久々の彼女です。
順調に勇者生活を送っているのかと思えば。
レベル188。勇者。
それが今の彼女の、音無響の肩書き。世界を知るべきとの王の考えで、リミアに降りた勇者は王国、そして時に近隣の国の訪問をしながら中規模以上の魔族との抗争が起こった際には呼び戻され戦争に参加していた。
本来なら国から国へ移動するだけでも相当な時間を要する。
王国から下賜された帰還転移の魔道具に街の冒険者・商人両ギルドが管轄する転移魔方陣の無制限使用許可を組み合わせた、この世界に於ける最高級VIPクラスの移動手段が物理的に無茶なスケジュールを可能にしていた。
魔族を怪物だと思っていた彼女は青い肌や角があるとはいえ外見は人に非常に近い彼らの姿を見て最初こそ戦うことを躊躇した。だが幾度も戦い、仲間の兵士の死、そして敵の兵士の死に触れ生命の奪い合いを許容していった。
人語を解す魔獣も、魔族も、そしてヒューマンも。
本来の彼女の価値観からすると同等の存在であり、その根本こそは今も変わることはない。それでも殺生を受け入れたのは思想や信念が決して相容れない事があると彼女なりの結論を得たからだ。
とかく様々な国々に行かせたのも、彼女にその結論を持たせたい王国の意図があったことは否めない。純粋に観光をさせておく余裕は戦争の最前線国家には無いのだから。
何より肩を並べて戦う仲間の存在も貴重だ。響の中で彼らと他人の命では明らかにその重さは違っている。これもまた一緒に行動してきた事の作用。
戦争に参加し、戦場に繰り返し立てば。
兵士に最も刻み込まれるのは戦いに参加する個々の決意より、肩を並べ背を預ける友と無事に生き残るという渇望が勝ることが多い。
そして今。
響はリミアの王城にいた。苛烈な戦闘を切り抜けたばかりだった。
魔族との抗争ではないが、彼女は珍しく負傷し城で治療を受けて療養している最中である。
パーティの仲間もその悉くが負傷し、別室で治療中だ。いわゆる、全滅状態。
一応、自力で帰還こそ叶ったものの城内の騒ぎは尋常ではすまない。ぼろぼろの勇者一行が城に戻るや否や力尽きたのだから無理も無い。
「キューン」
腰に巻いた神器の銀帯から心配そうな声がした。
銀帯に宿る守護獣、銀狼だ。彼女もまた今回の戦いで負傷し、帯の中に戻って力を回復している最中だ。
「私は大丈夫よ。貴方もゆっくり休んで体を休めなさい。魔法で傷は治っても気力までは戻らないんだから」
かくいう響もだ。気力や魔力、そして疲労を癒す為の休養だ。幸い、今回の全滅で致命的な後遺症が残ったメンバーもいなかった。
相棒の狼を気遣いながら。
しかし彼女は別の事を考えていた。
(予定では三ヵ月後くらいには魔族の将軍一人目と戦えるから、それが初めてになるかと思ったんだけどな)
初めて、とは敗北。もしくは敗北に近いほどの辛勝。詰まる所、順調に勇者として尊敬や実力を備えてきた響は早く苦戦してみたかったのだ。
もっと具体的に言葉にしてしまうなら挫折したかった。この想いはパーティのメンバーにも話したことのないものだ。
(ナバールの速さでも押し切れなかった)
ナバールはタイプとしては響に近い、速力を一番の武器にする女剣士だった。魔族への憎しみを募らせ、ただその復讐の為に戦場に立っていたが響と会い衝突しながらも今は共にパーティで前衛を引き受ける仲間だ。
速力という一点においては響きを上回り一撃離脱と連撃圧倒を使い分ける才気溢れる人物だ。年の頃も背丈も響と近く、白に近いアッシュブロンドの髪も相まって響とのコンビネーションは戦場で大いに目立つ。
(ベルダ君の守りも打ち破られた)
ベルダは実力としては中堅の騎士で、本来は勇者の一行に加われる実力では無かった。だが密かに王族である特権を発動させ強引に同行を決めた。彼が王族であり、王位継承権第一位にあることはパーティでは知られていない。
だが無能ではない。彼はこの一行に加わって自分の位置を決め、精進を重ねた。その結果パーティにおいて重要な役割を担うことになりつつある。
彼の特徴、それは防御である。時に後衛に至る攻撃をカットし、またスピード型の前衛が受けきれない、または回避の困難な攻撃を前に出て受ける。いわば中衛でありながら壁を兼任できる存在だった。ベルダのパリイング能力と一点防御、そして飛び道具や魔法へのインターセプト能力はこれまた響を上回る。
(ウーディの魔法は全然効かなかったし)
ウーディは天才と称される魔術師だ。砲台術師と呼ばれる高威力魔法を得意とする機動力に乏しいタイプの魔術師でありながら、風の精霊との契約と持ち前の身軽さで”リミアの移動砲台”という褒められているのか恐れられているのかよくわからない二つ名を持っている。ちなみに本人は喜んでいない。
