■「みる・きく・はなす」はいま
【上田真由美】自分の名前が画面にあふれている。「なんで? 私?」。昨年7月8日朝のことだった。
自宅でパソコンの画面を開いた滋賀県内の女性(65)は驚きで力が抜け、いすから滑り落ちた。
2011年10月、大津市の中学2年の男子生徒がいじめを受けて自殺した。ネットでいじめた生徒の母親だと名指しされていた。身に覚えがなかったが、後日、名字が同じと知った。
女性が会長を務める民間団体の事務所に、ひっきりなしに電話がかかり始めた。無関係と説明する間もなく「自殺の練習をさせている団体か」とまくし立てられた。「貴女(あなた)の顔に濃硫酸をぶっかける」と書いた手紙が届いた。子どもに危害を加える、と脅された。
小さな物音が気になり、眠れなくなった。食事ものどを通らない。たて続けに吐いて水を飲むのも怖くなり、起き上がれなくなった。8月末から入退院を繰り返した。
「思うままに書いた言葉が人をこんなに傷つけ、人生を左右してしまう」
ネット上には女性の名前が消えず、いまも睡眠薬を手放せない。
□
脅迫の手紙が女性に届き始めた頃、現場の中学校前で、ネット上で呼びかけられた「いじめ抗議 大散歩会」があった。
自営業の30代の男性は静岡県から駆けつけた。「自殺と言っても殺されたのと同然。許せない」
できる限りのことをしようと思ったという。看板屋に1万円で頼み、ネットで入手した「いじめた生徒」の名前や顔写真でプラカードを作り、掲げた。
現場では名誉毀損(きそん)にあたると警察官から警告され、事情も聴かれた。ネット上には、男性が逮捕されたという誤情報があふれ、男性は瞬く間に広がるネットの怖さも知った。「でも、やったことは今も正しいと思っている」と男性は言う。
「裏仕事 鑑定人」というサイトは、「いじめた生徒」たちの名前や写真を載せた。運営者の男性(29)は「同級生らの情報をもとに事件後すぐに公開した」と話す。意図を尋ねると、「亡くなった子の無念を晴らしたい。それだけです」。
これまでもいじめられたと訴える人の情報を紹介し、「死にたい」と切羽詰まったメールが来れば相談にのってきたという。
その後、名前や写真をインターネット接続会社に削除された。だが、ネット空間には今も名前や写真があちこちに残る。
今年1月。いじめた側として名前や写真がさらされた1人の少年について、市の第三者調査委員会がまとめた報告書は「いじめとは認定しない」と結論づけた。母親に取材を申し込んだが、丁重に断られた。
□
日本福祉大学の学長だった加藤幸雄さん(66)は6年前に自分の身に起きたことを思い出す。
山口県光市で母子が少年に殺害された事件の差し戻し審で、少年の心理鑑定をした。殺意や強姦(ごうかん)目的はなかったとして死刑回避を求めた弁護団に頼まれた。
鑑定書に「押し入れに遺体を入れたのはドラえもんに助けてもらおうと思ったから」などという少年の主張を記すと、言葉が独り歩きし、週刊誌で「とんでもない鑑定人」と書かれた。大学には抗議の電話が殺到した。当時、少年の実名がネットに掲載され、弁護団もバッシングを受けた。
加藤さんは大津の問題も根っこは同じだと思う。
「社会の不安感を背景に短絡的にスケープゴートを決めてつるし上げ、自分は安全な側にいると確かめるような傾向がある。相手への想像力が後退している」=おわり
◇
連載コラージュは加藤啓太郎が担当しました。
※Twitterのサービスが混み合っている時など、ツイートが表示されない場合もあります。
朝日新聞社会部