2013年04月06日

作戦とは何か

自衛隊は作戦を再定義せよ 

1、はじめに
自衛隊の作戦の定義
 *軍事行動・部隊運用の一般用語
 *大部隊の行動・運用:兵站重視の行動・運用
 *戦闘に地位と役割を付与

2、現代戦における作戦の定義
  戦略と戦術を結び付ける行動・運用法:戦争目的達成に寄与する戦闘のための行動・運用法

(1)工業化時代の作戦
消耗戦:戦闘の成果が戦争目的の達成に決定的な影響
   

ア、効率重視:効率的な戦争目的の達成
*効率的な殺傷・破壊
*一回の戦闘で、戦争目的達成が理想(「重心」思想)
*複数の戦闘の成果の総和

イ、戦闘重視:戦術重視
*戦争目的は不変である
*戦争目的は政治指導者が策定し、付与される  

ウ、計画策定重視の作戦術   
*MDMP(OBO)方式

(2)情報化時代の作戦
    非消耗戦:戦闘以外の要素が戦争目的の達成に大きく影響

ア、効果重視:効果的な戦争目的の達成
*効果的な戦闘:被我の人的損害の限定化と付随的な被害の回避
*複数の戦闘の生起
*複数の戦闘の相乗効果:各戦闘の成果の総和以上   

イ、戦争目的重視:戦略重視
*戦争目的は変更される
*戦争目的は、政治指導者と作戦指導者が共同で策定   

ウ、デザイン重視の作戦術
*SOD(EBO)方式

3、おわりに
*自衛隊は戦術重視から作戦重視に転換せよ
*情報化時代に適応するように作戦を再定義せよ



2013年03月31日

SODとは何か

MDMP vs EBO vsSOD比較   

(1)MDMP・EBO・SODの相違                    
                   図1、 システム・アプローチの比較
(2)システムの特性

MDMP
  *状況は単純で、したがって、因果関係はわかり易く、予測可能
EBO
  *状況は複雑だ、しかし因果関係は、予測できる場合が多い
SOD
  *状況は複雑で、因果関係は、予測できない

(3)作戦指揮
  
                    図2、 MDMP,EBO,SODの概念図
MDMP   
  *終末状態と作戦目標が同じ(「終末状態」という概念存在しない)
  *明確かつ不動の作戦目標
EBO
  *戦争目的が変化するため、変動する終末状態(作戦目標+)
                    図3、 EBO型作戦目標と終末状態  *終末状態に及ぼす影響(結果)を作戦目標に設定
       ・戦争目的はしばしば変更され、したがって終末状態も変動する
       ・目標よりも影響を洞察
  *ノードの打撃(戦術行動)を繰り返し、好ましい影響を生じさせるとともに、悪影響を回避
SOD
  *漠然とした終末状態
  *戦術目標の達成がもたらす直近の影響を作戦目標とする。
                    図4、バタフライ効果と作戦目標・終末状態

(4)基本的な考え方

MDMP
  *戦術重視
       ・接敵行動、攻撃、防御に焦点を当てる
       ・なぜなら、敵部隊の撃破(戦闘)が戦争目的の達成に寄与大
       ・しかし、戦闘に勝っても、戦争に敗ける可能性大
  *問題解決重視
       ・「望ましい終末状態」は「作戦目標」という形で上級指揮官から付 
        与又は自明
       ・「終末状態は達成できるかどうか」「基本的な問題が何であるか」について自明で、
        各級指揮官のコンセンサスは容易
       ・付与された作戦目標を達成する最も効率的な殺傷方法を模索することに全力
       ・しかし、問題の把握に誤りがあれば、最良の行動方針も無意味
  *分析的アプローチ
       ・敵部隊、地形、気象、我が部隊の状況等、戦場の構成要素に焦点
       ・しかし、住民や世論、自然環境、戦後復興といた大局には無配慮
EBO
  *作戦重視
・戦闘に勝っても、戦争に敗ける
・戦闘における勝利が、戦争を継続させる
・情報関連兵器の発達によって、小部隊でも、戦略目的に大きく 寄与できる

*問題解決重視
・「望ましい終末状態」「作戦目標」は、作戦期間中に変化する
・したがって、融通性のある目標(影響)を設定
・しかも、融通性のある目標(影響)の設定は、比較的容易
・しかし、融通性のある目標(影響)を生み出す方法・手段の選定が難しい

  *全体的(ホリスティク)アプローチ
・戦術行動が作戦環境(住民や世論、自然環境、戦後復興)に及ぼす悪影響
及び作戦環境が戦術行動に及ぼす悪影響に焦点
・しかし、作戦環境を好ましい方向に変える戦術行動や施策には配慮しない

SOD
*作戦重視
*問題設定を重視(デザイン段階の設定と指揮官の専念)
                       図5、 デザインと計画策定の関係      
      ・「望ましい終末状態」「作戦目標」は作戦期間中に変化し、
       しかも指揮官の間でコンセンサスがない。
      ・したがって、前提、特に上級指揮官の考え(戦略指針)や付与される手段への疑問。
      ・作戦環境の解明に努力を思考。
           状況を正しく、深く理解することが最重要
 
*全体的(systemic )アプローチ
           ホリスティックと同意語
      ・作戦環境を好ましい方向に変える戦術行動や施策を模索
     ・しかし、計画策定(幕僚業務)が困難
      ・デザイン過程に計画の骨子を概念規定する(paradigm)
     

追記: 
  図1〜5はSSNF(Strategic Study Net Forum)会員にのみメールで送信。
  なお、会員入会希望者は下記メール・アドレスに筆者との関係(講義・講演を聞いたことがある、
  拙著書を読んだ、名刺を交換したことがある、現会員某氏の紹介等)を書いて申請して下さい(無料)。

  yoshihisanakamura@theia.ocn.ne.jp

s200701 at 12:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!EBO | SOD

2012年12月27日

戦争と科学技術(PART II)

戦争は科学か、それとも芸術か(その2)

2、芸術としての戦争

(1)ドイツ・ロマンチシズムの影響
 戦争遂行が芸術であるという見解は、まったく新しいというわけではない。サックスやロイドといった啓蒙時代の軍事理論家達は、戦争における精神的な要因の重要性を理解していた。それでも、彼らはさらに1歩踏み込んで、「戦争が複雑性・不確実性・混沌・予測不能性・不合理性でいっぱいである」と見なかった。
 軍事理論のうち、戦争についての見解が劇的に変化したのは、18世紀後期から19世紀初期にかけてのドイツである。ドイツにおける文化的な傾向の一つが、ロマンチシズムであった。ドイツのロマンチシズムはフランスを支配した啓蒙主義的世界観に疑問を呈した。「反啓蒙」のドイツ思想家達は、世界は単純でなく、非常に複雑で、数えきれないほどユニークな要素とイベントで構成され、そして常に流動していると観た。彼らはニュートン科学に熱心ではなかった。ドイツのロマン主義者達は自然界の複雑さに益々焦点を当てるようになった。この複雑さゆえに、ニュートン科学のモデルは説明できない、と彼らは主張した。ドイツのロマン主義者達は、現実を理解するために歴史のアプローチを採用した。すべての理解は、ある時間と場所の力学の主観的な結果とみなされた。この考えによって、ドイツの知識人達は、現実が普遍的法則または原則に従わないと確信した。

(2)ベンホルストとシャルンホルスト
 啓蒙時代への反発として始まったロマンチズムもまた、ゲオルク・ハインリッヒ・ホン・ベンホルスト(1733ー1814)、ジョハン・ゲルハル・ホン・シャルンホルスト(1755ー1813)、そしてクラウゼヴィッツのようなドイツの軍事理論家や軍人に大きな影響を及ぼした。軍事的啓蒙時代の一般的な考えに疑問を呈した最初の著作が、ベンホルストの3部作『戦争術への所見:その進歩、矛盾、そして確実性』(1796-1799)であった。ベンホルストは、古代ギリシア・ローマ人が戦争術に熟達し、頂点にいたことを指摘した。古代ギリシア・ローマ人は他の誰よりも「芸術的(artistic)だった」。啓蒙時代の戦争術は、科学や芸術のように知識を進歩させ、生来の才能を伸ばした、と彼は書いた。彼の見解では、戦争術は不変の法則に基づくものではなく、むしろ未知で、コントロールできない人間の精神と関係している。道徳的な力は部隊に生命を付与する。したがって、その力は戦争の遂行における主要な要因である。ベンホルストは、戦争が数学や天文学とは異なり、科学とは言えないと思っていた。
 シャルンホルストは、彼の時代に流行した作戦遂行システムを人為的で一方的であると見た。戦争術は現実の研究に基づくものである。そうでないなら、戦争術は抽象概念になってしまう。彼の小論『軍事史の活用:その不備の原因』(1806)で、シャルンホルストは「偉大な将軍は歴史を通して戦争術の原則を研究してきた」と書いた。戦争術の幾つかの分野は数学的に表現できる。しかし、その他の分野は状況に左右され、機械的に研究されるものではない。したがって、もって生まれた才能なしに研究しても偉大な将軍には決してならない、とシャルンホルストは言う。

(3)クラウゼヴィッツとモルトケ
 クラウゼヴィッツは、すべての側面で組織的に戦争の原理を提示した最初の軍事理論家であった。ドイツのロマンチシズムの考えに影響された彼は、啓蒙時代の軍事思想家と違った世界観を持っていた。また、彼は、シャルンホルストの実用主義と相対論的なアプローチによっても影響された。彼は戦争を複雑で予測できない現象と考えた。クラウゼヴィッツは一般論だけを信じた。そして、それ以外は、実際の戦闘おける霧と摩擦によってどれも有効でない。戦争システム論は戦争における「限りない複雑さ」を説明することができないから、戦争の実際とはかけ離れた理論的な構成概念に終わる、と彼は説いた。それゆえに、彼は、戦争の複雑な現象を、普遍的原則を有する単純システムにしようとするどんな試みも無益な行為だと考えた。
 クラウゼヴィッツは、戦争が社会生活の領域に属していると思っていた。つまり、戦争は科学でも、芸術でもない、というのである。戦争は科学ではない。なぜなら、それは行動の問題であるからだ。そして、戦争は芸術ではない。なぜなら、それは生命のない、ないしは受動的な人間が行うものではなく、生命があり、反発する力を行使するものであるから。
 人間的要因は、戦争の本質― 時代を通じてどんな戦争も特徴づける恒常的で、普遍的な固有の性質 ―といわれるものを決定する。戦争の本質は、変化する戦争の動機と形態、または技術的進歩に関係なく不変である。人間の態度・行動は戦争の本質の主要な部分である。戦争遂行における人間的要因と精神的な要素の重要性に関するクラウゼヴィッツの分析は、戦争についてのわれわれの理解に大きく貢献した。戦争は、人間の性格、人間の態度・行動の複雑さ、それに人間と体調の制約によって形づくられる、と彼は書いた。戦争の物理的側面と精神的な側面は有機的に一体化され、密接不可分である。彼はまた、「戦争は、生きた力が死んだ集団に対して行う行動ではなく、相互作用する2つの生きた力の衝突である」とも述べた。勝利は戦場の征服にあるだけでなく、戦闘部隊の物理的で精神的な崩壊にある。
 どんな戦争においても精神的な特徴は、憎悪、敵愾心、暴力、不確実性(または戦争の霧)、摩擦、恐怖、危険、不合理性、好機、そして幸運である。クラウゼヴィッツにとって、戦争は原始的暴力、憎悪、そして敵意から成る三位一体であった。クラウゼヴィッツは「危険が戦争の摩擦の一部であり、しかも危険という概念なしには、戦争を理解することができない」と述べた。さらに、戦争は「身体的な尽力と苦しみをともなう」。それは「創造的な精神が歩き回ることができる可能性と好機でいっぱいである。」クラウゼヴィッツは、戦争のように偶然の出来事がおこる自由な競技場はどこにもないと書いた。客観的だけでなく、主観的にも、戦争の本質はギャンブルである。
 「すべての事実についての不確実さは、戦争において独特の困難さを伴う。なぜなら、すべての行動が夕暮れ--目標を過大視させたり、グロテスクな様相にさせたりする--のような状況で起こるからである」とクラウゼヴィッツは考えた。彼は、指揮官が完全に知ることができる唯一の状況は自分の状況だけであると指摘した。敵の状況についての指揮官の知識は、しばしば頼りにならない情報に基づく。したがって、指揮官の評価は誤っているかもしれない。そのような不完全な評価は、まずい無為無策や、まずい行動をとらすことになる。クラウゼヴィッツは、摩擦が図上の戦争と本当の戦争の違いから生ずる唯一の概念であると主張した。この「至る所で接触して生じる大きな摩擦は、測りしれない影響をもたらす。摩擦は簡単なものをとても難しくする力である。」摩擦は不確実性・過失・偶然の出来事・技術的な困難さ・思いがけない事象を含む。そして、それらは人間の決定・行動・士気へ影響を及ぼす。
 ヘルムート・ホン・モルトケ卿は、軍の作戦を構成するほとんどのことは科学に基づいているが、対立する指揮官の意志と意志が衝突するとき、芸術性が前面に出て来ると述べた。彼は、戦争において何も確かなものはないと考えた。したがって、戦争においては、一般的な法則は存在せず、生まれつきの才能が重要である。
 モルトケ卿がプロシア(ドイツ)の参謀総長(1857ー1888)として在職した間、戦争に関するクラウゼヴィッツの教えは、プロシアの軍事理論家や軍人によって広く共有された。その結果、ドイツ人達は、戦争遂行を科学より芸術であると考えた。彼らは、誰も戦争でのイベントをコントロールすることができないと確信していた。どんな戦争でも、曖昧さ、混乱、そして混沌で満ち溢れている。戦争では、絶対不変なことはありえないし、不確実性はマスターされることができない。さらに、モルトケは次のように説明した。戦争においては、「すべてのことは不確かで、危険が伴う。そして、大きな成果を達成できる別の道は、常に困難な問題をかかえている。好機、過失、そして失望が伴う戦争では、空間と時間の計算は勝利を保証しない。」
 両大戦間(1919ー1939)に、ドイツ人は戦争を、自由で創造的な活動または芸術と考えた。戦闘状況は多様である。そしてその状況はしばしば、そして、突然変わり、前もって予測することはできない。計り知れない要素が決定的な影響を持つ。特に敵の独立した意志がわれの意志に対抗する時はそうである。摩擦と過失は毎日の出来事である。
 戦争の本質に関するクラウゼヴィッツ的見解は、今日でも有効である。人間的要素は戦争の重要な側面である。人間性は、軍事テクノロジの大きな変化にもかかわらず、ほとんど変わらなかった。戦争はあまりに複雑で、予測できない活動であるため、機械に支配されたり、擬似的理論によって説明・処理されたりすることができない。人間の頭脳だけが、突然で予期しない状況の変化にタイムリで適切な方法で反応し、敵の行動と反応に対処することができる。敵には、彼自身の意志がある。敵の反応は予測不可能、または不合理である。
 不合理なタイミングとその程度を予測することができないか、測定することができない。戦闘におけるどちら側の不合理な決定も、戦争の進行と結果に重大な影響を及ぼすことができる。敵の行動と反応を評価するにあたって、認知される不合理は、しばしば人間の文化的な価値の反映である。敵の指揮官の決定は異なる社会、伝統、そして文化の産物である。それゆえに、敵の指揮官は、我の社会の価値と軍事文化に照らして不合理であると思われる決定を下すかもしれない。個人またはグループの精神的な状態と、ストレスの下での彼らの反応は、まったくわからない。

