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│<< 前のページへ │次のページへ >> │一覧│ 最新│明るく楽しいDV男たち
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昨夜は男の非暴力ワークでした。七人の男たちが行ったワークは「他己紹介」ある人と話し合った後、その人について紹介する、というもの。
みんなの前で自己紹介するというのはなかなか難しいもの。特に男性は自分の感情について理解し、それを言語化するのは不得手な方が多いのも確かです。 誰かに聴いてもらいながら自分について語ると、比較的自分を説明しやすいのも事実です。また、その人の体験や思いをその人に成り代わって語ると言うのは、気恥ずかしさやプライドを気にせず客観的に語れます。 自分(特に無意識や情動部分)を理解し、それを言葉にして人に伝える事、同じように人の感情についてもフォーカスし、理解する事で、コミュニケーション能力が上がるだけでなく、自己理解が進み、自己肯定感が高まります。結果、暴力はもちろん他者をパワーコントロールする必要もなくなります。さらに豊かで多様な人生に変化していきます。 DVは犯罪です、被害者が傷付いてます、反省してやめなさい、なんていう教育プログラムでは、自己肯定感が下がるだけで、自身の多様性成長性を阻害し、よりいつそう、パワーに依存する人格になりかねません。こういうプログラムは脱暴力を目指していると言うより、プログラムを行う主催者の自己満足や利益を目指していると言われても仕方ないもの、と私は厳しくみています。 一見、加害者(と言われた人たち)に厳しく臨むプログラムは有効性がありそうで、私のメンズプログラムは男にゆるい危険なプログラムだとの、根拠無き言説も語られるようですが・・・。ほんとに危険なのはどちらか・・・世間は理解できていません。 と言う訳で、昨夜は、某新聞社の取材を受け入れました。ワークの場そのものは取材拒否ですが、ワークの後、有志に残って頂いて、当事者の体験や思いを記者に語って頂きました。また、ワーク参加者のパートナーである被害女性にも同席頂いて、被害者の立場で見る男ワークや世間の被害者支援の問題点も語ってくださいました。 実際にワークで変化していった当事者の語りはとても貴重です。DV男は変わらない、という根拠無き言説が嘘である事を証明する事ですから。ですので、私は「適切な支援がないからDV男は変わらない」のだと、より正しく語るようにしています。 一時間ほど楽しく面白く笑いを取りながらの当事者インタビューが進みました。最後は、記者を拍手で送り出す事もできました。拍手で見送られた取材なんてはじめて、なんて記者も笑ってましたが・・・。 後は、その記者が当事者の思いやワークの有効性について、うまく記事をまとめてくれて、デスクにボツにされる事なく、紙面に掲載されるのを期待するだけ・・・。さてさてどうなる事やら。
April 10, 2013
教祖にはなりたくなーい・・・映画 ザ・マスター
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昨夜は久々に夜が空いてたので、何か映画を・・・ということで「ザ・マスター」を見に。第二次世界大戦から帰還したもののアル中になり心病む青年は、なかなか社会に適応できずにいたが、新興宗教の教祖と出会い、そこで受け入れられ、自身の回復を目指す。
けれど、アルコールをやめられず、結局は袂を分かつ。出会いから別れまでの心の軌跡をホアキン・フェニックスとフィリップ・シーモア・ホフマンが超リアルに演ずる。 映画としては日本人には理解しにくいもののように思うのは、復員兵のトラウマが日本では封印されている事や性意識や家族意識が日本人とは多少ことなる事がある。 ストーリーにドラマ性もなく、もちろんロマンスもなく、卑猥で猥雑、乱暴で粗野なアル中とそれを受け入れる下世話な教祖のやりとりだけで、映画が展開して行くのだから。 ただ、私はカウンセラーとして視点でも眺めているので、心病むアルコール依存症者とそれを無条件に受け入れようとするセラピストの心のありようにフォーカスしつつ見ているので、退屈はしません。ホアキン・フェニックス演ずるクライアントの危うさやそれを平然と受け入れる教祖のしたたかさと。これは面白かった。 セラピストとクライアントのドラマ性でいえば、グッドウィルハンティングの方がはるかに映画としては楽しめるし感動できるのは間違いありません。