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苦手なりの受験英語:スペースアルク
 

2009年2月 2日

高校の英語の授業を英語でしたら…(2)

高校の英語の授業を英語でしたら…
「高校の英語の授業を英語でしたら」の続きです。


今日は「現場を知らぬ偉い人の妄想(ファンタジー)」を紹介します。


今、日本で「高校の英語の授業を英語でしよう」としている偉い方は、たぶん崇高な理想、ちがった、幼稚園レベルの妄想を持っていると思います。
概ね↓こんな考えをお持ちなのではないでしょうか?


・日常レベルで英語が普通に普及している国は、高等学校で普通に英語で英語の授業がなされている。
・つまり高等学校の英語の授業が英語でできるレベルでなければ、英語が普及しているとは言えないではないか!
・中学ならばともかく、高校になったら英語で授業ができるはずである!
・実際そのようにしている高校は既にある。つまり可能である。
・英語の授業なのに、英語で行われないのはそもそも変ではないか!
・英語の普及のため、高等学校で普通に英語で英語の授業がなされるべきである!


ま、こんな感じじゃないですかね?


いやあもう、素敵な妄想(ファンタジー)をありがとうございます…という感じです。
きっと、太平洋戦争の開戦決定もこんな感じで決まって実行されたんでしょうな~と思いました。
大戦前、日本の参謀本部の「現場を知らぬ偉い方々」の考え


 日本ならアメリカと戦っても勝てるはず、という過信、いや「思い込み(信念)」があった。
 だったら戦うべきだ、開戦やむなし!
 アメリカの非道を正すべし!


という結論になったような素地があったはずです。
その結果はどうなりましたかね? どれだけの若い命が失われて、かつ、負けたのでしょうか?


これも同じじゃないですかね?
つまり、文部科学省にいる「現場を知らぬ偉い方々」の発想は


 今の日本なら高等学校の英語の授業が英語でできるレベル、という過信、いや「思い込み(信念)」がある。  
 だったら、そうすべきだ! 英語の授業が英語ですべきだ!
 もっと日本で英語を普及させるべし!


って感じじゃないですかね? (邪推ですけどね)
結果はどうなるでしょうね…


もっとも、彼らにもし↑このことを問い正すと、彼らは↓こんな感じなことを言うと思います。


「過信だと? そんなことはない! 十分できる!」
「実際、そうしている高校もある。それに英語で英語の授業なんて英会話学校では普通にしていることではないか!
「だったら、できないほうがおかしいではないか!」


概ね↑こんな感じじゃないですかね? どうでしょう? そこの偉い人? 違いますかね~?
私に言わせれば、ここに大きな「状況判断ミス」があると思います。これは、太平洋戦争における日本の参謀本部の「現場を知らぬ偉い方々」が抱いた「状況判断ミス」と同質だともいます。
当時の状況判断を正しく行えば、日本はアメリカと戦ったら必ず負けるのは分かりきっているはずでした。
ところが偉い方の
「勝てるはずだ」という「思い込み」
が、状況判断を狂わせ、開戦に踏み切り、日本は負けたのです。


高校の英語の授業を英語でしようとするもくろみ」も同じだと思います。
現在の状況判断を正しく行えば、高校の英語の授業を英語でしたら、より英語が普及しないと思います。
しかし偉い方の
「できるはずだ・その結果普及するはずだ」という「思い込み」
が、状況判断を狂わせ、高校の英語の授業を英語でしようとしているのだと私は思います。


日本は、偉い人の状況判断のミスの所為で戦争に負けたのです。


次回は「偉い人の状況判断の甘さ」について書く予定です。
次回は木曜日です。


(↓目次はこちら)
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Comments

中学で和訳例を配るのは金沢でも広く行われています。ひどいのは、あまりにも翻訳調なので、なぜそんな訳になるのか、というプロセスが全く見えないようなものばかりです。中学の教科書は、巻末に単語リストがついていて、中3の教科書には一年生の分までさかのぼって全部載っています。それだけでも、生徒が覚える努力をしなくなるので問題だと思うのですが、訳まで与えてしまったら、考える作業が全く必要なくなってしまいます。その延長が高校なのでしょう。自ら論理的に文構造を理解するというプロセスがどこにもないですね。実は自力で考えて訳を書かせるという課題が嫌になって、塾を止めてしまった子がいます。本人にも親にも、「自ら考えるプロセスを放棄したら大学受験は無理です」と愛のムチを込めて諭したのですが、ダメでしたね。どれだけ文構造の捉え方を説明しても、それを応用しようと努力しないのでは、教えていても無意味です。小学校から英語を始めても、英語教育は進歩するどころか、退化する一方ですね。