結論
 「戦争の遂行が科学か芸術であるか」の疑問は、決して解決されない。科学とみる主張は主に、戦争を含む社会生活のすべての領域で確実性を捜し求める人間固有の傾向から生まれる。もう一つの原因は、ニュートンの科学理論の影響と先進技術の力に対するほとんど盲目的な信頼である。それでも、戦争の遂行を科学と見る多くの試みは、何度も失敗を繰り返してきた。戦争はあまりに複雑で、混沌とし、そして予測できないため、どんなに進んだ科学的手法を使用しても、科学的に遂行できない。このことは、軍事問題で科学の重要性を過小評価したり、無視したりすることを意味しない。科学とテクノロジは、戦争の特徴における主要な要因であったし、今後もありつづけるだろう。歴史は、科学とテクノロジが戦争の勝敗を決した事例でいっぱいである。
 科学的手法は戦争現象を説明する際に、広く使われるべきである。戦争についての健全な理論は科学的手法の使用に基づく。いろいろなビジネス・モデルは、軍事組織の管理、戦力計画の策定、そして兵器の設計に応用できる。定量化の手法は、個々の兵器の使用、そしてそれらの戦術的使用を評価し、強化するのに役立つ。しかしながら、無形の要素が主要な役割を演じる「戦争の作戦レベル」や「戦争の戦略レベル」では、定量化の手法が適用されるとき、その手法の有用性は次第に減少する。
 要するに、戦闘力を強化するために科学とテクノロジを使用することと、戦争の遂行で科学的手法を適用することの間には、大きな相違がある。戦争に関する我々の知識と理解は科学である。しかし、戦争遂行そのものは芸術である。これは、科学や技術の進歩に関係なく、将来も変わらない。過去においてそうであったように、戦争の性格は劇的に変わるだろう。しかし、クラウゼヴィッツによって説明された戦争の本質は変化しないだろう。戦争は、その無形な要素--人間的要因とその精神的な要素--を除けば、比較的単純で、予測可能で、コントロール可能である。
( Milan Vego「Science vs the Art of War」issue 66, 3rd quarter 2012 JFQより80%の超訳。Dr. Milan VegoはNaval War Collegeの統合軍事作戦部作戦課の教授)


戦争と科学技術(PART I)

戦争は科学か、それとも術(ART)か(その1)

序論 
 人間は一般に不確実性に対して不安を感じる。それゆえに、いろいろな原則や法則を導き出すとともに、ものごとをコントロール可能で、予測できるようにするために模索する。古代から、軍人は戦争での指揮において確実性を探求してきた。彼らは、敵の戦力と意図、そしてその対応行動を含むすべての状況について重要要素を正確に知ろうと努めてきた。

1、科学としての戦争

(1)歴史的考察
科学革命の時代、1600−1700年頃
 戦争の遂行が科学であるという考えは、戦争そのものとほとんど同じくらい古い。古代の軍事理論家達は戦争の遂行を導いている特定の原則と法則を捜し始めた。ルネッサンスの頃、ヨーロッパ人は古代の軍事理論家クセノフォン(430ー354 BCE)やジュリアス・シーザー(100ー44 BCE)によって書かれた軍事論文をもとにそれらを模索した。
 17・18世紀後半の科学革命は、物理学・化学・天文学・生物学・医学における進歩の成果であった。科学的な議論は、アイザック・ニュートン(1643ー1727)のような偉大な思想家によって、社会を再秩序化する役割を負った。また、テクノロジとの緊密な関係も存在した。ヨーロッパの戦争における最初のテクノ科学革命は、時計にたとえられ、順序性、規則性、そして予測性のシンボルになった。時計の概念はヨーロッパ軍隊によって模倣された。
 さらに、築城学と砲撃術が幾何学的な原則と弾道学の進歩によって著しく発達した。攻城術で最も有名な人物は、フランスのセバスティン・プレステ・ボーバン元師(1633ー1707)である。彼は築城の科学を進歩させるために、幾何学・建築学・砲擊術に関する知識を普及した。30年間にわたり、ボーバン元帥は多くの要塞を設計し、50近くの攻城戦を行い、そのほとんどに成功した。
 イタリア生まれのオーストリア元帥レイモンド・モンテクッコリ(1609ー1680)は、17世紀後半の最も有名な軍人であり、軍事理論家であった。彼は戦争を「科学的に」説明しようとした最初の人物である。モンテクッコリ元帥は、すべての科学のように、戦争の科学が「経験を普遍的な法則に変えることを目指す」と述べた。
 フランスの元師ジャック・フランソア・デ・シャストネ侯爵(1656ー1743)は、戦争について組織的に取り組んだ軍人である。彼は、「戦争を理解するための唯一のアプローチは経験ではない」と思っていた。侯爵の意図は攻城戦に見られるように、戦争を一組の原則と法則にもとづくものにすることであった。さらに、伝統と個人の経験に頼る人々に対して、彼の時代の戦争は組織的・理論的研究が欠如している、と彼は説いた。彼の見解では、野外戦は、ボーバン元帥の攻城戦のように科学的に行われる必要があった。それゆえに、幾何学と地理学、そしてそれらの戦争への応用が強調された。
 フランスの軍事理論家で軍人であったジャン・シャルル・デ・フォラール(1669ー1752)は、戦争遂行に関する普遍的な原則を発見するために科学的な観点から戦争を調べた。彼はまた、戦闘における精神的な次元にも取り組んだ。彼の著作は、啓蒙時代の多くの軍事理論家や軍人、例えばモーリス・デ・サックス、フレデリック大王、ナポレオン・ボナバルトI世(1769ー1821))に影響を及ぼした。サックス(1696ー1750)は、小銃射撃戦の時代に最も成功した将軍で、有名な『戦争術に関する空想』(1757)を書いた。その序文で、彼は次のように述べた。「戦争はあいまいで、不完全な科学である。一方、他の全ての科学は一定の原則のうえに成り立っている」と。
啓蒙時代、1750〜1800年頃 
 17世紀の科学革命とニュートン科学は啓蒙時代の扉を開いた。その大部分が貴族階級の出身であった将校達は、啓蒙時代の哲学的で、知的で、文化的な傾向によって影響されるようになった。彼らは、他の科学のように、戦争が組織的に研究されなければならないと考えた。そして、戦争に関する普遍の理論が形成されるところとなった。それゆえに、軍職は戦闘の経験を用いるだけでなく、理論的にそれを研究しなければならない。戦争研究の強調は、軍事理論と取り組んだ出版物の著しい増加をもたらした。
 啓蒙時代における軍事思想の支配的考え方は、戦争の政治的な側面についての理解、戦闘における精神的な要因の役割の認識、それに戦争研究への擬似科学的原則の適用に見られる。当時の重要な軍事理論家として、ターピン・デ・クリス伯爵(1709ー1799)、ポール・ギデオン・ジョリー・デ・メイゼロイ(1719ー1780)、フレデリック大王、ピエール・ジョゼフ・デ・ボウセット(1700ー1780)、ジャック・アントイネ・ヒポリテ、コント・デ・ギベール(1743ー1790)、ヘンリー・E.ロイド(1720ー1783)、そしてディートリッヒ・ハインリッヒ・ビューロー男爵(1757ー1807)があげられる。
 啓蒙時代後期の軍事理論は、いわゆる幾何学的ないしは数学的な学派の主唱によって占められた。これらの主唱者は、本当の戦争が血なまぐさい戦闘でなく、計算された移動によって敵を追い詰めるため、上手な機動を行うことにある、と確信していた。野戦軍はチェス盤の上の駒のようなもので、指揮官はすべての組合せに熟達するチェスプレーヤのように振舞うことを要求された。戦場における個人的で創造的なパフォーマンスが大きな役割を演じることはなかった。偉大な指揮官の行動は戦争の法則によって説明された。
 ウェールズの将軍で理論家のヘンリー・E.ロイドは、戦争研究への科学的なアプローチを強く支持した人物である。彼は野戦軍をいろいろなパーツから成る機械装置と比較した。機械装置の良し悪しは、第一にそのパーツに、第2にこれらのパーツが配列される方法に左右される。彼は、戦争がニュートン学説の一部門であると書いた。
 啓蒙時代において最も有名な軍事理論家であるプロシア軍の将校ビューロー男爵は、戦略に関するロイドの科学的なアプローチまたは幾何学的な科学を支持し、これを補強した。野戦軍が戦闘に従事する前に、彼の理論が勝利の鍵を提示する、と彼は確信していた。ビューローの見方は「今後、会戦(campaign)の運命を決定するために、無謀な考えや冒険的な戦闘を必要としない」というものだ。戦闘は、科学的に優れた戦略によって不必要なものになる。つまり、戦争はもはや芸術ではなく、科学であった。ロイドやその他の啓蒙時代の理論家達は、戦争が科学的な側面とともに、天賦の才がもたらす独創性の余地を残すと考えていたが、ビューローは「戦争の領域は、生まれつき才能のある人物がもはや戦争に専念する気を起こさないほど狭くなるだろう」と主張した。
脱軍事啓蒙時代、1800−1950年頃
 フランスの革命家達とナポレオン1世によって実行された「決定的な戦争(decisive warfare)」は、幾何学的な学派の見解が誤りあることを証明した。しかしながら、啓蒙時代の軍事思想の支持者達は、その影響力を失うことはなかった。啓蒙時代の軍事思想は、アントニイ・ヘンリ・ジョミニ(1779ー1869)とオーストリアのチャールズ大公(1771ー1847)によって修正採用された。実際、19世紀の多くの軍事理論家はその考えの基礎を、啓蒙時代に開発された理論においた。
 スイス生まれのフランス人ジョミニ将軍は、戦争に関する幾何学的なシステムを開発する傾向は避けたが、それでも、啓蒙時代に築かれた考え方に基づいて彼の理論を打ち立てた。ジョミニは戦争にとって重要な普遍的原則を特定し、さらにフレデリック大王の会戦の研究を通してその原則を理解しようとした。ジョミニは彼の有名な『戦争術の概要』(1838)において、無視すると危険な「戦争の基本原則」があり、その原則の適用は常に成功をもたらす、と書いた。彼は一連の原則を修正したが、ロイドとビューローのレンズを通して発見した考えから決して逸脱することはなかった。
 皇帝レオパルト2世の息子チャールズ大公は、ハプスブルク君主国そしてヨーロッパ大陸の最高の将軍であり、軍事理論家であった。彼の著作は、啓蒙時代末期の考えに基づいていた。『高度の戦争術の原則』(1806)で、彼は「戦争科学の原則はわずかで、しかも不変である」と述べた。そして更に「原則の適用だけは、決して同じではない。野戦軍の状況のあらゆる変化がこれらの原則の異なる適用を必要とする」と書いた。また、『戦略の原則』(1814)の中で、チャールズ大公は、ほとんど完全にビューローの『戦争の一般理論』と彼の幾何学的部隊運用の考えを採用した。
 戦争遂行が芸術ではなく、科学であるという見解は、ジョミニ研究者達に限られていなかった。20世紀の指導的軍事理論家である英国のJ.F.C.フラー将軍(1878ー1966)もまた、戦争遂行が科学であると確信していた。彼はロイドの理論によって大きく影響された。『戦争科学の基礎』の中で、戦争の科学的手法とは、過去の戦争における事実を如何に知るか、そしてこの事実を現在の状況および次の戦争において如何に適用するかについての常識的アプローチである、とフラーは書いた。フラーは、「戦争は事実の上に築かれるから、すべての人間活動と同じくらい科学である。そして戦争は芸術として実行されないうちに、科学にならなければならない」と主張した。
 マルクス・レーニン主義の理論家達も、戦争が科学的原則に基づくと思っていた。ウラジミール・レーニン(1870ー1924)の弁証法的唯物論の原則と社会の性質における規則性は、1917年以降におけるソ連の軍事理論に影響を及ぼした。ソ連の軍事理論は装備に対する限りない信頼に立脚していた。有名なマルクス主義の軍事理論家フリードリッヒ・エンゲルス(1820-1895)は、戦争におけるすべての大革命は、戦争の偉大な達人たちによってもたらされるのではなく、優れた兵器の発明と装備品の変化であると思っていた。
現代の理論、2000年前後
 伝統的に、戦争遂行に関する西洋のアプローチは、「戦闘の普遍的法則」を特定するためにニュートン学説を探求してきた。それゆえに、戦争におけるすべてのことを定量化しようとする努力がなされた。1990年代半ばから、戦争へのシステム・アプローチ(またはシステムへの全体的アプローチ)が、米軍や西側軍隊の有力な学派によって唱えられてきた。この例証として、「ネットワーク中心の戦争(NCW)/作戦(NCO)」、「影響ベース型作戦(EBO)」/「影響ベース型作戦アプローチ(EBAO)」、そして「システム全体的作戦デザイン(SOD)」--作戦デザイン、そして最終的にはデザインに変化した--が米軍やNATO軍で広く受け入れられたことがあげられる。NCW/NCO主唱者達の影響は、2000年代前半の絶頂期から、大きく後退した。また、米国統合部隊コマンド(U.S.JFC)は2008年夏に、EBAOの機械学的要素を公式に放棄した。しかしながら、EBAOの若干の理論的な側面は米国の統合ドクトリン文書で保持され、NATOによって修正使用されている。NCW/EBO/SODに共通の特色は、それらが証明されていない新しいテクノロジに基づくということである。それらは、適切なテストと経験的な証拠によって証明されることなく、採用された。それらはいずれも、戦争の性質に関する新ニュートン学派の見解を反映し、クラウゼヴィッツ的見解を拒否した。
 「影響ベース型作戦」の支持者は、状況を把握し、重心を特定するために、いわゆる「システムのシステム分析(SoSA)」を受け入れた。SODは、一般システム論と複雑性理論に基づく軍事理論である。デザインは、「指揮官が適応性のある複雑システムを如何に変えるかについて理解するのに役立つ推理方法論」として定義される。その目的は、作戦の始めに存在する状況--つまり、観察されたシステム--と、作戦の終わりの状況--つまり、望ましいシステム--の間の隙間を埋めることである。デザインの支持者は、戦争がクローズ・システムよりも、むしろ複雑で、適応可能なシステムであると認識する。彼らはまた、敵の態度・行動に及ぼす我の物理的行動の影響を予想し、評価することは困難極まりないと考える。

(2)数量化できないものの定量化
 勝利の要因を理解するため、現代以降、定量分析の要素を適用する試みが多数なされてきた。これは戦争遂行を科学として見る人々に多い。その主張は、定量化手法の使用が指揮官の判断と経験よりも「客観的である」というものだ。
 ロシア人は、19世紀後半から軍事問題の予測に数学的な解決法を使用した。ロシア人は、最適の行動方針を特定し、戦場での相対的進撃速度を予測するため、複数の戦闘モデルを導き出した。ソ連は弁証法的に、また科学的に、彼らの方法論が健全で、しかもマルクス・レーニン主義の教えと一致していると思った。1960年代初頭までに、武力紛争の数学的処理は、ソ連のオペレーション・リサーチ(OR)--目標を指向する人間の活動を合理的に組織する社会科学--の分科として分類された。ソ連のORは、決定や実証が可能なように、軍事科学の戦術的・技術的な側面を測定可能な客観的インデックスで表そうとした。ソ連は、特に戦術・作戦指揮官が健全な決定をするためのツールとして、いわゆる戦力の相関関係を強調した。この方法は、意思決定に役立つように、戦力の直接的・数量的比較、選定された戦場要素の定量化、そしそれら要素に関する数式で示すものだった。
 西側では、ORとして知られているいろいろな数学的手法が、特定の兵器の効果の増大化と戦術の開発に使われた。ORの起源は第一次世界大戦にさかのぼる。1914年に、英国の数学者F.W.ランチェスターは、勝利と数的優勢の関係を定量化したいわゆるN-正方形法を考案した。ORは、イギリス諸島の防空上の難問を解決するため、1930年代後半にイギリスで使われた。第二次世界大戦では、ORは、対潜水艦戦(ASW)において輸送船団の規模や最適捜索技術を考案する際に使われた。たしかに、ORは輸送船団の損失率を減らした。米国は、機雷戦・ASW・航空攻撃の効果を増大させるため英国のORを手本にした。
 システム分析(現在、政策分析として知られる)は公共部門で使われ、軍隊によって採用されるもう一つの定量化の手法である。この手法の狙いは、最少の資源で達成される目標の価値を最大にすることにある。数学的手法を用いることで、軍事アナリスト達は数学的モデルを使用して戦争の定量的側面を強調した。したがって、定量化されることができない直観力、勇気、そして意志力といったものはすべて除外された。
 米軍におけるシステム分析の最も強力な主唱者は、国防長官ロバート・マクナマラであった。彼は在任間(1961ー1968)、所要戦力と兵器の調達に関連する重要な決定にあたりシステム分析を多用した。マクナマラは、南ベトナムで戦争の進展を評価するだけでなく、芸術よりも、むしろ科学として戦争を遂行しようと、決定を下すに際し、定量化手法を使用した。ペンタゴンは、米国が「最少のリスクでベトナム戦を勝利するために何をすべきか」について確定する主要な測定値として、いわゆるボディ・カウントを適用した。しかし、そのような測定基準は意味がないとわかった。米国の高級官僚達は、戦争が純粋に技術的な問題であるという思考の罠にかかって、敵の決意や政治戦略の意味を把握することができなかったのである。
 ペンタゴンによるビジネス実務の強調は、1990年代後半から戦場での目標達成度を評価する際に、測定基準への大々的依存をもたらした。これらの定量化手法は、本質的に指揮官の判断や直観に取って代わった。
戦争へのシステム・アプローチの支持者達も、対立する部隊の戦闘力と目標達成率を評価するために定量化手法に頼る。例えば、「影響ベース型作戦(EBO)」を支持する人々は、伝統的な軍事的意思決定要領(MDMP)と比較して、いろいろな測定基準を拡大使用する。
(その2に続く)

