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一章 ツィーゲ立志編
真、呪病を憎む
頭に何ら治療を加えられることもなく(イイエ、ウランデナンカイマセンケドネ)僕らは引き摺られるように執事さんに連れられてレンブラント氏が待つ部屋へと向かうことになった。

途中物凄く甘ったるい匂いがしたけどその廊下を横切って到着したのは初めに通された応接室。なんだろう、化粧品や雑貨を扱う店で香るようなひどく不自然な匂いだ。

そこには血塗れの左腕に治療を施されている氏がいた。

ひっ、と錬金青年の息を呑む声が聞こえた。

魔物にでもやられたのか。見たところでは牙か爪によるものだと思う。さほど大きくはない相手のようだ。

問題は相手が何か、ということよりも先ず街の中にある警備も厳重な屋敷の中でこうなった理由だな。

こうして氏が治療を受けているということはコトはもう終わっていることなのだろうし。

「おお、ライドウ殿。それにハザル殿も。薬は、できましたかな?」

いやに弱弱しいレンブラントさんの言葉。

[ここに]

もう恐ろしくてハザルなんぞに薬を持たせられなかったので僕が持っていた。

「これは一体、何事です!」

青年は焦ったように氏に言葉を投げる。

だが氏は首を力なく横に振るばかり。話せない、というよりもどう話していいか悩んでいるという様子だ。

尚も質問を続けようとする隣の青年を僕は制止し、彼が落ち着くのを待つ。

しばらくの静寂。

そこにはレンブラントさんの腕の治療の音だけがしていた。

その音も止む。

「失礼した。時間をくれて少し落ち着けた」

表情は未だ平素の彼ではない。まだ平常心ではないんだろう。

余程のことが起こったか。

余程、か。それを言うならレンブラントさんが腕から派手な出血をしているシーンで既に大変な事態のはず。

なのに、僕は感情のバランスが取れている。異世界に”慣れた”ということなんだろうか。

同道したハザルは悲鳴をあげた。人でなく魔物と馴染んでいる内に感覚がずれてきたのかもしれないな。

っと。今はそんなことよりも現状だよ。

考えられることとしては、病気の3人が何者かに浚われた、とかだろうか。

死んでないのなら、緊急ではあるがまだ救いようはあるだろう。

いつの間にか僕は彼にかなり感情移入している。

助けない、協力しないという考えが思い浮かばないくらいには。

執事さんが目まぐるしい状況を目で詫びる。だが、これは責められるものでもないと考えていた僕は無言で頷くだけで済ませていた。

「秘薬を、執事のモリスが届けてくれた時のことだ」

氏はもう二つの薬の到着を祈りながらも静かに待っていた、と語った。

場所は先ほど通り過ぎた甘い匂いの廊下の奥。なるほど、あの先に病人がいたわけか。

「妻の寝室から音がしたのだ」

[音、ですか?]

「ああ、毛布でも跳ね上げたのだろうと思った」

随分な病人だな。てっきり意識も絶え絶えに病床に臥しているのだろうと思っていたのだが。

怪訝な顔をしている、と雰囲気で察したのか彼が力の無い苦笑いを浮かべた。

これはよくないな。絶望している。

「発作でね。時々ものすごい力で暴れることがあったんだ。もっとも、最近はそれさえも出来ぬほど、せめてうなり声程度だったんだ。だから私もあまり気にしなかったのだが」

……うなり声?病人が?

