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2012年3月11日 (日)

東日本大震災(津波 庁舎襲った状況明らかに/命救った防災無線 全音声見つかる/避難放送の女性職員 教材に/防災無線の女性職員 遠藤未希さん 死亡確認)

津波 庁舎襲った状況明らかに

東日本大震災で、宮城県南三陸町には3階建ての防災対策庁舎を上回る巨大な津波が押し寄せ、屋上に避難した職員など40人以上が犠牲になりました。津波が町の庁舎を襲ったときの状況が、関係者への取材で初めて明らかになりました。(2012年3月10日 19時35分 NHK ニュースより)

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命救った防災無線 全音声見つかる

宮城県南三陸町で、震災発生の際、住民に避難を呼びかけ、多くの命を救った防災無線の音声が完全な形で残っていることが分かりました。
亡くなった町職員の遠藤未希さんの呼びかけがすべて収録されているほか、呼びかけがどのような判断で行われていたかをうかがわせるものとなっています。(2012年3月9日 19時21分 NHK ニュースより)

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避難放送の女性職員 教材に

埼玉県は東日本大震災が起きた際、防災無線で避難を呼びかけ続け津波の犠牲となった宮城県南三陸町職員の遠藤未希さんについて伝える独自の教材を作り、新年度から小中学校などの道徳の授業で使っていくことになりました。(1月26日 18時23分 NHK ニュースより)

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防災無線の女性職員 死亡確認

津波が町を襲うなかで、住民の命を救おうと防災無線で避難を呼びかけ続け、その後、行方が分からなくなっていた宮城県南三陸町の職員、遠藤未希さん(24)が亡くなったことが確認されました。父親は「やっと娘が見つかり、よかったという気持ちはある一方、寂しい思いが募ります」と話しています。(5月2日 15時28分 NHK ニュースより)

(下に続く)

避難呼び掛けた女性職員か 南三陸町、遺体発見

 津波被害を受けた宮城県南三陸町で、津波到達の直前まで防災放送で町民に高台への避難を呼び掛け続け、自らは行方不明となっていた同町職員遠藤未希さん(24)とみられる遺体が2日までに、同町の沖合で見つかった。母親の美恵子さん(53)によると、遺体は4月23日、捜索隊が発見。昨年7月に結婚した夫(24)がプレゼントしたミサンガが左足首に巻かれ、右肩にあざがあったことなどを、夫が遺体の写真で確認した。警察が最終的な身元確認を進めている。遠藤さんは、昨年4月に危機管理課に配属。3階建ての防災対策庁舎の2階で地震発生直後から「6mの津波が来ます。避難してください」と防災放送で何度も呼び掛けた。庁舎に残った約30人の職員のうち助かったのは10人。遠藤さんは行方不明になっていた。(2011年5月2日 11時59分 (2011年5月2日 12時52分 更新) 共同通信より)

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津波 庁舎襲った状況明らかに

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南三陸町防災対策庁舎屋上 津波が庁舎を襲う直前 身を寄せあう人たち

東日本大震災で、宮城県南三陸町には3階建ての防災対策庁舎を上回る巨大な津波が押し寄せ、屋上に避難した職員など40人以上が犠牲になりました。津波が町の庁舎を襲ったときの状況が、関係者への取材で初めて明らかになりました。

宮城県南三陸町では、震災が発生した去年3月11日、町の職員や住民などが役場に隣接する3階建ての防災対策庁舎の屋上に避難したあと、津波の犠牲になりました。
震災発生から11日で1年になるのを前に、津波が町の庁舎を襲った時の状況が、関係者への取材で初めて明らかになりました。
関係者によりますと、庁舎の屋上に避難したのは、町の職員や住民など合わせて52人で、アンテナの鉄塔の周辺や海とは反対側のフェンス沿い、それに一段高いところにあった非常階段付近の主に3つの場所に集まりました。
NHKは、津波が庁舎を襲う直前に町の職員が屋上で撮影した写真を入手しました。
写真では津波が刻一刻と迫るなか、十数人の職員や住民が屋上のアンテナの周辺に集まっている様子が捉えられています。
職員は、3階建ての庁舎の屋上でひざまで水につかりながら、住民を守るように円陣を組み、必死で支え合っていました。
この写真が撮影された直後、12メートルを超える巨大な津波が庁舎を襲い、屋上のフェンスが外れて、42人が流されました。
このうち、1人は別の建物に流れ着いて助かりましたが、41人が犠牲になりました。
津波が去ったあと、屋上に残っていたのは、非常階段にしがみついて助かった職員などわずか10人でした。
津波に詳しい東北大学大学院の今村文彦教授は「これまでは、建物の屋上のフェンスなどは、耐震性や津波に対する強度はあまり考慮されていなかった。強いフェンスなどがあれば、津波にのみ込まれても踏みとどまることができる。今回の津波を教訓に、津波が来ても何とかしがみつくことができる設備の検討などが必要ではないか」と指摘しています。(2012年3月10日 19時35分 NHK ニュースより)