2012年08月17日

デザイン術とは何か

学生テキスト、2.0版 「デザイン術

1.はじめに
 デサイン・ドクトリンは、米陸軍の「フィールド・マニュアル(FM)5-0、作戦」に記載されるとともに、米統合部隊コマンド(USJFCOM)司令官マティス大将が作戦デザインの統合領域への格上げを主張したことから、デザインに関する議論は今や、「如何にデザインするか」に移行した。初期の段階では、デザインを学ぶことは、デザインの方法論についての説明文書が不足していたことから難しかった。しかし、現在学生の直面している問題は、デザインに関する本・ドクトリン・マニュアル・論文が氾濫していることだ。これらの資料は、その核心部分は共通であるが、用語上の相違があり、しかもデザインの実際的な側面を強調するもの、学問的な側面を強調するもの等、様々である。このこと自体は、デザインに関する議論が活発であることを示すもので、非常に良い徴候である。しかし、それはまた、デザインを理解しようとする気力をくじけさせてしまう。本書は、デザインを学ぶ学生のために、最新の入門書である。
 
 先進軍事研究学校(SAMS)は、デザインが米国陸軍に公式に導入される以前から、デザインに関して活発な議論を交わしてきた。SAMS研究員と、イスラエル軍の師団長兼歴史家であるシモン・ナヴェー退役准将とのアカデミックな関係は、1990年代半ばに始まった。この頃、イスラエル国防軍(IDF)のシンク・タンクである作戦理論研究所(OTRI))は「システミック(全体的な)作戦デザイン(SOD)」の研究を開始した。両者の関係は、作戦術の歴史に関する相互の関心から生まれた。
 SODが2005年1月にSAMSで取り上げられた頃、米陸軍のトレーニング・ドクトリン・コマンド(TRADOC)は、すでにそのアプローチについて深い関心をもっていた。なぜなら、SODがイラクでの戦争で明らかになっていた概念上の矛盾を解決する可能性を秘めているよう思えたからである。戦争が 反政府武力行動、ないしは内戦の様相を呈するようになるとともに、「文化」が戦争の重要な構成要素であることが明白になるにつれて、ナヴェー准将は、イスラエル国防軍上級将校とOTRIの卒業生と共にSAMSに招待され、SODに関する多くのワークショップや実践的な演習を開始した。この時のSODセミナーには、SAMS教職員、退役陸軍将官、そして先進作戦術研究団(AOASF)を構成する研究員が参加した。8人のSAMS学生は、SODを研究するために選ばれ、ナヴェー准将とOTRI学者からの助言をうけた。SODは、現実の軍事環境への全体論的(ホリスティクな)アプローチとして、関心の的となった。さらに、SODは、適応性を狙い、文化の中心的役割を理解し、設問と学習によって構成された。
 SODを研究し、実践するために、先進軍事研究プログラム(AMSP)から8人の学生が選抜された。それは2005年のことである。5月、このグループは、SODの成果と、軍事的意思決定プロセス(MDMP)及び影響ベース型作戦(EBO)とを比較するため「ユニファイド・クエスト2005演習」に参加した。デザインの概念は、この演習に参加した上級将校達の注意をひいた。というのは、SODのアプローチは従来のものと異なっていたからである。それは、敵性勢力(ライバル)の性質についての全体論的(ホリスティク)な設問から始まり、「問題」の理解に至るものであった。全体論的な設問と問題の理解のため、批判的で創造的な思考を生み出すディスコース(問答型議論)方式が採用された。SODに関する米国の最初のプレゼンテーションで、マーク・インチ大佐は以下のように述べている。
     「システミック作戦デザイン(SOD)」は、作戦計画策定者に対して問題を設定し、解決の方向
     性を示すため、ディスコースによって戦略ガイダンスを理解し修正する、指揮官主導のプロセ
     ス(要領)である。

 FM5-0もまた、新しいデザイン・ドクトリンにおける指揮官の役割を次のように強調する。即ち、(1)対話と協同の重要性を説明する、(2)デザインを、戦闘指揮における状況の理解に結びつける、(3)詳細な計画の策定を可能にする問題と解決策を設定するための方法論を付与する。
 同じ頃、「ユニファイド・クエスト2005演習」に参加者しなかったSAMSの少佐達もSODに関心をいだきはじめた。SODに関してのモノグラフ、とりわけ、線形と非線形の考え方、意思決定プロセスの形態・機能・論理、認識上のイニシアティブ、戦争の作戦レベルの有効性、ディスコースの性質と役割、デザインと計画策定の関係、特定事項や他国の軍隊へのSODの適用に関するものが、広く公表され始めた。かくして、SAMSの学生は、デザイン・チームの中心的なメンバーとしてあらゆる「ユニファイド・クエスト演習」に参加するようになった。2007年に、SAMSは「ユニファイド・クエスト演習」の経験から、デザインをコア・カリキュラムに導入した。この要求に応じて、『デザイン術:学生テキスト、1.0版』が2008年に出版された。学生テキストは広く回覧され、デザインの価値を鮮明にした。

2. デザインとは何か

(1)デザインの定義
 ドクトリンによれば、「デザインは、複雑で、難解な問題を理解し、イメージを鮮明に描き提示するとともに、そのような問題を解決するためのアプローチを案出するために、批判的で創造的な思考を適用する方法論である。」この定義は、デザインについて少なくとも4つのことを述べている。
第1に、デザインは、批判的で創造的な思考の適用である。
第2に、デザインが扱おうとする状況は、複雑で、難解である。
第3に、理解・イメージ・提示は、デザインと戦闘指揮を結びつける。
第4に、デザインは、問題と解決策を明らかにする。ただし、軍事の文脈では、解決策が行動方針(COA)と同じものでない点に注意を要する。デザインすることは、指揮官の意図を示す解決策を生むことである。これに対して、計画策定は、任務を達成するために可能な一連の行動を意味する複数の行動方針(COA)を比較することである。

(2)デザインと科学・芸術の違い
 ナイジェル・クロスは、デザイン思考法を説明するために、デザインを科学や芸術と比較する。知識の対象となる分野は、科学ならば自然界、芸術ならば人間の経験、デザインならば人工物である。一方、知識で重要な価値は、科学ならば合理性と客観性、芸術ならば反省と主観性、そして、デザインならば想像力と実用性である。同様に、知識を開発する要領は、科学ならば実験と分析、芸術ならば批判と評価、そして、デザインならばモデリングと総合(ジンテーゼ)である。
 

(3)デザインと計画策定の違い
 プロの軍人だれもが共有する代表的な枠組みとツールは、計画である。したがって、デザインは従来の計画策定と比較すると分かり易い。

計画策定の目的
 米陸軍FM 3-07は、計画策定の目的について次のように記している。
計画策定は、単純であるべきだ。なぜなら、そのことが作戦の複雑さを減らす最大の要因であるからだ。最も効果的計画は、明確で、簡潔で、直接的である。主導的な計画策定は、生起したイベントに反応することよりも、むしろイベントを事前に予測する。主導的な計画は、前もって行動を考えて、評価する。主導的な計画は、行動方針が望ましい終末状態の達成に寄与するかどうかを判断するために、行動方針の結果を鮮明にイメージすることが必要である。主導的な計画は、実施間、複雑さの影響を減らす。

計画策定の前提
 スティーブン・ゲラス大佐は、合理的な意思決定モデルの前提事項を明らかにした。そして、そのモデルが「軍事的意思決定過程(MDMP)」のような詳細な計画策定方法の基礎となっている。MDMPのような合理的な意思決定モデルは、次のような前提に立脚する。第1に、このモデルは、問題またはゴールが明確に定義できること、第2に、決定のために必要とされる情報を得ることができるか、ないしは利用できること、第3に、最適の解決策を特定するため、案出されるすべての選択肢が考慮され、比較され、評価されること、第4に、環境が比較的安定し、予測できること、最後に、意思決定プロセスを機能させるための十分な時間があること。

計画策定の特質
 これらの計画策定の理論に関する陸軍ドクトリンの記述に加えて、ヘンリー・ミンツバーグの次のような指摘は重要である。計画策定は、明白な結論をもたらす形式的な手順である。この形式化は(1)分解する、(2)明快に説明する、(3)プロセスを合理化することを意味する。この形式の合理性は、もちろん、総合ではなく、分析・分解にある。
 

計画策定のまとめ;目的・前提・アプローチ・文化・論理
表1は、軍事計画策定の目的・前提・アプローチ・文化・論理をまとめたものである。
この表から、我々は、イベントが起こる前に、計画策定がイベントに影響を及ぼすアプローチであることが分かる。また、この表は、作戦環境について次のような前提を必要とする。計画策定は、(1)明白で、安定し、はっきりした終末状態が指揮官の計画策定ガイダンスや指揮官の意図として付与されること、(2)将来のイベントを予測することができること、(3)各行動方針を分析することによって、目的を達成する最良の方法を特定できること、(4)この過程は単純で、明白で、簡潔で、直接的であることを前提としている。計画策定アプローチは、策定作業を同時に行うために、問題を分解する。計画策定は、合理的なマネージメントの文化と結びついている。つまり、階層的で、決定的で、客観的で、技術主義的な態度が、最適な決定を下すことを可能にすると考える。計画策定の根底にある論理は、合理的で、厳密で、還元的で、反復可能である。

デザインの目的
 これに対して、陸軍FM3-24によれば、「デザインの目的は、より深い理解、その理解に基づく解決策、そして学習と適用の手段を提示することにある。」TRADOCパンフレット525-5-500は、複雑な作戦環境に適しているアプローチを次のように提示する。還元主義と分析は、相互に作用し合う複雑なシステムでは役に立たない。なぜなら、還元主義や分析は、構成要素間のダイナミックスを見失うからである。相互に作用し合う複雑なシステムの研究は、還元主義的よりも、むしろシステミック(全体論的)でなければならず、量的であるよりも、むしろ質的でなければならない。そして、分析的な問題解決よりも、むしろ帰納的なアプローチを使わなければならない。
ナイジェル・クロスは、「多くの専門職のデザイナーがどのように機能するか」について調査し、以下の結論に達している。
デザイナーは、
*新しい、予想外の解決策を見つける。
*不確実性を大目に見て、不完全な情報で行動する。
*想像力と建設的な予測を問題に適用する。
*問題解決の手段として、図表等のモデル・メディアを使用する。

デザインの前提
 陸軍ドクトリンとデザイン理論の間に橋渡しをするため、リック・スウエインは、デザイン・アプローチの前提を検討する。デザインは、学習への懐疑的であるが好奇心旺盛な知的アプローチと、事実と信条に対して批判的なスタンスをとる。したがって、作戦デザインは、連続的な学習の必要性を確信するか、ないしは人間環境における安定状態に懐疑的な態度をとる。作戦デザインは、ある団体による状況への介入が他の利害関係団体からのいろいろな反応を引き起こすことを想定する。軍事計画策定者達はこのような想定をしばしば除外する。というのは、彼らは、現地や全世界の人々の動機が利他主義的であると考えるとともに、敵の行動は受動的である、と思って行動するからである。


デザインのまとめ:目的・前提・アプローチ・文化・論理
表2は、デザインの特徴をまとめたものである。
 デザインの第一のゴールは、状況の理解である。状況の理解は、常に不完全であるから、問題と問題解決に関して継続的な学習・適応・再フレーミングを必要とする。デザイン・アプローチは、計画策定とは異なる。なぜなら、デザイン・アプローチが異なる前提に立脚するからだ。デザインは、終末状態が漠然として、未知数で、移動する標的である。つまり、イベントのパターンが不明確で、どの行動方針が最も実り多いかを事前に予測することができない。また、最短経路が必ずしも直線でない場合があり、単純でない場合もある。従って、デザイン・アプローチは、それを合理化しようとするよりも、むしろ複雑さを認め、原因と結果の不確かな関係に直面して行動することである。デザインは、いろいろな視点から解釈を共有するために、対話と協同、図示とモデリングでユニークな状況に取り組む。これは、環境の構成要素に焦点を当てるよりも、むしろ環境内の関係や世界観との関係に光をあてる。分析・分解は、まだデザインでの役割があるが、しかし、問題状況へのシステミックな対応の総合化が強調される。前もって決定を束ねるよりも、むしろデザインは連続的でダイナミックであり、しかも環境との相互作用に応じて決定を適応させる。
 デザイン文化は、本質的に参加型で、多元的である。それは、間主観的な*意味を見出す継続的な反省とディスコース(問答型議論)を奨励する。デザイン文化は、最適性ではなく、むしろ認識的で、感覚的で、倫理的な価値の観点から改善を追求する。デザインの論理は、したがって批判的で、創造的で、連続的で、循環的である。
*間主観とは、お互いの主観・認識をぶつけあえば、客観的な判断を導くことができるという考え方。

、なぜ、デザインを学ぶか
 FM 5-0は、デザインを学ぶ理由として、次の事項をあげている。デザインは難解な問題の理解を改善し、変化の予測を助け、好機を作り出し、推移をマネージする。デザインは、正しい問題を解決すること(問題を正しく解決するのではなく)を奨励し、ダイナミックな状況への適合を促進し、戦略と戦術の間の連結を強化する。創造的なデザインは、努力の節約、省庁間及び政府間の統合、少ない予想外の結果をもたらすことができる。
 デザインは、アイディア・メイキング(着想形成)にも役立つ。図3は、思考の3つの目的を表す。即ち、アイディア・メイキング、センス・メイキング(意味形成)、ディシジョン・メイキング(意思決定)である。(このモデルは、個人・チーム・組織体の思考に等しくあてはまる。)指揮官と幕僚の思考目的は、この3つのタイプに区分できる。多数のフイルド・マニュアルは、意味形成のツールと意思決定のモデルについて触れている。しかし、改訂FM5-0の発表以前には、新しいアイディアと新しい解決策を生み出す方法、つまりアイディア・メイキングに関する詳細な議論はなかった。




2012年06月25日

米統合軍の新運用ドクトリン

作戦術と作戦デザイン

1. 序論

a. 統合部隊司令官(JFC:Joint Force Commander)と幕僚は、作戦術と作戦デザインを適用するとともに、統合作戦計画策定要領(JOPP)を使用して、計画・命令を作成する。JFCと幕僚は、「統合部隊が軍事的終末状態(目的)を達成するため、その能力(手段)をどのように運用するか(方法)」について明らかにした計画・命令を作成するために、芸術(art)と科学(science)を結合する。作戦術は、司令官と幕僚による創造的なイマジネーション--技能・知識・経験に裏打ちされた--の適用である。作戦デザインは、作戦環境を理解し、問題を設定し(フレーミング)、キャンペインと主要軍事行動へのアプローチ(作戦アプローチ)を考えるためのツールあり、方法である。作戦アプローチは、作戦デザインの結論部分であり、統合部隊が終末状態(end state)に至るためにとるべき行動を幅広く提示したものである。最後に、JOPPは、JFCと幕僚が幅広い作戦アプローチを詳細な計画と命令に転換する分析的で、整然としたプロセスである。この章では、作戦術と作戦デザインを記載し、次章(「第4章、統合作戦計画策定要領(Joint Operation Planning Process)」では、JOPPの詳細を議論する。

b. 作戦術に長けている司令官は、戦術行動と戦略目標を関連づける考え方を提示することができる。詳述するなら、作戦術と作戦デザインは、戦略と戦術の間に橋を架け、国家戦略上の狙いを戦術的な戦闘行動及び非戦闘行動に結び付ける。同様に、作戦術は、JFCと幕僚が他の政府機関や多国籍パートナーの統合一体化を助長する方法を理解するのを助け、そしてそれによって、これら組織が戦略目標と作戦目標の達成に向けてとる統一された行動を促進する。

c. 作戦術によって、司令官は、望ましい終末状態を達成するため、目的・方法・手段を結びつける。(図III-1参照)このため、司令官は、次のような疑問に答える必要がある。
 (1) 達成されなければならない軍事的終末状態は何か、如何にして、それと戦略的終末状態と関係付けるか、そして、軍事的終末状態を可能にするためには、どのような目標を達成しなければならないか。(目的)
 (2) それらの目標や軍事的終末状態を最も達成可能な一連の行動は、何か。(方法)
 (3) 一連の行動を遂行するために必要とされる資源は、何か。(手段)
 (4) 一連の行動を遂行するにあたり、失敗ないしは受け入れがたい結果に終わる可能性は、どうか。(リスク)

d. 作戦術の重要な一部である作戦デザインの作成は、作戦状況を明らかにし、設定された問題を提示する「作戦デザインの要素(Elements of Operational Design)」を用いる。この方法は、JFCと幕僚が任務達成のための幅広い解決策を概念的に理解するとともに、複雑な作戦環境の不確実性を減らすのに役立つ。その上、この方法では、問題と作戦アプローチの性質に関する反復的で継続的な対話が奨励される。(図III-2参照)作戦デザインの要素とは、重心(COG)や作戦線(LOOs)のような個々のツールである。そして、これらツールを使って、JFCと幕僚は、幅広い作戦アプローチをイメージ明確に描き、提示する。また、これら作戦デザインの要素--「セクションB 作戦デザインの要素」に詳述されている--は、JOPPを通して使用される。