彼の攻撃魔法は、攻撃用の術をあまり習得していない響にとっても、アタッカーを物理方面に頼っている勇者パーティにとっても貴重そのものだった。だが今回はそれがほとんど有効に働かなかった。宮廷魔術師の一人に迎えられていたが王により響との同行を提案され一行に加わった。小柄で童顔だが年齢は25歳。パーティ最年長である。
(チヤちゃんにはすっごい負担かけちゃった)
チヤはヒーラーである。高い魔力で治癒や補助を得意とする支援魔術師でウーディと同じく精霊とも親密である。普通魔術師は精霊術を専門に扱わない限り精霊には嫌われることが多いのでこれは稀有な例である。風ではなく水の精霊と仲良し。最大魔力保有量は何と響と同等。生贄にされそうになっている所を響らに救われ、以後パーティに同行、後に正式に一員となった。回復魔法においては響の先生を勤める。当然ながらパーティが全滅状態になっている現在、チヤはその魔力のほとんどを回復に使い果たし一番深い眠りについている。
響、ナバール、ベルダ、ウーディ、そしてチヤ。
これがリミアの勇者パーティだ。すべてヒューマンで構成されている。響がこちらに来て何とまだ一月弱。どれだけイベント連発だと言いたいくらいに波乱万丈だった。
レベルも冒険者ギルドに一応登録した際には120。異世界三日目のことだ。
めきめき戦闘でレベルを上げてきた。
それなのに今回敗北した。
唇が釣り上がる。
ブル、と。
体の芯から奇妙な疼きにも似た震えが全身に走る。
音無響がこの世界で選択した戦闘方法は剣を使った速力重視。
元の世界より筋力が相当に上がっていたので剣は大剣でも十分に使えたが、周囲の仲間への配慮や武器そのものの取り回しを考えて、結局彼女が選んだのはバスタードソード。
王国ではあまり使い手が居ない武器だった。刀は存在しなかったので悩んだ挙句、元の世界で歴史教師が何故か熱弁した直訳で「私生児の剣」とも呼ばれるこの武器を手に取った。
普段は片手で扱いながら強烈な一撃が欲しい時は両手で持つ。使ってみると実に馴染み、響はこれを愛用していた。
習得していた剣道の技術は剣の扱いそのものよりも間合いや機先を取る、立ち回りにおいて活躍してくれている。獲物が西洋剣に近いものになっても技術の全てが無駄にならなかったことを彼女は嬉しく思った。
今は半ばから折れて代わりを探してもらっている最中で、長めの柄に折れた刀身を見ると少し武器に申し訳ない気持ちになる。
出鱈目な魔力量をもって攻撃魔法も扱えるようになろうと最初は思った響だったが、詠唱の集中を考えると開幕先制攻撃以外には使用が難しいと思い直し断念。
結局武器に魔力を纏わせ維持する術と、詠唱の短く使いやすい初歩の障壁、そして自己回復に絞って習得、熟練することにした。
一人になることも考えたかなり強力な構成だった。事実一対一なら響は負けたことが無い。もし自分が敗北するのならそれは搦め手にだろうと思っていたのだ。
だが、結果は違った。
彼女たちは全員で、たった一つの存在に叩き潰された。それも正面から。
緻密な戦略も幾手も先を読んだ戦術も、何も無かった。
ソレは唐突に現れ、そして響に、彼女の望んだ挫折をもたらした。
ただ本能。圧倒的な攻撃力と馬鹿げた防御力。
ナバールは確かにソレを速さで圧倒した。疾風の如く連続攻撃を浴びせ反応した相手の攻撃が届く頃にはそこにいなかった。
では彼女はどうして敗れたか。
単純だった。
ナバールの攻撃は相手にほとんど通っていなかったからだ。彼女の剣は見た目は響の獲物に比べて華奢に見えはするが、魔力付与の為されたそれなりの業物である。彼女の速力と合わせると切れ味は相当なものだが。足りなかった。
疲労を抑えながら徐々に徐々にダメージを蓄積させ。とうとうその肢の一つを落としたのだ。
ようやく、だが確実に前に進んだことへの達成感がパーティに沸いた。
だが次の瞬間ソレは肢を再生させて何事も無かったかのように行動を再開した。
それまで完全に機能していたパーティに亀裂を入れるのに、十分な衝撃だった。
ナバールは黒い糸を浴び、身動きを封じられたところに爪の一撃を直撃させられた。チヤが必死に糸の影響を遮断して回復に励むが、戦闘への復帰は絶望的だと皆が理解した。棒立ちになった女剣士に直撃した一撃の威力はそういうものだった。
一人倒れたことで響の回避する攻撃は増え、そしてベルダの負担も増えた。パリイングを得意とするといったところで毎回毎回ノーダメージで済むわけも無い。ベルダの動きが鈍くなり遂には崩れたのも、それから大した時間も経たない時だった。
