世界の果てから一人の異世界人が動きだした。だが、まだ目に見える波紋は起こっていない。
その頃。世界ではツィーゲの商人レンブラントが口にした一つの契機に差し掛かっていた。
リミア・グリトニア両国によるステラ砦攻略作戦の実施だ。
二方向で展開された攻防は、両国にもたらされた二名の勇者とそれに伴って高まり続ける士気、さらに十数年も絶えていた女神の祝福の復活によりヒューマンが圧倒的に有利に事態を進めていた。
女神の祝福。
それがこの世界でヒューマンが最も大きな勢力として存在できる根幹とも言えるものだった。
戦いの前、女神に戦いの開始を報告し、互いの軍勢の代表者が口上を述べる。女神は両勢力を確かめ、己がより認める側に加護を、そうでない側に呪いを与える。具体的には認めた方は全能力を倍加、そうでない側は半減させていた。
つまり、口上から祝福の流れが行われた場合、両軍の間に数値的に考えて四倍の戦力差が生まれることになる。これは余程の兵力の差があるのならともかく、通常なら絶望的な差だ。
だから、この世界でヒューマン同士の戦いは口上の段階で勝敗がつくことが多々あった。結果が目に見えているから半減された側が降伏することがほとんどだったからだ。女神に認められる為に、人々は美を追求し、口上を神に伝える者が着るための、実用性を無視した華美な武具が作られもした。彼女が認めるのは、常により美しく好みに合う者。王族や貴族が口上で勝利した者の容姿を研究し、時にその血をも取り入れようと狂ったのも無理はないことだった。それが、国や家の力に直結していたのだから。
だがそれはあくまでもヒューマン同士の場合。
相手がヒューマン同士では無い場合、話はがらりと変わる。女神は戦端を開く口上の際、無条件でヒューマンに祝福を与えてきたから。古来から数えて、ヒューマンに祝福が与えられなかった戦いはあっても、亜人に祝福が与えられた戦いは無い。ただの一度もだ。問答無用で倍加される相手に、魔族はじめ亜人たちは恐ろしい程の劣勢を強いられてきた。必要に迫られて戦術、戦略を魔族が積極的に研究してヒューマンの数倍のノウハウを持っていて尚、状況はヒューマンに有利なまま。女神の沈黙が訪れる前、彼らはそんな戦いをしてきた。
女神の沈黙が訪れた後、当然だが口上は無意味になった。例え正式な手順を経て口上を述べても、祝福も呪いも下されることはなかった。
四倍の祝福はヒューマンが相手でも亜人が相手でも等しく効果を示さなくなったのだ。魔族は多くの魔獣や亜人に呼びかけ、限界まで勢力を高めてヒューマンとの戦争に打って出た。平原で真正面から潰す、兵力と戦力ですり潰す。そんな戦いばかりをしてきたヒューマンは魔族に面白い様にやられていった。勝利、勝利、勝利、勝利、勝利。勢いは止まらなかった。五大国の一角までも滅ぼし、魔族は多くの土地を手に入れることが出来た。
ステラ砦は、その滅ぼされた大国エリュシオンの南端にある。
リミアが南から、グリトニアが東から何度も攻めたものの不落を続けた堅牢な砦。
ここを無視して軍を北上させるには行軍に不向きな大河や沼、それに山脈が邪魔になる。不可能でこそないが、魔族の妨害もある。実質、大軍で行軍できるルートで魔族の領域を攻めるのはステラ砦の陥落をもってしなければこれ以上進めることは出来ない状況だった。ご丁寧に砦までのルートを両国に用意させたのが魔族の知略の一つだと、ヒューマンの識者の中に気付く者も現れつつあった。それでも、この砦の攻防に費やされた人命はリミアからもグリトニアからも策謀の可能性を認知する理性を奪っていた。
憎き魔族の象徴。絶対に陥落させるべき砦。ステラ砦はそんな存在だった。
「難攻不落の砦。ヒューマンを数え切れないほど殺した悪魔の砦、か。そりゃ真っ先に奪い取りたいわよね。勇者の降臨に祝福の復活、だから絶望的だった戦場にも再攻撃を考えるわけだ」
夕暮れを過ぎて闇の帳が下りた中でそびえる砦の影。その門前から広く展開される軍勢の様子を、焚かれる篝火からみつめる人影があった。数人分の影が集まっている。