けれど、深く傷付いて心病む者の回復の難しさとそれでもなお、断ち切りがたい愛着、そのリアリティーを表現しているのは、このざ・マスターでしょうか。 それにしてもねぇ、私は教祖というのは、やっぱいやだーと感じてしまいました。もちろんうさんくさいセラピストというのもイヤですけれどねえ。いずれにしても、教祖と信者、セラピストとクライアント、この絶対的な権力構造に対して、私のメンズカウンセラーとしての魂が拒否反応を起こしてしまうようです。 けれどちょっと心ざわついたのは、アル中の彼がもうろうとしながら、ダンスする女たちを妄想して素っ裸にしているシーン。その女たちの裸体が日本人の女の裸体とは随分違ってて、ああ、これこれ、これですぅ・・と、スケベな私は多少うらやましくなりました。なんで私は日本に生まれたんだーって(笑) そうそう、昨日は昼間もかなり時間があったので、朝買ってきた安売りのイチゴを使ってイチゴのケーキを作りました。久々のイチゴケーキ、うまかったっす。エラソに説教ぶつよりせっせとケーキつくって食べる方が、私は好きですねえ。
April 9, 2013
ほんとっ忙しい (2)
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このところやたら忙しいです。もちろん仕事やら活動やら、自分のしたい事で忙しいので特にストレスにはなってませんが・・・むしろ、私を信頼し、私を頼ってくれて、私を支えてくれるのだから有り難いことですが・・。
今日も予約していたカウンセリング以外に急なカウンセリングが二件入って、四件のカウンセリングとなりましたし、裁判所に提出する意見書の作成とか、もちろんシェルターのお食事作りとか、家人のご飯作りとかもその合間をぬって、進めなくてはなりません。 ここ数日、久々に来談される方が何人かおられて、今日も数ヶ月ぶりに来られた方がおられました。どの方も、私との付き合いは長くて、十年とか、七年とか、長期にわたって定期的にお話を聴かせていただいてますから、そのご本人だけではなく、家族とか職場とかの状況も私は知ってて、話しが通じやすいのは事実です。 いつでも気軽に診てくれる近所のかかりつけの医者がいると安心できるように、家族にも言えない秘密も含め、様々な事を理解し一緒に考えてくれる人がいるのは、心強いものではないかと思います。ですから、私は終結という言葉はあまり用いません。人生には節目節目で大きな転換期があったり困難に遭遇したりするのは当然ですし、そんな時に安心して心預ける事のできる人でありたいと思いつつ、お話を聴かせていただいています。 そんな方達、ほんとよく辛抱されてたり、頑張っていたり・・・・やがて問題を解決したり、問題が問題でなくなったりしていく訳ですが、それに至るまで、真摯に問題に向き合っておられる態度は、私にも大きな学びや勇気をあたえてくださいます。有り難いものです。 まあ、そんなこんなですから、とっても忙しいけれど、ストレスフルではないって事でしょうか。それにしても、最近の忙しさは尋常ではないっすねえ。我ながら、よーやってるわ、と自嘲気味に笑いつつ・・・
April 8, 2013
多忙で楽しく・・・日々の仕事か遊びか
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昨日は、センターとしては二件のビジテーションと二件のカウンセリングを行いました。ビジテーションの場合は双方の当事者にこどもさんという関係がありますから、援助の枠はかなりタイトです。けれど、カウンセリングはカウンセラーとクライアントの関係なので、枠はフレキシブルに変わっていきます。セラピーをより有効にするためにはその方がよりいいようですから。
ですから、クライアントとの語りも、世間でフツーにあるような、傾聴一本のカウンセリングでは当然ないし、カウンセラーがクライアントの認知の歪みを修整すべくコントロールするようなカウンセリングでもないし・・・まさに自由で対等。もちろん社会的責任と言う意味では、厳然と立場を異にしてますが・・・。 こんな私のカウンセリング・・もちろんビジテーションもそうですが、私が楽しいのが大切、もちろんそれで利用者やクライアントも楽しいのも大切。共に喜びを分かち合う事で、生きている事、共にある事の喜びに気づき、そんな自分に対する自負・・・いわゆる自己肯定感も育ちます。 このあたり、ロジャースの言う、カウンセリングの条件とはまったく異なります。もちろん認知行動療法とも異なります。 魂のカウンセリング・・・メンズカウンセリングならではでしょうか。 