江戸時代より続く
博徒系ヤクザが賭博を開帳する伝統的な
「手本引き」「賽本引き」という博打があります
博打には控除率というモノがあります
ギャンブルを運営する者(胴元)が
賭ける者に配分せずに自ら取得する割合
つまり
テラ銭の(胴元の取り分)の事です
この控除率を調べてみると
宝くじの控除率は56%
競馬・競輪・競艇・オートという公営ギャンブルの控除率は25%
パチンコの控除率は15%
「手本引き」「賽本引き」の控除率は3.33%
ちなみに
アメリカのカジノの控除率は5.26%で
博徒系ヤクザが主催し唯一非合法の賭博である
「手本引き」や「賽本引き」が実は一番「良心的」な博打なのです(笑)
さて
華やかで大人の社交場というイメージの強い
アメリカのカジノ産業は年間総売上げ324億ドル(約3兆円)です
一方
パチンコは博打ぢゃないとされていますが
仮に博打だとすれば
最盛期には30兆円産業とまで謂れましたが
2009年でも年間21兆円が総売上げを誇り軽くアメリカのカジノ産業を上回ります
しかし一方で
パチンコは「朝鮮玉入れ」と嘲笑され
パチンコに熱中する客は「パチンカス」と嘲笑され
遥かに規模の小さいアメリカのカジノ産業と比較すれば
極端にイメージが悪いですよね(笑)
パチンコとは
1895年にイギリスで生み出された「ウォールマシーン」がルーツで
コレがドイツやフランスなどヨーロッパで人気を博し
オーストラリアやインドやアメリカなどイギリスと関係が深い国にも広がり大流行し
日本にも
1929年に大阪や京都でパチンコを縁日に出店する許可がおり
1930年に名古屋で縁日などでは無く
常時営業するパチンコ店第一号が開店しました
爆発的に人気を博したのは
実は一号店がオープンした名古屋では無く高知県で半年で35店舗も開業するホドでした
球の動きが単調でスリルやスピード感もなく面白みに欠け
大当たり入賞でも7球しか出なかったパチンコを
正村竹一が1948年に
コリントゲーム(温泉街などにあるスマートボール)を参考にし
独特な釘配列を用いて球の動きをランダムに変え
球を加速させる「風車」を盤面に設置し
入賞箇所を増やしドコに球が入っても入賞した場合には一律10個の球が出る
通称「正村ゲージ」を開発しました
正村竹一は「正村ゲージ」を独占する事なく
「みんなで使ったらエエがや」という名言(?)を残し
全国的に「正村ゲージ」を使ったパチンコ台が広がっていきます
実はパチンコは換金が合法化されている「博打」でしたが
縁日では神農系ヤクザ(テキ屋)が「運営」する事はあったとしても
博徒系ヤクザが直接「運営」する事もなく
いうならば換金できるゲームセンター程度の立ち位置で
「みかじめ料」を取る程度でした
ココまでは
「朝鮮玉入れ」と揶揄されるホド
「在日朝鮮人」とパチンコの接点は際立ってませんよね(笑)
それまで手動単発式だったのですが
菊山徳治が1952年に自動連発式パチンコを考案し
パチンコブームが到来します
最盛期には全国で45317店舗を記録するほどのブームになるのですが
わずか2年後
1954年には自動連発式によって一度に敗ける金額が大きくなり
射幸心を煽るという理由で
自動連発式の禁止され同時に換金自体も禁止されました
すると
わずか半年で一気に7割のパチンコ屋が廃業しました
さて
ココからが在日朝鮮人の出番です(笑)
換金が非合法化され下火になった「パチンコ」に目を付け
脱法的な「三店方式」を開発したのです(笑)
換金が禁止されましたが
景品と交換する事自体は風営法35条により合法です
禁止されているのは
金品や有価証券と景品として交換する事と
そして客に提供した景品を再び買い戻す事です
ココに「穴」を見つけたのです
まず「特殊景品」と呼ばれる転売する価値の無い景品をパチンコ屋が出玉と交換します
パチンコ屋が自らが経営していない「古物商」免許を持っている「質屋」が特殊景品を買取ります
特殊景品を買い取った「質屋」はパチンコ屋に特殊景品を転売します
事実上「換金」を合法化した脱法行為ですが
コレを「三店方式」と云います(笑)
コレを応用すればカジノ店が
特殊景品を使って同じ事が出来るんぢゃ?と思うかもしれませんが出来ません(笑)
それは
風営法23条で特定の店舗の「特殊景品」のみを購入する「質屋」が非合法だからです
パチンコを実際に行った事があれば
「特殊景品」が市内で共通するモノだという事は解ると思うのですが
例えば
A店というパチンコ屋で手に入れた「特殊景品」を
A店に併設されている「質屋」やA店のチェーン店に併設された「質屋」に客が売らなくても
B店やC店など他のオーナーが営むパチンコ屋に併設されている「質屋」に売る事が可能で
(敢えて他のパチンコ屋に併設された「質屋」に赴いて換金するヒトはいませんが)
これにより
特定の店舗の「特殊景品」のみを買い取っているワケでは無いという名目が立つのです
これは
パチンコ経営者たちが「結託」して同じ「特殊景品」を使うからこそ始めて成り立つ方法で
もしもカジノ店が「特殊景品」を使い合法化を狙うのであれば
市内の博徒系ヤクザが「大同団結」して
同じ「特殊景品」を使いドコの店で手に入れた景品でも質屋で交換できる様になれば
合法なんですけどね(笑)
そゆ意味では
皮肉にも日本人より在日朝鮮人の方がタテヨコの繋がりが強いと云う事にもなります(笑)
簡単に云えば
この「三店方式」をパチンコ店を営む在日朝鮮人だけで「結託」し
日本人が営むパチンコ店を「輪」の中から排除する事によって
現在のパチンコ業界が成り立ったワケです
ドチラかといえば換金が非合法化され7割ものパチンコ店が廃業した時期に
「三店方式」は生み出されたので
廃業しなかったパチンコ経営者店に在日朝鮮人が多く
新規にパチンコ店を経営しようとする日本人を
「三店方式」の「輪」に入れなかったので
在日朝鮮人の職種に変貌していったと書いた方が正しいかもしれません
この「三店方式」が考案された当初には
廃業しなかった日本人が経営する老舗パチンコ店で
「三店方式」の「輪」から外された日本人が営むパチンコ屋は
今ほど客がパチンコで1度に儲ける金額が小さかった時代ですので
安売りが禁止されているタバコを特殊景品変わりに使い
「買取人」を店外に設置し現金と等価交換するという対抗措置を取っていたのですが
タバコの様にドコでも購入できた事が裏目になりました
日本人の経営するパチンコで儲けていない者でも
タバコを大量に売りに来れば
いくらパチンコ屋のお抱え「買取人」だったとしても買い取らなければなりません
つまり
在日朝鮮人側がタバコを特殊景品変わりに使っているパチンコ屋を潰そうと思えば
自らが自腹を切ってタバコを大量に買い付け
「買取人」にタバコを売りつければ「買取人」はタバコを買い取らなければいけませんし
在日朝鮮人側は同値段で仕入れたモノを同値段で売るのですから損はありません
仮にタバコ屋を営んでいる在日朝鮮人の知り合いに依頼すれば
仕入れ値以上に「買取人」に売れば儲かるのですから断る理由もありません
日本人パチンコ店の「買取人」が引き取るタバコが
パチンコ店の純利益を上回ってしまえば
必然的に日本のパチンコ屋は倒産しますよね(笑)
2005年にマルハングループの会長である韓昌祐は
「現在日本にあるパチンコ店の約7割が在日朝鮮人による経営」だと言い切っています
ちなみに
コンサートホールは日本人が経営する大手パチンコグループですが
実はセゾン・グループの直営店です(笑)
30兆円産業でも
いかに日本人がパチンコ店を営むのが難しいのも解りますよね?
では
ナゼこの脱法に近い方法が黙認されるのか?
