真相シリーズ第2弾!見沢知廉 スパイ粛清事件の真相

2002.5.20


邦男

 

 ◆獄の息子は…
「見沢君は12年間、獄の中で苦しむわけですが、この事は『囚人狂時代』『母と息子の囚人狂時代』(共に新潮文庫収録)に書かれていて、献身的な母親が息子の事を獄の外から支えていく愛と魂の記録です」
 そして獄の中から送られてきた手紙を読んで鈴木さんは愕然とする。
「12年の内、一時は完全に発狂したんですね。僕は手紙をもらっていますが、意味不明のことをずーっと書いてくるんですよ。今でも彼の手紙は読めませんけど(笑)。一回本当に発狂して、よく治ったなあと思います。医療刑務所の治療で。これはいつか小説にしてやろうとか、自分は組織防衛をしたんだというヒロイズムなんでしょう。それで必死に耐えて、地獄から生還した。たいしたもんです」

◆再生
「12年間で無事に出てきまして、作家になるわけです。日本のドストエフスキーと呼ばれ、こうしてドタキャンしても日本の文壇から追われることもない(笑)。一水会の方ですが、これで終わったなとは思いましたが、考えてみればこの事件があったから、全ては言論でやっていこうと思えるようになったわけです。もし事件がなければ今でも、中核、革マルのもっと縮小版みたいにやっているんでしょうね。火炎瓶投げたり、『テロは必要だ!』とか、赤報隊事件が起きても『朝日の記者が死んでも当然だ!』と言っていたでしょう。テロが必要だと言って本当にやるんだったら分かるんですが、右翼の人たちで多いのは、僕に対して『お前は根性が無い!テロは必要だ、バカヤロー』と言うんです。テロだ!とか言いながら畳の上で死んでいくんですよ。そういう風にはなりたくないです」
 スパイ粛清事件が現在の言論で闘う一水会を再生していく。しかし鈴木さん自身へのダメージは続く。
「100%言論でやっていこうという覚悟も、それに対する反感を感じて鈴木は転向したんだと考えた人は多いです。赤報隊事件があって、野村さんからも随分叱られました『お前たちは容疑が掛かれば逃げようとする卑劣な奴だ』と。それで晩年は『お前は仲間じゃない。縁を切る』と言われました」
 しかし言論というものにこだわり、徹底した事で、
「言論の場ができ、開けた。7年前から『週刊SPA!』、次に月刊『創』の連載も始まりました。あとは河合塾と日本ジャーナリスト専門学校の講師もするようになったし、僕自身は社会復帰できましたね。一水会自身も言論の場で戦っていくというのが社会的に認められたし、『朝生』へ僕も木村君も出るようになったのは、スパイ粛清事件を100%反省してやり直したからだと思っているんですよ。……で本人はどうしているんでしょうね(笑)」

 

構成:丸山條治 

  


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