山田正行さん(大阪教育大学教授・教育学博士)から、14日の橋下徹氏の見解に対して、次のようなコメントが寄せられましたので、ご紹介します。大変興味深いご指摘です。教育委員会制度をめぐる議論の前提を踏まえる必要を語っておられます(表題は等ブログ管理者がつけたものです)。

(以下、寄稿)
 「僕は教育委員会廃止論者」と橋下徹氏はネットで表明しているというが、現在のような教育委員会になったのは何故か?

 戦後の民主化において、1945年7月5日、まだ教育基本法が制定されていない段階で、「公民館の設置運営について」(文部次官通牒)により、公民館委員が公選となった。それは草の根の基層の民主主義であった。しかし、1948年7月15日、教育委員会法の制定で、教育委員が公選となり、煩瑣であるという理由で、公民館委員は公選制から任命制に切り替えられた(1949年6月10日制定の社会教育法で任命制)

 ところが、1956年6月30日、多方面の猛反対にもかかわらず、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の制定・施行により、教育委員会法は失効となり、この教育委員も公選制から任命制に変えられた!
 こうして草の根の基層の民主主義が切り崩され、教育委員は、当局の政策を飾る花瓶と花束のような役割しかなくなった。

 この地方教育行政の組織及び運営に関する法律の制定=教育委員会法の失効を強引に押し進めたのは、戦前の内務特高警察の官僚で、戦後は狡猾に戦犯追及を逃れて復権した田中義男文部事務次官であった。また、田中の下で忠勤に励み、その後、やはり文部事務次官に登りつめたのは高石邦男事務官(当時)で、彼は、1988年に発覚したリクルート事件で逮捕された(その後、有罪の判決が確定)この暴力と腐敗汚職の組み合わせは、しっかりと歴史に記録され、教訓として伝え続ける必要がある。

 それ故、現在の教育委員会を橋下氏が問題とするなら、このような経緯と教訓を踏まえていただきたい。
                                                    山田拝

山田正行先生のご紹介
大阪教育大学教授。1953年、群馬県桐生市生まれ。東京大学大学院修了、教育学博士。NPO法人アウシュヴィッツ平和博物館理事長(福島県白河市)、ポーランド共和国功績勲爵十字勲章叙勲