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二章 ロッツガルド邂逅編
響の憂い
戦いは静かに始まった。

儀式的な女神への口上は問題なく終了し、王国と帝国両軍には女神の祝福が与えられた。同時に、魔族には半減の呪いが与えられているはずである。

響は密かにグリトニアの勇者が何か仕出かさないかと不安を抱えていたが、ほぼ定型の文章を朗読しているかのような口上は呆気無い、あっさりとしたものだった。

王国軍は予定通りに進軍を開始、接敵を果たし、最前線からやや後方に位置していた響たちも戦場の空気を肌で感じ取っている。

だが、やや様子が予想と異なる。

確かに味方の能力はかなり高まっている。半信半疑だった響の目にさえ、魔法の火力だけ見ても文字通り倍加しているように見えた。

しかし敵については半減している様子があまり感じない。実際に響自身が相対して確かめたわけではないが、半減という程に弱体化しているようには見えなかった。

それでも戦況は相変わらず優位ではある。野戦では何度かの突撃で紙切れを裂くように魔族を蹴散らしている。こちらが押し返されるような流れは一度も無い。

最早残すは砦の内部、そう思える戦況だった。王国も、帝国も、軍勢を砦の前まで押し込んでいた。魔族自身が広く拓いた砦の前面。それ故にかなりの数が砦に殺到することが出来ている。

士気も高く、砦の中に攻め入るのも時間の問題だった。

だがそれら一連の戦闘が響たちの投入もなく達成されたこと、そして未だ帝国側からも四腕の将軍の出撃報告が無いこと。これらは響に疑問を持たせていた。彼女の意識が警鐘を全開で鳴らし、響に何かを訴えている。

「ねえ、ナバール。これ、何か変よ。幾らなんでも手応えが無い。ここ、難攻不落の砦でしょう?」

「ああ、私達が出ることも無く終わるなど考えられない。帝国の勇者様が余程の活躍をされているのか?」

響は後半の言葉を綺麗にスルーして、砦についての見解だけ頭に入れる。傭兵として戦場の経験のあるナバールでさえ異変を感じるならこれはいよいよ何かありそうだ。直感が何かを伝えているのに、何をすれば良いのか判断できない自分の経験の少なさ。それがもどかしい。

「ですが!開門さえさせてしまえば最早戦況は決まります!もうすぐ、ステラを落とせるんです!エリュシオン解放の第一歩が遂に!」

ベルダは完全な興奮状態にある。少なくとも理性的には考えが出来ていまい。チヤと一緒に一列後ろにいるウーディでさえ、彼には珍しい興奮した面持ちで戦場を見ている。

チヤは慣れてきたとはいえ戦場の空気に怯えを抱いている。何とか気丈に皆の傍にいるといった感じだった。

そう、ベルダとウーディの様子が戦場を物語っている。まさに真正面からの突撃だ。もう、戦場は帝国も王国も無い。多少の方向の違いこそあれ、両軍は一纏まりになって砦を攻め立てて開門を目指している。

「どうも、嫌な予感が止まらないわ。ウーディ、チヤちゃん。念の為に防御障壁と高速移動用の浮遊術式を完成させておいて」

いざという時、咄嗟に防御出来なければ致命的な隙を作る。軍という単位なら尚更だ。防御と移動の手段を確保した上で状況を見るしかない。彼女の一存で一時撤退など、この状況で通るわけはない。勝利目前なのだから。

「でも、それを皆には無理だよ。この周りだけで目一杯」

チヤの気弱な発言。魔力の多寡が扱える術式の範囲に直結する訳ではない。彼女は範囲拡大に関する分野が苦手であった。

「私は、パーティ位なら浮遊、高速移動は出来ますが部隊単位では不可能ですよ。私は精霊でも無いのですから」

ウーディは逆に扱える魔力量がチヤ程多くない。制御に長けていても使える魔力が追いついてなかった。

「なら私たちだけでも構わないわ。どうせやることないんだから。お願い」

二人の術師は怪訝に思いながらも勇者の要請を呑む。術を詠唱して、待機状態を維持。仮にも勇者のパーティ。この位の芸当は出来る。

(私なら、何を仕掛けるかな。王国軍と帝国軍が集まったところでするとしたら……)

響は考える。ステラ砦の左右にある崖。元々隘路を塞ぐように作られた砦だ。むしろ、どうして本来は狭かった砦の前面を魔族の支配後に拓いて攻めやすくしたのかわからない。砦と崖上に兵を配置して上から攻撃。だが、それはもうされている。砦の上部からも崖からも攻撃は受けている。

次に考えたのは高低差。砦は高い位置にあり、ヒューマンの軍は下から坂道を攻めている。だが然程に勾配のある坂でも無い。現状からだと、砦を開門して落石などを仕掛けるなど出来そうにも見えるが、目前に攻め込まれるまでやらない理由が無い。

水攻めも出来ないことはないが余程の水量が無いと出来ないし、落石と同じく時期を逸しているように見える。

(後は、宝探しの映画とかでよくある左右の壁が迫ってくるってやつ?あれこそ、狭い谷道を進軍している時にやることよね。何をするつもりなんだろう。少なくとも陣営まで戻れるようにしておけば大抵のことに対応できる、はずだけど)

