1970年 |
●日本ではじめて企業による就職差別事件糾弾闘争開始 |
−日立製作所就職差別裁判(横浜地裁)− |
1974年 |
●就職差別事件裁判勝訴を契機に民族差別と闘う連絡協議会 (民闘連)発足 |
●公営住宅・児童手当等の行政差別撤廃運動開始 |
●各地で在日コリアンのための子ども会等地域活動を展開 |
1975年 |
●日本ではじめて一部自治体における企営住宅入居差別を撤廃 |
1979年 |
●大阪府八尾市職員の国籍条項を撤廃 |
1980年 |
●住宅金融公庫融資、公団住宅の国籍条項を撤廃 |
●全国各地で外国人教育基本指針制定に取り組む |
1981年 |
●国民体育大会の国籍条項(高校生)を撤廃 |
1984年 |
●大阪府高槻市で制度的無年金者(高齢者・障害者)に対する 救済措置をはじめて実現。 その後、各自治体に特別給付金制度が広がる。 |
●郵便外務職(国家公務員)の国籍条項を撤廃 |
1985年 |
●各地で指紋押捺拒否運動を展開、全国キャラバンを実行 |
●一部自治体で教員採用試験の国籍条項を撤廃 |
●近畿青年洋上大学の国籍条項を撤廃 |
1987年 |
●帰化コリアン(日本籍)の復姓(民族名)を実現 |
1989年 |
●企業の育英会奨学金の国籍条項を撤廃 |
●日本ではじめての入居差別裁判開始 |
●「在日旧植民地出身者に関する戦後補償 および人権保障法(草案)」を策定 |
1991年 |
●大阪、東京で在日旧日本軍人・軍属の戦後補償裁判開始 |
1993年 |
●入居差別裁判勝訴(大阪地裁) |
1995年 |
●民闘連第21回全国大会において組織を発展解組し、 在日コリアン人権協会を発足 |
●在日コリアン地方参政権集団訴訟(118人)開始(大阪) |
1997年 |
●大阪市の小中学校入学時における外国人登録番号記入差別を撤廃 |
●TBS[ブロードキャスター」嶌信彦差別発言糾弾 |
1998年 |
●銀行の「年金定期」差別を撤廃 |
●日本ではじめての在日コリアン高齢者のデイハウス 「オンドルパン」を設立(八尾) |
●地域振興券の在日コリアン差別を撤廃 |
1999年 |
●法務省外登法改定案に対して 「外国人登録法改正案大網在日コリアン人権協会案」 を策定、提案する |
●住民票「帰化」記載差別の撤廃に取り組む |
●近鉄グループ差別FAX事件要望書提出 |
2000年 |
●大阪府・東京都で在日外国人を「世論調査」の対象にする |
●日本海流学会に「北鮮寒流」「東鮮暖流」問題で報告、 改訂させる |
●本願寺坊守民族差別発言事件糾弾 |
●金蘭短期大学差別事件要望書提出 |
2001年 |
●「簡易帰化」法案に反対声明 |
●公安調査庁の外登原票収集問題で、大阪府下市町村を調査 |
●JAL、シティバンク、郵貯ワールドキャッシュカード 外登証問題交渉 |
●大学の帰国子女国籍条項撤廃運動に取り組む |
2002年 |
●毎日新聞「北朝鮮籍」報道抗議 |
●奈良交通「朝鮮征伐」発言事件要望書提出 |
2003年 |
●金融庁「本人確認法」に外国人条項設定 |