ビジテーションでトランプをして楽しむ親子。スタッフも入って楽しんでましたが、スタッフは一番上がり。 クライアントに教えてもらったレンジでプリン。クライアントと一緒につくりました。 慣れない事をしたら、このとおり、失敗プリンでみんな大笑い、大喜び・・・。 夜は夜で、カウンセリングが長引いたのも、いろいろと面白い話しが出てきますからねえ。法曹界や行政職員、などなどいわゆる専門家がどれだけ力がなくて非常識か・・・なのに世間はそんな人たちに振り回されて、むしられて、騙されて・・・当事者になってはじめてわかる人もいれば、なってもわからず、騙され続けている人もいれば・・・なんて話し出したら、お互い、止まらなくてね。ほんとお喋りは楽しいです。そのクライアントさんもたっぷり話せてすっとした、とおっしゃてくださいましたので゜、私の独りよがりではなくて、ほっとしましたとさ。
April 6, 2013
直感・霊感・第六感 と ウマトラと (9)
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ユングはいろんな不思議な体験をしています。その事と、かれなりの心理学構築とは無縁とは思えません。正統派心理学からは邪道と見られる超心理学も私には魅力ある分野。というのは私自身の不思議体験もあれこれあるので、それらは既成概念では理解も説明もできない現象ばかりです。
そんな私ですから、常識的な判断を超えた理解もありだと考えていて、直感や霊感、超常現象、などいわゆるトンでも世界の話しも大好き。もちろんそれは私のカウンセリングやセラピーにも影響します。 クライアントが神を語れば私も私の神を語るし、幽霊や霊魂の話しになれば、私の体験したその手の話しも語ります。クライアントに迎合した作り話を語るのではありません。私の真実を語るのですから。 それぞれの真実の語りの中から、新しい物語りが紡がれるのですが、それは単なる妄想を超えたその人なりの真実を投影した物語りなのでしょう。 こんな私が以前から感じてるのは、私の直感というか超能力と言うか、人の感情や思考を理解する力が人並みはずれているということ。たぶんこの人は今こういう気持ちで、このように考えている・・・ということが、なんとなくわかってしまうのです。 面白く思うのは、カップルカウンセリングで会話している時にしばしばかんじることですが、それぞれが使う言葉とその意味について、私はそれぞれのズレを理解しているのですが、それぞれは違う意味で使っている事に気づいていなくて、対話を重ねるたびにどんどんズレがひどくなって行くと言う事。 そんなとき、私は言葉の意味を修正しつつ通訳して行く訳ですが、なんで私にそれができるのか、それは、その人の言葉と感情を深い所で私が理解しているからだろうと思います。 このあたりの事は、一般的な心理学の教科書では理解できるものではありませんし、エライセンセの話しを聴いたからってわかるものではありません。けれど、私が何故そうなのか、それは私にも理解できません。けれど、ユングとおなじように、私の不思議体験と私のそんな能力はどこかで関係しているのだろうと思います。そのことと、私が常々考える量子的な理解と、これもどこかで繋がっているように思えてなりません。いずれにしても、近代合理主義的な判断では理解し得ない認知や理解の有り様です。 そうそう、最近つらつら思う事・・・フラッシュバックやトラウマ・・・・等の概念はもうすでにたいていの人は理解していると思うけれど、それらの反対の意味を表す言葉ってないよねぇってこと。少なくとも私はしりません。誰か知ってたら教えてくださいね。 心の傷とか爆弾とかでなく、まったく逆の現象、刺激すると快感や安心に満たされる心のツボ。便宜上私はそれをウマトラと造語してみるけれど、セラピーの中ではトラウマをほじくりかえすだけではなくて、似たような状況の中で、痛みや恐怖ではなくて、快感と安心を感じる再体験を繰り返す事で、トラウマをウマトラに変えて行くことが可能です。 そのためには、セラピストがまったく新しい価値観や方法で、クライアントの再体験を共有する必要があります。その際に役に立つのが常識を超えた、価値観、いわゆるあちらの世界です。 それらを昔からやってるのが宗教だとも言えます。けれども宗教は容易に新しい縛りの枠に成り果ててしまいます。また占いもそのひとつかもしれません。シャーマンやイタコもその作業をしているとも言えるかもしれません。 私は宗教でもなく、イタコやシャーマンでもなく、セラピーとしてそれをやっているようです。トラウマをウマトラに(笑)
