|
>ヤスクニ最大の罪が、無辜の大衆をファシズムの道具として死地に追いやったことと、私は考える。
>国は、壮、青年男子の戦死、銃後の非戦闘員には抗戦を徹底し、これらによって敗戦間近の時期や
>直後でも、集団自決の大悲劇を生み出すこととなった。天皇のためにハイと言って死ぬのを国民に
>強要した大罪が、国が経営したヤスクニにはあるのだ。
小笑。つまり、靖国の存在が日本国民を大量に殺した、という事か。死地に追いやる、とはそういう
事であろう。つまり、そういう大罪を犯した靖国に、政府の閣僚が参拝し、安倍総理も参拝に意欲を
示し、先の衆議院予算委員会に於いては『先の大戦では「靖国で会おう」との合言葉で多くの兵士が
散っていった。遺族は(戦死した)父や主人に会えるかもしれない、との思いであの場に行く」と述
べたのである。そして「(それら英霊に対して)私が指導者として尊崇の念を表することは国際的にも
当たり前のことだ」とも述べている。
果たして、お主の言い分からすれば、安倍総理は殺人神社への参拝に意欲を示している、という事に
なる。さても、お主からすればヒドイ総理であるよな。して、お前らが支持する公明党は、そういう
政府に協力して、腰巾着になっているのである。だから小生は前々から言っているだろう!
『相手のケツの臭いを嗅ぐ前に、先ずは己(おのれ)のケツの臭いを嗅ぎなさい!』と。
其れにしても『天皇のためにハイと言って死ぬのを国民に強要した大罪が、国が経営したヤスクニ
にはあるのだ』などと。哀。よいか! 其の当時に於いて、皇国の為に死するは、これ当然の義で
あり、其れは天皇陛下への忠誠を意味するものである。強要? 何の強要か! それら皇国に対する
赤誠を強要と思ふは、これ日共か社民か、それとも極左か、いや、其れこそは「売国奴」の考えであ
ろう! 日本人として恥を知りなさい!
見れば、お主は事あるごとに「中国、中国」とほざいておるが、支那かぶれもいい加減に致せよ。
>ここでお月さんの駄文だが、曰く「靖国神社の意義を、神天上の法門から理解し、靖国の靖国たる
>真の姿を、大聖人の仏法から見定めて行くべき」(前掲取意)と。
>再度言う、バカも休み休み言えと。
>神が元々不在の、神社でもないものを大聖人の神天上法門からどう理解せよと言うのか。
>教学的無知も甚だしいし、国家神道迎合の戦前の観念文をいまだに念じているところに、
>この人の愚かしさが見て取られる。
おいおい、神が元々が不在で、神社でもない、と云うならば、靖国への参拝は謗法とは成らない、
という事か。「神社」であるから謗法となるのであろう。爾して、靖国に祀らる英霊は、つまりは
「人物神」という事であり、同じく人物神である「応神天皇」を祀る八幡宮に比するものである。
つまり、歴(れっき)とした「神社」なのである。
仍って、小生が云う処の『靖国神社の意義を、神天上の法門から理解し、靖国の靖国たる真の姿を、
大聖人の仏法から見定めて行くべき』とは、それら英霊を祀る社(やしろ)に於いて、御本尊を安置し、
応に八幡大菩薩に法味を捧げ、以って諸精霊の忠魂に対して御供養申し上げる意を述べたものである。
其れこそが、本来あるべき靖国の靖国たる、真の姿なのである。
日蓮大聖人曰く『神と申すは又国々の国主等の崩去し給へるを、生身のごとくあがめ給う』と。
尚、明治神宮は、言うまでもなく明治天皇を人物神として祭祀しておるが、お前の言い分からすると、
これも「神が元々不在の、神社でもなんでもない」という事になる。其れで間違いないか。申せ。
加えて、天上の諸天善神が、南無妙法蓮華経の法味を受けるに、英霊(諸精霊)に対しては下りない、
という法理を示しなさい。
其れにしても小生をして『お月さん』とな。ならばお主は「マゴマゴ君」である。「お月さん」より
愛嬌のある呼び名であろう。本当は支那かぶれのお主をして「パンダ君」とでも呼びたいが、それで
は当たり前すぎて詰まらん。哀笑。だからお主は今日から『マゴマゴ君』である。そして、いずれは
小生から「このマゴマゴめ!」と呼び捨てられて叱られる運命なのである。
して、早速だがマゴマゴ君。お主は少し増長しておらんか。調子に乗るのもいい加減に致せよ。