2. 司令官の役割
a. 司令官は、作戦デザインの作成において中心的人物である。このことは、司令官の教育と経験のためからだけでなく、彼の判断と決定がプロセスを通じて幕僚を導くからでもある。一般的にいって、状況が複雑ならそれだけ、計画策定における司令官の役割は、初期の段階から重要となる。司令官達は、複雑さと不確実性の難題を軽減するために作戦デザインを作成する。この際、その知識・経験・判断・直観を駆使して必要な状況をはっきりと理解するように努める。作戦デザインは、指揮の効果的な実行を可能にし、そして、状況の理解を深め、明確なイメージに描くのに役立つ。

b. 司令官は、革新的で適応性のある解決策を見出すために、現在の状況と司令官自身の経験または歴史の類似点を比較する。作戦デザインの使用によって、司令官は複雑な難問を解決するために、革新的で、適用性のある選択肢を探し求める。

c. 作戦デザインによって、司令官は、複雑で不明確な問題を特定し、解決するため、ディスコウス(問答型議論)を奨励し、対話と協同を図ることが必要である。(図III-3参照)そのためには、司令官は、組織的学習を強化し、作戦実施間に「作戦アプローチを修正することが必要かどうか」を決定するための方法を開発しなければならない。これは、既存の問題の理解とその問題に取り組む適切な行動を継続的に評価・反省することを必要とする。

d. 特に、司令官は、上級司令部の目標とその目標を達成するための方法と手段についての解釈の相違を解決するために上級司令部と協力する。初めから、作戦環境を理解して、問題を明確にし、健全なアプローチを考え出し、実行可能な解決案を案出することはめったにない。複雑な問題に取り組む戦略的ガイダンスは、当初、漠然としている。そして、司令官は、幕僚のためにその問題を解釈し、フイルターかける必要がある。国家指導者や統合戦闘コマンド司令官(CCDRs)は、問題の戦略的観点について理解している一方、作戦レベルの司令官とその隷下部隊の指揮官の方はしばしば、作戦状況を構成する具体的事情について良く理解している。両方の観点が健全な解決策を案出するには必須である。隷下部隊の指揮官は、彼らの観点を上級司令部と共有するにあたり、積極的であるべきだ。そして両方とも、できるだけ早く観点の相違を解決しなければならない。政策と戦略的ガイダンスは計画策定を明確なものにする一方、計画策定が政策策定に明快さを与えるのも事実である。

e. 努力の統一は、米国が直面する複雑な難題に対応するために欠かせない。作戦に対して包括的で統一されたアプローチに関心を抱く官公庁や多国籍パートナーの参加を受け入れる必要性は、首尾一貫した作戦アプローチをとる司令官の努力と同じくらい重要である。司令官は、早期に他のパートナーを関与させる方法と時期を決定しなければならない。そして、結果として生まれる作戦アプローチは、当然、コンセンサス・ベースの産物であることを理解しなくてはならない。

f. 作戦術は通常、経験・教育・直観力・判断に卓越したJFC(統合部隊司令官)の責任と考えられるが、計画策定者と他の幕僚にとっても、計画策定の間、これらの特質が同様に重要である。このことは重要である。何故なら、JFCは、その責任がしばしば競合しているため、計画策定--特に危機行動計画の策定(CAP:crisis action planning )--の初期にフルタイムの参加が通常できないからである。それにもかかわらず、JFCは、詳細な計画を策定するための作戦アプローチを承認する時、デザイン作成作業の初期に計画策定者との最小限の相互連携を確保しなければならない。

g. 赤チームの編成
 (1) 情報を収集・分析することは-- 敵やパートナーの認識を理解するとともに--問題を 正しく設定するため必要である。そして、その設定が作戦計画の策定を可能にする。赤チームは、司令官と幕僚が批判的・創造的に考えるため、観点を変えて物事を見るため、司令官と幕僚の考えに疑問を呈するため、間違った思考法・偏見・グループ思考を避けるため、問題を設定するため、不正確な類似の使用を避けるために役立つ。
 (2) 赤チームの編成は、計画と実施において、作戦環境と敵の観点から代替え案を案出するために独立した能力を提供する。
 (3) 司令官は、自分および幕僚がデザイン・計画策定・実行・評価の間、次の事項に関して洞察と代替え案を得るため赤チームを駆使する。
  (a) 作戦環境の理解を広げること。
  (b) 問題を設定することと、終末状態の明確することに関して、 司令官と幕僚を支援すること。
  (c) 前提に異議を唱えること。
  (d) 敵の見方を適切なものとして考えること。
  (e) 味方および敵の脆弱さと好機の特定を支援すること。
  (f) 評価ならびに評価測定基準のための領域の特定を支援すること。
  (g) パートナーや敵の文化的な認識を予測すること。
  (h) 潜在的弱点と脆弱さを特定するため、計画を独立的で批判的に再検討し、分析すること。
 (4) 本質的に、赤チームは、組織思考に異議を唱える独立した能力を司令官と幕僚に提供する。
 (5) この赤チームは、JOPPにおいて幕僚機能と時間的制限に束縛されることなく活動する。赤チームのこの特徴は、対抗部隊を演じる「統合幕僚(J-2)赤セル」、ないしは情報分析・情報計画の作成プロセスを改善するための「統合情報作戦センター赤チーム」とは違ったものである。
(「JP 5-0 統合作戦計画策定要領(Joint Operation Planning Process)」2011年8月版 第 III章より直訳)

2012年04月09日

消耗戦とは何か

消耗戦を推奨する
           (In Praise of Attrition)
                                 RALPH PETERS 
はじめに
  我々の軍隊において、伝統的な知識を受け入れる危険性は、伝統的な知識になっている。創造力や革新に対してはリップ・サービスを送るけれど、基礎的事項については疑問を抱こうとしない。もちろん、これは、今日の陸軍や海兵隊の将校が熟考する暇もなく、戦時テンポで「ドタバタ」と行動するからであるが、それでも、より基本的には、初歩的な真実を覆い隠す偏見が、我々の軍隊にそっと入り込んできたためである。
“消耗戦”の用語を我々が拒否することほど、思慮のない例はない。「消耗という用語は目標または結果として本質的に否定的である」という確信は、誤りである。兵士の仕事は、敵を殺すことである。他のすべてのことは、それが現在どんなに重要に見えるとしても、副次的仕事にすぎない。そして、敵を殺すことは、敵の戦闘員を損耗させることである。弾丸が飛びかうすべての戦争が、消耗戦である。
  もちろん、消耗戦の用語は、彼我共に大きい犠牲者を出した欧州西部戦線の虐殺を思い起こさせる。昨年、ジャーナリストがイラクでの米軍の占領努力をけなすとき、この用語は何度も使用された。「敵さえ殺すことが戦争において悪いことである」という考え方は、精密兵器とテクノロジが戦争の性質を変えたという防衛産業の主張によって増強された。しかし、戦争の性質は、決して変わらない 。

1、機動戦理論の誤謬
  特に1980年代には、米陸軍も、理論の大合唱によって、戦争に関して知的で実際的な把握が出来なかった。理論では、戦争に勝てない。優れた兵器で装備された陸軍、よく訓練された兵士が勝利をもたらす。そして、彼らは効果的な殺害によってそれをなしとげる。それでも、我々は、“機動戦”について多くのナンセンスな主張を聞いた。
  機動はそれ自体、解決にならない。それは、火力とのバランスが必要である。火力も、機動もどちらも重要である。これは明白なことに思える。しかし、常に重視されるか、追求されるわけではない。理論家達は、現実よりも不可解なものを好む。
  機動だけによって勝利した軍事行動の事例は、わずかしかない。ナポレオンのウルム会戦と日本軍のシンガポールへの進撃等しか、“無血”勝利のリストに載っていない。
  機動の勝利であるように見える軍事行動さえ、より詳細に見ると、火力と機動のダイナミックな組合せによって、成功したことがわかる。普仏戦争の当初の段階に生起したセダンの包囲戦は、しばしば、作戦レベルの素晴らしい機動の例としてあげられる--それでも、パリへの道路は、フランスの軍団より多くのドイツ軍団でひしめいていた。それは、機動に伴って生起した血なまぐさい戦争であった。大胆な機動によって勝利した軍事行動の事例として、モルトケの複数軸に沿う集中、ポーランド・フランス・ロシアに対するドイツの電撃戦、さらには“砂漠の嵐作戦”があげられる。しかし、いずれも、消耗戦を必要とした。米軍による仁川上陸作戦でさえも、朝鮮戦争を終結させるには至らなかった。
  大胆な機動に過度に依存する軍事行動は、失望ないしは失敗に終わることが多かった。1914年のシュリーフェン計画は、一撃で戦争に勝利することを企図したが、西部戦線における4年以上の手詰まり状態をもたらした。同じ頃、マスリアン湖の近くでロシア軍は大機動を試みたが、この試みは、対機動戦と遭遇戦に直面して失敗に終わった。
  敵に血を流させることがなにより大事である。ドイツ軍は、ロシア軍に対する初期の機動戦に勝利したにもかかわらず、火力ではなく機動に過度に依存したため、最終的にナチ陸軍は撃破されてしまった。ゲティスバーグ会戦におけるリー将軍の壊滅的な敗北から朝鮮の鴨緑江への進撃競争まで、再三再四、陸軍の機動力への過信は、大敗北に終わった。要するに、機動戦は、基本的に欠陥のある戦略である。
  歴史上、最も成功した軍事行動の1つである“イラクの自由作戦”は、新しい種類の機動戦を企図するものであり、航空兵器が敵に「衝撃と畏怖」を与え、降伏させる一方、地上部隊の役割は“戦争の家”の小さいゴミを掃除する程度であった。しかし、この戦争は、機動テクノロジーによるよりも、むしろ 積極的な作戦機動と壊滅的な戦術火力の両方を運用する兵士と海兵隊員によって戦われ、勝利した。

2、アメリカの戦争様式としての消耗戦
  重要な点は、機動力は火力の継兄弟でないということである。機敏な機動と兵器の運用のバランスをとるために必要な指揮官の能力は、我々の生涯を越えて重要である。それは二者択一の問題ではなく、各々特定のケースにおいて統合一体化されなければならないということである。
  超大国アメリカの戦争モデルに最も近いものが戦略機動で、次に火力を発揮するための作戦機動、そして機動を可能にする戦術的火力である。ますます、戦略的火力は、重要な役割を果たす-- それは戦争に勝利ないしは戦争の結を決めるわけではないが -- 。もちろん、戦場はこの命題ほど決して単純ではない。しかし、敵軍が無条件で降伏するまで、迅速に敵を殺傷することに焦点を当てないどのような武力も無力である。
  我々は機動戦の時代に入るのではなく、2種類の新消耗戦時代に入ってきた。第一に、宗教的なテロリズムとの戦争は、疑いなく消耗戦である--もし敵のうちの1人が生きているか、投獄されていないなら、彼は我々を殺すか、我々の文明を破壊しようとするだろう。第二に、“イラクの自由作戦”は、ポスト・モダニズム的な消耗戦 ― 犠牲者が圧倒的に一方の側にある ― の新しい例である。
  消耗戦の用語がもたらすイメージを我々の心から一掃することが重要である。我々は、大きな犠牲が発生する戦争を求めているわけでも、求めようとしているわけでもない。しかし、われわれの優れた能力がもたらす一方的な消耗戦は、21世紀のアメリカの戦争様式のモデルである。何も、「消耗戦がフェアでなければならない」ことはない。
  モデルは、常に適用できるわけではない。それは 既知の事実である。戦争は例外をつくる。このことを部隊指揮官は永遠に無念がり、理論家は常に当惑する。わが国とその軍隊の強さの1つは、適応性である。多くの他の文化とは異なり、我々は理論に拘束されることをいやがる。確かに、精神や思考の独立は有益である。しかし、理論家は、悪魔のように我々の耳にささやいている。「空軍力がこの戦争に勝利をもたらすだろう」、「衛星情報は人間の努力を不要にする」「敵は音と光のショーによって降伏するよう説得することができる」と。
  精密兵器は疑いなく大きな価値を持つ。しかし、それは費用がかかるし、強固な敵を屈服させるほど十分に破壊しない。例えば、初めに精密誘導弾が副指揮官の机を攻撃し、指揮官の注意を引くとする、しかし、もし精密兵器が敵指導者を殺害することに失敗し、敵国の陸軍と一般市民が「敗北を帰した」と考えないなら、もう一度兵士は戦闘任務につくことになる。テクノロジーの雲の中で生きている人々は、敵に敗北を納得させるために「如何に破壊が重要か」を理解していない。
  我々の国家指導者が「米国民は犠牲に耐えられない」という神話に屈したベトナム戦後、米軍は道徳的に臆病になった。1990年代半ばまで、米陸軍でささやかれたモットーは、「我々は戦わない、そしてあなた方はわれわれに戦わせることが出来ない」というものだった。
  これには、明らかな理由があった。我々の軍隊 ― 特に陸軍と海兵隊 ― は、ベトナム戦で我々の国家指導者に裏切られたと感じた。当時のレーガン大統領は、ベイルートでの“米海兵隊兵舎への爆破”事件の直後にベイルートから撤退させた。それは超党派的な一連の撤退の始まりで、その結果、最終的に9/11につながった。米国のレンジャー部隊、特殊部隊、歩兵部隊がモガディシュの下町を攻撃し、アイデッド将軍の不正規軍に対して壊滅的な打撃を加えた時、クリントン大統領は“撤退”という敗北を宣言した。ソマリアでの我々の存在と任務の危険性の合理的根拠については、議論があるであろう。しかし、一旦我々が戦うならば、勝つ必要がある ― そして、敵にその企図するものをすべて失うことを知らせしめるだけ、長く戦場に留まる必要がある。
  アフガンでの2週間の軍事行動で、物事は変わり始めた。最初は、「犠牲者が出るとすぐに、新大統領は撤退するのではないか」と米軍指導部は考えた。ついで、米軍の指揮官達は、行政府がわが軍の背後に立っていることに気付き始めたので、軍事史で最も革新的な軍事行動が衝撃的な速度で展開された。それ以降、我々の軍隊、特に陸軍は、長い道を歩むことになった。しかし、我々はまだ「冷戦の後遺症」から回復中である。イラクで学んだ教訓についての統合コマンドの最近の研究は、いろいろなレベルの指揮官とその幕僚の間での“議論(discourses)”の必要性を説いている。
  しかし、我々は、議論(discourses)を必要としない。我々は率直に話し、正直に答え、敵に近づき殺害する意志を必要とする。そして、誰が勝かを全世界に明らかするまで、敵を殺し続ける必要がある。将校がアカデミックなややこしい表現で話し始めるなら、彼らは、部隊のために何も寄与しない。彼らは、ファルージャに配置される必要がある。