April 5, 2013
パラドックスに合理有り・・・野に咲く花 (3)
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今朝も満開の桜咲く疎水べりを走りました。先日の大文字山ナイトハイクの疲れが残ってて、若干筋力が落ちてて、スピードはちょースロー。無理せずのんびりお花の写真を撮りながら、一応12キロは走りました。
コブシも満開、賑やかに咲いてます。 大島桜も満開。 後数日で満開になる常磐マンサク 潅水を待つ稲田 ムスカリ 野生種のすみれ 大輪のすみれ ハナニラ・・・噛めば確かにニラの風味です。 野草と言えば、タンポポですかねえ。これは西洋タンポポです。 とてもポピュラーだけれどあまり知られていない野草、踊り子草。小さな花が踊り子の見えるかな。 事務所のプランターの桜草、やっと本格的に咲き始めました。 事務室にはブライダルベルが咲き始めました。オキザリスは花が終わってアリマキが大発生。ほっておいたら二週間ほどでアリマキを捕食するクモが現れました。特に窓もあけてないのに、アリマキが増えたりどこからともなくクモが現れたり、ほんと自然は不思議です。 自然の中で生き抜いてる野生の花は、園芸種ほどはあでやかではないけれど、それなりに美しく風情もあり、自己主張もあるように感じる私。なんとなくシンパシーを感じるのは私も野にありて語る者だからでしょうか。 そうそう、今日のお題の「パラドックスに合理有り」は以前にも書いたけれど、数ヶ月前の日経サイエンスの表紙にあったタイトル。古典的な合理主義では論理矛盾になるパラドックスも量子的には合理的な結論になるというもの。 私もこのサイエンス以前から、カウンセリングの中でそれを実感していて、合理的な判断が必ずしもいい結果を導かず、むしろパラドックスの状況がいい結果を導くというもの。 今日もカウンセリングで生きていけないからどうやって死ぬかという話しになりました。合理的にはカウンセラーとしては本人が死を選ぶ事はある意味敗北であり、無力の証しなのかもしれません。ですから、クライアントが死なないような働き掛けをしたくなるのでしょう。これは合理的な判断です。 けれど、合理的な判断でクライアントが死ぬのを防げるかと言えば・・・あまり期待はできません。死ぬ時は死ぬのです。私はそれなら、死の誘惑に至る体験や思いに共感し、より良い死のあり方に関しての物語りを共有していきます。 死に関して分かち合う事で、共感し共有する事で、安心と喜びが産まれます。その安心や喜びを実感している今は死が不要になります。死んではいけないと言えば死ぬしか無くなり、死ぬしかないよねと言えば死ななくて済む、このパラドックス。人の心は量子的です。 死ぬ事と生きる事とは実は命の裏表。どちらかだけの存在と見るのが普通だけれど、量子的にはどちらも同時に存在しています。 けれど、死をクライアントと共有するカウンセラーは危険と世間からは避難されるでしょうし、それがわかってるから多くのカウンセラーは死んではいけない、というのでしょう。カウンセラーの保身です。 私はすでに世間では(冤罪)セクハラカウンセラーです。世間は私を排除することはあっても守る事はありません。ならば世間に非難されてもちっともかまわない、だから安心してクライアントと自殺についても語り合えます。だから私にリアルに繋がっているクライアントは死ぬことはなく、回復していくのでしょう。パラドックスに合理有り、でしょうねえ。
April 4, 2013
電話相談と窓口電話と (4)
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援助施設として電話を開設していますが、これは援助業務の紹介、連絡などに使うもので、相談電話ではありません。また、電話を開設維持するための費用も行政のようにどこかから予算として下りてくる訳ではありません。