そもそも今回の作戦、響には理解できない事が実に多かった。それは今頭を悩ませている敵軍の様子だけではない。帝国の勇者に関わると途端に彼を絶賛する仲間についてもそうだし、夜襲をかけるというのに月が煌々と夜を照らす日を選ぶのも理解できなかった。響に実際に夜戦の経験が豊富にあるわけではない。だが、どうせ夜に仕掛けるなら月が無く、出来れば星も隠れる曇天の方が作戦の意図に合うのではと彼女は考えていた。帝国側が日付をかなり強引に主張したらしいが、その真意は作戦が開始されてもまだ響にはわからない。

そこまで考えて自軍を再確認する。

狂気だ。まさしく狂気が支配する空間だった。念願の砦奪還が目の前にあるとはいえ、最早前線の兵士たちの目には開門と陥落しか見えていない。しかも本来は前線の兵しか存在しないはずの門前の戦場に、中ほどにいるはずの部隊や一部術師に属する後衛の部隊までもがいる。しかもこれは帝国軍も同様の様子だった。

家族を友人を奪われた魔族の砦。響には誰が奪われたでも無い場所だが、彼女はその言葉の意味を彼らの放つ狂気から理解しつつあった。

(これが、戦争か……。わかっている気でいても、堪えるわね。人の死を賞賛と歓喜の絶叫で迎えるなんて)

冷静な内に入るであろうナバールでさえ、瞳には隠しきれない火を灯している。純然と恐れを感じているのは多分、チヤと自分だけなのだろうと響は思う。

彼女は魔族を敵である、討つべき存在だと割り切って理解できていると自身で考えていた。だが、ふとした思考から魔族の死も、人の死に含めている無意識にはまだ気付いていない。それは、彼女が本来いた世界にあった考えの残滓。本音を言うなら、響にとって魔族は外見的な特徴が異なる人、なのだから。

(いや、もしかしたら智樹君もそうなのかもね。元は同じ日本の出身なんだし。あの態度は強がりだったと見るならば、だけど)

己のレベルに過信さえ抱いてそうな少年の様子に、響はかも、とつけながら考える。人の死さえ滅多に身近に無い世界で生きてきて、この戦場はそうそう適応できるものではないだろうから。

「あ、門が」

「開くぞ!」

ナバールとベルダの言葉。響は自分の言葉と考えが杞憂に終わることを安堵した。

湧き上がるヒューマンの連合軍からの咆哮。怒号のように戦場に響き渡る。

その時。

響の捨てたはずの杞憂が現実になった。

地面が、崩れた。

二方からのゆるやかな坂道の上にある砦。その門前に開かれた平地。その全て。

ヒューマンたちが上げた咆哮を合図にするかのように。

一気に崩れ落ちた。正しくは、無くなった。その下は闇。夜であることを考慮してもなお深い奈落。

数秒の沈黙。あの大地が既に魔法の産物だったのか。無くなった地面の崩れる音さえも無い。

(地面が、消えた!?)

驚きか、自失か。誰の声も無い奇妙な空間が戦場に広がる。

リミアの勇者が思ったように、地面が消えて無くなったのだと理解できたのは果たして何人いたのか。

「ウーディ!チヤちゃん!」

響は一応、異変に備えていたから一番に反応できた。用意してもらった術が二つとも活躍できる状況だ。本来なら高速移動用の支援魔法だけをお願いする所、念には念をと上方向への回避も視野に含めて浮遊魔法を指定した点は響のファインプレーだろう。

またも数秒の後、術が展開され、響のパーティが落下を免れる。淡い水色の障壁も展開されて防御魔法のドームが出来る。

「あ、あああ、あああ」

落ちていく味方たち、パーティの誰かの声が聞こえる。

この穴がどこまで続いているのかはわからないが。何の対策も出来なかったのならこの後に待っている結末は誰にも予想できる。

少なく見ても、軍の半分は殺到していた狂った前線が、一瞬にして消える。

馬鹿らしいとしか思えない現実に響も言葉が無い。王国軍で残っているのは術師中心の後衛部隊と弓部隊、貴族が中心になった一部の騎士部隊といったところだろう。

半壊、いやそれ以上の被害だと思われる。

何とか落ちていく彼らが自身で対処できることを祈りつつ、響は場所を問わず湧き上がってくる悲鳴に抗うように仲間に発破をかける。

「ウーディ、とにかく上に戻って!出来るだけ後方まで移動して頂戴。ナバールとベルダは私と一緒に出来る限り残っている部隊を下がらせる指示を、チヤちゃんは障壁の維持をお願いね!」

上を見る響。予想はつくことだが、矢に投石、それに色とりどりの魔法が降ってきていた。

「……ナバール、ベルダ。予定変更。上に出るまでは迎撃!ホルンも出て!生き残るわよ!!」

銀帯から守護獣である狼、ホルンを呼びながらの響の言葉は、彼女自身への激励にも聞こえた。
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