3、彼我の特性
テロとの戦争おける我々の敵について考えてみよう。文字通り、われわれの文明を破壊するために神から任務を付与されたと信じ、そして死を昇進と考える人々は、エレガントな機動に感動しない。それがどんなに長くかかっても、彼らを探しだし、殺さなければならない。彼らが降伏するならば、戦時国際法と国際条約の下に彼らの権利を与えなければならない。しかし、グアンタナモの囚人について痛いほど学んだように、彼らは、降伏する前に、殺害されるべきだ。
アル・カイダは“ネットワーク中心の戦争”の好例である。それは、我々が宗教的なテロリストに対して「消耗戦をしたいかどうか」の問題ではない。我々は、彼らと消耗戦の最中なのだ。我々には、現実的な選択はない。確かに、敵は、グローバルなそしてローカルな機動戦に、我々よりも適している。彼らには、隠れる世界がある。そして世界は標的でいっぱいである。彼らは、法律または境界を気にしない。彼らは、条約を結ばないし、守らない。彼らは、国連安全保障理事会の承認を期待しない。彼らは、選挙の洗礼を受けることはない。そして、彼らの兵器は、主に我々自身の社会によって提供される。
我々は、グローバルに展開するテクノロジーを有している。しかし、今のところ、パキスタン軍がテロリスト集団を包囲し、撃破するための努力をぎこちなくやっているのを、我々は見ているだけである。我々は、政府の許可なしにどの国にも入ることができない。我々には、多くのツール -- 経済的、文化的、軍事的、外交的、法律的等-- があるが、機動の自由が敵より少ない。しかし、一旦敵の所在が判明されるならば、我々は優れた殺傷能力を持っている。究極において、超大国の最大の長所は「優れた殺傷能力」である。我々は、「一般人、女性、子供を殺すことを善し(消耗戦)」とする敵に対して、情け容赦なくその能力を使う意思がなければならない。しかし、我々は、9/11以降でさえ、敵の残虐性と決意を完全に理解していない。彼らを殺し、そして殺しつづけること、つまり消耗戦が唯一の解答である。
もちろん、我々は、殺傷できない理由をいろいろ論ずるだろう。しかし、良い方法論が発見されるまで、我々がテロリストを殺すことは、暫定的な解答である。たとえ殺害で問題を解決できないとしても、効果的な標的を殺傷・破壊することによって、大問題をより小さくすることができる。また、「テロリストを殺すことがより多くのテロリストをつくるだけである」という主張もある。テロ集団を肥大化させる最も確かな方法は、我々が9/11以前の10年にとったアプローチを続けること、つまり実質的に何もしないことである。
アルカイダのようなテロリスト・グループが、はびこっている。なぜなら、彼らは、イスラム世界が西側世界に立ち向かい、罰を受けずに「偉大なサタン・アメリカ」を敗北させうる、と見るからである。我々がたとえ何をしても、一部の熱狂者はテロの旗に群がるだろう。しかし、イスラム社会からテロリストをパージするには、グローバルな闘いでテロリストに勝つことである。
そのような消耗戦を積極的にやるよりもはるかに悪いのは、敵がわれわれを殺し続けているのに、「われわれは消耗戦をやっていない」と偽ることである。イラクの占領さえ、消耗戦である。我々の部隊は、規制を受けながら行動することを考えれば、非常に良くやっている。しかし、大機動も、人道的な行為も、和解の申し出も、そして妥協も、民主主義的で法の支配するイラクの発展を阻止しようとするテロリストの努力を止めることはできない。それどころか、先制的で報復的な行動を伴った追及の手を緩めるなら、テロリストやバース党員の暴力団を励ますだけである。
テロリストの中核には、心理作戦や歯科チームの派遣は通用しない。彼らを殺す以外にない。復興努力から恩恵を受ける一般住民に対して、我々が出来ることは、テロリストと反政府武装勢力を殺害することである。イラクの人々が安全になるまで、真の自由は来ない。テロリストは、それを知っている。
これは長期戦である。そして、我々の生涯を越えて続く、長い消耗戦である。我々は、敵側に多くの犠牲者が確実に出るようにしなければならない。奇妙なことに、我々の軍隊はイラクで“ボディ・カウント”を避ける--ボディ・カウントは少なくとも、消耗戦と同じくらい悪名高い--とともに、メディアもそうするように主張する。それどころか、残念なことに、メディアに注目されるボディ・カウントは、我々自身の部隊の死傷数である。我々は、「損失が常に我々の側である」という認識をメディアがつくるのを許して来た。敵のボディ・カウントを避けることによって、我々は「我々方が敗北している」という印象をつくってしまう。

5、テクノロジーの限界
陸軍と海兵隊は、ポスト・モダニズム的な消耗戦の形態を受け入れる必要がある。我々が生きているうちに、テクノロジーによって、生命の犠牲なしに戦い勝利することはないだろう。確かに、高価なテクノロジーには、すばらしいユーティリティがあった。また、空・海軍の装備は、「イラクの自由作戦」で陸軍と海兵隊の勝利に大きく貢献した。しかし、これら技術的な軍種は、我々に要求される各種の作戦--都市攻撃から都市の占領、遠方地域への徒歩パトロールから平和創設まで--では、ユーティリティが非常に少なかった。
海・空軍は、敵の指揮ネットワークを“解体する”ことによって戦争に勝つことを企図して精密兵器に投資し、我々が消耗戦に遂行することに強く抵抗する。しかし、テロ集団の指揮ネットワークを決定的に麻痺させることができる唯一の方法は、テロリストを殺すことである。また、“イラクの自由作戦”においてさえ、相手の軍隊や政府のインフラ標的を攻撃することは、敵部隊の撃破に結びつかなかった。戦争の半頃、航空努力の焦点がサダム・フセインを説得して白いハンカチーフを振らせようとする試みから転換して、イラク軍の装備を破壊し、敵の部隊を殺害しようとした時に、空軍力の有用性は急上昇した。 再度、繰り返す、「戦時において、われわれが何を狙うとしても、敵を殺すことへの関心を決して失ってはならない」と。
我々は“イラクの自由作戦”の余波で、多くの問題に直面した。なぜなら、我々がイラク軍に加えた破壊の量を抑えようとしたからである。しかし、結果は、イラク人の間で「匕首伝説(Dolchstosslegende:「敗けたのではなく、裏切られたのだ」というイラク人の気持ち)」が広まった。政権打倒後の数週間で、地方、 特にスンニ派三角地帯 に配置された有志連合部隊の不十分な数とともに、住民の大部分は、決してアメリカの力に畏敬を感じていなかった。われわれは、「敗れた」と敵に思はせなければならない。空家の建物を爆破することによって敗北を信じさせることはできない。われわれは、長期的な平和を達成するために、短期的な殺害の意思がなければならない。
この小論は、「戦争とは単純なもので、相手を殺すことだ」と考えているわけではない。もちろん、戦争は、指揮ネットワークや統制能力への精密攻撃、巧みな心理作戦、一般住民と囚人の人道的扱い等、多くの他の複雑な要因を抱えている。しかし、軍務に従事したことのない研究者や専門家がテクノロジによって血を流さない戦争と不毛な勝利を説くとき、実際に戦争を戦わなければならない兵士達は、安易な理論または居心地のいいオフィスから戦争を説く人々の言葉に屈しないことが重要である。
それは、「消耗戦が良いか悪いか」の問題ではない。消耗戦は必要である。彼らの血を流すことのみが不屈の敵を破る。特に神に取りつかれたテロリスト--我が国がこれまでに立ち向かった最も冷酷な敵--との闘いにおいて、経済的な解答はない。疑いなく、我々の長期戦略には、テロリズムが発生し、繁茂する環境と取り組むために、広範囲にわたり努力することが含まれる。しかし、今のところ、我々ができることは、敵、我々の同盟国、そしてすべての住民に、「われわれは勝つ、そして勝ち続ける」ということを認識させることである。

6、おわりに
オックスフォード英語辞典(第5版)は、戦闘損耗を「軍事的消耗によって質的または量的に低下すること」と定義する。それは、少なくとも、次の数年間に起こるテロ戦との戦いを言っているようである。同じ辞書は、“消耗戦”を「持久戦において敵部隊を徐々に疲弊させること」と定義する。確かに、それは、宗教的なテロリストに対して我々がしなければならないことである。地図の上で描かれる魔法のような機動などない。火力を発揮するための戦術的な移動こそが、最も重要である。
“新しい塹壕陣地”は、イデオロギー的で、文明的である。短期的には、我々は敵部隊を疲弊させなければならない。長期的には、我々は敵のイデオロギーを弱化させなければならない。21世紀の消耗戦は、形而上学的消耗戦の側面を持つ。そこにおいて、彼我の違いは妥協できないほど深い。最近の戦争と軍事行動の結果として、我々は世界で最も優れた指揮官のもと、最も訓練され、最も優れた兵器で装備され、最も経験豊かな地上部隊を持った。戦争と軍事行動のわれわれの経験は比類ないものであるが、潜在的競争者と同盟国は教室と演習場しか持っていない。全体として、我々は軍事史で最もインプレッシブな軍隊を持っている。現在、我々だけが心を鬼にして考え、はっきりと発言するならば、適切な命名で現実を呼ぶことに恥じることはない。「我々は消耗戦を戦い、そして戦うだろう。そして、我々は消耗戦に勝利するつもりである」と。
( Parameters Summer 2004 より95%の超訳)





2012年02月05日

バランス戦略とは何か

通常戦と不正規戦のバランス

1、ポスト9/11時代の教訓:過度に強化され続けた通常戦能力
  ゲーツ国防長官は、ペンタゴンの新国防戦略の原則が「今日の戦争に勝つこと」と「将来の戦争に備えること」のバランス、さらには「通常戦遂行能力」と「不正規戦遂行能力」のバランスをとることであると述べた。
 国防予算を増大させた「ポスト9/11時代」が終わり、軍隊のスリム化が議論されるようになったが、それにつれて、多くの人々は「米軍は一形態の紛争のために過剰に投資されている」と考え始めた。一方の端には、軍隊特に陸軍と海兵隊は、将来の脅威として不正規戦を予測し、これに備えることに転換しなければならない、と説くCOIN(対反政府武力行動)支持派がいる。もう一方の端には、軍隊は国家に焦点を当てるべきであり、反政府武装勢力やテロリストに対する不正規戦は回避されるべきか、ないしは通常戦戦力によって十分に対処できる、と考える伝統主義派がいる。陸軍の公式の見解は、現在はCOINに焦点を当て、将来はバランスのとれた全スペクトル戦力に移行しなければならないというものである。
 本小論は、地上戦に関するホリスティックな見方に基づき、通常戦型戦力と不正規戦型戦力のバランスをとる「戦力計画策定の概念」を提示する。今日、軍隊は3つの競合するニーズのバランスをとっている。即ち、
1)イラクとアフガンでの戦争に必要な資源を提供する。
2)近い将来、最も予想される戦争である小規模の不正規戦に備える。
3)不正規戦の脅威に加えて、通常戦の脅威および/またはハイブリッドな脅威を含む将来の戦争に対して備える。
 第1と第2のバランスをとること、即ち、今日の戦争と将来の小規模不正規戦のバランスをとることは、これらの戦争のために必要とされる技術がかなり重なるので、理論的に対処可能な任務である。イラクとアフガンのために最適な戦力は、たぶん、将来の不正規戦に十分備えることになるだろう。
 しかしながら、第1・2と第3のバランスをとることは、不正規戦型戦力に加えて通常戦型戦力が必要かもしれないので、非常に難しいものとなる。このバランスは、イラクとアフガンによる過度の重圧を背負うだけでなく、通常戦型地上戦力の保持を期待される陸軍にとって特に難しい。陸軍の全スペクトル政策は、通常戦・不正規戦・ハイブリッド戦能力の混合の必要性を認めるが、しかし、その混合が「どの程度であるべきか」を判断するためのフレームワーク(概念)がない。通常戦においては、砲兵・機甲・歩兵の比率のためのコンバイン・アーム(混成部隊)の概念を我々は持っている。また我々は、不正規戦における歩兵と他の主要機能部隊(民生部隊、工兵部隊、憲兵部隊など)の理想的な混合の概念も持っている。同様に、不正規戦能力と通常戦能力のバランスを如何にとるかを明らかにする必要がある。
 本稿は、少なくともイラク規模の地上戦を戦うための能力を保有しなければならないという原則を支持するが、しかし、2001年以降の不正規戦能力の増大にもかかわらず、通常戦能力が過度に強化され続けたことを立証する。民生活動のような不正規戦遂行機能は、予備役部隊に過大に付与されている。不正規戦では、紛争の政治的な狙いを達成・維持するため、治安の永続的な確保が死活的に重要である。しかし、治安維持のための不正規戦遂行機能、例えば外国の治安部隊に対するアドバイザや訓練教官等から構成された専門部隊は、編制されなかった。8年間にわたるCOINの遂行経験にもかかわらず、陸軍の部隊構造は、通常戦遂行に重きを置き続けている。国防総省が将来の地上戦において直面する最大のリスクは「我々の兵力が敵の軍隊を撃破できない」ということではなく、米国が「占領した領土を安定させることができない」か、ないしは「被支援国の行政当局が紛争の政治目標を達成・維持できない」ことである。

2、戦争の性質と目的
 米軍ドクトリンに関する最重要文書である『統合出版1(Joint Publication 1)』は、「軍隊の目的は国家の戦争を戦い、勝つことにある」と書いている。しばらくこの定義の不完全さ(それは、抑止と安全保障協力または本土防衛のような重要な機能を含んでいない)は別にして、この定義は、陸軍における通常戦と不正規戦の遂行能力の適切なバランスについての現在の議論に準拠枠を提供する。「COIN戦重視か」「通常戦重視か」の議論において、いずれの擁護者も、「戦争における陸軍の基本的目的は地上での戦いに勝つことである」と訴える。COINの主唱者達は、今日、われわれが戦っている戦争に勝つことに最も高い優先順位を置くべきだと考える。一方、伝統主義者達は、COINを国家建設と考え、陸軍はそのルーツである通常戦遂行に戻らなければならないと主張する。
 この議論の中心には、戦争の性質についてだけでなく、戦争の目的についても意見の相違が見られる。戦争は、国家の政治指導者によって決定される政治目標を達成するために戦われるが、我々はしばしば戦争を「戦場において国家の軍隊間で起こる武力衝突」として、狭く考える。不正規戦の用語は、この近視眼的見方への反作用から生まれる。というのも、この見方では、米国の正統性を徐々に喪失させ、イラクとアフガンでの米国のゴールを阻止しようとする反政府武装勢力の存在を説明できないからである。不正規戦アプローチは、われわれへの直接的挑戦であるよりも、むしろ戦う我々の政治的意志をむしばむことを企図するものであるから、我々はあたかも不正規戦が新しい戦争形態であるかのように行動する。そして、すべての戦争が政治的な狙いのために戦われることを忘れてしまう。『陸軍フィールド・マニュアル3-0 作戦(Field Manual 3-0, Operations)』では、不正規戦と通常戦の違いは、「不正規戦が軍事的支配のためにではなく、政治的権力のために行われる」ことであると書いている。しかし、「政治的権力のためでない戦争」があるのであろうか、という疑問が起こる。現実には、国防総省が不正規戦の定義として使用する「一般住民への影響」は、不正規戦争の特質ではなく、むしろどんな集団でもその政治目標を達成するために使うアプローチである。通常戦の原型である第二次世界大戦においてさえも、米国は敵国の一般住民に影響を与え、降伏を強いるために戦略爆撃を行ったではないか。
 国防総省は、不正規戦が本当の戦争であることを認めるのに長くかかった。しかしいまだ不正規戦と通常戦の関連について理解するための概念が欠如している。この結果、無益な二者択一の問題として議論をすることになる。歩兵部隊に比してより多くの機甲部隊、または民生部隊に比してより多くの砲兵部隊といったぐあいに、妥当な能力規模に差異はあるが、現実には、多くの紛争が不正規戦と通常戦の諸要素を共に有している。防衛専門家の間では、ハイブリッド戦が革新的な戦争形態というよりも、むしろ一般的な戦争形態として論じられている。つまり、大部分の戦争が「戦力対戦力の紛争(force-on-force conflict)」と「住民に影響を及ぼす軍事行動」との混合である。
 我々の公式の軍事的定義は矛盾、混乱している。「主要戦闘行動(MCO:Major Combat Operations)」に関する国防総省の概念は、5つの段階を含み、そのうち段階IV(安定する)と段階V(文民政府を可能にする)は、主に不正規戦であるという。にもかかわらず、国防総省は、MCOのC(Combat)がまるで通常戦を意味するように使っている。例えば、『4年毎の役割と任務に関するレビュー(QRMR:Quadrennial Roles and Missions Review Report)』は通常戦の用語でMCOを定義している。即ち、「MCOは、サイバースペースを含む複数の行動領域において、相乗作用のあるハイテンポの行動である。その目的は、敵の企図や計画を粉砕するとともに、米国の戦略目標の達成に軍事的に対抗できなくするか、対抗する意思を持たせなくすることにある。」と。
さらに、『FM 3-0』は、通常戦の特徴を「大部隊間の戦闘」であると説く。そして「MCOの目標は敵軍隊の撃破ないしは打倒及び地形の奪取であり、指揮官は、撃破される部隊数、敵の決意のレベル、奪取される地域目標でMCOを評価する」と書いている。
 この定義には、明らかに問題がある。戦争における成功の尺度は「国家の政治目標が達成されたかどうか」であって、撃破された敵部隊の数ではない。軍事行動の成功が必ずしも戦略目標または政治的目標の達成を確実にするというわけではない。
 単に言葉上の問題ではなく、これらの文書は我々の思考を形成し、実際的な意味を持つ。戦争についてのこの危険なほど狭い定義、つまり政治目標ではなく、軍隊の撃破のみに焦点を当てる定義は、イラクでの不十分な「進攻後の安定化作戦計画」の策定、そしてイラク戦争の「ほぼ失敗」につながった。イラクとアフガン以前に、我々はMCOの不正規戦段階(IV〜V段階)のために必要とされる戦力さえも整備していなかった。なぜなら、そのような段階は、通常戦戦力で対処できる「小さい付随段階」であり、しかも/ないしは、軍隊の仕事ではない(それゆえに、「戦争以外の軍事行動(MOOTW)」という用語を使う)と考えていたからである。イラク進攻から7年後、アフガン進攻から9年後になって、「安定化作戦を簡単に考えることは、重大な間違いであったこと」、「安定化作戦に備えることにもっと注意すべきだったこと」に気付いた。
 政治学者コリン・グレイは、安定化作戦を別の種類の戦争と見なす米国のアプローチを批判して、「安定化作戦は本来の戦争に続く行動ではなく、戦略に統合一体化されるものとして、我々はアプローチしなければならない」と記した。戦争のあとに続くのは平和のみである。戦争はその後の平和が致命的な影響を受けない形で行われるべきである。不正規戦に関して言えば、安定化作戦は、当初から米国軍事戦略の一部であるべきである。
 戦争に関する我々の概念は、拡大されなければならない。つまり、伝統的な作戦も、安定化作戦も、政権を打倒する目的を持つ戦争の一部として考えるべきである。MCOのI〜III段階(抑止して、イニシアティブをとり、支配する段階)は、戦争の半ばにすぎず、しかも最も難しいのは、後の半分である。実際、我々はイラクでもアフガンでも、決定的な勝利を得ることができなかった。そして戦争は、6年以上続いた。
 我々は、他の軍隊を単に撃破する以上のことができる軍隊を必要とする。それは、地上で決定的な勝利を得ることができる軍隊である。このことは、(1)領土を奪取するだけでなく、(2)その領土の支配を暴力的手段で争う敵対者--国家あるいは非国家--を、米国が撃破すること、(3)領土を安定化させること、そして(4)米国がその政治目標を確保できるように被支援国の安全保障構造を構築することを意味する。首都を奪取し、他国の軍隊を撃破できるだけの軍隊は、反政府武装勢力やテロリストによる多方向からの攻撃にさらされるだけで、何にも勝ちとれなかった。我々がイラクとアフガンで見たように、結果は、必要以上に長期にわたる流血と、国家の政治目標をリスクにさらす戦争である。国家または非国家のどんな敵でも、「兵力対兵力」の戦闘で撃破する能力が勝利にとって必須であるように、決定的な勝利には、安定を確立するとともに、米軍が去っても治安体制を持続することを必要とする。
 被支援国住民への効果的な係わり合いは、安定を成し遂げるための基礎となる。これは、指揮官が戦場の一般住民を「敵との交戦という任務遂行上の重大な障害」と見る伝統的な思考様式を越える。現実には、一般住民と係わり合うことなしに、紛争の政治的目標を確保するために必要な「安定した環境」を達成・維持することはできない。このアプローチは、現在、アフガンで古典的なCOIN作戦に専念する軍事指揮官によって受け入れられてきた。しかしながら、それは、米国が安定を達成・維持すことを望むすべての地上MCO(主要戦闘行動)に等しくあてはまる。我々の部隊は月で戦うのではない、地上のMCOで一般住民を無視することはできない。さらに、我々がイラクとアフガンで学んだように、被支援国の住民と効果的に係わり合いを持つために必要とされる技術は、通常戦に焦点を当てた戦力ではなく、治安部隊のアドバイザ・訓練チーム、そして民生の専門能力を必要とする。

