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                                                   2010年12月
            

       官邸予算を齧った私
官房長官だった野中広務さんや、元官房長官の鈴木宗男さんの証言などから、

「官邸機密費」が取り沙汰されました。

フリージャーナリストの上杉隆さんが暴いて問題になったようですが、早い話が、

政治評論家や、メディアの偉いさんが、官邸機密費をガッポリ貰い、その一部を

配下の記者にも、お裾分けしたということのようで…。

まぁ、機密費が諜報活動などに使われたのなら、

「そりゃ、しゃあないわなあ」

という気にもなりますが、新聞、テレビの幹部や記者、あるいは政治評論家などに

現ナマが配られたとなると、これは具合が悪いでしょう。

実は、放送局にいた私も、ささやかながら、官邸予算による接待を受けたことが

あるのです……とはいっても、三十数年前の話で、時効もいいところなのですが。

       *        *        *

大平正芳さんが総理に就任した翌年の一九七九年(昭和54)の「日米サミット」

に出席したとき「総理随行記者の一人」として、私も渡米したのです。

記者団の世話役は官房長官の加藤紘一さんでしたから、総理の外遊中、官邸の

予算は加藤さんが仕切っていたわけで、私はその一部…つまり税金で、ゴルフを

させてもらったりご馳走になったり、果物やステーキ肉を贈られたりと、何とも

後ろめたい海外出張ではありました。

随行記者に選ばれますと、総理官邸での結団式に顔を出さなければなりません。

結団式とは官邸スタッフと随行記者との懇親会です。

                   