元々「三店方式」は大阪で発祥したモノで
パチンコが
景品換金業務を「大阪身体障害者未亡人福祉事業協会」に委託し
未亡人や障害者など所謂「社会的弱者」に雇用を提供し
終戦から9年しか経過していない時代ですので
社会的弱者を雇用する受け皿などなく社会貢献に寄与しているという側面があったからです
また
建前としての「三店方式」のにも関わらず
川崎市のように
偽造された特殊景品が質屋に持ち込まれた際に
被害届を質屋では無くパチンコ店が提出されて
風営法23条違反や賭博開帳図利罪でパチンコ店を摘発する事なく
シッカリ受理しているという警察とパチンコ業界との露骨すぎる癒着もあります(笑)
パチンコ台の仕様が適正であるかを調べる試験を行っているのは
警察庁の外郭団体の保安通信協会で
職員の30%を警察出身者が占めています
パチンコ業界の大手であるコンサートホールは
1店舗に1人の警察官僚の天下りを受け入れる事を公式に表明していますし
東京商業流通組合(東京の特殊景品の卸業を営む団体)や
東京ユニオンサーキュレーション株式会社(東京の特殊景品を買い取る質屋)には
多くの警察官僚が天下りしています
コレで厳しく取り締まれというのは無理でしょ(笑)
さて
パチンコと云えば2004年度の国税庁の調査によれば
不正発見割合が脱税率は50.3%で
2店に1店は脱税をしている事になりますので脱税しやすい業種です(笑)
ちなみに
不正発見割合の1位は水商売の57.3%です
そのうち特に問題になっているのが
1993年に武藤嘉文外務大臣が国会答弁で
総聯系パチンコ店が脱税した資金で北朝鮮の核開発されている述べた通り
パチンコマネーの本国送金問題です
ただ
2011年総聯系企業に属するパチンコ店は全体の僅か10%で
排除された日本人経営者ですら30%で
10%といえば華僑経営者と同じ程度の比率です
50%は韓国民団に属す在日朝鮮人で経営されており
民団系商工会に所属する企業の70%がパチンコ業界に関わっています
李明博大統領が2008年に小沢一郎と会談し
「パチンコの業界の在日朝鮮人が困窮しているので何とかして欲しい」と依頼し
それに対し「民団と相談します♪」と判り易い返答をしています(笑)
在日朝鮮人と一口に云っても
パチンコ業界は総聯系ではなく民団系が多く占めている業種なのです
土地開発を生業としていた文秉彦は
15億もする冷凍船「愛国丸」を寄付し
足利銀行から不正融資で手に入れた250億円のうち
100億円をも北朝鮮に寄付したり
特定失踪者の拉致実行に使用されたと謂われる
西新井病院の創設者の金萬有は
平壌市文繍通りに北朝鮮で医療水準ナンバー1の「金萬有病院」を自費で設立しています
莫大な金を北朝鮮に送金する熱心な在日朝鮮人もいます
しかし
パチンコ業界には他業種の様に突出した送金をした
著名な在日朝鮮人はいません
パチンコマネー金額で「核兵器」を作れるホド送金されてるのでしょうか?
アメリカが1994年に北朝鮮のIAEA脱退表明に伴い
国連を中心とした制裁措置の一環として
北朝鮮への送金停止が検討され
同時に北朝鮮への送金ルートも注目が集まりました
自民党外交調査会で公表された旧大蔵省の1996年の資料では
コルレス契約(為替取引)を北朝鮮の銀行と結び
送金業務を正規に行っており
なおかつ北朝鮮に直接送金できる決済口座を銀行は
日本には足利銀行しか存在しませんでした
北朝鮮とコルレス契約を結んでいる邦銀は何行かありましたが
決済口座を持っていませんので
他行からの送金業務も総て足利銀行が請け負っており
総聯系の朝銀信用組合も
外為業務が出来ませんでしたので足利銀行に送金を委託していました
つまり
足利銀行から北朝鮮への送金が即ち日本からの送金の全額という事になりますよね?
旧大蔵省が発表した
足利銀行を通じ北朝鮮への送金は年間約4000件
金額は約5億6000万円で
そして北朝鮮への貿易の決済が約23億円
日本から北朝鮮にいる親族への送金からパチンコや他業種の送金も合わせても
年間5億6000万という
核開発という基準で考えれば取るに足らない程度の金額だと判明しています(笑)
パチンコ屋は送金で核兵器なんて作れないぢゃん!!と思う方や
いや!!非合法に万景峰号に現金を積んで運んでいただけぢゃん!!と思う方もいるかもしれません
旧大蔵省がバカなのか意図的にか知りませんが日本からの送金を過小算出しています
「コリア・レポート」の辺真一編集長は
「監督官庁の監視下にあり調べようと思えば
何時でも調べられるガラス張りの状態の足利銀行から
ヤミ送金なんて出来ないので最初から合法的な送金しか委託していない」と述べています
そもそも
旧大蔵省の報告が正しいのなら
足利銀行から250億の不正融資を受け
そのうち100億を文秉彦はどうやって北朝鮮に送金したのでしょうか?
日韓経済研究センターの間部洋一は
「北朝鮮によっては何も送金の総てを足利銀行を通じて平壌に送る必要はない
工作費やミサイル購入の決済資金が必要なら
在外公館がある国に日本国内で自ら振り出した小切手を持って飛行機で現地に行って
その国のマーケットで現金化して送金すればイイだけ
送金については足利銀行の役割はドンドン減っていったのが実情だ」と述べています
2002年CIAから日本の国会に提出された報告書には
足利銀行から振り出され海外で換金され北朝鮮に送金された金額や
回収不能の在日朝鮮人への不正融資を勘案して
年間約600億円と算出し
バブル最盛期には1000億を超えていたと報告しました
足利銀行が破綻した現在
日本から直接合法的に北朝鮮に送金する手段はありません
足利銀行を
「りそな銀行」方式で救済するべきとの政治的配慮を求める官僚の声を無視し
破綻させ国有化したのは
当時の自民党幹事長だった安倍晋三の意向です
本来ならば
金融庁から財務省に委託され
財務局の管轄である財務局が地方銀行の検査は行うのが慣例ですが
北朝鮮への送金に関し過小算出した旧大蔵省の報告書に不信感を持っていたのか
足利銀行「だけ」金融庁が検査を行ない破綻を決定付けたのです
では
実際にパチンコ業界は北朝鮮への送金に関し
足利銀行が破綻する前はどうだったのでしょう?
足利銀行が破綻した今どうしてるのでしょうか?
足利銀行が総聯系企業に融資を推進したのは向江久夫頭取
支店長会議でも総聯系企業への融資に慎重な支店長は怒鳴られ
「パチンコ屋でも何でもイイ!!在日朝鮮人へ融資しろ!!」とハッパをかけ
ノンバンクを4行も設立しパチンコ屋やゴルフ場や焼肉店など積極的に融資しました
日韓経済研究センターの間部洋一は足利銀行の狙い自体は正しかったと云います
「そもそもパチンコ店を新規に1店舗作るには5億から10億必要で
総聯系の朝銀信組では金額が大き過ぎて借りられない
かといって
都銀など日本の銀行は
在日朝鮮人への融資は敬遠するソコで貸してくれる唯一の銀行が足利銀行だった」
経済が右肩上がりだったバブル時代なら不良債権化する事もありませんし
総聯系商工会に加盟者は約2万8000人
融資対象から他の都銀が外しているという事は
総て足利銀行の「お得意様」になるという皮算用です
四国タイムズによると
足利銀行で融資を受けたパチンコ屋は新店舗を開業すると同時に
余剰融資金(新店舗オープンに10億借りて実際には5億で建設する)で
北朝鮮にボーリング場を建設しても
足利銀行の融資を焦げ付かせる事なく全額返済したそうですので
云うならば総聯系パチンコ店とウィンウィンの関係を
バブル時代に築いてたのは間違いありませんし
パチンコ産業の成長は足利銀行おかげだったと言い切れるワケです(笑)
足利銀行が破綻した現在はどうなったのでしょう?