「そうか、症状はあまり話していなかったね。発症したときはね、ただの発熱のようなものだと思っていた。だが…」

徐々に様子がおかしいことに気づいたのだそうだ。水と光を恐れ、時々正気を無くしては暴れて部屋を壊すようになった。狂犬病にかかった犬の症例みたく聞こえるけど……。

そして美しかった毛髪も抜け落ちて、瞳が爛々と紅く輝きを帯びた。

……もはや、面影もないほど、に、と。

どこの外道だ。と思った。

怒りを置き去りにして殺気が湧きそうになったほどだった。

そんな自分の惨状を正気にかえって直視した本人たちは泣き絶望し、そして夫に親に謝罪したのだそうだ。

そうして闘病が始まり、だが精神は少しずつ磨耗し、最近死を望むようになったらしい。

恐らく、僕ならばムリだ。

こんな風に話せないだろう。間違いなく、相手をその依頼者を、そしてその家族にいたるまで、殺し尽くしてやると考えているだろう。

狂う、自信があった。

「そんな、そんな地獄が今日終わるはずだったんだ!!なのに、なのに妻が!」

妻の部屋の前に置かれた椅子で1つ目の薬を大事に抱えていたレンブラント氏。

泣いていた。

最悪はそのときに起こったのだ。

音を聞き流した少し後。

木製のドアを生気の無い腕が突き破った。

「あっという間にドアが壊されてね、それで妻は、妻が私の手に襲い掛かってきて」

彼はようやく射した光明を必死に守ろうとした。

だが救われるべき彼の妻は、自らを救うはずの薬を……奪い、叩き壊した、そうだ。

辺りに非常識なほど甘い匂いが立ちこめ、自失していた氏に奥さんはさらに無情にも襲い掛かった。

間一髪で護衛に雇っていた者たちと執事が異常に気付いて奥さんを取り押さえ、叫び、牙をむいていた彼女は発作が治まったのか力無く崩れ眠りに落ちた。

そして、今に至るのだ。

運悪く、発作がおきた、だなんて。有り得るのか?

「……それは発作ではありませんね」

僕の思っていたことを確信を感じさせる声で錬金青年が話し出した。彼の口調も重い。

「恐らく、秘薬が近づくと、”そうなる”ようになっているのでしょう。治療を、させないために」

被術者自身が最後の解呪の妨害となるように。

前例は聞いたことがないがレベル8と聞く限り不可能なことではないと続けた。呪病レベル8というのは相当に高いレベルらしい。

もう死んでいる術者を心から惜しく思った。僕ならば、殺すことなくもっと、もっと惨く酷く痛く、狂うこともさせず…延々と…!!

「護衛の者も負傷してね、今別の場所で治療を受けてもらっているが」

今は動けない、か。悲痛にくれる隣の青年は肉体労働向きではないから取り押さえるのは無理だろう。

「彼らの話を総合すると、取り押さえておくだけでも相当のレベルの近接攻撃職でないと無理なのだそうだ。さらに妻は肉体を顧みることなく暴れるため、何度も同じ事態になれば死んでしまうことも考えられると」

動くこともままならなくなった人体が大の大人数人がかりでないと動きを抑えられないほどに力を振るうのだ。そうもなるだろう。

僕は自分の心境を、静かだ、と思った。

あまりの怒りに我を忘れるタイプではなかったんだなあ、と”どこか”で考えていた。憎悪も、敵意も、あるにはあるのだが冷静に処理できてしまう。

ここにくるまでに、自分が敵の命を奪うことにあまり抵抗が無いのには気付いていた。でも、この分だと本当に、それが人であっても変わらないのだろうなあと思えた。

そして、この事実をさした感傷もなく納得してしまっていた。

相当のレベルの近接攻撃職。僕には数人の心当たりがある。

本当ならばここでトアさんたちを招集してコトに当たってもらうべきだとはわかっていた。巴も澪も万全を期して呼ぶべきなのだろうと。

なのに僕は自分でやることを決めた。

ソレはもしかしたら冷静に処理できているはずの感情が、少しだけ枠からはみ出した結果だったのかもしれない。こんな風に考える自分の冷静さが少し癪に障る。

項垂れるレンブラント氏と執事のモリスさんを見て僕は言った。

[僕が抑えます。さあ行きましょう]

と。

ムリだと喚くレンブラント氏たちを意図的に漏らした殺気が黙らせた。殺気、いや怒気か。よくわからない。

ハザルの襟を掴み引き寄せると、製薬の残りカスで何とかもう一人分秘薬を作れと無理を言った。

何故か彼は反論もせずに地下に駆け出していった。出来なければ持っている瞳を渡して作らせれば問題ない。他の材料は余裕を持って揃えてあったのを記憶している。

後日聞くと、一言でも反論したら死ぬと思った、と壊れた笑顔で教えてくれた。

薬を氏に渡す。

なるほど、あの甘い匂いが秘薬の香りだったか。

地下の製薬部屋では匂いはコントロールされていて気が付かなかったな。

割れて絶望を象徴するのがあんなにも甘ったるい匂いとはね。洒落たもんじゃないか、ふざけやがって。

さあ、この馬鹿げた呪いを終わらせに行こう。
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