昭和35年(1960年)、サンフランシスコ講和条約調印より9年後、米下院でフェルト米太平洋軍司令
官は、「沖縄住民は日本の支配に戻るより米国の統治の継続を希望しているように思う」と発言しました。
翌年7月23日に行われた那覇市議会議員選挙では親米協調派グループが圧勝しました。
国籍を超えて沖縄県民を愛した米軍軍人は、たくさんおられましたが、代表的な方々を紹介します。彼ら
の胸像は、沖縄が日本に復帰した後、沖縄県民によって建立されたことに注目して下さい。
@P.W.キャラウェー米陸軍中将
第3代、沖縄民政府高等弁務官。1961年2月16日より1964年7月31日までの3年6ヶ月間、沖縄を
統治しました。
その間、県民視点に立って住民福祉、インフラ整備、離島振興に尽くされました。
2000年7月30日、南大東村開拓100周年を記念して村民によって村役場正面公園内に建立され
ました。
1964年6月4日、那覇市議会は中将に名誉那覇市民憲章を授与し、その功績を称えております。
Aワニター・ワーターワース女史
女史は、米国民政府看護顧問官として1950年1月より1960年6月11日まで10年6ヶ月間、沖縄に
滞在され、看護学校を創設し、女性の地位向上、感染症撲滅のため生涯を捧げました。
1982年8月14日、看護学校の教え子達によって顕彰記念バッジが作製され配布されました。
BR,V.スコアブランド米陸軍軍医
先生はハンセン病患者の治療と福祉、彼らを差別、迫害する沖縄住民への啓蒙活動に生涯を捧げ
ました。私財さえ投入していたことが後年解りました。
胸像は、1977年11月10日、ハンセン病療養施設入園者の募金によって建立されました。