「オリンパス巨額脱税事件」を大手マスコミに先駆けてスッパ抜いた
会員制月間情報雑誌「FACTA」記事が答えになっていると個人的には思います
その記事とは2012年2月号に掲載された
「総聯系企業に大物税理士失踪の衝撃」です
2001年から
総聯系企業100社の節税指南をしていた税理士が
節税出来た差額を北朝鮮に中国の銀行を通じ送金していたのですが
国税局に発覚しそうになり失踪し
総聯系企業には衝撃が走ったという記事です
つまり
この税理士に依頼した総聯系企業は
節税出来た金額の一部が
自動的に北朝鮮に送金されていたという事です
パチンコ店経営者が送金されている事を知っていたのか
朝鮮総聯が関与していたのかは解りませんが
やはり文秉彦や金萬有と同じく
猛烈に北朝鮮に対しシンパシーを持つ一個人の税理士が
パチンコマネーの送金を主導していたという事です
マスコミが始めて報道したのは
ダブロイド紙の「夕刊フジ」ですが
これを皮切りに朝日新聞・産経新聞・読売新聞などでも報道されました
「FACTA」も大手マスコミも
ナゼか「ある大物税理士」と匿名表記で税理士の名前は伏ましたが
この指南した税理士は朴茂生といいます
税理士免許を自ら返上し東南アジアに渡航したまま日本に帰ってきません(笑)
夕刊フジの伏字だった部分を個人名・企業名を総て加筆して書けば
年間50億円も朴茂生の指南によって節税していた
「セントラルグループ」の名前で知られた
高知県の大手パチンコチェーンは
時効にならない分だけでも総額約200億円も脱税しており
セントラルグループの中心会社である「慶尚」社長の山本文吉や
現役員の逮捕や実刑は免れないと
国税庁筋は語っていると夕刊フジには新聞書かれていました
実は「慶尚」はバッチリ自民党高知県連にも献金してます(笑)
コレ違法献金です(笑)
そういえば
総理大臣を務めた菅直人も
パチンコ店も経営し横浜商工信組の非常勤理事を務める河善鎬から献金を貰っていたのですが
パチンコ店の地上げに関連してNTT労組を動かしてくれた「見返り」だと
河善鎬自身は認めていたんですが
東日本大震災が起き違法献金かうやむやのままに終わってしまいましたね(笑)
実はこの巨額脱税事件が発覚したのはヤクザの「おかげ」です(笑)
「セントラルグループ」の経営者と個人的な金銭関係のもつれで相手に恨みを持った
地場のヤクザが
大手調査会社に依頼して「弱み」を握りユスろうとした所
大手調査会社が予想外のスケール大きい「弱み」を掴んでしまい
持て余した結果ヤクザが「告発」に踏み切ったのですですから
「セントラルグループ」を除くパチンコ店や
税理士の朴茂生は巻き添えを喰らっただけです(笑)
壮絶にスケールは大きくなっていきます
「FACAT」が報道した時点では100社程度の規模だった筈なのですが(それでも多いですが)
いざ本格的に捜査が開始されると
朴茂生が節税を指南したパチンコ店に関し
2012年2月12日には40グループ1000社で1000億の脱税発覚
2012年2月14日には発覚した40グループのうち30グループで3000億の脱税準備が発覚
2012年7月9日には1グループ20社で40億の脱税発覚
2012年9月6日には5グループ20社で230億の脱税発覚
脱税額は判明しているだけで1270億円
この一部を朴茂生が北朝鮮に送金していたという事ですが
仮に10%だとしても127億円です
言い方が悪いかもしれませんが
個人的な恨みが動機の経済ヤクザでもない一介の田舎のヤクザが
こんな巨悪な「弱み」を知ってしまったら
むしろ「弱み」につけ込むより逆に「身の危険」を感じて国税庁に情報を売っちゃいますよね(笑)
コレだけ芋づる式にバレたのは2つの理由からです
1つは
朴茂生は
2001年に導入された「現物出資」という
資産移転や株式譲渡を非課税にする事で合併や分割を促し
企業の国際的な競争力を高める目的で導入された制度を悪用した
通称「Sスキーム」の1種類だけしか使って無かったからです
もう1つが
各グループの中核法人などは
朴茂生の経営する税理士法人と同じ場所に登記上の本店を移していたからです
企業本社1000社の所在地が全部同じ建物にあって
全社「Sスキーム」を使っていれば国税局だって疑うでしょ(笑)
ナゼ同じ建物に本社を移したのかといえば
朴茂生の税理士法人に勤めていた関係者が朝日新聞の取材に対し
「数年前に「Sスキーム」に関して一度は税務署の調査が入ったが
一度は「白」判定が出たのに今さら…」と答えてます
税務署を舐めちゃいけません
「Sスキーム」が仮に違法でなく脱法行為だったとしても
税務当局には「行為計算否定」が出来ます
「行為計算否定」とは
法律上「合法」な方法で節税しても
「租税回避目的」だと税務署が判断した場合には
その「租税回避行為」を否認して税収を再び計算し直し請求する事ができます
こんな単純な事を税理士が知らない筈ありませんよね?
つまり
税理士事務所は千代田区にありましたので
千代田区を管轄する神田税務署なら他の税務署とは違い
「Sスキーム」に関し「行為計算否定」を絶対にしないという確信なり自信があり
中核法人の登記上の本店を動かしたと推察できますよね
まぁ実際の所は解りませんが…
パチンコには他にも問題があります
パチンコ台は
「大音量の音楽」「点滅するネオン」「回転するデジタルスロット」など複数の要素が絡み
交感神経系優位で被催眠性の高い人(俗に熱中しやすいと謂われるタイプの人)を
トランス状態の一種であるリラックス状態に陥らせ
大当たり時に
脳内から大量のβ-エンドルフィンやドーパミンなど
脳内麻薬と呼ばれる神経伝達物質が分泌される事で起きる高揚感を制御できなくなり
浪費する傾向に走る「パチンコ中毒」問題
精神医学では
国際疾病分類ICD-10「精神および行動の障害」の中で病的賭博に分類されています
それに関係し
2006年で37件56人の子供が
親がパチンコ遊戯託児所や保育園に預けられず車内に放置されるという問題も起きています
また
大当たりを店側が遠隔操作したり
ヤクザなどが不正にパチンコ基盤ROMを改造し
出玉をコントロールする遠隔操作や不正改造の問題もあり
一部の優良パチンコ企業が
アメリカのカジノ産業の様な健全化を目指そうとしても問題は山積みです
そういえば
古物営業法第15条では
一万円以上の商品を買取った場合には
住所・氏名が記載された身分証の提示を義務付けていますので
一万円以上の「特殊景品」を買取る際に
身分証を提示していない景品買取所は違法なんで
パチンコ屋に併設されている質屋は古物営業法違反で摘発されてもイイ筈すけど
ナゼか摘発されません(笑)
とにかくパチンコの闇は限りなく深い
2012年11月
スフィンクスと狛犬と在日朝鮮人の生活保護問題と
コレは何でしょう?
まず
日本人の誰もが「スフィンクス!!」ってドヤ顔で言い切るでしょうが違います(笑)
エジプト人は「アブル・ホール」日本語に訳せば「畏怖の父」と呼びます
「スフィンクス」とは
古代ギリシャ語で「スピンクス」を英語発音にしただけで
ギリシャ神話に登場するテューポーンとキメラの娘で
ライオンの身体に美しい人間の女性の顔と豊満なバスト
鷲の翼を持ち尻尾は蛇の「怪物」の事です
「アブル・ホール」は
ネメスと呼ばれる頭巾を付けたファラオの顔とライオンの身体を持つ「神聖」な存在で
冥界の入口(神域)を護る神聖な存在として信仰されたモノで似て非なる存在です
ですから
中国語では
「スフィンクス」は「獅身女面像」
「アブル・ホール」は「獅身人面像」と表記しますが
全部まとめて日本では「スフィンクス」です(笑)
ちなみに
エジプトの「アブル・ホール」の信仰がメソポタニアに伝播し
神殿や宮殿
王墓など神域の守護神として「アブ・ル・ハウル」として
女性の顔を持つ獅子の像が設置され
古代インドに伝播し
如来の両脇に守護獣として獅子の像を置き
ソレが日本に伝播し狛犬になりました
つまり
狛犬の起源は実は「エジプト」にあるワケです
さて
エジプトというと
在日エジプト人のフィフィさんVS在日朝鮮人のツィッターでの応酬が
最近ニュースになっていました
http://www.j-cast.com/2012/11/02152571.html?p=all
記事の内容を再現すると
@FIFI_Egyptさん
「在日外国人の1人として
言わせていただきます
外国人が生活保護を受けること自体が不自然です
自国から拒否されてるわけで無いなら
なぜ愛する母国に帰らないのか?」
@kattobi0556さん
「歴史的な背景を知らないのに語る資格はないアホ」
@kanayayokoさん
「断片的な知識しかないアナタに
在日外国人を語る資格はありません
なぜ朝鮮半島の人々が日本にいるのか?
