ブラジルの成り立ち
この記事を読んでいただけると、
ほかの社会問題記事、あるいは、もしかしたら社会問題以外の記事でも、
わかりやすい、違う見方ができる、理解度が上がる、
などの効果が生まれるかもしれない。
まずは、ブラジルの成り立ちを。
ブラジルは日本と違って、独立からまだ200年にならない新しい国である。
ポルトガル人に発見されたのが、覚えやすい西暦1500年。
元々は índio(インヂオ=現住民族インディアン)の人々が暮らしていたところに、
ポルトガルが入りはじめ、
1822年9月7日、
ポルトガルのドン ペドロ一世が独立宣言をし、
ブラジル帝国が誕生した。
その時の名セリフが
「独立か、死か」
現在も、9月7日は独立記念日で祝日である。
土地が有り余っていたため、ポルトガル貴族の手に余り、
ほかのヨーロッパ諸国の貴族たちにも土地を分け与えたり、
いわば「島流し」のように、自国を追われて逃げた人や、罪人を送り込んだとの話もある。
19世紀半ば頃から、
自国の暮らしに不満だった一般の人々も大量に移民するようになる。
主にヨーロッパ各国(ポルトガル以外ではイタリア、ドイツ、スペイン系が多い)、
次いで東欧(ポーランド、ウクライナなど)、
次いでユダヤ系の人々やアラブ諸国(シリア、レバノンなど)。
100年ほど前からは日本からも(2008年が日本移民100周年だった)、
と、
移民がどんどん入って作られた多民族国家である。
それゆえ、現在の食べ物も、ポルトガル料理はもとより、
イタリア料理、アラブ料理、東欧料理などが一般的な日常食になっているし、
近年は寿司や焼きそば、といった日本食も珍しいものではなくなった。
現在でもそれぞれの出身国の人々が作る colônia(コローニア)が残っている場所もあり、
例えば日本語を、例えばドイツ語を、今でも使っているところもある。
ヨーロッパの貴族たちがアフリカの黒人奴隷たちを連れて移民したため、
その末裔であるアフリカ系の方々もたくさん生活している。
もちろん、それぞれの分野で優秀な人は肌の色に関係なくいるわけで、
人々から尊敬される仕事をしていたり、社会的地位の高いアフリカ系の方も大勢いる。
だが、祖先のスタートラインが奴隷であったこともあり、
まだ差別のような言動も見られるし、貧しい人々が多いのも事実である。
多民族国家であるブラジルは当然ながら混血も多く、
スタイル抜群の「ブラジル美人」はたいてい、いろんな民族のいいとこ取り!の混血美人だ。
morena(モレーナ)と呼ばれる、褐色の肌に漆黒の髪の、エキゾチックな美人が多い。
彼女たちを見ていると、足の長さといい、メリハリボディーといい、
同じ人間であるとは思えない! (-_-;)
現在の正式な国名は
República Federativa do Brasil
(ヘプーブリカ フェデラチーヴァ ド ブラズィウ=ブラジル連邦共和国)
国土面積は、日本の約23倍 の 850万㎢ 強(世界第5位)
人口は1億9千万人強。(やはり世界第5位)
ジャングル等、未開の地に様々な現住民族が暮らしていて、正確な人口はわからないそうだ。
政府が把握している現住民族は、現在は保護されている。
今現在暮らしている田舎町にも、現住民族居住地がある。
そこはツテがあれば入れてくれる、という噂だが、まだ行ってみたことはない。
近代の政治制度は、だいたい以下の通り。
大統領による独裁政権ののち、
1964~1985年軍事独裁政権、
以降現在に至るまで大統領制、議会制による民主主義。
軍事独裁政権が終焉を迎えた1985年と言えば、
わたくしはもう成人しておりましたし、
女子大生ブームだの、イタめしだの、アッシーだの、
日本はバブル景気の入口で浮かれていた頃である。
ブラジルの同年代の友人知人たちにとっては、
幼少のときから成人するぐらいまでの間が軍事独裁政権だったわけで、
その頃の話題を耳にする機会は多い。
例えば、
テレビ番組は、
ニュースなどの報道番組であっても必ず録画で、
番組の最初と最後に必ず、軍の検閲済みであることを示すロゴが流れた。
だとか、
ラジオ番組などでポルトガル語以外の曲は5だか6曲に1曲しか放送してはいけないことになっており、
