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こんにちは。
再びお邪魔します。
法論と言うよりも、歴史観・国家観の論争になっているようですが(でも相手が見えないんですが)、
ならばまずはかの大東亜戦争をどのように捉えるかを日本人としてもう一度考え直す必要があると
小生は思っております。村山談話は即刻廃止すべきです。
大東亜戦争は、まさしく「日本の自存自衛」「東亜の解放」を大義とした聖戦でありました。
当時の世相は欧米列強の帝国主義によりアジア諸国は日本とシャムを除いてことごとく
欧米列強の植民地と化しており、その矛先が日本に向けられるのはもはや時間の問題でした。
特に日本に野心を持っていたのは米国、というより米国大統領F・ルーズベルトの成すところで、
ABCD包囲陣による日本への圧力、援蒋ルートによる支那事変での支那国民党軍への支援など、
開戦以前から既に日米は事実上戦争状態にあったことは言うまでもありません。
実際に開戦のきっかけとなったのは米国の提示したかの悪名高いハル・ノートであり、
支那における日本権益の全面撤収など到底日本の受け入れられない要求であり、
開戦の事実上の原因はまさに日本と戦争したかったF・ルーズベルトの側にあるのが事実です。
だからこそ、当時の日本人は挙って戦争を支持し、大東亜戦争を聖戦と位置付け、戦意を発揚し、
国を挙げて米英打倒に燃えていたのであり、これは当時の日蓮正宗宗門も、創価教育学会も
例外ではありませんでした。
宗門が戦勝祈願を行っていたのは当時の日本を考えれば当たり前のことです。
創価学会が当時の宗門に対して「戦争責任がどうのこうの」と曰うのは噴飯物です。
その前に己の団体が当時どのような活動を展開していたのかを正しく知るべきです。
反戦平和の活動をしていたと本気で信じているのは、まさに歴史を知らない無学・浅識の輩でしょう。
さて、大東亜戦争の目的である「自存自衛」は結局の所果たせなかったのではありますが、
もう一つの目的である「東亜の解放」については、その後の東亜の歴史を見れば明らかなとおり、
目的を完遂しています。その意味に於いて、日本は大東亜戦争に半分勝ったと言うことも出来ましょう。
日本人がどうこう言っても説得力が乏しいかとも思われますので、諸外国要人の発言を並べてみます。
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イギリス・アーノルド・J・トインビー 歴史学者
「第2次大戦において日本人は日本の為というよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々の為に偉大なる歴史を残したといわねばならない。その国々とは日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は西洋人以外の人類の面前においてアジアとアフリカを支配してきた西洋人が過去200年の間に考えられていたような不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。」(1956年10月28日/英紙「オブザーバー」)
アメリカ・ジョイス・C・レブラ コロラド大学歴史学部教授
「日本の敗戦 それは勿論、東南アジア全域の独立運動には決定的な意味をもっていた。今や真の独立が確固とした可能性となると同時に西洋の植民地支配の復活も許してはならないもう一つの可能性として浮かび上がってきたのである。民族主義者は日本占領期間中に身につけた自信、軍事訓練、政治能力総動員して西洋の植民地支配復帰に対抗した。そして、日本による占領下で民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。」(「東南アジアの解放と日本の遺産」)
アメリカ・ジョージ・S・カナへレ 政治学博士
「日本占領軍がインドネシア民族主義の為に行った種々の仕事の中で最も重要なものの一つは正規軍及び準軍事組織を創設して、それに訓練を与えたことである。このような機会がなかったならば戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。」(「日本軍政とインドネシア独立」)
オランダ・サンティン・アムステルダム市長 現内務大臣
「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現した。即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から追放して終わった。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成した。日本の功績は偉大であり、血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。自分をさげすむことを止め、その誇りを取り戻すべきであります。」(1985年日本側傷痍軍人会代表団がオランダを訪問した時、行われた市長主催の親善パーティの歓迎挨拶)
タイ・ククリット・プラモード 元首相
「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰であるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった為である。12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意された日である。更に8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々この2つの日を忘れてはならない。」
マレーシア・ャー・ダト・ノンチック 元上院議員
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を普及させ青少年の教育をおこなってくれたのです。」
マレーシア・ガザリー・シャフィー 元外務大臣
「日本はどんな悪いこ事をしたと言うのか。大東亜戦争でマレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが英軍は再び取り返すことができずマレーシアは独立したのだ。」
マレーシア・ザイナル・アビディーン 歴史学者
「日本軍政は東南アジアの中で最も政治的意識が遅れていたマレー人に、その種を播き、成長を促進させ、マラヤにおける民族主義の台頭と発展に大きな“触媒”の役割を果たした。」
インドネシア・モハメッド・ナチール 元首相