「ああ。学者どもの中にはこれが魔族の罠だって言う声もある。それでも、ここは多くの血を吸い過ぎた。リミアも帝国も、もう引っ込みがつかないさ」
先ほどの発言をした影に添うようにもう一つの影が並び立つ。その言葉には呆れと、どこか自嘲気味な様子がある。やや低く響く声は痩身の女性から放たれた。
「他の場所から攻めるのも、手だとは頭では思うのですがね。まあ、私も心情的にはこの作戦には賛成です。……ここには私の友人も何人か眠ってますから」
やや後ろで待機したままの影も口を開く。男。この砦を落とすことに、彼は賛成している。だがそれは感情的にだと後付けする。
「騎士も数え切れぬ程に討たれています。この場所は、我らが魔族を倒す過程に不可避の場所なのです」
またも、二つの影、最初に発現した女性に後ろから声がかけられる。声の主はまたも男。こすれあう金属の音から彼が鎧を着用していることがわかる。
「四倍の祝福と、勇者か。有利な状況なのはわかるけど。どうも、嫌な予感がするのよねえ」
「馬鹿な事を言い出すな。もうすぐ、帝国との夕食会だぞ響。お前の嫌な予感は当たるんだ」
並ぶ影から呆れたような声が向けられる。
「あはは。蜘蛛の時には感じなかったから杞憂ってやつかもね。後、あの智樹とか言う帝国の勇者がどうも気に入らないからかも」
「わかりませんな、私には好青年に見えましたが。多少年齢は若いようですがしっかりとした、精悍な若者かと」
「ああ、それはウーディに同意。私も彼の様子はむしろ好意的に見えました。何か、妙に心惹かれる若者でした。あれであらゆる魔法具を扱い、戦場では数十、数百の単位で魔族を狩るというのですから。全く勇者とは凄い」
「響の好みは良くわからないからな。私とて響と先に会ってなかったらあの少年の剣になっていたかもしれない。彼からはお前と同じように勇者たる威厳を感じたがな」
「……わた、私は響お姉ちゃんと一緒で、何かイヤでした。あの人とお姉ちゃんは違う気がします」
他全部から否定されるかと思いきや、響と呼ばれた女性に、一人だけ賛成する声があった。他のメンバーよりも大分背の低い影。まだ幼さも感じさせる声だ。
「私の味方はチヤちゃんだけか~。心配しなくても戦場で私情を入れたりはしないわよ。じゃ夕食、仮眠と問題無くいきましょうか。深夜に仕掛けるんでしょ?」
前夜に、というか数時間前に夕食会とは何だか気の抜けたことだと響は思う。それほどに自分ともう一人の勇者に期待しているのか、それとも実質四倍の効果がある祝福とやらに自信があるのか。
作戦の最終確認を兼ねた、とはいえ名前の名目は夕食。感じる嫌な予感とあいまってリミアの勇者、音無響はもう一度篝火を見る。
(あそこを落とす。魔将はパワータイプの巨人で腕が四本。私達と帝国軍、どちらの軍に相対してきても勇者は魔将のいる方に合流してこれを叩く、か。兵力は予想でこちらの連合軍が魔族側の約五倍。さらに能力の半減やらも含めるなら実質は二十倍?戦争の数のことなんて私はわからないけど二十倍ってのは安心する数字よね。でもな~、砦の強度が半減したりすることは無いわけで、地形が倍有利になるわけでもない。あくまで四倍って個々にかかる数字の結果でしょ?こっちが二倍で相手が半減。それって魔族が半減だけでも無効化したらただの倍だし)
戦術では魔族の方が上。そんな会議の言葉を思い出す。最終確認も何も。こちらは祝福をもらって二方向から攻めて、かつ敵のトップが出てきたらこれは勇者で倒すというだけの単純なものだ。後は何故か帝国の希望で夜襲となった程度。
ヒューマンの動きもある程度は魔族に知られている、と響は考えている。となると、これまでと違った何らかのアクションがあっても良いはずなのに、目に見える形での反応は無い。不気味だった。
この世界には魔法がある。それは、砦に大砲が無くても大砲のような攻撃がいきなり個人から放たれることを意味する。むしろ考えすぎて丁度良いくらいだと彼女は考える。応用を含めればどんな魔法があるかなんて見当がつかないのだ。
