ものすごく面倒なのである。撮影は、歩いている気分を損なわないために、揺れを吸収する「ステディカム」という特殊な機材で歩く速度で丹念に。通常の旅番組ならば、おきまりの文法でこなしてしまえるところがまったく通用しないらしい。不要だと思えるところまで延々と映し続け、編集でも切らず。語りだってモノローグだし。すべては、フラリとその街に立ち寄ってぶらりと歩いてみた人ならどんな感じか、に端を発する。 そうそう、訪れるのだってべつに「見ている人みんなが行きたい街」ではないのだ。
—街を選ぶ基準ってなんですか?
一つ目の基準は「大きな街と小さな街の組み合わせ」。取材のスタイルに端を発してるんですが、取材クルーが1回撮影に出かけると、2カ所撮ってくるんです……いわゆる2本撮りですね。綺麗で、世界遺産が近くにあるようなそこそこ有名な街と、その近くにあって「あんまり知られていないけど、いい街なんだよ」って現地の人が勧めてくれるような街を組み合わせて。 もうひとつの基準は「危なくない街」。番組を見て、同じようにその街を歩きたいという方がいらっしゃるので。外務省が発表している海外危険情報で“十分注意してください”っていうレベルの街には行かないようにしています。本当はタイのバンコクとか、魅力的な街もまだまだあるんですけどね……。
—大きな街と小さな町の一例を挙げてもらえますか?
たとえば大きな街でいうとカナダのケベック。紅葉のシーズンのロケだったんで、似合う街を調べていたら突き当たったんです。国旗がカエデということもあるし、情報も比較的簡単に集められて。フランスからの移住者が多くて、フランスよりフランスらしいといわれる、とっても雰囲気のいい街です。まあここは決まりでしょうと。 この街とどこを組み合わせるか……というときに、担当のディレクターからハリファクスっていう街が出てきたんです。ケベックとは対照的にすごくイギリスっぽい街で。フランスとイギリスがカナダの覇権を巡っていた時期にできた要塞だった街なんです。函館の五稜郭にそっくりで。そこにするか、ということで担当ディレクターに下見に行ってもらったらイマイチだったと。で、そのかわりに現地のガイドが教えてくれた、ハリファックスから東へ100kmぐらい行ったところに全然違う街があるって。残り2~3日しかなかったんだけど行ってみたら、いっぺんで気に入っちゃったんですって。それがルーネンバーグっていう街だったんです。小さいほうの街ですね。 ケベックは石造りのフランス風の町並みなんですが、ルーネンバーグは漁師町。いまだに木造船で漁に出ていて、船大工がいっぱいいる。彼らは船だけじゃなくて街の建物も建てたらしいんです。伝統的な暮らしが息づいていてみんな優しい。地方の街の良さがよく出ている。名前は知られてないけど、行ったらとてもよかったと。どこかで見たような観光地ばかり回ってもつまらないし、知らない街ばかり取り上げても視聴者は置いてきぼりになった気がすると思うんです。だから今はそのバランスを1:1ぐらいで街を選んでます。
—オンエアに先がけてどのくらい前から場所を選定してゆきますか?
だいたい5カ月前には行き先が決まりますね。
—ロケハンしたにもかかわらず、ボツになるっていうケースもあるんですね。
あります。その場合、ルーネンバーグのように代案がでることも多いですね。一本だけ撮って帰ってきていたら予算的にも高くつきますし。それより二本撮りのいいところは、撮影に融通を利かせられる点。全日程が2週間として、たとえば天気が悪くて最初の街に10日かかった場合でも、残りの4日で次の街がビシッと撮れれば問題ないですよね。近い街だったら、その日にAという街で撮るものがなければBに行って先に別のものを撮っておいてもいいんです。ふたつの街を行き来するほうがディレクターも気分が変わっていいんじゃないかと。
—実際に撮影に行ってカメラを回している時間はどのくらいですか?
現地にいるのは2~3週間ですが、その間ずっと回していると思っていただいていいです。 まず何より天気が重要ですから。番組が始まって街に着くまでをオープニングで音楽流しながら見せます。そこで晴れていたのが、いきなり本編で雨になると変ですから同じようなトーンにしたい。できれば晴れていてほしい。あと「どうしてもこの街ではエンディングに、丘の上から夕焼けを見せたい」という場合は待たねばなりませんし。要するに撮れれば帰ってくるし、撮れなければ待つということですね。
—では、最高にうまくいけば1日で撮れたりするわけですか?