>(お月さんは)教学的無知も甚だしいし、国家神道迎合の戦前の観念文をいまだに念じているところに、
>この人の愚かしさが見て取られる。
哀笑。
言っておくが、小生が用いている勤行要典は、昭和38年から昭和40年ごろに、創価学会員として
使用していたものである。本より、改訂された要典も其の後に普及されたが、して、お主は此の勤行
要典を用いる小生をして『国家神道迎合の戦前の観念文をいまだに念じているところに、この人の愚
かしさが見て取られる』と侮蔑しておるが、ならば、其の当時の学会員、つまり戦後20年を経た、
当時の学会組織に於いて、此の御観念文を用いた学会員は、みな愚かな人間であった、という事か。
果たして、違うと云うならば、戦後20年を経た昭和40年に於いては此の御観念文でも良く、戦後
70年近い現在では、此の御観念文ではダメだ、という事か。ならば其の正拠を述べなさい。尚、
此の小生であるからダメだ、というならば、其れはお主の決めつけであるから、そういう狂言はやめ
た方がよろしい。よいか。創価学会は戦後に於いても、当該の御観念文を用いていたのである。
マゴマゴ君は、心して答えなさい。よろしいか。
加えてお主は、相絶の二妙について、
>日顕は大御本尊根本(絶待)、他の蓮祖真筆、歴代法主書写は枝葉(相待)と区分し、根本と枝葉
>の接点(言わば絶待開会)に法主(=自分)がいるとするもの。前後二者はあたかも主要・絶対的、
>副次・相対的の関係に類し、法主と言う介在者がいないと成立しない仕組みに作り上げられている。
>そんなこと、御書のどこにあるのか。
などと意気軒昂に騒いでおるが、ならば、此の恩師による御本尊指導はどうであるのか。
恩師が云く『大聖人は在世中、弟子信者に御本尊をお授け下さったのであるが、これは一機一縁の
御本尊と申し上げるのである。弘安二年十月十二日、一閻浮提総与の御本尊御出現の後は、各弟子
信者の手にある一機一縁の御本尊は、二祖日興上人の御手許にとりまとめられた。それにもれた
ものが、勝手な人々へ移り伝わって今日御真筆として信仰の対象になっているのである。ただし、
これはちょうど電燈にたとえて考えると(御本尊を電球にたとえて申すことはもったいないことで
あるが)ヒューズが飛んで電流が流れてきていない電燈は、電球が切れていないからといって、
いくらつけても明るい光を発しないようなもので、電球は本物であっても電流が流れてこなければ
光が出ないのである。御本尊が大聖人の御真筆であっても、大御本尊に直結しなければ何の功徳も
ないのである。(中略) そこでもし、このようにたしかな御真筆の御本尊を拝した場合は、大石寺の
御法主上人の御手許に移して改めて感得願いを申し上げて、大御本尊に直結した御本尊として御さげ
願えばよいのである』と。
果たして文中『電流が流れてこない御本尊』とは、一体どういう御本尊であるのか。しかも、大聖人の
御真筆御本尊についても、恩師はそう述べられている。よいか、お主は其れを説明しなさい。
言っておくが、此の恩師の御本尊指導は、組織の破門によって変節されるものではない。あくまでも
本尊義について述べられたものである。尚、此の時の御法主上人猊下は、第64世日昇上人である。
マゴマゴ君もたまには拝見するであろう、学会本部に安置されている御本尊を。
百六箇抄に曰く『日蓮は脱の二妙を迹とし、種の二妙を本と定む。然(しか)して相待は迹、絶待は本
なり云々』と。加えて同抄に申さく『本より迹を垂れ迹は本に依る。迹は究竟に非ず』と。
仍って日寛上人に曰く『就中(なかんずく)弘安二年の本門戒壇の大御本尊は、究竟中の究竟、本懐中
の本懐なり。既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり』と。
尚、日寛上人は、第五重、文底下種三段の正宗分。つまり、本門寿量文底の大法とは、本門戒壇の
大御本尊の御事である、と明言されている。
言っておくがマゴマゴ君。
文底下種三段に於ける正宗分も、三重秘伝に於ける第三法門も、お主ら創価学会の教学ではない。
一体、どこから其の教学を学んだのか。此の小生が『生き証人』である! 謹んで答えなさい。
何?