もちろん、スタンバイしたり対応したりするスタッフの人件費も然り、だれからも手当はありません。ですから、電話を受けるにしても、その目的は窓口対応とはっきりしています。 けれど、かけてくる人には、こちらが行政だか民間だか、窓口電話か相談電話か、わからずにあるいは関わりなく、かけてこられる人も少なくありません。 もちろんそれはそれでかまわないし、かけてこられた方に必要であればそのあたりを説明し、援助内容そのものに関わる事であれば、相談スタッフが時間を設定して、相談専門の回線にかけてもらうようにしています。その際は、有料の援助業務として、聴かせて頂く事になります。 たいていの方はこの対応で問題はおこらないのですが、まれに、こちらの説明に納得できず、いつまでもはっきりしない電話を続けようとされたり、何度も電話してきて、毎回同じ質問をして対応について説教したり、批判したり、いわゆるクレーマーのような方もおられます。 今日もそんな電話が何件かありました。無料相談電話として開設しているならそれでも問題はないのですが、無料相談の電話ではありませんので、業務妨害になってしまいます。と言う訳で、先方の語りには応えず、迷惑対応させて頂きました。 世間には無料の相談電話はいくつもありますから、そちらを利用してくださればと思いますし、その旨アナウンスはしているのですが・・・。 私にあるいはセンターに言いたい事があるなら、直接来談するか、講座やイベントに参加して対話の時間を確保すればいいだけの事ですしねえ。とはいうものの、相手が非通知でこちらをコントロールしようとするコーラーに対して、受容的に聴くことは先述のとおり不可能なので、迷惑対応させて頂きましたが、これもある意味パワーコントロールであって、あまり好きなやり方ではありません。 まあ、もやもやした気持ちはのこりましたが・・・さて、これから晩ご飯を作りますか・・・夜は依存症当事者のセルフヘルプミーティング「フリークス」だし。・・・・すっきりしよっと。
April 3, 2013
日々の楽しみとセラピーと (8)
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今朝はうっかりしててカウンセリングに遅刻・・やばっ。幸い10分ほどの遅刻ですみましたが・・・😰お詫びの印と言う訳でもないけれど、昨日のアップルパイを一緒に食べていただきました。やっぱり手作りアップルパイはうまいー、自画自賛。
その後は、お散歩セラピーとして疎水べりをお散歩・・いろいろお花が楽しめました。桜は満開です。 うっすらピンクのタムシバ 咲き始めたハナスオウ 小ぶりのヤマツツジ 石南花(しゃくなげ) つばき しだれ桜 ほんとこの季節、公園にも民家の庭先にも花が多くて、とても心和みます。お散歩セラピーといいつつ、私もしっかり風景を楽しませて頂いてますが、一方的な癒す、癒される関係ではなく、喜びや楽しみを共有する事で、共に癒され、ともに成長しあえる関係であることが、私にとっても嬉しく有り難い事です。 でお散歩で摘んできたヨモギの若葉でパスタを作りましたが、これもなかなかおいしく頂く事ができました。ほんとお金はかからないけれど、とても楽しめたお散歩セラピーでした。 よもぎ よもぎとベーコンのパスタ
April 2, 2013
アップルパイ
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今日はカウンセリングが一件あったきりで、特に急ぎの仕事がなかったので(急ぎじゃないのはいくつか仕事がたまってるけれど・・・)アップルパイを焼きました。
以前、りんごが見切り品に出てたので、思わず買っちゃいましたが、そのリンゴもしばらく置いてると、傷んできそうだったんで、とりあえずコンポートにしておきました。が、それもしばらく冷蔵庫で眠ってたので、そろそろなんとかしなくちゃ・・とのことで、本日のパイ作りになったと言う訳。 パイ生地は即席法で比較的簡単に作ります。といっても、かなりの手間ひまはかかるし、ある程度の熟練は必要です。慣れればどうってことはないのですが・・・。 パイ生地はバターと小麦生地とが薄い層になって何層にも重なるものを言いますが、バターと小麦生地が同じ硬さにならないと、均一の層にはなりません。と言う訳で、夏場ではバターが柔らかくなりすぎて生地としては作り辛くなります。 ですから、パイは冬のお菓子と言えなくもないです。私もパイ作りは秋から春にかけての期間に作ります。とはいうものの、この冬はパイ生地は作ってないように思います・・・。今日がはじめてのパイ生地作りだったかもしれません。 今日はまだ食べてないので、味はどうだかわかりませんが・・・一応、膨らんでいる事は間違いありません。・・・ そうそう、夜も時間があったし、いいテレビ番組もないので、DVDをみました。99年の「ザ・ハリケーン」です。デンゼルワシントンがまだかなり若さを感じさせていましたが、冤罪で二十数年を投獄されて再審が認められて無罪になった天才ボクサーの実話に基づくドラマです。 彼だけではないけれど、日本でも冤罪が認められて無罪になるケースが時々報道されますが、冤罪を作り出した裁判官は処罰がないのが不思議と言えば不思議です。