>津波が去ったあと、屋上に残っていたのは、非常階段にしがみついて助かった職員などわずか10人でした。

南三陸町の町長さんは、この非常階段にしがみついて助かったようです。

>津波に詳しい東北大学大学院の今村文彦教授は「これまでは、建物の屋上のフェンスなどは、耐震性や津波に対する強度はあまり考慮されていなかった。強いフェンスなどがあれば、津波にのみ込まれても踏みとどまることができる。今回の津波を教訓に、津波が来ても何とかしがみつくことができる設備の検討などが必要ではないか」

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命救った防災無線 全音声見つかる

宮城県南三陸町で、震災発生の際、住民に避難を呼びかけ、多くの命を救った防災無線の音声が完全な形で残っていることが分かりました。
亡くなった町職員の遠藤未希さんの呼びかけがすべて収録されているほか、呼びかけがどのような判断で行われていたかをうかがわせるものとなっています。

NHKが入手した音声は、津波で職員や住民、合わせて41人が亡くなった南三陸町の防災対策庁舎から発信された、およそ30分の防災無線の放送をすべて収録したものです。
地震発生の直後から放送が始まり、サイレンに続いて、危機管理課の職員だった遠藤未希さんが「震度6弱の地震を観測しました。津波が予想されますので、高台へ避難して下さい」と呼びかけていました。
この時点で大津波警報は出ていませんでしたが、町は独自の判断で津波への警戒を呼びかけていました。
周囲にいた人の声も収録されていて、大津波警報が出たあと、津波の高さについて「最大6メートルを入れて」と指示され、未希さんは、6メートルという情報と「急いで」とか「直ちに」という言葉を呼びかけに付け加えていました。
また、周囲の「潮が引いている」という言葉に反応して「ただいま、海面に変化が見られます」と臨機応変に対応していたことも分かります。
津波を目撃したとみられる職員の緊迫した声のあと、未希さんの呼びかけは「津波が襲来しています」という表現に変わっていましたが、高さについては「最大で6メートル」という表現が続き、最後の4回だけ「10メートル」に変わっていました。
当時、未希さんたちと一緒に放送を出していた佐藤智係長は「水門の高さが5.5メートルあり、防災対策庁舎の高さも12メートルあったので、6メートルならば庁舎を越えるような津波は来ないと思っていた」と話しています。
音声は、なおも放送を続けようとする未希さんの声を遮るように「上へあがっぺ、未希ちゃん、あがっぺ」という周囲の制止のことばで終わっていました。
呼びかけは62回で、このうち18回は課長補佐の三浦毅さんが行っていました。
男性の声でも呼びかけて、緊張感を持ってもらおうとしたということです。
三浦さんは今も行方が分かっていません。
この音声を初めて聞いた未希さんの母親の遠藤美恵子さんは「この放送を聞いて、本当に頑張ったんだと分かりました。親として子どもを守ってあげられなかったけど、私たちが未希に守られて、本当にご苦労さまというしかないです」と話していました。(2012年3月9日 19時21分 NHK ニュースより)

>周囲の「潮が引いている」という言葉に反応して「ただいま、海面に変化が見られます」と臨機応変に対応していたことも分かります

>最後の4回だけ「10メートル」に変わっていました

NHK ニュースによるとこの時、彼女は「10メートル」という言葉に詰まったという。

遠藤さんは、やはり、身の危険を感じながら、呼びかけていたのだと思う。

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避難放送の女性職員 教材に

埼玉県は東日本大震災が起きた際、防災無線で避難を呼びかけ続け津波の犠牲となった宮城県南三陸町職員の遠藤未希さんについて伝える独自の教材を作り、新年度から小中学校などの道徳の授業で使っていくことになりました。

南三陸町危機管理課の職員だった遠藤未希さん(当時24歳)は、東日本大震災が起きた際、役場にとどまって防災無線で住民に避難を呼びかけ続け、津波の犠牲となりました。これについて埼玉県は、東日本大震災にまつわるエピソードをまとめた独自の教材の中に、遠藤さんを紹介する文章を載せ、新年度から県内の小中学校や高校などの道徳の授業で使っていくことになりました。この文章は「天使の声」という題名で、震災の発生から、遠藤さんが防災無線で避難を呼びかける場面を経て、遠藤さんの葬儀が営まれるまでが描かれています。この中では、難を逃れた町民が「あのときの女性の声で無我夢中で高台に逃げた」と涙ながらに遠藤さんの遺影に手を合わせたというエピソードも紹介されています。県教育局生徒指導課の浅見哲也さんは「町職員としての使命を全うした遠藤さんを通じて、子どもたちに人を思いやる心を育んでほしい」と話していました。遠藤未希さんの父親の清喜さんは「時間が経過するなかで、亡くなった娘の存在はどうしても遠くなってしまいます。まだ、教材の詳細を把握しているわけではありませんが、取り上げられることで、娘が生きてきた証しになると思います」と話していました。(1月26日 18時23分 NHK ニュースより)