語るなら本気になって勉強してください」
@FIFI_Egyptさん
「在日外国人とは表記しましたが
朝鮮半島云々とは一度も表記してませんよ?」
@kattobi0556さん
「あなたが朝鮮と表記してなくても
あなたの言葉はレイシストに利用されて
私達は迷惑しています」
@rinda0818さん
「心の底から同意
都合のいい外国人になってる自覚もない」
@FIFI_Egyptさん
「まともな外国人は
日本と母国の架け橋として
この国で日本人との共生に努めています」
この様な流れですが
歴史を勉強する事に損はありませんので
生活保護と在日朝鮮人の歴史を詳しく振り返ってみる事にしました
実は
終戦の翌年1946年に制定された旧生活保護法では
日本人も外国人も区別なく在住者は生活保護の対象でしたが
1950年の改訂で国籍条項が加わり生活保護の支給対象は
「主権民」(日本国民)のみと限定されました
1946年というと
在日朝鮮人生活権擁護委員会が結成され
朝鮮人に対する生活物資の優先配給を要求し首相官邸を襲撃した年です
警官隊23名の重軽傷者を出しアメリカ軍憲兵隊までも出動し鎮圧した事件ですが
主権民では無い在留外国人が
首相官邸を襲撃するという前代未聞の強硬な権利獲得闘争が
日本人も外国人も区別なく在住者を生活保護の対象に制定した可能性はあると
個人的には思います
ナゼなら
仮に生活保護の対象から在留外国人を排除すれば
再び首相官邸襲撃の様な騒乱が起きる可能性があるからです
しかし
首相官邸襲撃時の首相だった吉田茂は
GHQ最高責任者だったマッカーサーに対し
在日朝鮮人全員の送還嘆願書を提出していますから
個人的には逆効果だったような気がします(笑)
ともかく
日本人も外国人も区別なく在住者は生活保護の対象になりました
しかし
僅か4年後1950年の改訂で「国籍条項」が導入されました
ナゼ「主権民」だけにしたかというのには2つの理由があります
まず1つ目の理由ですが
日本の主権が回復するサンフランシスコ講和条約締結まで
在日朝鮮人は日本国籍を保有していましたが
1947年に発布されたポツダム勅令の「外国人登録令」により
在日朝鮮人は「外国人」として扱われる様になり
韓国が1948年に建国された為に
外国人の生存権保障の責任は第1次的には
外国人の属する「国家(祖国)」が負うべきであり
そして
永住外国人が本国に資産があるかの調査が難しく
下手をすれば無条件に保護を認める事になり
ソレは「生活保護」によって弱者救済しようとする過程で
特定の集団(在留外国人)の資産調査の厳正化が困難なため
主権民の日本人の貧困弱者と
待遇・利益・公平感が損なわれるという「逆差別」を生む可能性があるという考え方です
もう1つは
「コチラは国際的には所謂「紳士」としての態度を以て韓国に接しましても
韓国の方は紳士的では無いとは申しませんが
コチラから密航した者を密航したという確証を挙げて韓国に強制送還を申し入れましても
その送還を容易に受け付けない
コチラは向こうから出てきた者を受け入れっぱなし
不法入国であるが何だろうが返す事が出来ない
それを国費で国民の血税で養ってやらねばならない
その取り扱いについても
極めて親切丁寧にしなければ人権蹂躙というような問題まで起きてくる
コレを大まかに考えますと日本の為にやらなければならないのか?
日本国民の血税の犠牲に於いて
韓国人を第一義として大事にしてあげなければならないか?という所まで
考え方によっては行く問題であると私は思うのであります」
「朝鮮人は戦勝国と称し威張りに威張っている状態で
日本が
あまりに待遇をよくするから
朝鮮人の連中は向こうで喰うに困ったならば日本へ行った方がイイ
日本に行きさえすれば待遇がイイ
日本に行きさえすれば生活出来るという様な理由から
ドンドン入ってくるのぢゃないかと思うのであります」
ドコの嫌韓厨の発言だと思うヒトも居るかもしれませんが
上が小泉純一郎の父親の小泉純也政府委員が衆議院法務会で述べた言葉で
下の発言が椎名隆衆議院議員の国会答弁です(笑)
1950年といえば
ジョセフ・ドッチ草案の
緊縮財政や復興金融公庫融資の廃止による超均衡予算
日銀借入金返済などの債務償還の優先
複数為替レートの改正によって1ドル=360円の単一為替レートの設定
戦時統制の緩和し自由競争の促進
所謂「ドッチライン」が実施され
日本国内は戦後インフレは収まりましたが
逆にデフレが進行し失業や倒産が相次ぐ安定不況が引き起きた時代です
1950年7月6日に東京証券取引所の修正平均株価(日経平均株価)は
算出来の安値となる85.25円を記録したのですが
これは現在でも日本史上最安値です
そして
1945年終戦より
日本政府は密入国者の摘発を行っていましたが
わずか半年で密航逮捕者3000人を超えた為に追加予算を請求するほど
密航者が後を絶えず
1950年には
韓国政府は強制送還を拒否し李承晩ラインで拿捕した3929人の日本人の返還条件として
密入国者を日本国内に解放するよう要求した年でもあります
1950年6月28日の産経新聞には
1945年から1950年の在日朝鮮人の密航者数は20万以上40万以下と推定しています
ナゼ実数が解らないかと云えば
北朝鮮から
「朝鮮民主主義人民共和国赤十字栄誉徽章」を2度も授与された佐藤勝巳によると
対馬に外国人登録証の偽造製造工場があった事や
日本から帰国した在日コリアンの
外国人登録証が売買されるので幽霊登録証が大量に存在する事を挙げて
在日朝鮮人で弁護士の洪正秀は
「本名・本籍や本当の生年月日が外国人登録と異なる事が多々あります
実は私も朝鮮学校に通っていた時代には「尹(ユン)」という氏を使用していました
戦後に父が密航で日本にやって来て他人の外国人登録を買った為でした」
ちなみに
2005年の日韓基本条約関係文書公開に伴って
韓国政府に対して「強制連行の被害者」だと補償申請者した在日朝鮮人は
わずか39人しかいません(笑)
つまり
朝鮮人が密航でも何でも日本に来てしまったら
強制送還しても韓国政府が受け入れを拒否するので
ドッジラインによって不況になっているのにも関わらず日本人の血税で
生活保護という形で養う現状で
その事が朝鮮人の密航を誘発しているのではないか?という考え方です
そういう時代背景の中で改訂された生活保護法には
「国籍条項」が存在する様になりました
すると
1950年11月20日
約200人の朝鮮人が神戸市長田区役所に押しかけ
「市民税免除」と「生活保護の認可」を要求します
しかし
区長がこれを認めなかったので
区長を軟禁状態にして騒ぎ出し
神戸警察署が出動し30人の在日朝鮮人を逮捕します
11月24日
要求が認められなかったので
今度は約300人の朝鮮人が再度長田区役所に押しかけ区長との面談を要求した
区長が拒否したので
在日朝鮮人たちは区役所に乱入し窓ガラス等を破壊した上
出動した警察官に対しても暴力を振るったので
不退去罪や公務執行妨害の現行犯として26人が逮捕されました
11月27日
長田区にあった西神戸朝鮮人学校に千数百人の朝鮮人が集結
神戸市警察は全警察官を総動員して対処した
在日朝鮮人は投石用の石や棍棒を用意するなど不穏な抗戦状勢となったので
正午に解散を命じたが
「犬め!!殺してやる!!」と暴言を吐いて命令を無視し
午後3時20分頃
学校から出て無許可のデモ行進を始めたので
遂に警察は神戸市電の湊川大橋停留所付近で検挙を開始したが
デモ隊は激しく抵抗し約60人が逮捕された
その残党は北上を続け
長田区役所や長田税務署を襲い窓ガラスを割るなどしたので
騒乱罪などで最終的に179人が逮捕されました
1951年10月22日
兵庫県加西郡下里村に在日朝鮮人約200名が
「生活保護」と「強制送還反対」の陳情のために下里村役場に押しかけた
そして応対した村役場職員を吊るし上げ
椅子を振り上げる等の暴力威嚇行動を取ったの
兵庫県警は暴行脅迫・恐喝容疑で15名を逮捕しました
1952年5月31日
山口県宇部市には
3100人の在日朝鮮人が居住していたが9割が「生活保護」受給者でした
しかし
宇部市当局は「生活保護者」である在日朝鮮人が
日中からパチンコ屋に入り浸り
潜在的収入があると判断し「生活保護」の打ち切りを視野に入れた対策協議を練っていました
ソコで出た結論が
「生活保護費の増額は認めない」という事でした
その結果に在日朝鮮人側に激昂し
5月31日
朝鮮人解放救援会山口県本部が宇部市福祉事務局に押しかけ執拗に抗議する方針を取り
実行に移します
6月3日
宇部市福祉事務所に抗議で集まった在日朝鮮人が400人を超えた為に
宇部警察署の職員を総動員し抗議する在日朝鮮人を排除します
その混乱の最中
無人になった上宇部派出所を在日朝鮮人が襲撃します
6月5日
朝鮮人解放救援会山口県本部が「民主愛国青年同盟」を結成し
県内各地から朝鮮人が多数集結させ
宇部市福祉局に抗議する傍ら
約70人が午前11時にナゼか宇部興産の工場に乱入し
守衛を殴打し電話線を切断するなどの破壊行動を行い
同時刻に在日本大韓民国民団の団員宅をナゼか襲撃し
朝鮮人解放救援会山口県本部引き揚げます
警察は襲撃犯を逮捕するために
解放救援会事務所を包囲し
警察は実行犯の引渡しと解散を呼びかけたが
朝鮮人側は投石などの手段で抵抗したので警察は実力行使を開始し
催涙ガス弾も導入して鎮圧しました
1954年
「人道的見地」から生活に困窮する永住外国人などにも
生活保護法を準用するという厚生省社会局長通知が出され
国籍条項は無視して在日朝鮮人も支給される様になりました
あれ?1952年の宇部市は在日朝鮮人に生活保護を受給させてて
生活保護費の増額をしない決定に抗議して暴動を起こしたんでしょ?
