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「―ところで土曜ワイド劇場は今年で25周年ですけどね(笑)。なんか土曜ワイド劇場とも絡むんですよ。あれ見てると後ろからパイプで殴りつけると、相手はすぐにくたっと倒れたりするんですよ。現実はそうじゃないんですね。格闘技なんか見てれば分かりますけど、かえってエキサイトしてかかってきますから。格闘技を知らないんです見沢君は。実際に殺したことも無いから。1回殴ったら向かって来る。恐怖で5、6発殴るが、まだ向かって来る。20発やったら死んじゃった。…笑い事じゃないんですよ」 この時4人は意見が分かれた。ぐったりして、このまま捨てては置けない。いやYはどこかの組織と関係がある。復讐をされる。恐怖心に包まれる中、車で運ぼうということになった。 「ここでまた、素人的な考えが出るんです。埋めるのなら富士の樹海だろうと、これは松本清張の小説を見て思ったそうですが、なんか皆プロじゃないんですよ。土曜ワイド劇場、火曜サスペンス劇場、松本清張と3つの影響を受けている」
◆発覚 「帰りの車では見沢君とS君は平然としてたそうです。これで事件は一応終わったんです。ところが、右翼の二人はどこかがヘンだ。きょろきょろしてるし、夜中にうなされている。周囲はどうしたんだと思うわけです。それで団体のトップに自白したんです。これで初めて事件が分かり僕も呼ばれました。銀座東急ホテルに関係者が20人くらい集まり、一晩討論をした。僕は『しょうがないなー、自首するしかないだろう』とは思いましたが、見沢君とS君は『これは対権力闘争である。権力の軍門に下りたくはない。自首するのは屈辱的。権力に屈服するのはいやだ』と言う。そうかあ?とは思いましたが、『滝田修だって10何年逃げたんだ。地下に潜って戦いたい』と言う。じゃー、本人がそういっているのなら我々が首に縄をかけて警察に連れて行くわけにもいかないだろう。4人の自由にする。ということで決まりました。これでこの時は終わったんですが、帰りに高田馬場の深夜喫茶で見沢君は恐ろしいことを言い出すわけです」
◆第二の犯行 高田馬場の深夜喫茶には、鈴木さん、見沢さんと木村さんの三人がいた。もう一度自首を勧めてみるが、本人はどうしても自首したくないと拒んだ。仕方がないと二人は席を立とうとした時、悪魔的な提案がなされた。 「『自分とSは新左翼出身だから自首はしない。だが、後の二人はきっと自首する。そうなればどんなに逃げたところできっと我々も捕まってしまう。それなら死体を埋めなおしたい。後の二人が自首してもこれは死体無き殺人だ。これなら無実だ!』…そんなありっこねーんですけどねー(笑)。でもこういうのは土曜ワイド劇場とか火曜サスペンス劇場とかであったわけです。だから土曜ワイド劇場が一番悪いんです(場内爆笑)。木村も僕も見沢に洗脳されてしまった。何とか助けてくれといわれて、しょうがないなー、木村運べと言いました。この時点で共犯です」 つまり、この時点で死体遺棄の教唆ということになる。しかし、この事に関して鈴木さんは次の様に語った。 「でもこれは友情としてやったんですよ。もし事前に査問をすると分かっていたら、これは必死になって止めました。でも殺人が起こってしまった。本人はどうしても逃げたいというし、これは同じ活動家として手伝ったんです。本当なら見沢とSの二人でやらせれば良かったんでしょう。でも、後二人出してくれと言われて、木村君と後、I君というのが不幸にも事務所にいまして、彼は酒が好きだったんですね。『酒飲ましてやる』と言えば付いて来るし、もう騙して連れて行けと、これは僕が言いました」 酒を飲みに行っている筈なのに一時間も二時間も車は中央高速を走る。気が付けばみな恐ろしい形相になっている。もう逃げる事は出来なかった。 「それで埋めた場所に着きまして、見沢君は見つかってもばれないようにと腐乱死体をさらにバーナーで顔を焼き、手、指全ての指紋を焼いたんです」