>清水恭宏さん
今年高1になった姪の中学も和訳例は配られていたそうです。構造が書いてあるプリントを渡すのも、そうしないと大半の生徒が授業を受けようとしてくれないからだと思います。これだと構造を把握できる力はつかないと思います。学校の英語教育は「英語を勉強している振り・分かっている振り」をさせるのに役立つようにどんどん変わっていると思います。コミュニケーション(意志伝達)能力をつけさせるのを目標にしているはずですが、より意志が伝わらないように変質しているように思います。

中学においても、高校においても先生方は大きな勘違いをしている気がしてなりません。生徒に安易に和訳を配布しているのです。私にはその意味が全く理解できません。それが恒常化した結果、自らの力で文構造を把握して読もうという努力を生徒が全くしなくなり、全く受身の姿勢になっています。ある学校では、教科書の本文の「単語の意味リスト」「フレーズリーディングにおける意味の区切りを予め書いてあるプリント」を先渡ししています。おまけに各文の主語と動詞までそこにはしるしてあります。皮肉なのは、そういった授業を受けている生徒ほど模試の点数はよくありません。なぜなら、分かったつもりのままで、読解力がついていないからです。算数で1+1=2だよと、答えを最初から教えるのと同じではないでしょうか。最近、その傾向がますます強まっています。「生徒の学力が落ちている」「生徒が予習しない」からと先生は言うのでしょうが、最初から妥協して何の解決になるのでしょうか。教育哲学そのものを疑ってしまいます。とても、「英語で英語の授業をする」なんて絵にかいた餅です。

>清水恭宏さん

「英語で英語を授業する」ために外国人教師を1500人増員するとしか考えようがないですね。偉い方々の辞書には「思い込み」とか「先入観」という文字で埋め尽くされていると思います。そして分析とか反省と言った文字がないのだと思います。責任も全くないでしょうね。。
 苦手な人ほど和訳練習が必要だと思います。「英語で英語を授業する」ことになれば、和訳の練習が薄れることになりそうです。もしそうなったら英語が分からない生徒が今の3倍ぐらいに増えて、したがって英語嫌いは今の3倍ぐらいになると思います。
 清水恭宏さんは苦手な人に適切な指導をなさったと思います。

自民党の議席を盾にした暴走が止まらないですね。今朝のニュースで外国人教師を1500人増員するという計画があるとのこと。「英語で英語を授業する」ためでしょうが、ここにも今までの英語教育政策に対する反省が全くないですね。JETプログラムで日本全国に外国人教師は既にいますが、彼らは英語教育の質の向上には全く貢献していません。なぜなら、大学を出たばかりで、英語教育はおろか、社会人としての経験も無い、右も左も分からないレベルの教師がほとんどだからです。1500人の根拠も不明だし、100%の確率で税金の無駄使いになるでしょう。「ネイティブ講師=まともな英語教師」という思い込みにはあきれますね。

私が指導している高校生で、英語が苦手な子がいるのですが、最近和訳の宿題を出して提出を求めると、すごく嫌がります。MOUTHBIRDさんのおっしゃるとうりです。頭を悩ませています。去年も同様の子を教えていました。その子は国語も苦手でしたが、和訳の課題をきちんとこなし続けました。その結果、2年生のはじめ模試で200点中70点だったものが、センター本番では154点に上がりました。

彼女はALL ENGLISHでの授業方法を研究する文科省の研究指定校へ通っていたので、入学時から地獄でした。もし、僕が指導していなかったら、彼女の人生は大きくくるっていたでしょう。小学校の英語教育導入にはじまり、役人のやっていることは英語難民を増やしているだけです。これが、もっと増えると思うとぞっとします。