2曲以上連続して外国語の曲を放送することも禁じられていた。
だとか。
例えば、
1960年代、THE BEATLES が世界を席巻していた頃もしかり。
ブラジルでは詞をポルトガル語に訳詞したコピーバンドが大活躍し、
英語のホンモノのビートルズはほとんど聴いたことがなかった。
だとか。
さらに、
体制に反対を唱える人は、
どんな分野のどんな優秀な人でも国外追放されたり処刑されたりした。
しかし、
思想的自由がなかった、反面、
人々の暮らし向きは今よりもずっと楽で、治安もよかった、
公立の学校も普通に成り立っていた、
ゆえに、
今よりも「いい時代だった」
と、振り返る友人知人も(年配の人も含めて)少なくない。
民主主義に移行してから今日に至るまで、
貧富の差はますます広がりつつあり、治安も悪化の一途を辿っている。
わたくしは一応「中流」という枠の中に入る生活をしている。
生活習慣、交友関係等、このサイトの記事の大半はそのレベルの話であること、
そして、
「中流」以上の生活ができるのは、ブラジルではたったの10%に満たないこと、
を知っておいていただくとよいかもしれない。
10%以下、なんて言ってしまうと、
中流っていっても贅沢な中流でしょ、と思われるかもしれない。
でも、日本のいわゆる中流、
一家に1台車がある、
たまーに外食をする、
飛行機に乗ったことがある、
海外に行ったことがある、
コンピューターを持っている、
生活必需品以外の趣味等に少しはお金を使える、
子供が習い事をする、
普通に医療を受けられる、
といった生活ができるのは、
中流でも上のほうか、上流の人々だけである。
上からたった10%の中にも貧富の差があり、
その下には90%の大多数の貧しい人々がいて、
90%の中にも当然、かなりの貧富の差があるわけだから、
いかにブラジルが貧富の差の激しい社会か、想像がつくのではないかと思う。
こういったことが実感としてからだに染み込むまでには、少し時間がかかった。
治安の悪さもしかり。
日本だってだんだん物騒になってきている、という哀しいニュースもあるが、
強盗の身近度、確率、多すぎてニュースにも取り上げられない、
大人の約半数が銃声を聞いた事がある(わたくしも何度かある)、
などを考えると、
やはり日本の物騒とは、同じ量りには乗せられない。
具体的な数字として、
犯罪に巻き込まれて亡くなる人の割合が1年間で人口10万人あたり何人、
という世界の治安状況を計る犯罪指数というものがある。
人口100万人以上の世界各都市の数値が、社会派雑誌に載っていた。
それによると、
首都で世界一安全なのが東京とパリで、1年間に10万人あたり2人程度。
ワースト1位はブラジルの都市ではなかったが、
ワースト2位から10位までのうちの8都市が、ブラジルの都市であり、
その指数は、東京やパリの2に対して80〜70ほど。
日が暮れたら、とても1人では歩けない。バスにも乗れない。
顔やムードで「外国人」とバレてしまうと、怖い。
治安の現実を肌で把握するのにも、少し時間がかかった。
リオやサンパウロの favela(ファヴェーラ=スラム)は
「内戦状態である」と国際社会に宣言したほうがいい、という意見もあるほど、凄まじい。
軍警察とファヴェーラに住むギャングたちとの、あるいは住人同士の、
銃撃戦が日常茶飯事である。
日本から友人や家族が遊びに来ると、
イヤな思いをしないで無事に帰国してほしいので、
そのことに多大な神経とエネルギーを要する。
年間の収入のうち約5ヶ月分が丸々税金として徴収されているのに、
医療も、治安対策も、教育も、かなりの私費を出費をしなければ普通に生活できない。
マジメに生活しているのがバカバカしくなる。あきれる。きつい。
なんでよりによってこんな所で暮らしているんだろう?ぜったい損してるよね?
と、自問自答してしまうことも多々ある。
が、なぜなのか、この国を憎めない。
むしろ徐々に好きになっている自分がいたりする。
損もしているけれど、得もしているかもしれないな、などと思ったりもする。
その魅力の正体がいったいなんなのか、その「秘密」を探るためにも、
この「みちくさ」は続くのでありましょう。
がんばれ!ブラジル!
