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2013.05.01

オーダーについて

上司の側から現場に出されるオーダーというものは、願望ではなく行動目標として記載されないといけない。

間違った文法に基づいて出されたオーダーは、責任を現場にかぶせ、上司を免責する効果がある。上司の側にはオーダーの文法を守る道理が生まれないから、「それは正しいオーダーではありません」というメッセージは、現場の側から伝えていかないと、職場の空気はだんだんと悪くなっていく。

願望と行動とは違う

たとえば「床ずれの発症をゼロにしましょう。患者様のためです」という目標は、上司の単なる願望であって、オーダーとは違う。目標をどれだけ熱心に唱えたところで、「発症ゼロ」という目標を達成するための手段が示されない限り、それをオーダーとして受容してはいけない。

上司の唱える目標が、たとえば「今まで4時間おきだった体位交換を、今月からは1時間おきにします」であれば、これはオーダーであるといえる。通常勤務をこなしながら、さらに1時間ごとの体位交換は無茶だけれど、具体的な行動が示されていれば、それを達成するための人手を現場から請求できるし、残業が発生すれば上司に対価を請求することもできる。

道徳的な善悪とは無関係に、現場にコントロールできない命令は、上司を免責する。「床ずれゼロ」を命じても、床ずれをゼロにするのは難しい。床ずれが発生したところで、それは「頑張らなかった」現場のせいだし、残業代が発生しても、それは現場の自発的ながんばりの発露であって、上司がそれを命じたわけではないから、支払う根拠が生まれない。

達成不可能な無茶な命令であっても、それが現場にコントロール可能なものであれば、必要なリソースを上司に請求することができる。行動目標としてのオーダー、現場にコントロール可能な命令を下した上司には、命令の反作用として責任が発生する。

エラーを返す権利

ブラック企業と呼ばれる場所では、社長さんが「従業員も経営マインドを」と現場に発破をかけたりもする。全員がそうした考えかたをする組織は強力だけれど、「全員が経営者」という掛け声は、上司を免責するための論理として強力な効果を持つ。最前線に経営感覚を求めるのならば、本来は現場の判断に上司が責任を持つことがセットになるのだけれど、それを明言する上司は少ない。

たとえば「売り上げ2倍」という本来の目標があって、上司はそれを、「1日の訪問件数を2倍にしましょう」とか、「店での声かけ頻度を4倍にしましょう」とか、具体的な行動目標に翻訳する義務がある。目標が行動に翻訳されることで、現場には命令履行の責任が、上司には目標達成の責任が、それぞれ顆されることになる。

「売り上げ2倍」という目標を、上司に当たる人が翻訳なしに部下に伝えると、あらゆる責任が部下に集中することになる。「経営マインド」を持った現場が試行錯誤を行なって、成功すれば成果は上司に、失敗すれば「暴走した現場」の責任者はいなくなり、上司は免責される。恐らくはこうした上司が免責される構造の有無が、企業のホワイト/ブラックを分けている。

命令を受ける現場の側は、そのオーダーがコントロール可能なものであるのかどうか注意すべきだし、企業において現場の側が、経営サイドにまず請求すべきなのは、「その命令はコントロール不可能です」という、現場から上司に向けた、一種のエラーメッセージを発信する権利でないといけない。

病院のオーダーについて

病院に患者さんが入院すると、主治医にはオーダー用紙を書く義務が発生する。病棟に出たばかりの研修医はオーダー用紙の書き方を習わないから、「このオーダーは受けられません」と婦長さんから怒られたりする。

病名がたとえば肺炎ならば、抗生剤は最低限、どの種類をどれぐらいの量、どんな溶剤に溶解して1日に何回点滴し、それをどれぐらいの期間繰り返すのかを具体的な数字で記載しないと、オーダーとは認められない。

患者さんの病名、安静度、検温の回数、食事の種類や量、解熱剤を用いるのならばそれが使用可能な体温と1日に使用可能な最大回数、検査の日程や種類、オーダー用紙に書くことは無数にあるけれど、それでも疾患の数は有限だから、慣れれば何も考えずに「正しいオーダー」が書けるようになったりもする。

病院では医師/看護師の業務分担がある程度徹底していて、お互いの「できないこと」が具体的に定まっている。そういう体制が整っている場所では、「その命令はコントロール不可能です」というエラーメッセージは有効に働いて、医師の出すオーダーは、年次を経るごとにより具体的なものになっていく。

同じ病院内で、たとえば研修医と上級生とでは、しばしば願望のやり取りが発生する。夕方遅く、検査もしないでとりあえず入院になった患者さんについて、「先生、この患者さん具合悪くなったらどうすればいいんですか?」なんて研修医が泣きつき、上司はときどき、「その時は先生が最善と考えられることを適切にやってくれればいいから」なんて返されたりする。

「できない」は大切

警察の人質交渉人は、交渉の最前に立つ代わり、判断を下さない。警察をまとめるトップの人は、あらゆる判断を行える代わり、交渉の最前に立つことができない。

チームの中で、お互いに「できない」部分を持つことで、トップには有効な作戦解決手順を立案する義務が生まれ、犯人の目の前に立つ交渉人は、「判断できないこと」からある種の免責を得ることで、自分の身を守っている。

最前線と司令部とで同じ機能を共有するチームは理想的に見えるけれど、こうした形態は上司が免責されうる可能性が高いチームでもある。「誰もが司令官」のチームは小回りがきいて判断も素早いけれど、組織が大きくなると必然的にブラック企業化してしまう。

前線は判断しない、上司は行動しない、というやりかたを徹底すると、上司は必然として行動手順の作成に熟達するし、前線部隊は手順書に従うことで、判断からの免責を得る。ある程度の規模を持った組織にはこうした構造が必要なのだろうし、備わっていないのなら、そこで働くのは危険なのだと思う。

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