率いる第三帝国の閣僚たちも当時のドイツ人からしたら救国のメシアだった。そのどちらが真実ということは誰にも説明しようがない。
この場合(元記事参照)津田大介氏もワーワー騒いでるネトウヨの大半も、はっきり言って真実とか中立を安売りし過ぎなのであって、何故日本にネトウヨが増えているかの洞察が足りなさすぎるとしか言いようが無い。
昨今、日本で何故朝鮮人の排斥運動が増えているのかというのは、それは太平洋戦争を軽く総括すれば分かる話であって、何故太平洋戦争が起きたのか、商業主義の観点から考えることだ。
つまり、有権者に開戦論者が増えていたから時代はああいう風潮に流れていったわけであって、その前提には大衆はそういう煽りを求めているというマスメディアの冷徹な計算があったからに過ぎない。
その背景には、自己承認欲求を満たすことの出来ない社会的底辺層が増加していたこと、そして国民生活を下支えするはずの日本の海外権益や貿易構造が危険にさらされることで、自分の生活が悪化するのではないかという恐れを彼らが抱いていた事実があった。
その彼らにマスコミは利益を上げるためにたった一つの処方箋を提示したのであって、それが開戦論というものだった。
もちろん、戦争が悪かったとは思わないし、最終的に昭和天皇が下されたご聖断は気宇壮大なものだったと思う。
しかし、日本の屋台骨から起こった動きの最初の波紋は実にくだらないものだった事自体は間違いない。何しろそうなった時に自分がどうなるかでさえ想像できないアホの苦し紛れで起こったものなのは疑う余地がないからだ。
今起きている現象にしても概ね同じようなことなのであって、ことさら原因が変化したわけでもなんでもない。
大声で他人を誹謗中傷してストレス解消したい底辺層が激増していること、そしてそういう連中に受けることを言ってれば金になる状況があるからそうなっているだけの話。
そしてそれを金にしようと思っている方も、それは生活のためであったり、言論の活動を続けるために必要だからそうしているだけの話であって、ことさらに善悪を問う意味なんか全くない。
忘れてはいけないのは常に受け手にこそ本当の問題があるってことだ。
津田大介氏は「アフィブログ」というものを名指しして右傾化を煽っていると批判しているようだけど、それこそ目立ちやすい煽動情報に釣られて自分自身も騙されているということを証明しているに過ぎない。
はっきり言えば、ネトウヨをアホ呼ばわりして嘲っているこのブログのようなものもあるし、多数のメディアがネトウヨを嘲笑している。
タイトルや内容の汚さで目立っているのは自称右寄りのブログだろうけど、数で言えば多分五分五分だろう。
そして、アフィブログという呼び方はいい加減でやめにしたらどうなのか。
津田大介氏は自分の活動で収益を得ていないのか?アフィブログというのをまるで蔑称のように使っている人間自体、相当リテラシーがおかしいと思う。
わざわざ人の読み物に供する活字を自分で書くなり編集なりして、その活動の維持費を収益化することに一体何の問題があるのか。
そして、日常忙しく働いているだろうネトウヨやセミナーまがいのいかがわしい活動に精を出している間抜け右翼もそろそろ日常に帰ったらどうなのか。
君達は理解できていないのかもしれないが、言論とか哲学なんてものは、暇人以外にすることが許されない行為であって、君達は見てもいない映画の評論をやっている似非映画評論家に堕していることを自覚するべきだ。
我が身の不遇を恨みながらその元凶の会社をやめることもせず、行き場のないストレスを言論とか哲学とか歴史、中立や真実にぶつけているだけで、本質は統一協会の信者と何一つ変わらない。
言論と四つに組んで自分の言い分を主張したいのであれば、仕事をやめなさい。
そして自分の目で色んな物を見て、評論の対象になるものをしっかりみることだ。それは暇人にしか出来ないことであって、食えなくても仕方ないという覚悟ある人間にしか許されない。
そういった半端な言論まがいが世の中に受け入れられないのは、盲目のカメラマンや映画を見たことがない映画評論家の評論と一緒だからであって、世間やマスコミが偏向だからでもなんでもない。
言論・評論・哲学には食えなくても仕方がないという強い覚悟がいるし、意見を表明するからには自分のスタンスをしっかり表明して批判を受ける準備をすることだ。
どちらも出来てない半端者の意見なんか誰ひとり耳を傾けない。
道端の空き地でさえ維持費を得るために看板を立てさせたり、自動販売機でさえ電気代と自動販売機の提供元の収益を維持するために金をとっている。
そういった必然として発生する活動に対して、アフィリとか金儲けとかそういうのは的はずれな論評や悪口であって、もし活動自体批判したいのであれば、たちの悪い金儲けはやめなさいと正面切って文句を言えばいい。
津田大介氏やネットでそういう言葉を口にしている人は、居酒屋のレジで「アフィ居酒屋乙www」とか言うのか?
結論:本当に中立を証明したかったら中立の証明のために今すぐ死ね
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アフィ脳
5月 02, 2013 @ 23:36:50
悔しいのう悔しいのう