救急車が、患者を搬送する病院をなかなか見つけられない。地域の病院から小児科や産科が消える。病院から治療が終わったからと、退院を迫られているが、行き場所がない……。
日本の医療や介護が抱える問題に、どう対応するか。
首相の下に置かれた社会保障国民会議で、大きな改革の方向性が見えてきた。
地域の実情にあった「ご当地医療」をつくる。そのために、都道府県の権限と責任を大きくし、消費増税の財源をあてる。そんな内容である。
基本的に賛成だ。
■地域ごとのビジョン
これまで都道府県は、複雑で費用もかさむ医療分野への関与には及び腰だったが、財源に一定のメドがつくことで積極姿勢に転じる兆しが見えてきた。これを機に、政府全体で本腰を入れて進めるべきだ。
改革の柱はふたつある。
ひとつは、地域ごとの医療・介護のデザインを、都道府県が中心になって担うことだ。
欧米に比べ、日本の病院はベッド数は多いが、各病院の役割分担がはっきりしない。地域によっては、リハビリや緩和ケアが得意な病院や介護施設、自宅を訪問して診療する医師や看護師が足りない。
このため、高度な医療を提供する医師や看護師のいる病院に、治療の済んだ患者が滞留する「社会的入院」も起きる。
高齢化のピークに向けて、住民の医療・介護のニーズを予測して病院や介護施設を整備し、スムーズに連携させる。そうした将来ビジョンが必要だ。
都市部と地方では、医療機関の数、高齢者の数や人口密度など事情が異なる。ビジョン策定で都道府県がより大きな責任を持つのは自然な流れだ。
厚生労働省のこれまでの医療政策は全国一律の手法に依存してきた。
個々の診療行為の公定価格である診療報酬を上げ下げし、病院を望ましい方向に誘導するのが軸だが、間接的な手法ゆえの限界が見えている。
集中的に治療を行うために「手厚い看護」に高い価格をつけたら、都市部の大病院が看護師を一気に集めて、中小病院が人手不足に陥るなど混乱したのは、わかりやすい失敗例だ。
国民会議では、地域医療や介護のための基金を設け、消費税収の受け皿にし、病院機能の集約や転換に必要な費用を補助する案が委員から示された。
こうした投資的経費は、診療報酬で賄うのは難しい。補助金という直接的な手法をどう有効に使うか検討を進めたい。
病院機能の集約化は、地方の医師不足緩和にも貢献しうる。ある分野の医師を一つの病院に集めれば、勤務に余裕ができ、人材を採用しやすいからだ。同じ病院に手術を集中させ、医師が腕を磨ける環境もつくれる。
■国保の財布を大きく
改革のもうひとつの柱は、苦境に陥っている国民健康保険の運営を、市町村から都道府県に移すことだ。
国保は、収入の安定したサラリーマン以外の人を対象にしている。いまや自営業者は少数派で、低収入の非正規労働者、無職の高齢者が大半を占める。
このため医療費が増えても、保険料の引き上げには限界がある。見えやすい負担増は住民に不人気で、首長も腰が引ける。
その結果、市町村は国保に3500億円の税金を投じ、さらに翌年度の保険料を先食いする形で1500億円を借りて、赤字を穴埋めしている。きわめて不健全だ。
1700余ある国保のうち4分の1は加入者が3千人に満たない。運営を都道府県ごとにして、「お財布」を一つにすれば財政が安定化し、同じ県内でも国保間で最大3倍近い格差があった保険料も平準化されよう。
■国は人材の支援を
国民会議が打ち出した方向性にはむろん、懸念もある。
改革を実現するだけの力がすべての都道府県に備わっているとは思えないからだ。
これまではベッド数の規制が主な仕事で、県立病院はつくっても、医療の中身は、医師を派遣する地元大学の医学部にお任せするのが一般的だった。
それが、専門性の高い医療の中身に立ち入り、企画・調整する仕事を担えるのか。
政治力のある地元医師会と対等に渡り合えるか。医師たちの言うがままに、補助金をつけるようにならないか。
市町村と違って住民と直接の接点が少ない都道府県が、地域の複雑な事情をふまえた調整ができるか。
心配の種は無数にあるが、国が特に人材面で支援し、克服していくしかない。
地域の医療・介護は、国任せでは成り立たない。都道府県が将来像を描き、その費用の一部をまかなう国保にも責任を持つ意味は大きい。
高齢ニッポンにおける「地方分権」の成否がかかっている。