「人道的見地」から永住外国人に生活保護を準用したんは1954年なんだから
時系列が合わないぢゃん?って思う方がいると思いますが
その理由は不明ですので
ブログを読んだ方が勝手に想像してください(笑)
さて
超法規的に「国籍条項」が無視して在日朝鮮人にも生活保護を準用していましたが
1981年
日政府は「難民の地位に関する条約」という国際連合の条約を批准します
この条約を批准した事に関連して
1982年
「出入国管理令」が「出入国管理及び難民認定法」と改められ
難民条約に定められた難民に対する各種の保護措置を確保するため
国民年金法や児童扶養手当法など社会保障関係法令から
国籍要件を撤廃する法整備が行われ
初等教育・国民年金・児童扶養手当・健康保険など
日本国民と同一待遇を受けられるようになりました
つまり
ココに来て名実ともに生活保護の国籍条項が無効化されたワケです
嘘です(笑)
生活保護法は改正されていませんので
1950年に設けられた国籍条項は今でも生きています!!
ですから
在日外国人に「生活保護」を支払うべきか
2008年に日本で初めて裁判が開かれる事になりましました
訴えを起こしたのは
大分市福祉局に生活保護を「国籍条項」を根拠に許可されなかった在日中国人です
訴えを起こした在日中国人が
生活保護受けずに
どうやって裁判費用や滞在費用を賄っているのか気になります(笑)
それはさておき
今まで一度も在留外国人の生活保護に関して訴訟が起きた事はありませんでしたので
コレが最初の裁判です
そんな唯一の訴訟事案の顛末ですが
一志泰滋裁判長は
厚生省社会局長通知があったとしても
国籍条項が撤廃されていない以上は
外国人の生存権保障の責任は第1次的には
外国人の属する国家が負うべきで
永住外国人が本国に資産があるかの調査が難しくのだから
無条件に保護を認める事になり
ソレは「生活保護」によって弱者救済しようとする過程で
特定の集団(在留外国人)の資産調査の厳正化が困難なため
主権民の日本人の貧困弱者と
待遇・利益・公平感が損なわれるとして
厚生省社会局長の通知に従わず
生活保護法の「国籍条項」を大分市福祉局が遵守するのは自由だと
在日中国人敗訴の判決を出しました
当然ですが控訴します
くどい様ですが生活保護の受給申請したのに
何で控訴できちゃうのか不思議ですが
きっと支援者がいるんでしょうね(笑)
さて二審では
古賀寛裁判長は
難民条約の批准や外国人に対する生活保護の準用を指示した以上は
国は一定範囲の外国人も法的保護の対象としたと考えられる
という事で在日中国人が勝訴しました
大分市側は納得いかず控訴
最高裁はまだ判決は出ていません
つまり
現時点では高裁判決の
「難民の地位に関する条約」と厚生省社会局長通知が
生活保護法の国籍条項よりも重んじられて当然だと判断されています
在日朝鮮人が生活保護を受ける事は
あくまで「合法」です
さて
1997年の在日朝鮮人の総数は657159人で無職者が476144人います
在日朝鮮人の総数も増えていますが無職者も減少する事なく増加してますよね?
端的云えば在日朝鮮人の1.3人に1人は無職という事になるのですが
特別永住者の在日朝鮮人の数は385232人であり
一般永住者や長期居留者や留学生
そして未成年者から還暦を超えた老人までを合算し657159人です
では
実際に受給されている世帯はどの程度かと云えば
27035世帯の在日朝鮮人が生活保護を受給していますので
在留外国人の生活保護の割合いを示すグラフは
この様な形に必然的になります(笑)
「日本人が生活保護を受ける場合は
本人の経済状態や扶養できる親戚がいるかなど綿密に調査が行われるが
外国人については領事館に「本国に親戚がいるのか」問い合わせるだけで
簡単に受給が出来る仕組みになっている」
コレは片山さつき議員の発言で実際の現場の事は解りません
地方自治体は不正受給の摘発をすると
国から3/4交付されている国の生活保護負担分を返還しなければなりません
不正受給者が行政に不正受給で得た金銭を返納しない限り
積極的に不正受給を取り締まるほど自治体には負担となりますので
地方自治体は日本人だろうと在日外国人だろうと
「不正受給」に本腰になどなる事は絶対にありません(笑)
日本弁護士連合会が2006年調査によると
生活保護を求めた180件のうち118件で福祉事務所の対応に違法性が見られ
担当職員の「門前払い」の問題も指摘されます
つまり
不正受給を行政側は取り締まる気はないから
日本人の生活保護受給申請者に対し
厳格に審査する「水際作戦」を取っているのは事実だと思います
では在外外国人に対しては片山さつき議員の云う通りなのでしょうか?
片山さつき議員の証言を裏付ける資料が存在します
厚労省の
「世帯主が日本国籍を有さない生活保護受給世帯に属する人数
及び受給者数全体に占める割合」
2008年3.2%で2011年は3.6%ですので
審査が厳正に行われているかは解りませんが上昇しているのは事実です
しかし
日本人の生活保護受給率も上昇していますので
必ずしも審査がザルと決め付ける事は出来ないと思います
2007年12月5日の
民団新聞に
生活保護申請者へ
生活保護を受給させるべきかの裁量権を持つケースワーカーへの異動を希望している
川崎市の一般事務職員の金本大祐サンが
「韓国籍」という属性を理由に過去3度も異動を却下された事を
「差別ニダ!!」と報道していました
在日朝鮮人を生活保護のケースワーカーに就かせないのは
川崎市としては「差別」ではなく
ある種の水際作戦のだったとも考えられます
ナゼなら
2009年
韓国籍の金本大祐サンは念願叶って生活保護課に異動し
「在日朝鮮人の為に働く!!」と堂々と意気込みを語ってるそうですから
ゲスな勘繰りをすれば水際作戦だったでしょう(笑)
ところで
在日外国人に支給されている生活保護費を
金額に直せば日本の生活保護予算が約3.3兆円ですので
在日外国人が約1200億円(3.6%)
そのうち在日朝鮮人には約800億円が支払われている事になります
この金額を日本人がどう思うかは解りません
限られた国家予算の中から
800億円あるいは1200億円を支払う位なら
渡航費用を渡して本国に帰国させれば負担軽減になるのに…
そう考える日本人は多いのではないかと個人的に思います
朝鮮新報主催の商工連合会経済研究室によると
韓国への投資について
自営業者の在日朝鮮人の14.8%が投資経験があると答えましたが
投資の失敗の原因や在日朝鮮人の関心の低い理由として
家族や親戚への頼りすぎ詐欺や提携業者からの裏切り
約束に対する概念や信頼関係をとても大事する日本人との韓国との差や
韓国に関する情報不足を挙げています
つまり
有職者も無職者も
故郷に錦を飾るという本国への帰属意識が薄れた事に関連し
在日朝鮮人の多くが
日本で生まれたので母国語を使えず
また
親類縁者や友人・知人・恋人も日本国内におり
生活基盤も日本国内しかなく
強制的に本国に送還させられても生活など絶対に出来ないのも一方の事実です
そういえば
「在日本大韓民国居留民団」も
仮住まいとしての意味を持つ「居留」という文字を名称から外して
「在日本大韓民国民団」と1984年から名称を変えましたよね?