>清水恭宏さん
大学生がオールイングリッシュで不可能なのですから、高校生ならなおのこと難しいはずです。大学の教材が中学英語なら、高等学校の英語教育はどうなっているでしょうね。というか、今年から某公立高校の1年の姪を教えていますが、アルファベットを書くところから始まっています。もちろんその次で、be動詞と一般動詞、三単現のS、と続きます。中学校の最初の学習が身についていないわけです。

国語力の低下も英語力の低下につながっているのかもしれません。
大津由紀雄先生いいいですね~現場を知っていらっしゃると思います。(昨年引退されたはず) 頼みごとで1度研究室にメールを出したことがあります。返事はなかったですけど。

英語が苦手な人は、和訳練習が絶対に必要だと思います。英語の苦手な人ほど必要なのですが、苦手な人ほどやりたがらない傾向があります。だから、そのままなら苦手な人はいつまでたっても苦手なまま。まして、英語で英語の授業になったら、、、、どうなるんでしょうかね…。

ある地元の私立大学で今年から教えることになった、知人のオーストラリア人の先生と先日話していたところ、大学側からは「ALL ENGLISH」でお願いされたらしいですが、最初の授業を始めてすぐ、それは不可能だと悟り、日本語を使いことにしたそうです。生徒の反応が、「ええ(驚)全部英語でするの?」といった感じで、パニック状態だったらしいです。そもそも中学レベルの文法もきちんと理解していないレベルの子が集まっているのですから、当然だと思いますが。

英語教材関係の方とお話すると、一番大学で売れるのはREMEDIAL TEXTBOOKSだそうです。「やり直し教材」と言うよりは響きはましですが、まさに中学英語の基礎から学び直すという趣旨のものです。「英語の授業を英語で」やるということになると、こういった教材はますます売れるのでしょうね。洋書の全部英語で書いているテキストは本当に売れない、と嘆いています。

今中学生も教えているのですが、とにかく日本語がひどい状態です。SUNSHINEという教科書を使っているのですが、巻末のREADING教材の下に単語の意味が載っています。GIVE AND TAKE 「相互補助」と書いてあるのを「あいごほじょ」と読むありさまです。

私は、中学生・高校生には和訳を徹底的にさせる方針にしています。なぜなら、そうしないと国語力も崩壊していくからです。意味のまとまりごとに、英語の語順どうりに頭から読んでいくフレーズリーディングだけを行っても、日本語の助詞の使い方がいい加減なので、きちんとした日本語訳を最終的に書かてみないと、英文の内容が理解できない子が沢山いるからです。

日本語を使って授業してもこういった現状です。英会話ごっこする暇があったら国語の作文の時間に使ってほしい、というのが正直なところです。

最近「危機に立つ日本の英語教育」という本を読みました。慶応の大津由紀雄先生が編集しているのですが、現実をきちんと見据えた議論がなされていて、納得できます。もちろん高校の新学習指導要領にも反対の立場で触れています。

>清水恭宏さん
鳥飼さんのご意見提示ありがとうございます。鳥飼さんのおっしゃるとおり、と思いました。

>「英語を話せるだけのネイティブ」を税金でALTとして雇って、学校で英会話ごっこレベルのことをやっても効果は全く上がっていない。
概ねおっしゃるとおりだと思います。問題はまさにここだと思います。偉い人はここを「失敗」と認めないのです。失敗と認めると自分の判断で大人数に大迷惑をかけたことになるからです。したがって、今後も大人数に大迷惑をかけ続けることになります。いい加減にして欲しいですが、改善はされないでしょう。偉い人たちは「失敗」と認めませんから。

>英語漬けの教育を行っている大学として、秋田教養大学という所があります。カリキュラムが厳しいので4年間で卒業できる生徒は少ないそうです。
そんな大学があるのですね。そこに行こうと思う人は英語が好きな人ばかりではないでしょうか? 私なら死んでも行かないですね。 ●「英語好きばかりがいる大学」で「英語漬け」で「4年間で卒業できる生徒は少ない」
これが現実だと思います。
>富山県に公立の富山外国語専門学校というスクールがあります。高校時代は、国立大学に入学できる学力が無い生徒も沢山いますが、2年間で英検準一級の取得を目指し、大学へ編入する
これも、ここを希望する人に英語嫌いはいないと思います。英語好きの人たちが英語ばかりやって2年間で英検準一級…これが現実だと思います。