そういった不安が、響に嫌な予感をさせているのかもしれなかった。
「ようこそ、リミアの勇者様」
天幕に近づくと、考え込む響に華やかな声がかけられる。
「あら、これはリリ皇女。わざわざのお出迎えありがとうございます。この度はお招き頂きまして光栄です」
にっこりと笑顔を浮かべた響が考えを止め、用意していた言葉を反射的に口から吐き出す。仲間や同行している貴族から失礼の無いようにある程度の釘を刺されていたこともあり、彼女は丁寧な言葉を心がけていた。
相手はリミア王国と少なくとも同規模の勢力を持つ大国グリトニアの皇女。如何に勇者とは言え、私人として振舞い無礼があってはいけない相手なだけに響も緊張を感じていた。
「こちらこそ。御呼び立てして申し訳ありませんでした。これから戦友となる方へのせめてものおもてなしをご用意しましたので、今夜は是非英気を養ってくださいませ」
自ら先導をする心算か、皇女と呼ばれた女性は手で一行を促すと天幕の中へと誘う。開いた幕から良い香りが漂ってくる。
王族に案内してもらうなど滅多にない事に戸惑いながら、リミアの勇者一行は彼女の後に続いた。
用意された円状のテーブルには既に何名かが着席していた。
響達を確認するや、その人物たちは会話を止め、立ち上がって皇女に案内された彼女らを迎える。
「ども!仮眠前ですけど、お互い無礼講ってことで食事を楽しみましょう!」
「さ、響様はこちらへどうぞ」
皇女に付いていくも響は早くも暗鬱とした気分を抱える。その前に掛けられた言葉のためだ。いかにも軽い。
しかも、不思議なことに帝国にそれを諌めるような様子が無いことも気持ち悪いし、自分の仲間にも不快な様子をする者がいないのも不気味だった。
予想していた通り、空席になっていた彼、帝国の勇者である岩橋智樹の隣に案内される響。席はここにする他はない。皇女の案内で用意された席を断るのも礼を欠く行為だ。それに、自分から無礼講などと言い出す輩に限って己への非礼は許さないものだ。
心中でのみ嘆息を漏らしながら、響は皇女に向けた以上の作り笑顔を浮かべる。智樹に向けて。
「気を遣ってもらってありがとう、智樹君。夜戦になるけどお互い頑張ろうね」
月並な言葉。初対面の時から年下だとはわかっていたので響は君付けで彼の名前を呼ぶことにしていた。
「俺達は夜の戦闘も慣れてますから大丈夫です。リミアの方まで援護できちゃうかもです」
「それは心強いわ。私たちは夜の戦闘で大規模なものはあまり経験がなくて。期待してるわね」
「それにこんなの中ボス戦ですし。さくっと終わらせて女神からお褒めの言葉でももらいますか。あ、何か能力の追加とか無いのかな」
「そういえば祝福の口上、トモキ君がするんだったわね。また女神に会えるのかしら、あれから一度も会ってないし色々聞きたいこともあるんだけどな」
どうにも女神から聞いていた状況と自分が置かれている状況が食い違って感じる響は女神にもう一度会いたいとは思っていた。力や加護はあるものの、当人と会って話をしたのは結局、最初の時だけである。
智樹の中ボス戦という言葉に少し違和感を感じたものの、響は女神のことに思考を移し笑顔を保つ。
「あ、それと響さんってレベルはいくつになりました?」
智樹が唐突に響のレベルについて話を振ってきた。他のメンバーは侍従に促されるままに着席し、それぞれ談笑しながら出される食事に口をつけている。響も食事に手を出すものの、あまり味もわからない。食事を楽しむ気分ではない所為であろう。
彼について不快だという意見に同意してくれたチヤだけは居心地が悪そうにするものの、帝国側の、チヤと同じくらいの年齢の少女に話しかけられて少しずつ話をしているようだった。
「私?私は今430ね」
「そうですか。俺は今605になりました」
「へえ、凄いのね。それだけ戦場で活躍してるんだ」
「ええ。だから響さん、年は三つ離れてますけど君って付けるの止めてもらえません?様とまではいかなくても、さん位じゃないですかね、実力が上の相手には」
(自分で無礼講だとか言ったのはどこの誰!?)