チヤが一人の回復に集中したことでウーディは攻撃だけに魔力を割けなくなった。攻撃魔法が効果的であったかは別にして、まったく相手の動きが変わらない以上、攻撃の手が減るのは絶望的だ。
響が障壁や自己回復を駆使して一人で前衛の壁を維持しても三人で分担していたのが一人になれば押すか押されるかは明確だった。攻撃に効果がないとわかった時から、守護獣である狼には障壁でも回避しきれない分だけを迎撃してもらっていた。その銀狼が先に被弾し、動きが鈍ったところに殺到した中の数発を受け、沈んだ。
チヤが響の回復に回る。それでも追いつかない。ウーディの支援魔法が切れがちになる。悠々と攻撃を続けるソレは後方へも黒い糸を吐き出し続けている。
回復と支援が止む。
こみ上げる焦りと冷たい汗。
ただ攻撃力と防御力で圧倒され、潰されかけている自分。仲間はもう倒れた。全員が無事かどうかさえ知れない。
両手で切りつけた肢の一つが千切れかけ、そして響はその事実を見逃す事なく返す刃で斬り飛ばした。
先ほどと同じようにその肢は黒い粒子のようなモノになり散じた。
そして……先ほどと同じように再生した。
「ふふ……ふ…」
心中を埋めるのは絶望だ。勝てない。間違いなく勝てない。それどころか勝負にさえなっていない。何で口から笑いが漏れるのかわからない。
誰もが賞賛した彼女の魔力も既にほとんどを消費してしまっている。味わったことの無い疲労と体の重さが彼女を縛る。
文字通り死力を尽くして身体の強化を行った響は武器に赤い輝きを纏わせた。
勝てずとも。
その瞳は折れず。
「まだ、やれるわよ!来なさいよ!」
もう動き回る力が抜けてしまっただけ。迎撃しか出来ないだけだ。
「SYYAGYAGAYGAYGAGAYGYAY!」
初めて雄たけびなのか何か良くわからない奇声を発し、ソレは八本の肢で高速に響に迫り前肢の一つで響を薙ぎ払う。
対して彼女がしたことは。
一歩前に踏み出し逆袈裟の一撃を振り上げることだった。
狙ったものか否か。その一撃はソレの牙の上、異様に輝く目を叩き斬った。
本来の響ならそれはカウンターで決めていただろう。だが今放った一撃はカウンターを狙ってさえいない。今の彼女が得られる最高の結果が相打ちであることを確信して、それでも打ち込んだ一撃だ。
「ぐふ」
内臓が潰れたのか喉から血が押しあがってくるのがわかった。
当然だ。響は腹部に向けて放たれた横薙ぎを回避するどころか、前にでて受け止めたのだから。
死ぬのか。
虚ろに考えながら最後に顔を上げた響が見たのは。
激しい戦闘などどこにもなかったかのような静かな平原。
「なん、で……」
疑問が口をついたのを切欠に口から血が滴り落ちる。暗転していく意識が繋ぎ止められない。
勇者、音無響はこの時初めての敗北を経験する。現状の彼女に全く勝目の無い圧倒的な負けを。
その相手は魔族でも魔獣でもない。
災害、と忌み嫌われながら世界を食らい続ける一匹の黒い蜘蛛だった。
彼女は未だその正体を知らない。辛うじて最後の目への一撃が蜘蛛の飢餓の一端を埋め、蜘蛛が去る条件を満たしたことにも当然気付かない。
だが戦闘を回顧して響はベッドから半身を起こして深呼吸する。ともすれば戦闘の時に戻ったような興奮が身を包むも、何度かの深い呼吸で落ち着きを取り戻す。
「勝つ。絶対にね。敗北をありがとう、待っていて……!」
敗北したことで自分の評判は落ちるかもしれない。だがそんなものどうでもよかった。奴のことを調べて、そして勝つ。明確な目標が一つできたのだ。
願っても得られなかった敗北も挫折もこの世界が遂にくれたのだ。だから、響は蜘蛛に礼を言った。
黒き蜘蛛をたかがレベル200足らずの5人が退ける。
響の懸念していた評判は下がる所かむしろ上がった。本来、黒蜘蛛は生じたら最後、冒険者ギルドが高ランクの冒険者を揃えて国に所属する魔術師団と連携して徹底した遠距離攻撃を持って撤退させる一大事だったのだから。
その話題は王国をまた驚かせ、勇者音無響の名をさらに高めることとなった。
深澄真が黒蜘蛛を飢えから解放する前日の出来事である。
勇者として召喚された子たちは多少の時間差があります。
具体的には男勇者→女勇者→真の順に一ヶ月ずつずれているとお考え下さいませ。
苦難困難大好き娘の響さんは敗北の翌日に再戦の機会を永久に失うことになります。
イベント満載、頼れる仲間満載、勇者満載の彼女は次にどうなっているのか。
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