 ●英語好きが集まる大学や専門学校ではなく、「英語嫌いも沢山いる普通の高校」で「英語の授業は英語のみ」…まともにやって3年で卒業できるんでしょうか? しかし普通は無理にでも卒業させるでしょうから、習熟率は推して知るべしだと思います。今より悪くなる、というのが私の予測です。

 これで本当に英語は普及するんでしょうか?
私は普及させたくないので、その意味では願ったりかなったりです。ですが、英語で授業をやらされる英語嫌いの生徒が不憫でなりません。

-コミュニケーション重視か文法・訳読重視か。鳥飼さんはどちらの立場ですか。
鳥飼さんの話ができてきたので、あるインタビュー記事の彼女のコメントを引用したいと思います。

(鳥飼)「どちらも正しいんです。『コミュニケーションが大事』というのも『読み書きを重視しないとだめ』というのもその通りです。ですがいまの子どもたちはどちらもできなくなっている。もう論争はやめて、両方出来るような、しかも日本人の特性に合った、最大限の効果を出すような教育方法をみなさんで考えませんか、と言いたいですね。ある程度の基礎力を身につけたら学校教育としては使命を果たしたと思っていいのでは。あとは本人の努力です。」

最後の、ある程度の基礎力を身につけたら学校教育の使命は終わりであとは本人の努力です、という部分が大切なんだと思います。現状は、「英語を話せるだけのネイティブ」を税金でALTとして雇って、学校で英会話ごっこレベルのことをやっても効果は全く上がっていない。プラス、高校生でも3単現のSのルールが定着しないほど、読み書きのレベルも落ちている。現実的に英語を英語で授業するのは、それを自ら求める生徒を少数精鋭で大学レベルでやれば良いだけの話だと思います。鳥飼さんの真意はそこにあるのでは?と思います。

英語漬けの教育を行っている大学として、秋田教養大学という所があります。カリキュラムが厳しいので4年間で卒業できる生徒は少ないそうです。でも就職率が抜群だそうです。富山県に公立の富山外国語専門学校というスクールがあります。高校時代は、国立大学に入学できる学力が無い生徒も沢山いますが、2年間で英検準一級の取得を目指し、大学へ編入する子も沢山います。つまり、英語を英語で、という授業は高校卒業後からでも十分に間に合うし、高校の役割は将来の進路選択に対応できる基礎力の養成で良いのです。

この議論はもっと多くの方とやってみたいですね。

>清水恭宏さん
そういや、鳥飼さんは、小学校英語反対派でしたね。高校での英語のみの英語授業にも反対していらっしゃるとは知りませんでした。> その知識と努力の蓄積は全く水の泡になってしまいました。
これはすさまじくひどい問題ですね。え? 英語素人の小学校の先生が今の中学1年次ぐらいの英語を教えるの? 不安だらけですねえ(私の知人で、英語が苦手で大嫌いな小学校教師がいます。彼はどうなるんだろう?)
基本は教師のサボタージュが有効なのかもしれない、と思うようになりました。少なくとも英語は日本語で教えるべきだと思います。大勢の日本人にとっては。

小学校での英語教育導入にしろ、高校の英語教育にしろ、アドバルーンを掲げている人たちは英語教育の素人か、自分が英語が話せないコンプレックスのかたまりのような人ばかりだと思います。逆に慎重論(反対論)を唱えている人の中には、鳥飼玖美子さんのような英語の達人が多いというのは何を意味しているのでしょうか。英語が本当にできる人ほど語学学習の大変さが分かっているということではないでしょうか。だから、非現実的な文科省の英語政策に異を唱えるのです。役人って本当に勝手ですね。民間なら結果が出せなければ責任を問われて首になるのですが、「言うだけ番長」で高給を稼ぐ税金泥棒ですから。私はかつて金沢市の文科省英語研究開発指定校の小学校で4年間講師をしていました。小学校の発達段階に合ったカリキュラムを必死で先生方は模索していました。私はそれを支持していました。しかし、金沢市が文科省の英語教育特区に指定されると、その知識と努力の蓄積は全く水の泡になってしまいました。なんと、単純に中学校の教科書を前倒しするという短絡的な発想に行き着いてしまったからです。それなら小学校から英語をする必要な全くありません。英語素人の小学校の先生が教えれば、英語嫌いを大量に作るだけです。財源、実効性、カリキュラム、教員指導カリキュラム =これらのシュミレーションが全くできていない、これが日本の英語教育の現実です。皮肉にも文科省がナンセンスなことをすればするほど、私たちは忙しくなりますね。複雑な気持ちになってしまいます。