3、ハイブリッドの混成部隊
 地上部隊に関する戦力計画を策定するにあたって、その基本的概念が「MCOを戦う能力が必要である」ということであるなら、バランスのよい戦力は、MCOの各段階を遂行するのに十分な能力を保有することである。そうすれば、戦争の全期間(I〜V段階)にわたり、最初から最後まで戦うことができる。紛争のIV・V段階ではなく、I〜III段階のみを遂行する陸軍を整備することは、弾薬のないライフルで戦闘するに等しい。MCOを全体的に見ることは、必要な不正規戦能力の比率を引き上げることになる。かくして、次のようなハイブリッド混成部隊の概念が構築される。
 通常戦型作戦とともに安定化作戦を特徴としたイラク戦争は、我々に「バランスのよい戦力がどのようなものか」について考える機会を与える。2003年にバグダッドを制圧するために、たった6個旅団相当で21日間を要したが、同国を安定させるために、およそ15個戦闘旅団(ピークの「サージ戦略」の時は20個戦闘旅団)で、6年以上かかったことを考えるべきだ。さらに、通常戦では、交戦する部隊に必要とされる増援部隊の比率を決定するために通常、「2アップ(展開)・1バック(予備)」のルールが適用されるが、安定化は、大量の兵員数と、部隊のローテーションを必要とする。
 毎年1個部隊を展開するためには、本国に2倍の戦力を2年間維持することが必要である。したがって、全戦力として3倍の戦力が国を安定させ、戦争に勝利するために手元に必要とされる。(イラクでは、米国はより少ない戦力でそれを行ったが、しかし、陸軍の長期的健全性の保持に大きなリスクを負った。)つまり、45個戦闘旅団(または現役/予備役混合)が、イラク規模の国を安定させるのに最低限必要とされる。それでも、部隊の健全性保持にかなりのリスクをともなった。(これは、陸軍が地球上の他のどこでも責務を持たないことを想定している。それは非現実的である。)60個戦闘旅団あれば、1対2の割合で20個旅団が展開できよう。これによって、十分な地上部隊とともに、持続可能な作戦テンポが可能になる。予備役部隊を計算に入れれば、現在の戦力である現役45個と州兵28個の戦闘旅団は、この20個旅団の目標に近いものとなる。
 多数の地上兵力を必要とする安定化作戦と違って、通常戦の軍事的実力は、敵に対する単に数的優勢だけでなく、組織やテクノロジといった質的優勢によって左右される。加えて、「人間の戦争」においては、空軍力と海軍力は地上部隊の代わりとなりえないが、地上における通常戦型の統合作戦には大いに寄与する。米陸海空軍の通常戦型統合戦力における優位がもたらす結果は、衝撃的である。6個戦闘旅団相当がイラクを奪取し、サダム陸軍を撃破するために必要とされた。「2アップ・1バック」のルールによれば、さらに3個の通常戦型旅団が予備として使用可能でなくてはならない。イラクのような通常戦型作戦のための9個戦闘旅団は、同じ国を安定させるために最小限必要な部隊数よりも、はるかに少ない(5分の1)。米国の質的な優勢と海空軍力が維持されるなら、米国は、安定化作戦の方へ数的に大きな地上部隊を保有することによって--おそらく80パーセントの安定化作戦と20パーセントの通常戦型作戦--地域を奪取し、安定させることができよう。
 「イラクが正確に将来の地上MCO(主要戦闘行動)のモデルであるかどうか」については、議論を呼ぶところである。しかしながら、以下の点は、最近の経験から導き出される。
*通常戦型作戦において、小さいが質的に優れた米国の地上部隊は、米国の技術的優勢と空海軍の優位によって、数量的優位な敵を破ることが可能である。
*安定化作戦は、一般住民の安全を確保し、彼らに影響を及ぼし、彼らと交流を持つため、かなりの数の要員を必要とする。先進技術、航空戦力、そして海軍戦力は役に立つが、その利点は、安定化作戦が不正規戦であるという事実によって軽減される。そして住民との交流のためには、地上での人間を必要とする。
*通常戦型作戦は、米国のそのような作戦遂行能力によって迅速に行われる。この作戦では、予備として保有する部隊が必要であるが、ローテーションを基礎にしなくて良い。
*安定化作戦は長期にわたって遂行され、現有の部隊数の3〜4倍を必要とする。したがって、ローテンションを基礎にすべきである。

 イラクの経験から、およそ80/20の「安定化作戦」対「通常戦型作戦」の戦力混合比をもった地上部隊を提案する。しかしながら、正確な比率を見つけることよりも、「バランスのとれた戦力とは、どんなものか」という考え方を再検討することがより重要である。「概念上の作戦(Notional Operation)」における各段階の「軍事的努力のレベル(Level of Military Effort)」を示している『統合出版物 3-0、統合作戦(Joint Publication 3-0, “Joint Operations,”)』(IV-26,CH 1)は、我々のドクトリン上の考えがイラクとアフガンでの地上行動で学んだ教訓と一致していない良い例である。
 それは、この図の紛争で最も長い段階である通常戦型の「支配(Dominate Phase )」段階において、「努力レベル」がピークにあることを示す。イラクとアフガンでの作戦だけでなく、他の領域、例えばボスニアとコソボの安定化作戦における経験は、次の事実を説明する。即ち、米国は、数日以内に領土を奪取し、支配することができるが、一方、安定化作戦は数年、時には数十年もかかるという事実である。幾つかの軍事作戦(例えば、1994年のボスニアとハイチでの紛争)は、ほとんど通常戦型のI〜III段階をわずかしか伴わず、直接IV段階の安定化作戦へ移るかもしれない。このため、『統合出版物 3-0、統合作戦」』の図を早急に修正しなければならない。最低限、米国は一つのMCO(主要戦闘行動)、つまりI〜V段階で戦う能力がなければならない。

4、再バランス戦力
 もし我々が最初から最後までMCO(主要戦闘行動)用の戦力を必要とするならば、我々の現戦力は明らかにバランスが取れていない。二重目的の「ストライカー旅団戦闘団(BCT)」は、あまりに通常戦型重視の重BCTであり、民生部隊、憲兵部隊、軍事情報サポート・チーム、人的情報収集要員とアナリスト、外国治安部隊アドバイザ・訓練チーム、社会文化研究分析チームといった作戦のIV段階とV段階を遂行するのに十分とは言えない。治安部隊アドバイザ・訓練チームや社会文化研究分析チームといった不正規戦を遂行できる能力の一部は、恒常的な部隊編制さえ持っていない。
 陸軍は過去数年間に通常戦能力から不正規戦能力への調整をしてきたが、バランスのとれた部隊でMCOを戦うためにさらなる調整が必要である。現在の重いストライカーと歩兵旅団戦闘団の混合は、通常戦型作戦に役立つ重旅団戦闘団(HBCTs)の方へあまりにも傾いている。一方、安定化作戦は多数の歩兵と、わずかな戦車を必要とする。MCOの「奪取」段階と「支配」段階で戦う激しい都市戦と不正規戦とに役立つ二重目的の歩兵とストライカー旅団戦闘団が必要である。
 これらの変更の帰結として、ハイブリッド混成戦力は、二重目的のストライカー等の機械化歩兵旅団戦闘団を中核とし、必要に応じて通常戦型(重旅団戦闘団と砲兵部隊)と不正規戦型の戦力(民生部隊、憲兵部隊、人的情報収集チーム、工兵部隊、情報支援部隊)で増強されるべきだ。この戦力は、全スペクトル用の部隊を求める陸軍の現アプローチと、アンドリュー・クレピネヴィッチの提案した通常戦ないしは不正規戦専門部隊の間のどこかに位置する。理論的には、全スペクトル部隊は、専門化された戦力よりも融通性のあることを利点としているが、実際には、全スペクトル部隊では、通常戦型作戦のための装備と訓練に焦点が当てられ、しかも不正規戦型作戦では足りない状態に再び追いやられるという深刻なリスクがある。
 ハイブリッド混成戦力はMCOを戦うために、通常戦型戦力構造に過大に投資し続ける現在の戦力よりも、はるかにバランスがとれている。通常戦型から不正規戦型能力へ資源を移しても、つまり戦車と火砲の数を少なくしても、リスクが増大するというわけではない。たとえ陸軍が人的兵力中心に構築されるとしても、陸軍は地域を奪取するために強大な能力を保有し続けることができるだろう。
(PAUL SCHARRE 「A balancing act Optimizing the Army for irregular and conventional war」, Armed Forces Journal May 2010から70%の超訳)


2011年12月22日

SODと見積の違い

SOD:見積と計画策定の代替案
(SOD: An Alternative to Estimate Planning)
      Charles H. Canon 米陸軍少佐

1、はじめに 
  今日の作戦環境は複雑になってきた。「グローバルな対テロ戦争」の出現は、米国の戦争様式を変えてしまった。つまり、米軍の現在のキャンペインは、行動と動機が通常である国家や、ドクトリンが分かっている国家を敵として想定していない。米国は、国家アクターだけでなく、指揮機関と軍隊構造が容易に識別できない非国家アクターのネットワークに対してもグローバルに関与している。今日の敵は、非伝統的な戦術を使用し、世界的規模で展開している。作戦環境のこの急激な変化は、戦場という伝統的な領域を越え、しかも多次元で相互に連結した“広大な絵”を描く新しい方法を必要としている。
 現作戦環境の「複雑さ(complexity)」のために、新ドクトリンに関する直近の出版物は、チェックリストとテンプレートを特徴とする従来の計画策定モデルとは異なっている。従来の計画策定モデル、即ち「問題解決」モデルは、固定的で、線形で、そして *終末状態(end state)を中心に置くものである。新しいモデルの支持者達は、従来の「問題解決」モデルがキャンペイン計画の策定に適していないと主張する。なぜなら、従来のモデルは、*クローズ・システムを想定し、現作戦環境に共通して見られる急速な変化を考慮に入れていないからである。システム理論が強調する「問題設定」やキャンペイン・デザインは、したがって、「問題解決」のドクトリンに先行するものである。今や廃止されたEBOは、非伝統的方法で「複雑な問題(complex problem)」を考えようとする最初の試みであった。EBOのプロセスは、戦争から「芸術」を取り出して、科学と置き換える試みとしては、たとえ重大な欠陥があるとしても、統合作戦について考える上で変化を重視するものであった。最近、EBOの欠陥を是正し、システムとして現作戦環境を見る新しいデザイン・モデルが浮上してきた。このデザイン・モデルは、*「システミックな作戦デザイン(SOD)」と呼ばれている。
  SODは軍事的システム理論で、最近になって論じられ始めた。SODはEBOのアプローチ---「複雑なシステム」の特質である不確実性に対処するとともに、ノードを*混乱(dislupt)させようとするアプローチ---を改善するものである。つまり、SODはノード間の連結を混乱させ、システムを絶えず*再枠付する ことによって良い結果をもたらそうとする。SODは周期的学習プロセスを採用する。デザイナーはこのプロセスによって、「問題」を*ホリスティクに捉えるとともに、システム全体の変化に対応する行動方針を案出することができる。SODは、計画の基礎となる考え方を知るためにシステム全体を大きく捉える。SODによって、計画策定者は「如何に計画を策定すべきか」ではなく、「何を計画すべきか」を知る。
 本論文は、SODとその理論を考察するとともに、SODに対する賛否両論を検討する。本論文の主題は、統合作戦に関する「計画策定」モデルを作成するため、SODとMDMPは本質的に異なるプロセスであり、したがって両者を統合することはできない、というものである。しかしながら、SODは、現作戦環境で「統合タスクフォース・レベル(JTFL)」ないしはそれ以上の部隊レベルで使用されるとき、作戦レベルの「問題」を明らかにする効果的方法である。


訳者注

*「終末状態(end state)」とは、指揮官が設定した軍事目標(戦略・作戦・戦術目標)を達成した時に必要とされる一連の状態・条件。この状態・条件の達成度が目標を達成したかどうかの基準となる。
*「クローズ・システム(close system)」とは、環境との間に、物質・エネルギー・情報の交換のないシステム。したがって、環境の変化に適応できない。物理的・機械的システムは本質的にクローズ・システムである。これに対して、環境の変化に対して適応性を持つシステム(生物システムや社会システム)をオープン・システムという。なお、システムとは、複数の要素(部分)から構成され、それらが相互依存し、互いに関連づけられ、一体性を生み出している「もの」及び「こと」を指す。
*「システミックなデザイン」とは、システムを、その全体像に焦点を当てて描写したもの。これに対して、システムの構成部分(構成要素という)に焦点を当てて描写したものを分析的なデザインという。
*「混乱(disrupt)させる」とは、敵部隊の編成・組織・指揮・統制を混乱・麻痺させ、その戦闘能力を一時的に低下させること。
*「再枠付(reframing)」とは、システムを別の枠組み(視点・焦点・時点)から捉え直すこと。
*「ホリスティクに捉える」とは、システムの全体像を明らかにするため、そのシステムの構成部分の相互関係や、システムを取り巻く環境との関係を把握すること。システミックなデザインを描くためには、この方法がとられる。これに対して、システムを分解し、分解した各構成部分を解明し、その結果を総合して全体像を把握することを「分析的(還元的)に捉える」という。


