真相シリーズ第2弾!見沢知廉 スパイ粛清事件の真相

2002.5.20


邦男02

 

 こうしたテレビ局のやり方を
 「基本的には間違っているなあと思いますね。どんどんどんどんミスリードされていくんですよ。多分、警察も最初ミスリードしたし、初動捜査でも間違っていたし、マスコミも全部それに引きずられた。テレビもそうなった。そんな中で清水さんと伊波さんはかなりきびしかったですね。これは(「赤報隊の秘密」を手にとって)まだ事件が起こったばかりの時に書いたので、よくまあ現役の朝日編集員の伊波さんが出てくれた(注:「赤報隊の秘密」での対談)なあと思って。後で随分叱られたらしいですよね。…叱られたんでショ?」
 これに伊波さんは少し誇らしげに「フッフッフ」とだけ答える。
「この本の中では、この時は必死になって、あれは右翼の犯行でも右翼的思想でもないと否定したんですよ。そりゃあ今考えたら当然ですよね。自分たちが100%犯人だと思われていたから。我々は関係ないと。だから思想だって関係ない。皇紀を使うこと自体がおかしいと。すると伊波さんに『いや右翼になりたての人はわざと皇紀を使ってみたくなるんじゃないですか』と言われて、なんか『ギク!』とか音まで入れてますから。今見ると恥ずかしいんですが。来年3月過ぎたら一橋文哉の本どころではないです。ベストセラーになります。それで伊波さんの予言は当たったといわれるでしょう」

◆ある新聞社の推理―赤報隊事件とスパイ粛清事件の関連
「僕は今まで随分新聞記者に会ってきているし、歯ごたえのある人はお二人くらいで、へんな人にもいっぱいあっているんです。今回も20人くらい会っているんです、時効直前ということで。でも、全部記事になっていないんです。記事になっていないので仕事でもない。取材でもない。ただ、参考程度に話を聞かせてくれと。それでも2時間位は掛かりますからね。さらに僕としてはキツイ取材なんですよ。例えば他のことで、マスコミ規制3法をどう思うのかとか、民族派のこれからをどう思うかとかといったテーマならラクに話せるんですけれど、赤報隊に関してだとものすごい慎重に話さないと。もし自分の推測が当たっていたりしたら、『あ、これは犯人しか知らないことだ』と捕まえられてもたまらないと思うし、自分としては慎重に話す1時間とか2時間とかがすごく疲れるわけです。それでも取材費はただですから。それなら会わなくてもいいのだけれど、会わないと『お前はやましいところがあるから会わないのだ』と思われてしまう。話は全部聞いておいて資料にしておくと。それでもし警察に僕が捕まった時は、『鈴木邦男は白々しくもこんなことを言っていた』と書ける。そのための資料なんですね。」
 マスコミの取材は単なる資料収集。そして週刊新潮にも取材を受けるが、これも結局ボツだった。
「たぶん信憑性がないと思われたんでしょうね。僕の話が。まあ、それで助かった部分もあるんでしょうね」
 20人くらいの取材を受けた中、一人変わった考えを持っていた人がいた。
「赤報隊事件は、見沢君たちの事件と絡みがあるんだと、こういうことを言った新聞記者が一人いました。」
レコンキスタ最新号を読みながら、
「静岡支局にピース缶爆弾を仕掛けた事件がまだ時効ではない。―チャチな爆弾だったらしいんですけどね。松坂屋の紙袋に入っていたらしいんですが…。この時の声明文にこう書かれてるんです。『これだけ反日分子が多ければ一人多殺しかない。日本を愛する同志は朝日、毎日、東京などの反日マスコミをできる方法で処罰していこう』…なんでね、毎日と東京の2紙が入っているのかということなんですね。一度も産経新聞は出てきませんね。読売も出てきません。この2つは右翼的だと思われるからでしょう。それ以外に左翼的な新聞だったら北海道新聞というのも多分朝日に近いと思うんですけれど、なぜ毎日と東京新聞が入るのか。ある大新聞の記者がこういうことを言うんです。」
「『それは20年前の新聞を見たら分かります。見沢知廉氏の〈スパイ査問事件〉がありましたね。その時、最も批判したのがこの三紙です。赤報隊事件はそれに対する復讐です』ということを真面目に言っていたんですよ。僕は一笑に付したんですけどね」