Junho 2009
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ほかの社会問題記事、あるいは、もしかしたら社会問題以外の記事でも、
わかりやすい、違う見方ができる、理解度が上がる、
などの効果が生まれるかもしれない。
まずは、ブラジルの成り立ちを。
ブラジルは日本と違って、独立からまだ200年にならない新しい国である。
ポルトガル人に発見されたのが、覚えやすい西暦1500年。
元々は índio(インヂオ=現住民族インディアン)の人々が暮らしていたところに、
ポルトガルが入りはじめ、
1822年9月7日、
ポルトガルのドン ペドロ一世が独立宣言をし、
ブラジル帝国が誕生した。
その時の名セリフが
「独立か、死か」
現在も、9月7日は独立記念日で祝日である。
土地が有り余っていたため、ポルトガル貴族の手に余り、
ほかのヨーロッパ諸国の貴族たちにも土地を分け与えたり、
いわば「島流し」のように、自国を追われて逃げた人や、罪人を送り込んだとの話もある。
19世紀半ば頃から、
自国の暮らしに不満だった一般の人々も大量に移民するようになる。
主にヨーロッパ各国(ポルトガル以外ではイタリア、ドイツ、スペイン系が多い)、
次いで東欧(ポーランド、ウクライナなど)、
次いでユダヤ系の人々やアラブ諸国(シリア、レバノンなど)。
100年ほど前からは日本からも(2008年が日本移民100周年だった)、
と、
移民がどんどん入って作られた多民族国家である。
それゆえ、現在の食べ物も、ポルトガル料理はもとより、
イタリア料理、アラブ料理、東欧料理などが一般的な日常食になっているし、
近年は寿司や焼きそば、といった日本食も珍しいものではなくなった。
現在でもそれぞれの出身国の人々が作る colônia(コローニア)が残っている場所もあり、
例えば日本語を、例えばドイツ語を、今でも使っているところもある。
ヨーロッパの貴族たちがアフリカの黒人奴隷たちを連れて移民したため、
その末裔であるアフリカ系の方々もたくさん生活している。
もちろん、それぞれの分野で優秀な人は肌の色に関係なくいるわけで、
人々から尊敬される仕事をしていたり、社会的地位の高いアフリカ系の方も大勢いる。
だが、祖先のスタートラインが奴隷であったこともあり、
まだ差別のような言動も見られるし、貧しい人々が多いのも事実である。
多民族国家であるブラジルは当然ながら混血も多く、
スタイル抜群の「ブラジル美人」はたいてい、いろんな民族のいいとこ取り!の混血美人だ。
morena(モレーナ)と呼ばれる、褐色の肌に漆黒の髪の、エキゾチックな美人が多い。
彼女たちを見ていると、足の長さといい、メリハリボディーといい、
同じ人間であるとは思えない! (-_-;)
現在の正式な国名は
República Federativa do Brasil
(ヘプーブリカ フェデラチーヴァ ド ブラズィウ=ブラジル連邦共和国)
国土面積は、日本の約23倍 の 850万㎢ 強(世界第5位)
人口は1億9千万人強。(やはり世界第5位)
ジャングル等、未開の地に様々な現住民族が暮らしていて、正確な人口はわからないそうだ。
政府が把握している現住民族は、現在は保護されている。
今現在暮らしている田舎町にも、現住民族居住地がある。
そこはツテがあれば入れてくれる、という噂だが、まだ行ってみたことはない。
近代の政治制度は、だいたい以下の通り。
大統領による独裁政権ののち、
1964~1985年軍事独裁政権、
以降現在に至るまで大統領制、議会制による民主主義。
軍事独裁政権が終焉を迎えた1985年と言えば、
わたくしはもう成人しておりましたし、
女子大生ブームだの、イタめしだの、アッシーだの、
日本はバブル景気の入口で浮かれていた頃である。
ブラジルの同年代の友人知人たちにとっては、
幼少のときから成人するぐらいまでの間が軍事独裁政権だったわけで、
その頃の話題を耳にする機会は多い。
例えば、
テレビ番組は、
ニュースなどの報道番組であっても必ず録画で、
番組の最初と最後に必ず、軍の検閲済みであることを示すロゴが流れた。
だとか、
ラジオ番組などでポルトガル語以外の曲は5だか6曲に1曲しか放送してはいけないことになっており、
2曲以上連続して外国語の曲を放送することも禁じられていた。
だとか。
