この年になるまで、いろいろ美しい女の方をみましたが、子供の時にみた京都のお加代という芸者さんほど美人だなあと思ったことはございません。
あまり多くの婦人をみなかった時だからあんなに美人にみえたろうと自分で割引をして考えますがやはり美人でしょうなあ、
お加代さんの顔が光ってみえるのですからね
歌舞伎役者・五代目中村歌右衛門
五代目中村歌右衛門をして「こんな芸妓、生涯二度とお目にかかるまい。」と言わしめた京都祇園の芸妓・江良加代 (Era Kayo) 。その貴重な写真たちを紹介します
明治2年頃に登場したと言われる彼女は公家の西園寺公望に見初められ東京へと向かうが、西園寺家の守神は弁天様であるため嫉妬深く、西園寺家は代々正妻はもたないという家憲があったために破局。きっと西園寺公望もとうの承知のはずなので、一か八かで連れて行ったが無理だったということだろう
その後、桂小五郎(木戸孝允) に愛され、桂が東京に移ったあとは、よく呼び寄せられて会っていた。ふたりとも夫婦になるつもりだったという。祇園会で練り歩いたお加代が雨に振られ、濡れた着物が重いと、その非常に高価な袖を切ったことで話題となり、さらにそれは誰が買い与えたのかというのが桂と知れ渡り、民衆は驚いたそうです
しかしながら、その桂も明治10年、45歳という若さで病死。お加代は祇園会の練り物にも出ず「一生男はもたぬ」悲嘆に暮れていた
それを聞いた"女好き"で名を馳せていた伊藤博文。「お金はいくらでも出すから祗園会に出たらいい」とお加代に当時は効果だった洋犬を与え、周囲に「女好きの伊藤博文も、あれほどまでに入れ込んでいたのはお加代ぐらいだろう」と言わしめるほどだったがお加代にその気はなく
結局、3年も経たずして、豪商・三井松坂家の三井源右衛門の妾となり幸せに生涯を送ったそうです
右が江良加代
中央の洋犬を持っているのが彼女
1870年代当時の、お加代の写真集。10枚ほどのボックスになっているそうです