 ◆独立義勇軍の影響からより強い新組織を
「スパイ粛清事件の時はまだ赤報隊事件よりも前でしたね。赤報隊事件が15年前です。見沢君のが20年前、赤報隊の前身である独立義勇軍の事件は21年前ですから、ちょうど時局的に絡むんです。さて、スパイ粛清事件なんですが、夕コペにもちょっと書いているんですが、本当は実際のところを見沢君に聞きたかったんですよ。来たら話を聴きますけれど。20年前なぜこうした事件が起きたのか。きっかけは新左翼コンプレックスだったんです。」
 この頃の一水会は、新左翼に負けてはならじと、過激なゲリラ闘争を目指そうとしていた。これは、前の講演「時効寸前赤報隊の真相」でも話している。一水会を合法、非合法の部隊に分けより強い団体にしていこうという考えがあった。
「この頃は木村君、見沢君の他、20代前半の生きのいい若者が多く入ってきたんです。『お前たちは革命マシーンだ』と、…僕が言っていたらしいんですが(場内大爆笑)。若くて過激な奴らがいっぱい入ってくるし、運動も脚光を浴びていた。火炎瓶くらいは言論の延長と思っていました。反権力の名のもと非合法活動もやって、わいわい楽しくやっていましたが、非合法活動は全部捕まっています。そりゃそうでしょ。僕らはただの犯罪者じゃない、捕まる気で活動してたんですから」
 そんな折、大阪で一つの団体が旗揚げをする。その名は日本民族独立義勇軍。当時の一水会の非合法部隊、統一戦線義勇軍に似た名前の組織の登場は、統一戦線義勇軍ならびに一水会の士気を大いに上げることとなる。この名前の似た組織には、しかし大きな違いがあった。
「4件くらい犯行を行ったが全部捕まらないんです。それで、4件とも声明文を一水会に送ってくる。我々の出来ないことをしている。全く捕まらない。機関紙や街宣活動で絶賛しました。6年後に赤報隊として人殺しをするとは思わないですから、100%絶賛しました」
 ここで、一水会内に新しい流れが生じようとしていた。この全く捕まらない団体、独立義勇軍の影響を受け、さらに過激な活動をしなくてはならないという気運が生じてくる。新左翼的な堅牢な組織作りが必要であると。
ここに集ったのが、
「見沢君や他の団体、元新左翼の者とが集まり、新組織を作ろうということになりました。その中でね、一人挙動不審に思われていた人がいたんですよ。」

◆事件への流れ
「Y君という人がいたんです。これは右翼から見たら怪しい行動でもないんですが、街宣活動の時に公安と話したりしている。当時右翼と公安は同じ共産主義者を倒す仲間だと思ってますから、別段怪しいことはないんですが、しかし見沢君と、それからS君はそうは思わなかった。二人は元は新左翼の活動家でしたから公安と話しているのはスパイだと思うわけです。それで、K君とあと少年が一人、4人でY君を査問しようということになった。みんなのいる前でやるような査問だったら問題は無いんでしょが、連合赤軍の査問でもそうなんですけど、閉鎖的になると必ず犯罪になる。逃げ場は無いですから」
 確かに閉鎖的な場所では必ず犯罪に繋がる。オウム事件などもそう。
「見沢君、S君とあと右翼団体の二人は、最初はアパートへ連れ込んで査問しようとしていたんです。それで、お前はスパイだろうと聞いて、もし白状したら2、3発ぶん殴って解放しようという話にしてた。もし、知っていれば是が非でも止めたんでしょうが、僕のそういうところもあって一水会を飛び出してでも新しい組織を作ろうとしていたんでしょうね」

◆犯行
 連合赤軍のような精鋭組織を作ろうとしたとき、挙動不審な人間がいた。他の組織に繋がりがあり、ヘタをすると新組織はつぶされてしまう。こんな憶測があった。
「仲間のアパートへ行き、査問すると言ったがY君は拒否したんです。この時、みんなで縛り付けてでも連れて行けばまだ良かったんでしょうが、この時、見沢君は鉄パイプで殴ったと」 


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