例えば、
1960年代、THE BEATLES が世界を席巻していた頃もしかり。
ブラジルでは詞をポルトガル語に訳詞したコピーバンドが大活躍し、
英語のホンモノのビートルズはほとんど聴いたことがなかった。
だとか。
さらに、
体制に反対を唱える人は、
どんな分野のどんな優秀な人でも国外追放されたり処刑されたりした。
しかし、
思想的自由がなかった、反面、
人々の暮らし向きは今よりもずっと楽で、治安もよかった、
公立の学校も普通に成り立っていた、
ゆえに、
今よりも「いい時代だった」
と、振り返る友人知人も(年配の人も含めて)少なくない。
民主主義に移行してから今日に至るまで、
貧富の差はますます広がりつつあり、治安も悪化の一途を辿っている。
わたくしは一応「中流」という枠の中に入る生活をしている。
生活習慣、交友関係等、このサイトの記事の大半はそのレベルの話であること、
そして、
「中流」以上の生活ができるのは、ブラジルではたったの10%に満たないこと、
を知っておいていただくとよいかもしれない。
10%以下、なんて言ってしまうと、
中流っていっても贅沢な中流でしょ、と思われるかもしれない。
でも、日本のいわゆる中流、
一家に1台車がある、
たまーに外食をする、
飛行機に乗ったことがある、
海外に行ったことがある、
コンピューターを持っている、
生活必需品以外の趣味等に少しはお金を使える、
子供が習い事をする、
普通に医療を受けられる、
といった生活ができるのは、
中流でも上のほうか、上流の人々だけである。
上からたった10%の中にも貧富の差があり、
その下には90%の大多数の貧しい人々がいて、
90%の中にも当然、かなりの貧富の差があるわけだから、
いかにブラジルが貧富の差の激しい社会か、想像がつくのではないかと思う。
こういったことが実感としてからだに染み込むまでには、少し時間がかかった。
治安の悪さもしかり。
日本だってだんだん物騒になってきている、という哀しいニュースもあるが、
強盗の身近度、確率、多すぎてニュースにも取り上げられない、
大人の約半数が銃声を聞いた事がある(わたくしも何度かある)、
などを考えると、
やはり日本の物騒とは、同じ量りには乗せられない。
具体的な数字として、
犯罪に巻き込まれて亡くなる人の割合が1年間で人口10万人あたり何人、
という世界の治安状況を計る犯罪指数というものがある。
人口100万人以上の世界各都市の数値が、社会派雑誌に載っていた。
それによると、
首都で世界一安全なのが東京とパリで、1年間に10万人あたり2人程度。
ワースト1位はブラジルの都市ではなかったが、
ワースト2位から10位までのうちの8都市が、ブラジルの都市であり、
その指数は、東京やパリの2に対して80〜70ほど。
日が暮れたら、とても1人では歩けない。バスにも乗れない。
顔やムードで「外国人」とバレてしまうと、怖い。
治安の現実を肌で把握するのにも、少し時間がかかった。
リオやサンパウロの favela(ファヴェーラ=スラム)は
「内戦状態である」と国際社会に宣言したほうがいい、という意見もあるほど、凄まじい。
軍警察とファヴェーラに住むギャングたちとの、あるいは住人同士の、
銃撃戦が日常茶飯事である。
日本から友人や家族が遊びに来ると、
イヤな思いをしないで無事に帰国してほしいので、
そのことに多大な神経とエネルギーを要する。
年間の収入のうち約5ヶ月分が丸々税金として徴収されているのに、
医療も、治安対策も、教育も、かなりの私費を出費をしなければ普通に生活できない。
マジメに生活しているのがバカバカしくなる。あきれる。きつい。
なんでよりによってこんな所で暮らしているんだろう?ぜったい損してるよね?
と、自問自答してしまうことも多々ある。
が、なぜなのか、この国を憎めない。
むしろ徐々に好きになっている自分がいたりする。
損もしているけれど、得もしているかもしれないな、などと思ったりもする。
その魅力の正体がいったいなんなのか、その「秘密」を探るためにも、
この「みちくさ」は続くのでありましょう。
がんばれ!ブラジル!
Junho 2009
principal ホーム >>> introdução はじめに >>> índice 索引 >>> sociedade brasileira ブラジル社会を考える >>> ブラジルの成り立ち