2、システミック・アプローチ 
 SODについて理解するためには、「複雑さ」、「混沌」、「システム理論」について知識を持つことが必要である。「システミック・アプローチ」と「システム分析」の違いに精通することもまた、重要である。この節は、これらの用語について若干説明する。3種類の作戦上の「問題」、即ち「*良く構造化された問題(well structured problems)」「やや構造化された問題(medium structured problems)」「構造化されていない問題(ill structured problems)」についても議論する。
 システムには、「込み入った(complicated)もの(こと)」と、「複雑な(complex)もの(こと)」がある。 *『指揮官見積(Commander's Estimate)』のようなシステマティック(系統的)な計画策定プロセスは、「問題」を「込み入ったシステム」とみる。この種のシステムなら、その行動・態度は予測できる。システムへのどんな入力でも、比例的で、反復的な出力を生むからだ。「込み入ったシステム」はその閉鎖的(closed)な性質のため、分解され、部分(パーツ)にすることができる。「込み入ったシステム」の色々なパーツは、予測できる方法で一緒に動く。さらに「込み入ったシステム」の「問題」は「良く構造化された問題」で、1つないしは2つの解決策を持ち、系統的に分析される。解決には、分析的「問題解決」方法を使用することができる。
 システムは、そのパーツの相互作用がシステムの機能を変化させる時、「複雑なもの(こと)」となる。相互作用のある「複雑なシステム」は、「込み入ったシステム」のように比例的で総和的な反応を示さないシステムであり、予測できない非線形のシステムである。カオス理論では、このあいまいで不規則な連結を*“バタフライ効果”と呼ぶ。科学者が「気象のコントロール」に関する実験で発見した「システムのある点における入力が他の点で極端な意味を持つか、ないしはなんの意味も持たないかもしれない」という原則である。人間の行動・態度がめったに予測できないように、人間の要素を含んでいるどんなシステムも、「複雑なシステム」と見なされるべきである。戦争は、人間社会や人間文化の衝突である。したがって、作戦レベルの大部分の「問題」は、構造的・相互作用的に「複雑なもの(こと)」である。
 限られた相互作用を持つ「適度に複雑なシステム」は、「やや構造化された問題」で、唯一の正しい解決策が存在しない問題を抱えるシステムである。「やや構造化された問題」の例は、領域防衛である。つまり、解決策はないが、「問題」の構造については通常、一致している。「やや構造化された問題」は、システミックに扱われる方が良いが、『指揮官見積』のような線形で、分析・還元的な方法も効果がある。
 最も「複雑なシステム」は、「適応性のある複雑なシステム」である。このシステムは、構造上そして相互作用上「複雑な」だけでなく、学習能力と入力への適応能力がある。このような問題は、「構造化されていない問題」と言われ、最も難しく、混沌としている。そのような「問題」は、構造化されていないことによって、「なにが問題か」「如何にそれを解決するか」「それを解決するにあたり終末状態は何であるか」に関し意見の相違が生まれる。対反政府武力行動(COIN)は「適応性のある複雑なシステム」の例で、イラクとアフガニスタンでの現在の戦いと明白な関連がある。「構造化されていない問題」には、次のような特徴がある。(1)それは、すべてユニークである。(2)一定の解決策はなく、解決策はより良いか、より悪いかで決められ。(3)解決策は、成功する機会が1回しかない。なぜなら、解決策を試みると、システム全体が変わってしまうからである。(4)各々の「問題」がもう一つの「問題」の兆しである(5)明白な終末状態がない。


訳者注

*「構造化された状態」とは、システムの構成要素が明らかになっているだけでなく、構成要素間の相互関係も分かりやすく整理されている状態。
*『指揮官見積(Commander's Estimate)』とは、米海軍の意思決定に関連する用語で、戦略・作戦・戦術計画の策定にあたり、それら計画の基盤となる。陸自の「状況判断・決心」に相当する。米空軍では、「航空見積(Air Estimate)」という。
*「バタフライ効果」とは、カオス・システムにおいて、通常なら無視できると思われるような極めて小さな差が、やがては無視できない大きな差となる現象で、予測不可能なことをいう。「北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる」や、「アマゾンを舞う1匹の蝶の羽ばたきが、遠く離れたシカゴに大雨を降らせる」という表現で使われる。日本の「風吹けば、桶屋が儲かる」もその一例。



3、問題 
 米軍はそのドクトリンで、「適応性のある複雑な問題」を扱っているけれども、これまでのデザイン・モデルは、「構造化されていない問題」に対処するように改善されていない。キャンペイン計画は、「システムをその構成要素に分解した後、個々にそれらを扱う」という不適切なものである。要するに、システム理論を是認しているにもかかわらず、現在のキャンペイン計画策定は、還元主義である。『統合出版 3-0』は作戦デザインの基本として、システム理論を採用しているが、マニュアルは「重心(Center of Gravity)」や終末状態(End State)といった *還元主義的で線形の概念をいまだ強調している。したがって、デザインと計画策定に関する現行のモデルである『指揮官見積』のプロセス は、現作戦環境の非線形性を十分に考慮しているとは言えない。
  『指揮官見積』のデザイン・プロセスは、彼我両軍がそれぞれのドクトリンに従って兵器で戦闘を行う“冷戦”シナリオでは適切であった。この種の「問題」は、人間の要素を有する「適度に複雑なシステム」として分類される。そのような「問題」は、構成要素に分解され、説明されることができる。たとえば、冷戦間、機甲師団はよく知られている大きさの部隊であり、我々は、その師団の削減ないしは増強が状況に及ぼす影響を予測できた。確かに、「複雑さ」はこの種の戦争においても一般的だったが、それでも、敵は類似した能力を持つ「国家の軍隊」であった。
 しかし、この20〜30年で、作戦環境の特徴は大きく変わった。カナダの L.クレイグ・ドルトン中佐が彼の論文の中で書いたように、これらの特徴には、「グローバル化、国際テロリスト・グループとの戦い、国際的な犯罪シンジケートとの戦い」が含まれる。一方、我々の現在の作戦デザイン・モデルは、国家間の戦争、大規模戦争、機械化された戦争を前提にしている。現代の作戦指揮官にとって、相異は明らかである。そして、彼らの多くはイラクにおける反政府武力行動の余波を受けて、前提の変化を理解するにいたった。
 「影響ベース型作戦(EBO)」は、システムの観点から「問題」を見ることの有効性を示した。「システムのシステム分析(SoSA)」を使用して、「システムの相互作用に影響を及ぼすことによって、システムのアウトプットが変化すること」をEBOは示した。しかしながら、計画策定モデルは、「適応性のある複雑なシステム」が入力から影響(結果)を予測できないことを考慮していなかった。EBOの大前提は、システムのノードに及ぼすある行動の影響が線形で、したがって予測できるということであった。「適応性のある複雑なシステム」は連続的に学習を繰り返し、変化して止まないから、将来の行動を予測することは不可能だ。
 『指揮官見積』は線形で、終末状態に基づくデザイン・モデルであるから、キャンペイン・デザインにこれを用いることは出来ない。過去8〜9年間の問題点は、戦略上の指針に欠陥があったことと、作戦レベルの指揮官や幕僚が「問題」をシステムとして明確に捉えなかったことである。その結果、作戦目標を誤解させ、終末状態を混乱させた。冷戦という分かり易い作戦形態から現作戦環境に移行するにつれて、指揮官やドクトリン作成者は、現作戦環境のシステミックなアプローチを重視するようになった。それは、『JP 3-0』や『JP 5-0』のような出版物を通して、作戦レベルにおけるデザイン・ドクトリンに取り込まれている。したがって、問題は、次のように言えよう。即ち、どのようなデザイン・モデルが、現作戦環境をシステムとして描き、そしてキャンペインをデザインする強力なツールとして、作戦指揮官に役立つかである。作戦指揮官は「構造化されていない問題」に直面するとき、戦略指針をどのように解釈し、戦略上の目標を達成するための戦術をどのように準備するのであろうか。


訳者注

*「還元主義(reductionism)」とは、「システム全体は構成要素の総和であるから、システムを構成要素に分解し、各構成要素だけを理解すれば、元のシステム全体の性質や行動を理解できる」という考え方。「ホリスティックに捉える思考(ホリズム)」の正反対。我々が習熟する「軍事的意思決定過程(MDMP)」の思考である。


4、主要な相異と論争 
 SODと『指揮官見積』の主要な相異点は、どこにあるのか。2つのプロセスは、互いに相容れないもので、並んで使用することは論理的にできない。しかし、1つのモデルが特定の状況において他のモデルよりも効果的に使われるかもしれない。同様に、デザインと計画策定の違いを理解することは、非常に重要である。デザインは、『フィールド・マニュアル(FM)3-24 対反政府武力行動』において「問題設定」、「概念的なもの」、「指揮官主導事項」である。一方、計画策定は、「問題解決」、「物理的に詳述されもの」、「パラダイムの枠内」、「幕僚中心」と定義される。下記の相異は一般的な感覚で真実であるだけで、特定の状況は再解釈を必要とするかもしれない。
 SODは、オープン・システム(外部や未知の環境によって絶えず影響されるシステム)におけるテンションを認識することに焦点が当てられる。SODは、学習と新しいパターンの処理を重視する。SODはノード間の関係を変えることに集中する。最も重要なことは、SODは戦術行動に関する計画の策定に焦点を当てるものではなく、作戦へのアプローチに関する考えをデザインするために役立つものである。『指揮官見積』のプロセスは、「問題」をあたかもクローズ・システムであるように、線形に扱う。そのプロセスは、学習よりも、むしろ行動に焦点を当て、既存のテンプレートを活用する。『指揮官見積』は、ノード間の関係よりも、むしろノードを攻撃することに焦点を当て、逆行的に計画を策定するため、作戦目標と終末状態に大きく左右される。このプロセスは、主要な作戦に関する計画策定と戦術行動(戦闘)において有用になる。
 SODに反対する文献も存在する。システミック・アプローチが「複雑なシステム」を扱うことに非常に役立つことは、大部分の学者や軍人も同意する。がしかし、「どんな計画策定プロセスも、戦略上の終末状態が常に出発点でなければならない」という反論が存在する。換言すれば、最終的に達成されなければならないことを常にスタート台にすべきである、という論理と常識が支配している。
 このような論理と常識は、線形の「問題解決」にはあてはまるが、「構造化されていない問題」においては、明確な終末状態がないかもしれない。イラクにおける現作戦環境を「望ましい変化を追求する永続的セキュリティー・キャンペイン」とみなすように、その終末状態は、国家戦略のレベルから戦術レベルまで、明確にすることが極めて難しかった。終末状態がスタート点でなければならないとすれば、計画策定者は「問題」をどのように設定すれば良いのであろうか。同じ論理は、「重心(行動の自由・物理的な力・戦闘意思の源泉)」のような古典的なキャンペイン・デザイン用語にも適用される。これらの用語は戦争に関する「フォース・アンド・フォース」モデルにおいては理想的であるが、「複雑」な環境においては、明確にすることがとても難しい。
 SODに対するもう一つの論議は、「使用される用語は意味がない」というものである。SODの考案者は、ポスト・モダニズム的な哲学者達によって大きく影響された。したがって、その文体は、科学的な専門用語や疑似科学的な専門用語、それに哲学的な専門用語の集まりになっている。計画策定においては単純な用語を使用することは重要であるが、用語が複雑であるからという理由で、SODのような強力で、役に立ってデザイン・モデルを無視することは、信頼できる論議とは言えないだろう。用語を変え、同じモデルを保持すれば良いのだ。

5、結論 
 グローバルな対テロ戦争を遂行する作戦は、「問題」の性質を明確にし、「問題解決」の方法を見出すにあたり、劇的な変化を必要していることを示した。現作戦環境の「複雑さ」を考えると、プロフェショナルな軍人はこれまでの知識を再検討すべきだろう。SODは、現在の作戦環境を象徴する敵に対し、主要な作戦をデザインする責任者、即ち統合部隊の指揮官が使用する強力なツールである。それは、恒常的な変化、軍種間の能力、非国家アクター、文化的な「複雑さ」、グローバルな影響といった作戦環境を包括的に把握し、適応性を見出すことを可能にする。しかしながら、それは、「問題設定」モデルであり、「問題解決」モデルではない。それは、「当初」の戦略指針を設定し、作戦の考え方を案出するのに役に立つ。したがって、SODが役に立つ最下級レベル部隊は、「統合タスクフォース(JTF)」の司令部である。そこでは、作戦の論理がデザインを通して形成される。次のような「戦争のレベル」においては、SODは、現在の『指揮官見積』のプロセスと完全に置き換えるべきでない。より線形の敵、つまり戦術レベル---物理的な敵と接する「戦争のレベル」---の計画策定では、『指揮官見積』のプロセスを踏むべきだ。JTF司令部のSODチームは、システムの再枠付(reframe)ができる恒久的な固定配置にすべきである。この恒常的な再枠付能力は、キャンペイン計画を絶えず改訂し、柔軟性を日常的に確保することを意味する。
 最後に、システム理論は、現在「プロの軍人教育(PME)」における基礎的教育事項ではない。もし「システムに関する認識に基づくデザイン」モデルが計画策定スタッフによって作られるものであるならば、そのメンバーにはシステムと混沌に関してなんらかの知識がなければならない。前述のように、『統合出版物 3-0と5-0』のような現在のドクトリンは、「システミックな枠付」については言及するが、用語と理論については初歩的な説明だけである。
 

6、提言 
 本論文の結論に基づいて、SODは、作戦指揮官のデザイン・ツールとして、さらなる研究を必要とする。1つの考えは、例えば合同訓練センターのトレーニングのようにシミュレーションされるか、ないしは本当の作戦環境で作戦幕僚を使用して、モデルをテストしてみることである。作戦指揮官は、デザイン室---「構造化されていない問題」に関してシステム全体に焦点を当てることが唯一の責任である組織---を創設することによって、リアルタイムにSODを検証することもできる。
 システミック・アプローチは、軍事教育制度に加えられるべきである。現作戦環境の「複雑さ」は、なくなることはない。「はじめに」で列挙した理由で、指揮官は予見しうる将来、「構造化されていない問題」に対処することになろう。若い指導者が統合幕僚の有能なデザイナーであるために、中級レベル(O-3/O-4)の学校教育でシステム理論に”さらされる”ことは、避けられない。
(U.S.Naval War Collegeの2009年度研究論文から70%の超訳)


2011年11月09日

SODにおける学習の重要性

「システミック作戦デザイン(SOD)」
---複雑な任務における学習と適応----
(Systemic Operational Design: Learning & Adapting in Complex Missions)
Brig. General Huba Wass de Czege, U.S. Army, Retired

1、はじめに
 21世紀の軍事任務は複雑なものとなるだろう。そして、我々が *「作戦術(operational art)」と呼んできたものが、しばしば「大隊レベル」で必要とされるにちがいない。基本的に、作戦術は、変化に対して迅速に*「学習」し、「適応」しながら、*「デザイン」と「計画策定」のバランスをとることを必要とする。デザインは、新しい考えではない。作戦指揮官はこれまでも、「複雑さ(complexity)」を解明し、「問題を設定する」ことによって、作戦をデザインする責任があったし、効果的に学習し、迅速・適切に適応し、問題を解決する能力が常に必要とされた。
 総じて、指揮官のデザイン・学習・適応の資質が結果を決定する。軍事指導者はその幕僚と隷下部隊指揮官の創造力・批判的思考・継続的学習・適応性を高く評価するであろうが、それらの特性が自動的に最良の結果をもたらすとは限らない。1980年代に*キャンペイン・デザインが導入され、最近では統合ドクトリンに示されているが、そのデザインのための素養を付与する従来のアプローチは、最良の結果を達成するには不十分である。