>学会でどう教えるか。先生は、御本尊は御本仏日蓮大聖人の大慈大悲そのものとよく指導される。
>戸田先生は「幸福製造機」とおっしゃった。御本仏の絶対的な幸福の境涯であるから、人々に
>御本仏と同じ幸福境涯をひき出させるの謂いだ。余分な日顕宗の坊主どもが介在せずともかなう
>成仏の直道がこれで、自分対御本尊の健全な関係にある。
…哀。何の答えにも成っておらんぞ。はて、『坊主の介在抜きで自分対御本尊の健全な関係』とは、
一体、富士門流の、どの教義であるのか。其れも併せて答えよ。
>しかも、大体において一閻浮提総与と高唱しながら800万信徒をいきなり切り捨てて拝ませず、
>自分の占有物とし、自分で自分を巫女(みこ)やダライ・ラマのような存在にまで祀り上げるとは
>言語道断。魔僧の魔僧たるゆえんがここにあり、彼らが日顕宗と蔑称される原因がここにある。
>自業自得だが、邪宗門が逼塞する最大の原因もここにある。
おいおい、其れこそは、お主が云う処の『戦中の国民は天皇崇拝を強要された』という類(たぐい)で
はないのか。何? 自分に於いては強要ではない。洗脳でもないとな。ならば、戦中の国民も、
お主と同じ思考であったのであろう。『鬼畜米英を打倒せよ!』『日顕宗を打倒せよ!』と。
何でお前だけが自由意思で、戦中の国民の意思が「強要」となるのか! ロボットではあるまいし!
よいか、都合の良い事をいうものではない! 前方に何千という米兵が機関銃を構えるて居る所に、
小隊長がお主に対して「突撃しろ!」と言う。してお主はマゴマゴして『恐いよ~』と逃げるのか!
よいか、其れでも皆、銃剣を振り上げて突撃したのである。其の時の一人一人の感情をお前はどう
思っておるのか! 『強要だ! 洗脳だ!』などと無機質に言いよって!
思うにお主、本当は慇懃にして口の汚い御仁なのではないか。小生が洞察するに、お主は創価学会を
脱会し、法華講に入講し、そして再び学会に移ったのであろう。して、その変節の原因は須らく人間
に在ったのであろう。人を見て法を見ず。よいか、そういう人間に限って恨みつらみが増すのである。
>御本仏の大慈大悲の結晶、御本尊に(相絶の二妙を)あてはめることはナンセンスの極み
>普通の学会員が奇々怪々な違和感を覚え、教学的にも邪義と判じるのは当然至極のこと。
>素晴らしいと絶賛して喜んでいるのは、法主信仰の泥沼におぼれたア法華の面々以外にないだろう。
>マグマグo(*^▽^*)o~♪
小笑。『御本仏の大慈大悲の結晶、御本尊』って、おい! お主ら学会に御本仏日蓮大聖人御直筆の
御本尊が在るとでも言うのか。何処(どこ)にも無いであろう。
何? 御真筆でなくても、其れを写した曼荼羅であれば、御本仏の大慈大悲の結晶だ! とな。
何だ。つまりは大強信の八百屋の親父が書いた曼荼羅も、御本仏の大慈大悲の結晶を写したもので
あれば、其れも御本尊である、という事か。何? 八百屋の親父はダメだと? なぜだ!?
なぜダメなのだ!?
哀。ったく『駄文だ』『ア法華だ』などと。
そういう悪口は、小生の詰問に答えてからにしなさい。
よろしいか。
|
|