>清水恭宏さん
お書きになったコメントが英会話スクールの方の御意見、というところが素晴らしいと思います。
現状の把握分析ありがとうございます。概ねそのとおりであると私も思います。
(大変たくさん書いてくださった割に少なめのお返事になります。申し訳ありません)

<問題の構造>は↓こうなっていると思います。
(1)「~が当然」「~が良いに決まってる」
という発想で、お偉方が方針を決める
(2)●現場は「ちっとも良くない」ことを体感する
(3)あきらかな「失敗」と認める【指標】がないので、お偉方は絶対に「失敗」とは認めない。
(4)●現場は苦しみまくる
(5)お偉方は苦しまない。むしろ「ある程度の成果はあった」とあたかも「成功であった」かの如く誇る。成功なんだから責任を取る訳がない。

別に英語教育に限らず、「あらゆる面」でこのような変遷をたどっていると思います。


「英語での英語の授業」は、まず「高校によって」ばらつく、と思っています。英語で英語の授業をするところもあれば、無視するところも出てくる。その後、このシステムがどうなるか私には予測がつきません。

ただ、「英語が嫌いになる生徒がまずます増加することだけは確か」だと思います。何言ってるかわかりませんから。

今週のコメントもなかなか痛烈ですね。全く同感です。政治家や官僚の世界には無責任体質がはびこっています。「ゆとり教育」がまさに良い例でしょう。教科書は今年から厚くなりました。でも、「ゆとり教育」は間違いだったとは誰も認めようとしません。総括も反省もない中でコロコロ政策を変えても、生徒も先生も振り回されるだけです。高校も英語教育もきっと同じ結論になるのでしょう。90%以上の確率で失敗するが、誰も責任を取らない。英語を英語で教えるのは当然だというような議論において欠落している視点が多くあります。

1.オランダや北欧など、英語と同じ言語ファミリーに属している国の英語教育と比較しても全く参考になりません。そういった国では英語を英語で教えるのはたやすいはずです。

2.日常レベルで英語が普及している国では、英語が英語で教授されている。逆に言うと、これらの国は自らの国語(多言語社会なので)だけで国が統治できない、もしくはかつて植民地だったからそうしているのであって、誇れるべき状況ではないのです。私たちは日本語に誇りを持つべきなのですが、政治家も含めあまりにも不必要なカタカナの乱発が目立ちます。きっと英語コンプレックスの裏返しなのでしょう。

3.「日本人は読み書きはできるが」話せないという迷信がこの政策の前提にあるようです。3単現のSが分からない生徒が多い現状が示しているように、大学を卒業しても読み書きさえもできない状況にあるという認識の欠如があります。

4.「英語を話す」ことよりも「英語で話す」という視点が全く抜けています。つまり日本語でさえ、論理的に意見が述べられない高校生に英語を英語で教えるのは論理の飛躍です。教科書に書いてある内容について、日本語で要約ができたり、意見が述べられるように、まずすべきです。この段階が本当の意味で読解と言えるのでしょう。現実はセンテンスレベルの主語、動詞の把握もできない生徒が多いので、日本語で授業したとしても三年間で、そこまで到達するのは難しい、それが現状ではないでしょうか。さもなければ、内容の無い旅行英会話レベルのものしかできないでしょう。(個人的には全く無意味なので私はそんなレッスンは今していませんが)

教育委員会の査察が無い限り、日本語で授業していても別に親は文句言わないでしょう。だって大学受験の方が大切ですから。赤信号みんなで渡れば怖くない、というようにこの場合は現場の先生方がボイコットすべきです。それが日本の英語教育の崩壊を止める唯一の方法です。

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