仮住まいぢゃなくなったという意味でしょうかね(笑)
帰属意識は無いが日本に帰化する気もないという事なんでしょうか?
ただ
無職の理由が日本人の「差別」が原因で就職出来ないのであれば
民団や総聯が大々的にデモをしている筈ですし
親韓派の文化人がマスコミに問題提起していますよね?
あるいはマイノリティ保護に熱心な市民団体が問題提起している筈ですよね?
その様な運動が起きていない以上は
差別では無く他の何らかの理由で無職な筈です
在日朝鮮人は
帰化した朝鮮系日本人ではありません
単に永住資格を持っているだけの外国人で祖国は韓国なり北朝鮮です
直ちに帰国しろ!!とは思いませんが
少なくとも日本政府に援助を求めるのでは無く
「祖国」に援助を求めるべきでは無いでしょうか?
あるいは「祖国」に援助は求めないホド
帰属意識が薄れているなら帰化を選択しないのでしょうか?
もちろん
今は高裁判決がある以上は
在日外国人に生活保護を受給する資格は存在しますので
日本の行政に援助を求めるのは自由ですし
現状では援助する「義務」は日本政府にあります
では
仮に最高裁判決で
在日外国人に生活保護を受給する資格が無いと判断された場合
どうするのでしょうか?
生きる手段として犯罪に走るのでしょうか?
祖国に保護を求める?帰国するのでしょうか?
それとも
在日朝鮮人生活権擁護委員会を再結成し
デモを行う?
あるいは暴力的に再び
首相官邸に襲撃し生活保護法の改訂をさせるのでしょうか?
ただ
在日外国人の生活保護の問題に関しては
最高裁判決によって日本国内で劇的に変化が訪れるかもしれません
天下無双の兵法家宮本武蔵と地上最強の空手家大山倍達(崔永宜)
バガボンドという漫画を知っていますか?
バガボンドは吉川英治原作の「宮本武蔵」をモチーフに井上雄彦が脚色した漫画で
その単行本は
国内で6000万部以上の発行部数を誇り海外でも2200万部以上の発行部数を誇る漫画です
宮本武蔵
二天一流の開祖で生涯に於いて一度も敗北を喫した事が無い「天下無双」の兵法者
宮本武蔵が書き記した「五輪書」には
「1000日の稽古を以て鍛とし
10000日の稽古を以て錬とする」という言葉があります
コレが「鍛錬」という言葉の語源ですが
「鍛」として基礎が定着するまでに約3年の歳月が必要で
「錬」として1つの道として揺るぎなく完成するまでには約30年の歳月が必要
つまり
剣の道を極める為には継続的な努力や精進が大切だと説いた言葉で
「鍛錬」という言葉を産み出した事でも有名ですね
その伝説的な生涯は
古くは浄瑠璃や歌舞伎や武侠小説の題材として江戸時代より庶民に親しまれ
現在でも映画にドラマに小説の題材として扱われます
伝説的な決闘といえば
宝蔵院槍流の2代目宝蔵院胤舜との死闘
吉岡清十郎との蓮台寺野での死闘
吉岡伝七郎との三十三間堂での死闘
吉岡一門100余名との一乗寺下り松での死闘
伊勢での鎖鎌の達人宍戸梅軒との死闘
巌流島での佐々木小次郎との死闘などがあります
ちなみに
宮本武蔵が回顧録的な剣術指南書「五輪書」を書き
ソレを参考に
宮本武蔵の養子だった宮本伊織が「小倉碑文」を作り
その「小倉碑文」を参考に
二天一流の師範だった丹治峯均が「兵法大祖武州玄信公伝来」を書き
明治時代になって
宮本武蔵遺蹟顕彰会が
「兵法大祖武州玄信公伝来」を参考に「顕彰会本」を編纂し
その「顕彰会本」を参考にして吉川英治の「宮本武蔵」は書かれ
吉川英治の「宮本武蔵」を参考に井上雄彦は「バガボンド」は描かれています
ある意味で
宮本武蔵が自らの半生を振り返った「五輪書」より継がれる正当な伝承という事です
さて
宮本武蔵が武者修行の礼儀を無視した形で
京都「最強」と謳われ
足利将軍家指南役でもあった「吉岡流」に勝負を挑み
当主の吉岡清十郎を蓮台寺野で
弟の吉岡伝七郎を三十三間堂で相次いで打ち破り
私怨に燃えた吉岡一門総勢100余名と宮本武蔵が一乗寺下り松で決闘し
それ打ち破った為に吉岡一門は滅亡した事になっていますが…
医者であり郷土研究家の福住道祐の書き記した「吉岡伝」
天道流剣術と武田流兵学を学んだ兵法家の日夏繁高の書き記した「本朝武芸小伝」
国学者だった柏崎永以の書き記した「古老茶話」によると
宮本武蔵が「吉岡流」の吉岡憲法と戦い
宮本武蔵が試合中に「大流血」したので
勝敗の決着を付ける事無く試合を終えたので引き分けだったと書かれています
まず
吉岡憲法というのは個人名ではなく「吉岡流」の当主が代々名乗るモノです
宮本武蔵と同時代の当主は四代目吉岡憲法こと吉岡直綱です
吉岡清十郎という名前ではありませんが当主は彼ですし
実際に宮本武蔵と戦った史料もありますので
吉岡清十郎を指す人物という事になりますよね?
この吉岡直綱
大阪の陣では豊臣方として参戦したために
大坂の陣で豊臣敗戦後は浪人狩りを恐れ剣術から足を洗い
染物屋として天寿を全うしてます(笑)
弟の吉岡又市は(伝七郎という名前ではありませんが…)
1684年に福住道祐の書き記した「吉岡伝」を参考にすれば
兄の吉岡憲法と宮本武蔵の戦いの後に
宮本武蔵から試合の申込みがあったので快諾したが
宮本武蔵が決闘場所に現れず「不戦勝」だったと書かれています
コレでは
どうも一般的に語り継がれている決闘の逸話と随分と違いますよね?
少し話は逸れますが
京都最強と謳われた「吉岡流」ですが
室町時代末期に京都に存在した剣術8流派が統合されて出来た流派で
将軍家指南役になった理由も
単純に8流派が統合してしまい京都には「吉岡流」しか存在しなかったからです(笑)
ですから
何ら実績も無い「吉岡流」は
創設された瞬間から12代将軍の足利晴元の将軍指南役になったのですが
13代将軍の足利義輝のように剣術に造詣が深い将軍の場合には
将軍家指南役に「新陰流」を選び
14代将軍の足利義昭は
剣術に興味がなかった為に
将軍家指南役に「吉岡流」を選んでいます
つまり
「たしなみ」程度に剣術を学ぶ場合には
将軍家は「吉岡流」を選んでいる事が解ります(笑)
ただ
将軍家憲法指南役だったのは事実ですし
当然ですが稽古の際に生傷は絶えませんので
稽古で負った治療の為に生薬に吉岡一門は精通してました
当時の染料の原材料は生薬と同じく薬草です
吉岡一門の門下生だった中国人の李三官から染色技術を学び
四代目吉岡憲法は
黒褐色の染物「憲法染」を発明します
黒染めには高い技術が必要で吉岡流が販売する「憲法染」は
良心的な価格で絶大な人気を誇り
京都に存在する染屋の多くが
この「吉岡流」から技術を学び「暖簾分け」された門下生の為に
京都の染色業者には
吉岡姓が現在でも多数を占め
今では日本伝統色の1つとして「憲法黒」が存在します
吉岡直綱(憲法)には2人の弟がいます
宮本武蔵に不戦勝で勝った吉岡又市と吉岡清次郎です
名前からしても宮本武蔵が戦った吉岡清十郎に異常に近いですよね?