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。」
インドネシア・アラムシャ 元第3副首相
「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り幾度か屍山血河の闘争を試みたがオランダの狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって圧倒され壊滅されてしまった。それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である。」
インドネシア・サンパス 元復員軍人省長官
「特にインドネシアが感謝することは戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せず、インドネシア国軍と共にオランダと戦い、独立に貢献してくれたことである。日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけですむものではない。」
インドネスア・ブン・トモ 元情報相
「日本軍が米・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。そして実は我々の力でやりたかった。」(昭和32年の来日の際の発言)
インド・ラダ・クリシュナン 大統領
「インドでは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像も出来なかった。それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈した。驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。」(昭和44年日本経済新聞)
インド・ハビブル ・ラーマン 元インド国民軍大佐
「ビルマ、インドネシア、フィリピンなどの東アジア諸国の植民地支配は一掃され、次々と独立し得たのは日本が育んだ自由への炎によるものであることを特に記さなければならない。」
インド・グラバイ・デサイ インド弁護士会会長
「インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のおかげで30年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべ共通である。インド4億の国民は深くこれを銘記している。」(1946年の軍事裁判に出廷した藤原岩市氏らに)
スリランカ・J・R・ジャヤワルダナ 大統領
「往時、アジア諸民族の中で日本のみが強力且つ自由であってアジア諸民族は日本を守護者且つ友邦として仰ぎ見た。当時、アジア共栄のスローガンは従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には最愛の祖国が解放されることを希望して日本に協力した者がいたのである。」(1951年、サンフランシスコ対日講和会議演説)
ビルマ・バー・モウ 元首相
「歴史的に見るならば日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまたの解放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから日本ほど誤解を受けている国はない。もし日本が武断的独断と自惚れを退け、開戦当時の初一念を忘れず、大東亜宣言の精神を一貫し、南機関や鈴木大佐らの解放の真心が軍人の間にもっと広がっていたら、いかなる軍事的敗北もアジアの半分、否、過半数の人々からの信頼と感謝とを日本から奪い去ることはできなかったであろう。日本の為に惜しむのである。」
シンガポール・ゴー・チョクトン 首相
「日本軍の占領は残酷なものであった。しかし日本軍の緒戦の勝利により欧米のアジア支配は粉砕され、アジア人は自分たちも欧米人に負けないという自信を持った。日本の敗戦後15年以内にアジアの植民地は全て解放された。」(「諸君!」平成5年7月号)
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この発言集でも明らかなとおり、アジアは支那朝鮮を除いては親日国ばかりで、大東亜戦争にも
極めて好意的です。
冒頭に歴史学者のトインビー博士の発言を挙げたのは、創価学会がト博士を散々利用している事への
意趣返し…ではありません(笑)。
支那が反日である理由は華夷思想が根本にあり、東夷日本何するものぞ、という悲しい性(さが)の現れでしょう。
朝鮮については、彼らが常に事大主義に拠っており、強者に擦り寄る歴史のなせる技に過ぎません。
それと靖国の話に若干戻りますが、英霊(戦没者)を「戦争『犠牲者』」と位置づけるのは彼らに対する冒涜です。
戦没者に対し、祖国のために尊い命を捧げたことに名誉と栄光を与え顕彰し、尊崇の念を抱くのは
万国共通の通念です。例えば日本国総理が訪米した際、アーリントン墓地を訪れるのはその通念を
根拠とした外交儀礼です。どの国の誰であっても同じ事です。その場所が日本では靖国だと思うのです。
であるからして、太平洋戦争は侵略戦争だったと決めつけ、英霊はその「犠牲者」と断じてしまうのは、
世法上(仏法上では無く)「罰当たり」と言っても良いでしょう。
現在の日本は、特に教育面に於いて、歴史教科書の左傾化が著しくなっており(左翼学者・日教組の
なせる技でありましょう)、義務教育時代は反戦平和をとにかく叩き込まれます。それはそれで大事な面も
あるでしょうが、それが勢い余って過去の戦争の全否定に陥っているのは羮に懲りて膾を吹くの類であり
(今では日清・日露戦争ですら侵略戦争と位置づけられようとしています)
先人達への尊敬の思いを打ち消す愚かな思想であると言えましょう。
以上、あまりまとまりの無い展開になってしまいましたが、なんだか黙って見ていられなくなったので(笑)。
なお、管理人さんも述べられていますが、このような国家観・歴史観を持っている日蓮正宗僧俗は
極めて稀な存在だと思います。前にも述べましたが、国家観・歴史観が異なると靖国の話をしても
まったく話がかみ合わないので、この掲示板で質問するまで避けてきた自分がいます。
でもまあそれはそれでいいんじゃないかと思います。政治に於いても創価学会党や、唯物論の共産党さえ除けば、
どの政党を支持しようとその人の勝手だろうと。もっとも、売国的政党を支持する人の気が知れないのも
事実ではありますが。
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