訳者注
 *作戦術とは、政策目標(抽象的で、あいまいな目標)と戦術行動(具体的で、機械的で、科学的な
    行動)結びつける技能(創造的で、洞察を要する技術)である。一方、運用術は、すべて
    の戦争レベル(戦 略・作戦・戦術)に適用される技能である。
 *学習とは、経験を通じて物事を理解し、行動を変化させること。これに対して、勉強は一生懸命に
    なって一つのものを極めること。
 *デザインとは、作戦計画を策定するために、作戦指揮官が芸術的洞察をもとに頭に鮮明に描い
    たもの。問題設定と幅広い問題解決策を描く。
 *キャンペインとは、戦略目標と作戦目標を達成するため、統合部隊が行う一連の主要軍事行動
   (major operations)。主要軍事行動は戦略目標または作戦目標を達成するため、各軍種単
    独で行う一連の戦術行動(戦闘、交戦、打撃等)。

2、複雑な現代紛争における作戦術
 各級部隊の作戦術専門家(operational artist)は、今日の要請に応じた新しい“概念上のツール”を必要とする。工業化時代の紛争から導き出された概念上のツールでは、21世紀の任務が要求するメンタルな“離れ業”である創造力・批判的思考・学習能力・適応性を習得することが出来ない。「統合部隊コマンド(JFCOM)」の統合ドクトリン起草者は、「影響ベース型の計画策定(EBP)」、「システムのシステム分析法(SOSA)」を導入した。これらの概念は、「作戦術」と「作戦計画の策定」のためのツールになることを企図したが、イラクとアフガンにおける任務をはたす上でほとんど無力だった。
  「影響ベース型の計画策定法」は、因果関係を機械的に理解することを前提にしている。物理的構造物の図表を描くならば、原因と結果(または影響)の論理的関係は容易に理解できる。しかし、社会的・政治的関係の図表を描いても、原因と影響の関係は理解し難い。というのも、社会的・政治的関係の図表を描く時、その関係は変化するからだ。さらに、人間は他人の予測通りに行動する必要がないから、社会的・政治的関係の図表は信頼できない。
 批判的言えば、SOSAは、有機的に相互連結した「物理的構造物」を5つのカテゴリ---政治・経済・軍事・情報インフラ---に分けて図示しようとする。SOSAは、ニュートン力学の因果関係の理論をこれらの物理的構造物に当てはめているが、この結果、これらの構造物についての批判的かつ創造的な考察が欠ける。
 人間に関する概念(例えば、「不安を抱く」や「喜ぶ」等)は、本質的に流動的である。ドクトリンにおけるそれらの概念に機械学的予測性を付与すること(例えば、「すべての老人は将来に不安を抱く」や「わが軍は必ず勝利する」等)は、ドグマとして間違った前提を設けることになる。したがって、ドクトリンとしてのSOSAは、首尾一貫した作戦デザインとは言えない。

3、ドクトリン上の規範と「システミック作戦デザイン(SOD)」の変遷 
 この4年間に、陸軍は、組織の創造性・批判的思考・適応性を活性化させるため、研究を推進してきた。この研究の一環として、1980年代初期の陸軍改革のように、「新奇で、複雑な難問に関して、他の学問分野や他国の軍隊が何を学んできたか」を調査することとなった。「新奇な難問」はその“目新しさ”のため、経験から引き出される推論モデルを「問題設定」に適用することには限界がある。また、「複雑な難問」には、普通のアプローチは通用しない。

(1)「込み入ったシステム(complicated systems)」 対 「複雑なシステム(complex systems)」
 単に「込み入っただけのシステム」は、多数のパーツ(構成要素)と構造(パーツ間の連結)から成立っており、それらすべては、その環境から理論上分離している。例えば、ノルマンディー上陸作戦の時程表に記載された展開部隊は「込み入ったシステム」である。そのようなスケジュールは、抽象的に分析されることができよう。一方、「複雑なシステム」は、ダイナミックで、相互に作用し、しかも適応性のある構成要素から成り立ち、その構成要素は、環境との相互作用から切り離せない。複雑なシステムの重要な構成要素は、人間とその関係である。例えば、ノルマンディー上陸作戦における各種のアクターによる作用―反作用の相互作用は「複雑なシステム」である。「分析法」では、一連のイベント(出来事)の最重要部分である「(構成要素間の)関係」を予測することができない。
 「込み入ったシステム」は演繹法と分析法(パーツに分解する画一的な論法)を必要とするが、「複雑なシステム」は、診断して、ジンテーゼ(synthesis:総合命題)を得るための帰納的で仮説的な論法(パーツから新しい全体を作る非画一的な論法)を必要とする。我々が関心を抱く複雑システムの構成要素は、「人間」である。したがって、人間の関係を理解するには、仮説に基づくジンテーゼを必要とする。このジンテーゼを表示する手段として、図表または「叙述(narrative)」が使用される。そのような図表や叙述では、「理解した時点で、真実に近いと思われる非画一的な状況」が描かれたり、述べられたりする。また、人間の関係・相互作用・傾向・性質を正しく理解するために、軍隊の指揮官は「懐疑的なアプローチ」を採用する習慣を付けなければならない。そのような習慣は、「人間的要因のダイナミックな流れ(flow)の認識」と「永続的な学習・適応の重視」をもたらすとともに、デザインと計画策定のバランスをとる新しい知的な文化を産む。

(2)デザインに関する最近の傾向
 最近、デザインに関する調査・研究の成果が『統合出版物(JP)3-0と5-0』、新フィールド・マニュアル『FM 3-24、対反政府武力行動(第4章)』、『FM 3-0、作戦(第6章)』に加えられた。2008年初頭には、陸軍の「訓練ドクトリン・コマンド(TRADOC)」は『指揮官の認識とキャンペイン・デザイン(TRADOCパンフレット525-5-500)』という題名の手引き書を出版し、そして「陸軍戦争大学(AWC) 」は2007年末に、その出版物『キャンペイン計画策定ハンドブック』でデザインを強調した箇所を付け加えた。これらの文書は、新しい考え(新しい知的文化)を明確に表現し、以前の知識と調和させる最初の試みであった。必要とされる概念の理解を容易にするため、改訂が進行中である。これらの新しい出版物は、複雑系に対するアプローチを初めて取り入れた。
 TRADOCの「陸軍コンセプト一体化センター(Army Concepts Integration Center)」の将来問題担当部長ロバートC.ジョンソン大佐は、複雑系における人間的要因の研究を開始し、その一環として、イスラエル国防軍(IDF)の退役准将シモン・ナヴェ博士(Shimon Naveh)を招き、その考え方を検討した。ナヴェ博士は、IDFの作戦術へのアプローチとして「*システミック作戦デザイン(SOD:Systemic Operational Design)」を開発した将軍である。一方、イスラエル国防軍指導部は、2006年前半にSODを否定し、EBOとSOSAに賛同した。その結果、SODに基づくすべての計画は棚上げされ、その支持者は退任した。このSODの否定は、イスラエルがその同じ年の夏に直面した「ヒズボラ問題」でひどい結果をもたらした。イスラエル軍は、ナヴェ博士のSOD理論に従わず、米軍の統合ドクトリン(EBOとSOSA)に従おうとしたのだ。イスラエル国防軍はヒズボラとの紛争で損失を被ったが、米陸軍はこの紛争から教訓を得た。

訳者注
  *システミックとは、システムを、その全体像(全体の性質や行動)に焦点を当てて描写すること。
    これに対して、システムの構成部分(構成要素という)に焦点を当てて描写することを分析的
    という。


4、キャンペイン遂行における効果的な「学習」と「適応」

(1)暫定的に望ましい状態
 キャンペイン遂行(または「適応性のあるキャンペイン遂行」)における効果的な学習と適応は、作戦術を向上させるための新しい、しかも重要なアプローチである。効果的な学習と適応を伴ったキャンペイン遂行は、「長期の作戦」を想定している。長期作戦は、バランスのとれた「デザインと計画策定」を必要とする。オーストラリア陸軍は、適応性のあるキャンペイン遂行を彼らのドクトリンの目玉にしてきた。適応性のあるキャンペイン遂行には、ダイナミックな状況を絶えず理解して、デザイン・計画・学習モード・適応行動を案出する術(技能)が必須である。
 今日、イラク及びアフガンに派遣された部隊を含め、米軍の戦闘部隊は、「望ましい変化」を追求して、長期的な安全保障キャンペインを遂行することになろう。そこには、始まりもなければ、「終末状態(end state)」もない。終末状態の考えは、この場合、ほとんど意味がない。しかし、現時点における、「暫定的に望ましい状態(知っていることにもとづいて、“望ましい”と今、現在考えられる状態)」は存在する。それは、考えているよりも早く達成されるかもしれないし、あまりにも野心的であることがわかり、変更されるかもしれない。多くのことを知るなら、実際に達成できること、即ち終末状態は必然的に変わる。現在行われている長期的キャンペインの期間、すべての生命体がそうであるように、各戦闘部隊は、その生態環境の中で絶えず適応している。成功は、ライバルよりも速く学習し、速く適応することにかかっている。この力学は、下級部隊の長期的軍事行動にも同様に適用される。
 
(2)対照的な西洋と東洋の思考様式
 ギリシア人は、西洋文明人に次のように教えた。「大胆に考えよ。理想的な”終末”として未来像を描き、心に描いた理想的な創造社会を現実の世界にもたらすため、すべての障害を克服せよ」と。この教えは、ものごとを分極化・単純化して考えることを推奨する。また、それは、事実(facts:物理的な現実)と真実(truths:メンタルな状態)を同一のものと考える。
 対照的に、東洋の儒者と道教信者の基礎的な議論は、人生の理想的終末状態または未来像(メンタルなもの)を設定しない。「理想的な終末状態が何であるか」を知ることは不可能である、と中国の賢人は考えたのだ。彼らは、現実を鏡のように映し出すメンタルな状態、即ち真実というものを信じなかった。その代わりに、「“より悪い”と“より良い”を区別することが人の出来るベストである」と彼らは考えた。また、人生は、東洋の視点に立てば、永続的で常に変化するイベント(出来事)の“流れ”であった。世の流れのなかで、知的なエネルギーは、置かれている状況の性質・趨勢、そしてその状況を変化させる力を理解することに焦点を当てるべきである。東洋の理解では、“より悪い”方に向かう力を阻止し、微妙に変えるとともに、“より良い”方向へ流れようとする力を強化することによって実在と調和させる。東洋と西洋の相違は明確である。どちらが正しのであろうか。
 両方の思考様式には限界がある。つまり、これらの考え方のバランスをとることが複雑な世界では重要である。長期的に見れば、我々は東洋の考え方が必要である。短期的には、現状に関する「最良の理解」から導き出される「問題設定」に基づいて、計画策定と実行に取り組む必要がある。しかし、ギリシア人とは異なり、我々は「メンタルな問題(例えば、心に描いた戦場や敵情)」を偶発的事象とみなすべきである。西洋人は、ゴールを理想(不変の現実)として扱い、従って、期限切れの問題を設定し、その問題を解く計画に執着する。中国の賢人は、設定された問題を“より良い”方向への経路上の“暫定的な目印”とみなすようアドバイスする。

(3)共通認識にもとづく行動
 作戦が複雑で、ダイナミックで、不透明であるから、指揮官は、主要なメンバーが共有する「暫定的に望ましい状態」で行動すべきである。指揮官は、ものごとを“より上手に行い”、そして“より良いものになる”ための暫定的な方法を考え出すべきだ。知識が包括的で、適切で、信頼できるなら、それだけ結果は、次の2点で“より良いものになる”。一つは、望ましいゴールを目指して実際に前進すること、もう一つは、より適切に状況を理解することである。この2つのうちの後者、即ち、状況のより適切な理解こそ、デザインの最大の役割である。つまり、状況の包括的認識を現在よりも深めることが、デザインの第一の機能なのだ。
  われわれが「暫定的に望ましい状態」を目指して行動したとしても、その状態が更新を必要とするかどうか---即ち、我々は正しい問題を解決しようとしているか、そして我々は正しい解決策を持っているか---を決定することは、もっとずっと難しい。この決定のためには、我々は指導者の経験・直観力・創造力に依存しなければならない。今日、我々は極端な「新奇さ」と「複雑さ」に直面している(例えば、情報作戦)。したがって、米軍指導者はこの領域で“助け”を必要とする。指揮官の最大の決定は、「設定されたゴールを如何に達成するか」ではなく、「ゴールがどんなものであるべきか」である。

5、デザインと計画策定の関係
 デザインの産物は「暫定的な問題設定」である。そして、その問題設定のもとで計画が策定される。デザインが「解決されるべき問題を設定する」のに対して、計画策定は設定された問題を解決する。問題が何であるかを決めることと、問題を解決することは、2つの異なる機能である。しかし、20世紀には、米軍はこの2つを合体させた。西ヨーロッパへのソ連の侵入、クウェートへのイラクの侵入、そして韓国への北朝鮮の侵入は、構造的にほぼ同じ問題であったからである。
 経験、ドクトリン、共通のパラダイムが有効であるとき、デザインは「いわずもがな」で、とりたてて論ずることではなかった。我々は、解決されるべき問題について同じメンタルモデル(例えば、敵も死傷者を出すことを恐れる)を持っている。デザインと計画策定を合体させるアプローチでは、計画策定者は、デザインに関して疑問を抱くことはない。この状況は、要求される任務の複雑化によって、ここ20年の間に変化してきた。政権を変えることと、武力侵略に対処することとは、概念的に異なる問題である。同じ戦闘部隊においてさえ、ドクトリンと経験がなければ、異なる考え方をする。問題の設定が変われば、計画は更新され、新しい問題は新しい解決策を必要とする。したがって、われわれは、新しい問題に関する信頼できるメンタルモデル(例えば、敵は殉教をいとわない)を絶えず、しかも迅速に考え出し、共有する方法を必要とする。

6、おわりに
 作戦術へのこの新しいアプローチは、あらゆる点で優れた成果を示してきた。複雑な作戦を経験した人々は、即座に考えを変える“転向者”である。アカデミックな環境にある実務家よりも、実際の作戦環境における実務家の方が、容易に転向者になっている。EBOやSOSA、そしてそれが推進するハード・システム思考をごく最近教え込まれた人々は、作戦術へのこの新しいアプローチで再教育することが最も難しかった。彼らは、2つの相容れない思考様式を調和させようとするか、あるいはEBOやSOSAがより迅速に、満足できる結果を生むと確信している。経験を積み、この新しいアプローチを理解した「オープン・マインドな懐疑論者」が現れてきた。「軍隊は、不明確な任務にもとづくビジネスでも、複雑な環境下でのビジネスでもない」と考える人々が、最も強力な反対者である。つまり、複雑さよりも、伝統的なアプローチを好む人々が存在する。複雑さは、伝統的なアプローチを論破し、消滅させる。
 時々、文化は底辺から成長する。しかしこの新しい文化は疑いもなく、トップに導入され、下部に指示されなければならない。上級指導者と上級司令部は、このアプローチの利点を容易に認めるだろう。そして、一旦上級司令部がこの作戦術の形態を実行に移すならば、隷下の司令部は当然先例に従う。
 陸軍は、一部の上級指導者が現在考えているよりも、このアプローチの準備ができている。パナマ、ハイチ、ボスニア、コソボにおいて経験を積み、そしてアフガンとイラクで重要なリーダ職を経験した将校は、このアプローチを当然、受け入れ易い。そのような将校が師団・軍団・戦域軍レベルでの指導者になろうとしている。作戦術のこの新しい形態を実行に移す真摯な努力が、米中央軍の第3軍で進行中である。主要な幕僚は、研究に没頭し、デザインの技能を毎日実践している。そこで学習したことの多くは、他の司令部にも配布される。このアプローチを試みる気持ちがあるすべての指揮官は、第3軍の実験から利益を得るだろう。しかし、そのような実験をやる気のない指揮官に対し、このアプローチを押しつけてはならない。なぜなら、批判的で創造的な思考と学習、そして適応が実を結ばないからである。
 是認された古い考えと衝突する新しい考えの導入は、官僚的で保守的な軍のアカデミックな機関では当然のことながら難しい。フォート・レヴェンワースとカーライルの教授陣は、学生や野外の実務者よりも抵抗してきた。これは、これらの能力が統合ドクトリンと統合概念を教える彼らの義務を果たすため、過去10年にわたりEBOやSOSAを消化しなければならなかったからである。この惰性は、特定の世界について実用的に考える不正規兵と、広い世界に通じる一般原則を重視する正規兵の間での非対称に類似していている。
(「Military Review 」January-February 2009から50%の超訳)