私が遠藤さんなら多分逃げてたと思う。
災害はこわい。私はそれを知っている。

彼女は、押し寄せる津波を目視し、一方では逃げ惑う人々を見て、そして自分が死ぬかも知れないことを認識しつつ、ひとりでも多くの人を救うために最後まで避難を呼びかけたのだと思う。

遠藤さんは自分が死ぬかも知れないことを認識していたと思う。なぜなら、2009年の私の家の火事の際、煙の中から命からがら脱出した私の父(当時80才)からその時の父の話を聞くと、人間は直感的にみずからの死の危険を知る本能を持つと思えるからだ。

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防災無線の女性職員 死亡確認

津波が町を襲うなかで、住民の命を救おうと防災無線で避難を呼びかけ続け、その後、行方が分からなくなっていた宮城県南三陸町の職員、遠藤未希さん(24)が亡くなったことが確認されました。父親は「やっと娘が見つかり、よかったという気持ちはある一方、寂しい思いが募ります」と話しています。

宮城県南三陸町の危機管理課の職員、遠藤未希さんは、東日本大震災の当日、役場の防災無線を使い、押し寄せる津波から避難するよう何度も住民に呼びかけました。この呼びかけを聞いた多くの住民が命を救われる一方、役場自体が津波にのみ込まれる大きな被害を受けて遠藤さんの行方は分からなくなり、家族などが捜し続けていました。父親の清喜さんによりますと、先月23日に南三陸町の湾内で未希さんとみられる遺体が見つかったということで、警察のDNA鑑定の結果、震災から50日余りたった2日になって未希さんだと確認されました。未希さんの左足には、去年7月に結婚したばかりの夫、正喜さんがプレゼントしたオレンジ色の「ミサンガ」が巻かれたままだったということです。父親の清喜さんは「ずっと捜してきたので、やっと娘が見つかってよかったという気持ちはありますが、もう戻ってこないと思うと寂しい思いが募ります」と話していました。(5月2日 15時28分 NHK ニュースより)

避難呼び掛けた女性職員か 南三陸町、遺体発見

 津波被害を受けた宮城県南三陸町で、津波到達の直前まで防災放送で町民に高台への避難を呼び掛け続け、自らは行方不明となっていた同町職員遠藤未希さん(24)とみられる遺体が2日までに、同町の沖合で見つかった。母親の美恵子さん(53)によると、遺体は4月23日、捜索隊が発見。昨年7月に結婚した夫(24)がプレゼントしたミサンガが左足首に巻かれ、右肩にあざがあったことなどを、夫が遺体の写真で確認した。警察が最終的な身元確認を進めている。遠藤さんは、昨年4月に危機管理課に配属。3階建ての防災対策庁舎の2階で地震発生直後から「6mの津波が来ます。避難してください」と防災放送で何度も呼び掛けた。庁舎に残った約30人の職員のうち助かったのは10人。遠藤さんは行方不明になっていた。(2011年5月2日 11時59分 (2011年5月2日 12時52分 更新) 共同通信より)


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コメント

この子に、どんな「天罰」が下ったんでしょうね。
所詮、今回の人災を引き起こした55年体制の戯言だと思いますが。
それにしても、そんな輩を再選する首都東京の民主主義はどうなっているのでしょうかね。

石原氏は、頭がおかしい人なので、無視するほうがいいと思います。
(石原氏の悪口を書いたら、また右翼から私のブログにアタックがあるかもしれませんが、それは大歓迎です)。

>55年体制

55年体制は、自民 vs. 社会の二者択一しかなかった。

自民 vs. 社会

そのイデオロギー対立の中で、社会党のイデオロギーを嫌った人は、原発を推進する自民に投票せざるを得なかった・・・たとえ、その人が原発に不安を抱いていたとしても。

今夜のニュースウォッチ9の高村薫さんが私に、そのことを気づかせてくれました

彼女は人を危険より救わんととして、身の人よりもなおさらに危難に瀕せるを忘れたり、否、彼女は自己の危難を念とするにはあまりに職務に忠実なり、あまりに人を救わんとすることに急なりしなり、皇天に謝す!彼女の最後の一声はついに一万の惨死救えたり。しかれども何事ぞ、彼女は遂に職務に斃れぬ。先行き長き遠藤美希さんはわずかに二十四年の生涯をもって その命を未来に移せり、彼女は南三陸町の 否 宮城県の 否 永遠に日本国民の誇りである。世に語られる総ての美しき物語も美希さんの死に比すべくもない 彼女の死はまさにこの真面目なる理想の死なり、正にその本務に斃れ、職務に殉ずるものならざるべからず、人必ずしも寿命ならずして死するを須いず、然れども死せば願わくば理想の死を死なむ(願わくば花のもとにて春死なんその如月の望月のころ)福岡日日新聞 菊竹記者明治時代 記憶のままに引用 関二郎

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