立食パーティーにしては、えらく贅沢で、総理官邸の大広間には、模擬店が並び、

蕎麦、天婦羅、寿司など、何れも超一流の店ばかり…。

このパーティーで私は「活きたサワガニの空揚げ」を生まれて初めて食べました。

水槽の中で這い廻る蟹を摘まみ上げた板さんが親指で蟹の腹をプチンと潰して

失神させ、油の中へポイ…。

煮えたぎる油の中で蟹が暴れたら具合が悪いので、プチンとやったのでしょう。

味は「川えびの空揚げ」とそっくりでした。

      *        *        *

随行記者の旅費や宿泊費は当然メディア持ちですが、1ドル≒220円の時代

としては安めの 50万円足らずだったと思います。

総理専用機などなかったからでしょうか、私たちの座席はとても窮屈でした。

「飛行機の中で、官邸から記者団に現金が手渡される慣習があった…という噂を

耳にしたことがある」

これは、鈴木宗男さんの証言ですが、私が随行したのは30年も前の話ですから、

そんな慣習は全くありませんでした。まぁ現金を貰っていたらこの原稿は書けま

せんわな。

ワシントンに着いて早々、五月晴の公園を歩いていた官房長官がふと足をとめ、

緑滴る木立を見上げながら、

「総理と訪れたワシントンの五月か…」

傍らの私に言うともなく感慨深げに呟いていたのが、とても印象的でした。

39歳の加藤紘一さんは、あの瞬間「政治家のロマン」が胸に溢れ、自分が総理に

なる日を夢見ていたのではないでしょうか。

私たち記者団が滞在していたワシントンのホテルは、サラリーマンの海外出張に

ふさわしい安宿でした。

しかしホテル内のプレスセンターは総理官邸の予算ですから、酒、お摘まみ、夜食

などが山のように用意されていたのです。

私は下戸ですから判らなかったのですが、ウイスキーやワインなど、かなり高級品

だったようで、プレスセンターでは美酒に酔い痴れた飲ンベエ記者が、真っ赤な

顔で原稿を書いておりました。

外務省のブリーフィング担当は、外務審議官だった小和田さんです。

横柄で口が重くサービス精神の全くないお人でした。

14年後に皇太子妃のパパになるとは知る由もない、私達随行記者の評判は、

極めてよろしくなかったですね。まぁここだけの話ですが…。

          *        *        *

ニューヨークに移動した私たちは、総理大臣と同じ「ウォルドルフ・アストリア

ホテル」に泊まりました。2010年の九月に「菅・オバマ会談」が行われた高級

ホテルです。

記者団の部屋割りは抽選でした。何しろ、クジ運と悪運の強い私のことです。

一泊が十万円の超豪華な部屋を「一人占め」することになりました。

広い寝室の他に応接間と居間、併せて三部屋もあるのですから、一体、何処に

身を置いたらいいのやら…落ち着けませんでしたね。

官邸の手違いか、政府の高官がドタキャンしたのか…。

私が納めた宿賃は精々一万円ですから、何十万円もの差額は官邸が穴埋めしたに

違いありません。

まぁ一泊しただけですから、税金の浪費は最小限で済んだことになります。

ニューヨークでの夕食は、官房長官の招待で記者団全員がご馳走になりました。

ホテル近くの高級な中華料理店での接待…当然これも官邸予算です。

         *        *        *

翌朝早くニューヨークを発った日航チャーター機は、グランドキャニオン上空を

旋回して一行を喜ばせたあと、ロサンゼルスヘ向かいました。

「総理は、ロス郊外でゴルフをします。記者の皆さんもご希望の方はどうぞ」

…と誘われて、ゴルフ好きの記者が10人ほど、案内されたのは、総理が行く

名門コースではなくて、安っぽいゴルフ場でしたが…そりゃまあ当然でしょう。

しかし、プレイ費は勿論、貸しクラブやゴルフボール、ティーに至るまで、全て

官邸が用意してくれました。

フルセットの貸しクラブなんか、私の愛用している道具より遥かに上等でしたし、

更に悔しいのは、恵んでくれた半ダースのゴルフボールは私が使っていたボール

よりも、ずっと値の張る上物だったのですから…。

帰国後、官邸で解団式のパーティーがありましたが、私は仕事の都合で欠席し、

大阪に戻りました。

仕事に追われ、もう海外出張のことなんかすっかり忘れていたころ、官邸から

突然、荷物が届いたのです。

ステーキ牛肉がぎっしり詰まったクール便と、桐の箱に納まったウイスキー、

カリフォルニアオレンジの入った段ボール箱…。

「もらう(いわ)れはないッ」

と、官邸に突き返すほど、私はカッコ良くありません。

下戸の私、ウイスキーはどなたかに差上げましたが、

ビフテキやオレンジは近所にお裾分けすることもなく、食べ盛りの子供達と

ともに、ガツガツ食べ尽くしました。

…納税者の皆さまには実に面目ないことでございます。

また、自民党政府に有利な何かを放送で喋ったこともなければ、自民党に一票を

投じたこともないまま今日に至ったことについても、加藤紘一さんや、今は亡き

大平正芳さんには、まことに申し訳ないことでございました。

         *        *        *

ところで鈴木宗男さんの証言によりますと、

「官邸機密費が有名な政治評論家やベテラン政治記者に流れる場合は『講演料』

という形をとることが多い。後援会の集まりや、派閥の勉強会の講師として、

メディア関係の人を招いて世論の動きや情勢を聞く。謝礼はお車代という形で

支払うのが通例で、金額は数十万円が相場である」

…ということのようです。
                      

官邸機密費が政治記者や政治評論家に流れている…と暴露されたとき、ムキになって

弁解している御仁を、私はテレビで見ました。

政治評論家の「Mさん」が、四国放送や讀賣テレビの

『そこまで言って委員会』

の中で、昔の話を持ち出し、必死で釈明しているのです。

彼の言い分によりますと、

「時の官房長官、藤波孝生さんと親しくしていた頃、藤波さんが、

『忙しくて講演に行けない。代理を頼む』

と言うので彼の代理で私が講演を引き受けたのだ。講演料は後日、受け取った」

…と言うのですが、講演先はどこか、どこから講演料が出たのか、そして金額が

幾らだったのかについては一切明らかにせず、ギャラは官房長官から手渡された

ような口ぶりでしたが…。

あれは マズかったですね。語るに落ちる話でしょ?

何しろネタが古い。2527年前の話はもう時効です。それ以降、どうだったのか、

彼はこんなことを何十年もやってきたのか…。

どうせのことならあのとき、

「私ゃ、官邸機密費なんぞ、ビタ一文、貰ってないッ」

と、シラを切っておけばよかったと私は思いました。

それが何より証拠には、他の評論家やベテラン政治記者は何も言わずに黙って

いるではありませんか。 
                   
(徳島エコノミージャーナル12月号)

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