1613年に豊臣秀頼が方広寺大仏殿を再建した際に
落成の祝宴の能が開催されたのですが
一般庶民は祝宴の拝観が許されていませんでしたので
一般庶民が拝観しないように雑踏警備の参加していた只見弥五左衛門に
拝観しようとした吉岡清次郎は咎められブチキレました
只見弥五右衛門を殺害しただけでは怒りが収まらず
周囲にいた一般人の多くの人々を殺傷します
キレすぎです(笑)
その騒ぎに駆けつけたのが
京都所司代板倉勝重の家臣だった大田忠兵衛ですが
彼に吉岡清次郎は斬られ死亡してます
いずれにせよ
宮本武蔵と戦って死んだワケではありませんし
宮本武蔵によって吉岡一門が断絶されたなどという事はありません(笑)
宝蔵院槍流の2代目当主だった宝蔵院胤舜との死闘
鎖鎌の達人だった宍戸梅軒との死闘に関しては
「五輪書」にすら記述が存在しませんし
他に何ら裏付けになる史料がありませんので
丹治峯均による創作だった可能性が非常に高いです
それに
「鍛錬」の語源になった
「1000日の稽古を以て鍛とし
10000日の稽古を以て錬とする」という言葉ですが
実はコレ
世阿彌陀佛が書き記した能の芸道書「風姿華傳」の
「1000日を以て初心とし
10000日を以て極みとする」という言葉のパクリです(笑)
「風姿華傳」は明治時代になるまで一般には流通しておらず
徳川家康や細川幽斎など一部の能愛好家のみが所持していた秘伝の書です
武芸者だった宮本武蔵が簡単に読めるワケがなく
剣の道を極めようとしたら
偶然にも能の道を極めようとした世阿彌陀佛と
求道者同士ですので同じ境地に辿りついたとも考えられるワケですが
実は
五輪書を書いた頃の宮本武蔵は
「風姿華傳」を所持していた数少ない人物の細川幽斎の孫にあたる細川忠利の元におり
「風姿華傳」を読もうと思えば読めたワケです(笑)
ただ
大阪の陣では水野勝成の食客として
徳川御三家の1つ尾張藩の家老だった寺尾政成の要請で道場の開設をし
姫路藩主だった本田忠刻の食客として明石市の都市計画をしたり
肥後藩の細川忠利に食客として招かれています
宮本武蔵が対した実績も無い無名の兵法家だったとは思いません
宮本武蔵が武勇伝も含め相当に自分の実力を盛った可能性は高いと思います
さて
史上最強の空手を自負する「極真会館」
この開祖で初代館長だった大山倍達こと崔永宜
その半生は
梶原一騎原作の漫画でTV化された「空手バカ一代」で有名ですね
昭和33年に大山倍達が描いた「what is karate?」は
世界25万部を売り上げ
現在でも世界で一番発行部数がある武道書であり
ドキュメント映画「史上最強のカラテ」シリーズは大ヒットし
一大「空手ブーム」を築き上げ
世界140カ国に支部を持ち門下生は1200万人以上を誇ります
古くは灰色熊を素手で倒しアントニオ猪木とも闘ったウィリー・ウィリアムス
K1で「かかと落とし」を武器に一躍スターに登り詰めたアンディ・フグ
同じくK1で「一撃伝説」を作り上げたフランシスコ・フィリオ
今や世界最高峰の格闘技イベントとなったUFCで優勝したジョルジュ・サンピエール
など幾多の外国人選手が尊敬して止まない大山倍達
大山倍達の半生を振り返れば
1940年
16歳の時に来日し山梨少年航空学校に入学
1940年9月
松濤館流空手を船越義珍に師事し空手を始めます
山梨少年航空学校卒業後に陸軍士官学校に受験するも不合格
その頃拓殖大学の学生だった木村政彦が
柔道界最高の栄誉だった「天覧試合」で優勝を成し遂げた事に感動し
1941年
拓殖大学司政科に入学し政治家を志します
同年末に大東亜戦争が勃発し在学中のまま学徒出陣で徴兵され
終戦間際に
海軍の特攻隊に志願したが出撃できず終戦を迎えます
1945年9月
復員し東京都杉並区天沼町に永和空手道研究所を創設し
空手の武者修行と称し道場破りを繰り返したため
身を隠す必要性に迫られ「山篭り」を敢行し空手の修行に励む
1947年
京都で開催された戦後初の全日本空手道選手権に出場し優勝
1952年
渡米在米プロレスラーだったグレート東郷の兄弟という設定「マス・東郷」の名前で
全米各地でプロレスラーやボクサーと対決する傍ら空手のデモンストレーションとして
ビール瓶の首から上の部分を手刀打ちで切り落とし観客は驚嘆し
「Hand of God」と形容され全米で名を轟かせた
帰国後は47頭の牛を素手で倒し(そのうち4頭は即死)
「猛牛と戦う空手」とゆドキュメント映画が公開され
その後は多くの武道家と交流し世界各地を巡り様々な格闘技を研究し
国際空手道連盟・極真会館を設立した
という来歴ですが…
極真の意味は
「1000日を以て真とし
10000日を以て極みとする」ですが
宮本武蔵と同じく
世阿彌陀佛が書き記した能の芸道書「風姿華傳」の
「1000日を以て初心とし
10000日を以て極みとする」という言葉のパクリです(笑)
そして
極真会館を設立するまでの来歴は99%が嘘です
「牛殺し」やビール瓶の手刀切りに代表される神業にトリックなど無く
鍛え抜かれた肉体に偽りがあるワケではありません
日本柔道界の英雄である木村政彦やグレーシー柔術の指導員ミツ山下は
「大山倍達は間違い無く日本屈指の打撃系選手だった」と
その強さを認めています
極真会館を設立する際に資金を拠出した著名人の中には
初代極真会館の会長にも就名され内閣総理大臣にもなった佐藤栄作などがいます
では
ナゼ大山倍達は半生を「嘘」を付く必要があったのか?
偽りの武勇伝により自身のカリスマ性を上げる事が目的だったのでしょうか?
ソレを解き明かすには曺寧柱という人物が鍵を握っています
曺寧柱
1908年朝鮮慶州北道に生まれ
1932年に京都帝国大学法学部に入学します
その頃の曺寧柱は
「共産主義革命こそが日本に併合された朝鮮人を解放できる唯一の道」と考え
日本共産党の外郭団体「日本赤色救援会」に加入し
街宣デモやビラ配りなどに積極的に参加していました
その傍ら心身を鍛える為に「義方会」に入部します
「義方会」は
大日本武特会傘下の武道学校と
満州建国大学で柔道の師範を務め
石原莞爾が主催する「東亜連盟協会」の幹部でもあった
福島清三郎が設立した「義勇会」の空手部門で
立命館大学空手部主将の山口剛玄によって創設された会派で
同時に「東亜連盟京都支部」の役割も同時に担っていた団体です
「東亜連盟」とは
アジア的理想国家(楽土)を西洋の「武」による統治(覇道)ではなく
東洋の「特」による統治(王道)で作り上げよう
つまり
「王道楽土」とも呼ばれる「大アジア主義」を具現化しようとした愛国団体です
共産主義にドップリ漬かっていた曺寧柱と
「大アジア主義」を具現化するべき団体の「義方会」では
思想的には180度違うのですが
曺寧柱は祖国を憂い「共産主義」に目覚めただけでしたので
偶然にも心身を鍛えようとして所属した「義方会」の
「大アジア主義」に感銘を受け強烈な石原莞爾信奉者に変貌し
同時に空手にも情熱的に打ち込み「義方会」ナンバー2の師範代まで登り詰めました
そして
この「大アジア主義」の思想を広めようと
1939年に帰国して釜山で東亜連盟の講演会を開催し同志を募ります
この講演会の聴衆者の中に若き大山倍達がいたのです
講演内容に感銘を受けた大山倍達は
1939年に釜山より密航し来日し曺寧柱に弟子入りします
義方会には協和塾という外国人留学生専用の寮があり
大山倍達もソコに入寮し「大アジア思想」を学びつつ空手を学ぶ事が出来ました
ちなみに
大山倍達は少年時代に中国武術の「18技」を習ったと自著で述べていますが
実際には曺寧柱から剛柔流の「18(セーパイ)」という型を学んだ事を指します(笑)
ですから
松濤館流空手を船越義珍に師事し空手を始めたというのは嘘で
「義方会」に入会し空手を学んだのであり
「義方会」の教える空手は「剛柔流空手」であり流派すら違います(笑)
松濤館流の記録を辿れば
大山倍達が入門した記録は存在しませんが
1943年に大山倍達らしき人物(大山猛虎)が松濤館流に入門し
1944年に昇段試験を受けていますが
コレが大山倍達と断定はできませんが
仮に大山倍達だったとしても師事した時期が違います(笑)
1945年9月
大山倍達は戦地から復員し