疑わしきは被告人の利益に、と言う原則にもかかわらず冤罪を作ったものの責任はどうなるのでしょう。 何年もの投獄や死刑判決等の場合、冤罪と証明されても命や時間は取り替えしようがありません。その激しい人権侵害を行ったものが責任を取らなくていいのはねぇ・・・どうも腑に落ちない私です。 私自身の場合でも、たかが五十万という損害賠償命令ですが、私に着せられたセクハラカウンセラーという汚名は消える事はありません。変遷する曖昧な原告側の偽証を根拠にし、私のアリバイのカウンセリング記録を無視しての判決です。こんなバカな判決はどう見ても、政治的な判断か恣意的な判断としか考えられません。 私はそんな正義を投げ捨てた判決をだした織田某や、セクハラをねつ造して提訴した原告田中、原告にあおられて偽証した伊藤、島田、大澤、などの行為を許しません。ほんと妄想からくる一時のお粗末な正義感にあおられての提訴、偽証でしょう、援助者としては哀れと言えば哀れです。 しかしながら、私は投獄された訳でもないし、命奪われた訳でもありません。ハリケーンの苦悩に比べればお笑いのようなものだし、事実私はあの訴訟で失ったものより得たものが多いと実感するのも事実です。 あの事実は私の汚点ではありませんし、冤罪セクハラカウンセラーとして堂々と歩いていく事に何のためらいもやましさもありません。どんな事があっても自身の生き様や援助についてぶれる事も揺らぐ事もないという、信念を表明できたいい体験でしょう。実際カウンセリング依頼も少しずつ増えています。 クライアントの安全より世間を気にして保身に走る援助者ではなく、世間がどう批判しようがクライアントを守るためにリスクを引き受けてもかまわないと言う私のスタンスは、冤罪セクハラカウンセラーの汚名?でより強固になっているのかもしれません。面白い現実です。まさか提訴した原告はこんな結果になるなんて、想像もできなかったでしょうけれど。 そうそう、ハリケーンが最後まで絶望せずに獄中で正義を叫び続けられたのも、自身を貶めた権力者や人種差別に対する怒りの感情、さらに彼のために自身の生活をなげうった援助者仲間との信頼、そして何より、誰にも縛られない魂の自由や尊厳があればこそでしょう。彼とは比べられないけれど、私も誰にも奪えない魂の自由は失っちゃいけないなぁ、と感じた映画でした。
April 1, 2013
アホアホ、ナイトハイクは大文字山
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私の無謀で後先考えない無茶な暗闇登山のアホアホ提案に、なんと四人のおじさんたちが名乗りをあげました。みなさん翌朝は早出だというのにぃ。
今回は二回目。前回はシェルター退出の卒検としてセラピーを兼ねての暗闇登山でしたし、今回も卒検で位置づけて言い出した訳ですが、肝心の卒業生は都合で参加できず・・・卒業は保留、仮卒としておきましょう(笑) せっかくの提案なので、卒業生不在でもやろうと言う事で声かけしたら、無謀無茶にも恐れを知らないおじさんたちが元気よく参加してきたと言う訳。 事務所で晩ご飯のカレーライスで腹ごしらえしたあと8時半ころ事務所を出発し、疎水べりをしばらく歩いて天智天皇陵近くから山に入ります。 疎水べりの満開のコブシ。 大文字山は466メートルなのでさほど高い山ではないけれど、400メートルを一気に登るのはけっこうハードです。少しペースをあげてみたけれど、みなさんしっかりついてきます。私の筋力が落ちたんでしょうねえ、やばいっす。 山科盆地の夜景 大文字火床からの京都市街夜景 闇夜で笑うおじさんたち・・ほんとは若い人もいるけどね。 火床から銀閣寺に下りて、哲学の道を歩き、南禅寺を抜け、蹴上げのインクラインを見学して、三条通りを山科にむけて歩きます。 事務所に着いたのは丁度一時。四時間半かかりましたが、火床の記念撮影やら、帰り道のコンビニでアイス食ったりして、三十分以上休んでいるので、歩いたのは実質四時間弱と言う所でしょうか。それにしてもけっこう足腰が疲れているのは、やっぱ歳のせいでしょかねえ・・・いえいえ、単に運動不足と思います。これからもしっかり鍛えるとしましょう。 参加されたみなさんお疲れさまー。今夜はぐっすりお休みくださいねー。明日朝は頑張って起きてくださいよー♪ │<< 前のページへ │次のページへ >> │一覧 │最新 │一番上に戻る│ |
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