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◆終焉 「最終的に何故ばれたのかというと、掌紋なんですね。手のひら。かなり遠いところへ運んで埋めて二人は逃げたんです。それで案の定、他の二人は自首したんです。Sは設計事務所にいるところを逮捕されました。見沢は逃げましたが、まあ、感ですが捕まるとは思っていました。でも、捕まっても自分達のことはしゃべっても、死体遺棄に関してはしゃべらないと思ったんです。でも、しゃべってしまった。木村もIも捕まった。日本の警察は優秀だと思いましたね。どんな方法で自白させたのか分かりませんよ、二人個別にカマをかけたのか、それともガソリンスタンドで4人いたところを見つかったのかもしれない。何にせよ、このことで非合法活動は無理だと思いました」
◆二ヶ月半の闘い 「死体遺棄には関与しているから、これは捕まるなあと思いました。毎日毎日警察が来て任意で取り調べたいと。これは任意だから行く必要はないと、こっちは断ったんです。木村君も見沢君も個別に調べられているから、ここでヘタなことを言えば矛盾が出るわけですからね。また、彼らにしてみても、外にいる人間が一人はいないと困るだろうし、僕もぎりぎりまでは逃げようと思いました。」 外からの戦いが始まった。 「木村君とI君が捕まって起訴されるまで二ヶ月半ですからね。その間、みやま荘には警察がずっと張ってるんです。電信柱の影に隠れてるんじゃないんです。どうどうと立っているし、尾行だってすぐ横にいるんですから同伴尾行です(場内爆笑)。喫茶店で人に会う時だって向こうはすぐ横に座るわけです。こっちがカッとなって手を出したら捕まえようと思っているんですよ」 24時間、いつでも警察は逮捕できるように張っている。それが二ヵ月半。しかしダメージは警察からだけではない。 「新聞には右翼の連合赤軍事件とか、悪辣非道とか書かれて、まあ本当のことだから仕方がないんですが…。当時一水会で出していた機関紙『レコンキスタ』が受け取り拒否でどんどんどんどん返ってくるのが堪えました。当時外には千部くらい出していたんですが、千部届く家の所へ全部お巡りさんが回ってるんです。何で殺人集団の新聞なんて取っているんだということになる。…この時、一水会は終わったなと思いましたね」
◆スパイ事件の真相 打撃はさらに続いた。他の右翼団体からも抗議が来る。一水会として見沢知廉をどうするのか総括を迫られた。 「『本当に事件と一水会が関係ないのなら、見沢は除名しろ。関係があるのなら一水会は解散だ!』と迫られました。新左翼の団体なら、これはきちんと総括するんでしょう。でも、除名とかすればね、これは獄中12年の中で見沢は発狂しますよ。それに警察側に『ほらみろ、お前は見捨てられたんだ』と言われて利用されることもありうる。だから判断は保留したんです。」 そして事件の真相に触れる。 「僕もね、はっきり言ってスパイだとは思いませんでした。ヘンな奴はいっぱいいましたから。権力の手先だとか、他の団体のスパイだとかは思わなかった。ただ、そういうことをはっきりさせてしまうと、見沢の生きる支えを失う事になりましたから。見沢は新組織防衛の闘いだ。これは正義の闘いだというものを持っていて、獄中12年間を生きていく張り合いになっていますから。それを僕が否定したら、もう生きる希望もなくなっちゃうでしょう。だからあえて総括しなかった。そして警察の手からも逃げたんです」 「そのことがあって一水会は幸か不幸か生き延びたんです。多分20年前はゼロになったと思うんですね。だからゼロからのやり直しでした。この事件から何をやったって警察には勝てないと思い知ったんです。だから非合法活動は辞めようと思った。だから赤報隊事件の時も『これは右翼の事件ではない』と当時伊波さんと対決したんですよ。でも警察は、『鈴木達は昔から血なまぐさい非合法なことをやってきたんだから、そういうことをやったんだろう』それから新聞記者にも『朝日と東京と毎日に手ひどく非難されたからやったんだろう』と言われてしまうんですけれど、でもねーあの時はもう何を書かれても仕方がないと思っていましたね。新聞記事でどれが酷いことを書いているかなんて比較するほどの余裕はなかったです。…そうですね。あの時は、高田馬場の近くの本屋のところに、内ゲバ殺人事件指名手配"タカハシテツオ(見沢知廉さんの本名)"とあった時は本当にぞっとしました」
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