響は突っ込みたくなる気持ちを必死で抑える。百パーセントの作り笑顔が唇辺りから崩壊の予兆を見せる。
「ご、ごめんね。どうも、まだ向こうの感覚で話しちゃって。これから気をつけるわ」
「いや、気にしてないんですけどね。後、申し訳ないんですけど、俺敬語って実は苦手で」
(ですますつけてるだけで、ども、とか俺とか言っちゃってるあんたに敬語なんて求めてないわよ!あと、気にして無いなら言うな!流せばいいでしょうが中三!)
「別に口調なんて気にしないから大丈夫よ。貴方の好きな様に話していいわ」
「そうですか?いや、助かるよ。いつぼろが出るかと不安でさあ。俺ら今夜は速攻で魔将引きずりだすんで、いっそ響さんらはこっちに最初から合流でもいいんすけど、どう?」
一応、これは国同士の代表で話している。外交の一環だと、響は思っている。それでも、彼の発言には一瞬で貧血になりそうな頭の悪さを感じた。
これが向こうなら、元の世界なら。こんな態度の後輩にはそれなりの説教を食らわせているだろう。それとも今の中学生は皆こうなのだろうか。もしそうなら異世界にこれた自分に万歳だ。これまで以上に祝福したい。
「……嬉しい申し出だけど。私たちもリミアの皆を鼓舞して戦いに出ないと。その時になったら駆けつけるわね」
自分でも明らかに表情がひくひくしているのを感じながら。響は何とか夕食会という名の我慢大会を過ごしていくのだった。
ただ一人、チヤだけはハラハラしながら響の様子を気にしており、夕食会の後天幕を出て自分達の野営地に足早に戻る彼女を心配そうに気遣っていた。
「響お姉ちゃん、大丈夫?落ち着くお茶、淹れようか?」
「チヤちゃん、もう、何て良い娘なの!あの馬鹿もこれくらい愛嬌があれば少しは違うのに!!」
他のメンバーは何故響が怒っているのかわからないといった様子で首をかしげるばかりだ。
「何だ響、もしかして帝国料理は苦手か?」
「それならば先に先方に伝えておかねば逆に失礼ですよ響殿」
見当違いの指摘に、流石の彼女も足を止めた。
「ねえ!?どこまで本気で言っているの!?あの智樹の、どこを見て私が失礼だとかいう話になるの?おかしいでしょ貴方たち!」
チヤも響に同意して何度も頷く。
「な、何をそんなに怒っている?智樹殿は気楽な食事会を催してくれて、戦いの折には我々を援護すると言ってくれ、しかも響が格上の相手を君付けで呼んでいたのもさりげなく指摘してくれた。その後も、頼もしい発言は好ましかったじゃないか?」
ナバール、戦場で最も響にとって相方に等しい位置にいる女戦士から、コントのような言葉が放たれる。
「あの無礼全開のどこを見て……!」
響は仲間の視線が自分への疑問であることに愕然とする。普段、彼女がフランク過ぎる態度でいれば真っ先に注意してくるベルダとウーディでさえナバールの言葉を肯定しているようだ。
(何これ?あいつに会うと皆おかしくなるわけ?)
それにしてはチヤと自分は無事である。一体どういうことか。ただ、響は少なくともこの件で仲間と如何に話そうと分かり合えるとは思えなかった。何か、理由があるように思えたのだ。
「まあ、それは置いておきましょ。ちょっと私もムキになっちゃったし。うん、寝よう。戦いも近いんだから。チヤちゃん、一緒に寝よっか」
現時点での追求は何も生まない。寝て起きたらもう戦争が始まるのだ。余計な不和など持ち込むべきではないと理解していた。
響はチヤを連れて寝所に戻ると、すっかり寝付きと寝起きの良くなった自分に感動しながら眠りに落ちていった。
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