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大手新聞・テレビが、なぜ「マスゴミ」と言われるのかがよくわかる, 2012/5/27
著者の主張は、ほぼ「まえがき」と「第5章 蘇生の可能性とは」に集約されている。著者が朝日新聞の記者として働き始めた頃からすでに脳死の兆候はあり、それが3.11を契機に一気に顕在化してしまったに過ぎないという。
記者クラブの閉鎖性が問題の核心であるかのような誤解があるが、それはあくまで問題点の一部にしかすぎず、新聞テレビ業界で報道に携わる者達に報道の使命という意味すら完全に欠如してしまったことがもっとも大きな問題だということだ。既存マスコミは蘇生・再生する意思や能力をすでに持っていない。既存マスコミが企業として消滅するにはまだ時間があるだろうが、企業としては存在するが報道としては限りなく存在しないに等しいという時代は想像以上に早くくるか、もうすでに来ているかも知れないという。
著者は自身の経験を踏まえ粗悪記事を次のように分類しており、それぞれ実例を挙げて説明している。
・パクリ記事:朝日、読売、毎日の紙面写真までが全く同じということに驚く。
・セレモニー記事:取材対象の組織が設定した式典、儀式を主題にした記事。セレモニーなどのメディアイベントはそもそも報道がなければ起こらなかった現実であってヤラセと同じようなものだ。
・カレンダー記事:「あれから何年」という記事。雛形が決まっていて非常に楽な上、紙面を確実に埋めることができる
・えくぼ記事:微笑ましい記事、負の要素を一切消去したもの。励まされたと感謝されるが報道の目的は励まされることではない。
・観光客記事:
このような粗悪記事や垂れ流し記事が蔓延する理由は、独自ダネを探さなくても、手間がかからず容易に紙面を埋めることが可能だからだ。私企業であるためコスト削減や効率化にさらされており、良き管理職にとっては人事考課を上げるために粗悪記事は魅力である。記者にとっても自分でニュースを探す苦労をする必要がなく楽であり、サラリーマン記者をさらに受動的にしてしまうのだ。
記者は賤業であり、職責のためには憎まれ役を引き受ける覚悟が必要な職業である。また、表面から見えない真実や本質を探ること、疑うことが仕事である。そのためにはクエスチョニングが必要だが、それが全く欠如している。
また、記者クラブ問題に関し、その閉鎖性は問題の本質ではなく、情報は公開されるべきもの、政府や官庁が持つ情報は納税者・有権者である国民のもの、官僚や記者クラブが勝手に独占してはならないという日本における言論の自由や民主主義のあり方自体が正しく認知されていないことが問題である。