それは無理でしょうね。というのは、ステディカムという制限があるから。本体と付属物で20kgぐらいあるカメラを全部腰で支える構造になっていて。たとえばひとつの通りを端から端まで歩きながら撮影するとします。ただ直線的に歩くわけではなく、町並みを見上げたり、通行人に声をかけたり看板見たりしながらだと、それがわずか100mほどでもカメラマンはヘトヘトです。ステディカムといっても普通に歩くと揺れるんです。中腰でそろそろと歩いてやっと滑らかな映像になる。腰への負担は相当なものです。ただそういうことを感じさせないように作らないといけない。「苦労してますよ〜」っていうのが見えると台無しですからね。ある朝ふらっと寄った街を歩いて夕焼け見たらキレイだったなあ……っていうふうに思ってもらえることが最高だから。
—なるほど、ロケ地での最初の仕事が「一流のマッサージ師探し」だと、NHKのウェブサイトで読みました。

まさしくそのとおりです(笑)。 それとステディカムによる制約もですが、“旅行者の目線になる”というしばりがありますので、普通の番組とはずいぶん違う作り方なんですよね。カメラはあまりアップやズームは使いません。なぜなら、いきなり人の目がグーッと対象に寄っていくことはないでしょう(笑)。基本的に歩いているときは広角で、風景全体が見えるように。街の雰囲気も、歩いている気分も雰囲気を壊さないように作ろうとしているので、ナレーションのコメントに関しても余計なことは排除するよう心がけています。
—最近の放送で、ナレーションが「あ、クルマがあるから左から行こうっと」みたいなことを言っているのを見ました。なんでわざわざ、と思ったんですが…。
この番組は、見ている人が自分で画面の中にいろんなものを発見する楽しみがあると思ってるんですよ。こちらがコメントを押し付けないのは、自由にボーッと画面を見てほしいから。ある人は花に気づくだろうし、ある人は空がキレイだと思う。また別の人は「犬の散歩をしているお姉さんかわいいな」って思うかもしれません。こっちで「何を見よ!」というのではなく、視聴者が自由に見る余地を残したいんです。だから“クルマがあるから”ってわざわざ言っているのは、左に曲がるための理由付けなんですね。普通の番組だったら、そんなこと説明しなくても勝手に左に曲がればいいんですよ。いや、もうそのクルマが出てくる云々の部分は切っちゃって、次の場所をつなげばいいんです。でも、「クルマが出てきたから」を言うのは、あたかも自分の判断で曲がってるように視聴者に思ってもらいたいから。交差点に立ったときでも、よくカメラが右見て左見てから渡るんです……右はこんな通り、左はこんな通り、でもいま子犬が歩いていったからこっちの通りにいってみようっていう意志を表明するために。もちろん、視聴者が思った通りにカメラが動くわけではないんだけど、なるべくその気持ちを酌むような形のカメラワークとコメントにしたいんですよね。
—コメントも藤波プロデューサーが一人で?
そうです。歴代、プロデューサーが書いてます。たたき台の台本や翻訳はディレクターが書いてきますけど。後任に指名されて制作の様子を横から見ていたんですが、編集の基準が全然わからなかった。コメントも“かわいい”とか“うれしい”とかどうでもいいようなことばっかり書いているし。正直、修業でした。意図がわかるまでは、ひと月ぐらいはかかって、結局、心の動きに沿うのが一番いいんだと。
—矢崎滋さん、林隆三さん、中島朋子さん、永作博美さん……ナレーターも固定ではないですね。どのような基準で選んでいるんですか。
街を歩くことが主体なので、それを邪魔しない人。この番組は読み手が目立ってしまうようではダメなんです。見た人が気持ちよく歩く気分を味わえて「いいナレーションだったけど誰だったんだろう」っていうのが理想。では、アナウンサーでいいかっていうと、アナウンサーには読めないと思います。モノローグがあって、街の人たちとの会話があるので、このナレーションは“お芝居”なんです。矢崎さんが読まれる場合は、矢崎さんを想定した台本にしますし、中島さんが読まれる場合は中島さんを想定して、全部変えてるんですね。
—具体的に、「この街には誰」というのは?
編集の段階でディレクターと相談して。ものすごく簡単な言い方ですが「街の雰囲気に合わせて」ですね(笑)。たとえばカナダのケベックの場合は「キレイな街だったから女性がいいですよね」「そうか、じゃあ中島さんとか永作さんとか?」「なんとなくですけど、永作さん!」というようなやりとりで。行き着くところは“なんとなく”になっちゃう(笑)。もちろん、皆さんお忙しい方なのでスケジュールのこともありますが。ルーネンバーグのほうは、男っぽい漁師町なので「林隆三さんにお願いしよう」と。まあそういう感じですね。 さすが一流の俳優さんだなと思うのは、台本の読み取り方ですね。“おれにこう読んでほしいのね”って、打ち合わせの段階でわかってくださる。船乗りの女房だったおばあさんが、いまはテーマパークのモギリをやってる。そういう人に話しかけるときの口調。街角になんとなくずっと座ってるおじいさんがいますよね(笑)。そんな引退した漁師のおじいさんに話しかけるときにはどう言うのか。 “こんちは”と“こんにちは”は違うし、“あの~すみません”のときもある。それから距離感ですよね。3m先の人になら“こんにちは”でいいけど、10m離れた人には“あのー。こんにちはー”にしましょうと。 台本を書く方が考えていることを、優れた役者さんはくみ取ってくれるんです。