東京都杉並区天沼町に「永和空手道研究所」を創設したという事ですが…嘘です(笑)
大東亜戦争に敗戦したからといって
「大アジア主義」自体に間違いは無いと考えていた曺寧柱は
金天海が
「日本帝国主義と軍閥の撲滅」
「天皇制の廃止」
「労働農民の政府樹立」
「朝鮮半島の完全独立と民主政府の樹立」を高々と宣言し
「在日朝鮮人連盟」を結成し日本共産党と共に
武装闘争を日本国内で繰り返す事に危機感を持ち
東京都杉並区天沼町に「在日朝鮮建国促進青年同盟」を立ち上げます
「在日朝鮮建国促進青年同盟」の本部は
戦前に移民訓練所があった場所です
その本部(移民訓練所)には武道場が併設されていたので
曺寧柱は空手と「大アジア思想」を在日朝鮮人に学べる施設として
「在日朝鮮建国促進青年同盟」の本部敷地内に「永和空手研究所」も作ったのです
そして
大山倍達はこの「在日朝鮮建国促進青年同盟」で
「建設隊隊長」や「訓練部長」と千葉支部長を任された幹部でありました
ナゼを支部長を任されたのかといえば
大山倍達は軍人として「徴兵」などされておらず
「徴用工」として終戦まで舘山に昭和電工舘山工場で働いており
舘山に生活基盤があり土地勘があったからです(笑)
拓殖大学に入学して学徒出陣で軍隊に入隊したハズでは?…と思うかもしれませんが
そもそも
大山倍達は「山梨少年航空学校」などには入学していません(笑)
実は曺寧柱が身元保証人になって大山倍達は「山梨航空技術学校」に入学しています
この学校は飛行機整備士を育成する学校であって
パイロットを育成する学校ではありません(笑)
そして
拓殖大学の卒業名簿には大山倍達も朝鮮名の崔永宜も存在しません
ちなみに
本科・予科(旧大学制度では本科に入る前に予備課程があった)留学生も含め
入学した生徒は中途退学した生徒も含め総て記録された生徒名簿というモノがありますが
生徒名簿にも大山倍達の名前はありません
大山倍達が拓殖大学に在籍しておらず
大学生でないので学徒出陣に招聘される事はありません(笑)
話を元に戻して
金天海の設立した共産主義系の「在日朝鮮人連盟」と
曺寧柱が設立した「在日朝鮮建国促進青年同盟」は対立が先鋭化し
北朝鮮と韓国の代理戦争の様相を呈し日本各地で抗争事件を引き起こします
もし半生が正しいのであれば
大山倍達は「在日朝鮮人連盟」と血で血を洗う抗争の繰り広げられる最中に
1年半も山篭りしていた事になります(笑)
実際には
1970年にアメリカに掲載された
「MAS OYAMA SEARCH FOR THE ULTIMATE CHALLENGE」によれば
GHQ主催で山王ホテルで開催されたダンスパーティで
大山倍達はヤクザ構成員を撲殺し指名手配を受けています
また
大山倍達自身が数々の雑誌のインタビューで終戦直後に
何らかの事件を犯し小沢専七郎衆議院議員が
大山倍達の刑を助命嘆願をした逸話がある通り
山篭りしたのは空手の修行の為ではなく
山篭りせざる得ない環境に追い込まれていたからです
1947年
京都で開催された戦後初の全日本空手道選手権に出場し優勝した
コレに関して
大山倍達自身も小島一志に対し
「自分の伝説が総て実話ぢゃない」と前置きした上で
空手バカ一代の原作者が「梶原一騎」のデッチ上げだったと認めた上で
「正式に云えば空手の選手権では無く武道大会の様なモノだった
だから空手だけではなく柔道や剣道も重量挙げもやっていた
戦後の復興期に国民に勇気づけようと開かれたモノだ」
武道禁止令が1946年にGHQによって発令されていましたので
京都座で開かれたのは見世物としての「イベント」ですが
主催者は曺寧柱で
「優勝したのが嬉しかったのか舘山に電話をしてたよ」と曺寧柱自身も述べていますし
武道大会自体が開催された事実は当時の新聞からも確認できます
この様に半生を振り返る際に
曺寧柱との関わりがある部分に関して虚偽の逸話を語っている事が解りますよね?
ソレは大山倍達が田中清玄との出逢いがあったからだと思います
日本右翼で戦後の政財界の黒幕の1人であると同時に
和同流など伝統空手の普及に力を入れいたのですが
伝統空手界から「異端」と呼ばれた大山倍達に興味を持ち
そして大山倍達の人柄に触れ大山倍達の熱烈な支持者になり
佐藤栄作や小沢専七郎など国会議員と引き合わせ
合気道のカリスマだった塩田剛三や他武道家と大山倍達を引き合わせたのも田中清玄です
大山倍達の妻である智弥子が花嫁修行をしていた場所であり
2人が結婚するに際には媒酌人も務め
そして
極真会館設立の際や極真世界大会の資金面でバックアップもした人物です
さて
ココで金天海が率いる「在日朝鮮人連盟」と
曺寧柱が率いる「在日朝鮮建国促進青年同盟」の抗争ですが
戦後動乱期に愚連隊として名を馳せた「町井一家」の組長の町井久之(鄭建永)と
曺寧柱と出逢い「大アジア主義」の思想に感銘を受け
構成員1600人を超える政治結社「東声会」を設立し
在日朝鮮人連盟など在日朝鮮人共産勢力瓦解を標榜します
といっても
警察は政治結社と認めず山口組らと同じく10大広域指定暴力団に認定するのですが(笑)
この出逢いにより
曺寧柱は児玉誉士夫と知り合う事になります
児玉誉士夫は
戦前にスパイ活動や抗日スパイの暗殺など非合法な業務を請け負い
非合法の業務で得た資金(現在の価値に換算すると4000億円)を持て余していました
終戦直後は
巣鴨プリズンに収監されていたのですが
ココで国粋主義者の辻嘉六と知り合い鳩山一郎や岸信介などに資金提供し
また夕張炭鉱の労働組合を共産デモ鎮圧の為に明楽組を派遣し
政財界の黒幕へと変貌していきます
児玉誉士夫は
武装闘争を繰り返す日本国内の共産主義勢力を駆逐する為には
ヤクザと右翼の大同団結による力による封じ込めしかないと考える様になり
日本・韓国・台湾・在日朝鮮人らが協力し共産主義勢力打破する
「東亜同友会」構想を打ち立てます
いうならば「大アジア主義」の焼き直しの様な考えという事もあり
町井久之を介して曺寧柱も児玉誉士夫と協力関係を築く事になります
しかし田中清玄は同じ右翼でも
児玉誉士夫の考えには賛成出来ず対立し
町井久之が率いる「東声会」の構成員だった木下陸男に銃撃されます
田中清玄は一命を取り留めたのですが
この事件により
全国のヤクザ・右翼の大同団結は不可能となり頓挫し
児玉誉士夫は
文鮮明率いる統一教会と共に勝共連合結成に奔走していきます
個人的には
この田中清玄と児玉誉士夫の対立が
曺寧柱との関係を隠す原因ではないかと思います
児玉誉士夫側である
久保木修己統一教会初代日本会長は極真全国大会の大会相談役であり
北米極真会館会長を務め
統一教会の系列新聞である世界日報は
極真第一回全国大会の協賛企業として名を連ねていますが
大山智弥子夫人は
「主人も私も家族も「統一教会の信者なんですか?」と云われる事が一番嫌だった」と
回顧録で述べていますし
「実際に統一教会が極真会館を支援してて
主人が信者なら
極真本部道場建て替えに数十年も時間を費やす必要なんでないでしょ(笑)」
恩師である曺寧柱に義理を立てる意味では
勝共連合側の統一教会を関係を拒む事も出来無かったと想像できます
しかし
大山倍達は何らかの決断をしたのでは無いでしょうか?
単純に
日本の右翼との関係を隠すのであれば
田中清玄との関係性も隠すハズですが堂々と対談した模様が紙面として掲載されています
曺寧柱と大山倍達の関係は
町井久之の半生を綴った書籍や
戦後動乱期の在日朝鮮人の歴史に関係する書籍では簡単に見つけられるのに
極真会館の公式プロフィールには曺寧柱の名前は一切掲載されていません
もちろん対談の記事なども存在しません
「私が殺したヤクザの妻が夫の遺体に寄り添い号泣している悪夢を見始めた時から
自分がいつでもヤクザの組長になれる可能性があると知った
しかし
自分の人生を変える覚悟ができ空手の指導者を選択したのです」
大山倍達はアメリカの雑誌のインタビューで述べた
この言葉が総てだと個人的には思います
半生を偽った理由は
大山倍達は自らが「民族運動」に加担していた歴史を総て消したかったからであり
ソコには「民族運動」との決別のメッセージが込められいるのだと個人的には思います