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帝国電網省 ―――――――――― by 竹下義朗さん

この記事中の画像は全て「帝国電網省」の該当ページより転載しています。
☆ 支那人が避けて通る恥部−通州事件 ――――――― 2009/01/02
                        原著 2001/01/07

昭和12(1937)年7月29日、北京の東方は、冀東[きとう]防共自治政府の首
都・通州市で「大虐殺」がなされました。いわゆる「通州事件」と呼ばれるも
のです。

南京大虐殺が大々的に取り上げられるのとは反対に、何故か、意図的に年表か
らも削除されている事が多く、教科書にも全く取り上げられることのないこの
「通州事件」について今回は書いてみたいと思います。

「通州事件」またの名を「通州大虐殺」とも呼ばれるこの事件は、「廬溝橋事
件」の3週間後に起こりました。

当時、通州には「廬溝橋事件」の余波で避難していた婦女子や朝鮮人=当時は
日本国籍だった)を含む日本人居留民、天津特務機関長・細木繁中佐ら軍人等
200余人が住んでいました。

通州には日本軍の守備隊も駐屯していたのですが、たまたま、主力が南苑攻撃
のため町を離れ、僅か110名の留守部隊しか残っていなかったところへ支那
保安隊千数百名が襲撃を掛けてきたのです。

通州を襲撃した支那保安隊は、多勢にものをいわせて日本軍守備隊を全滅させ
余勢を駆ってなんと、あろうことか日本人居留民をも「標的」にしたのです。

支那保安隊は、日本人居留民を通州城内に全員集め、城門を閉めた上で=要は
城外へ逃げられないようにして)日本人居留民の住宅一軒々々に火を放ち、

女性には暴行を加えた上で局部に丸太を突き刺すなどして殺害、子供は両手・
両足を切断し、男性には首に縄を巻き付けた上で引き回すなど、残虐の限りを
尽くしたのです。

「廬溝橋事件」は日本軍と支那・国民党軍という軍隊同士による軍事衝突でし
た。しかし「通州事件」は、支那保安隊による日本人居留民=民間人への殺戮
行為でした。これは、明らかに国際法違反です。

しかもその殺害方法が、正に「屠城」そのものであり、残虐極まりないもので
あった事も重要です。

支那は現在も、ありもしなかった「南京大虐殺」を持ち出しますが、こと「通
州事件」については、自らの過ちであるにも関わらず謝罪も補償も一向にする
気がありません。

支那が「正しい歴史認識」というのであるならば、虚構の「南京大虐殺」を主
張する前に、まず「通州事件」における日本人居留民虐殺について明確に謝罪
すべきです。

そして、もう一つ言いたい事があります。

廬溝橋事件発生後、日本は、現地解決・戦線不拡大方針を表明し、国民党軍と
の間に停戦協定が成立していました。要は、日本としては支那とこれ以上事を
構えたくはない。日本は支那との全面戦争は欲していない。だからこそ事態を
なるべく穏便に済ませたいと思っていたのです。

しかし、支那は日本側のそんな期待を裏切って「通州事件」を起こしました。

当然ながら日本の世論は「支那を撃つべし!」と激怒沸騰しました。

この時も日本軍は隠忍自重し、本格的な戦端を開こうとはしませんでした。や
はり支那との全面戦争を欲していなかったからです。

しかし支那は、8月13日、上海租界の日本人居留民を警備・保護する目的で
駐屯していた日本海軍陸戦隊に対し、国民党正規軍10個師団(20万人)もの
大兵力を配置して攻撃してきたのです。=第二次上海事変)

海軍陸戦隊は、警備を主任務とする小規模軍隊です。その海軍陸戦隊が国民党
正規軍=本格的な戦闘をする軍隊)10個師団を相手に、到底持ち堪えられる
訳がありません。

「帝國臣民ヲ保護スヘシ」として上海租界の日本人居留民「保護」を任務とし
ていた海軍陸戦隊は、遂に陸軍に対して派兵を要請。ーーー8月15日、蒋介
石が「対日抗戦総動員令」を発令した同日、日本海軍機が南京を空爆、

遂に8年もの長期に及ぶ全面戦争=「支那事変(日華事変・日中戦争)」へと発
展していったのです――――。もしも、

・廬溝橋事件後の停戦協定が守られていたなら=支那側は幾度となく協定違反
 を繰り返した。
・通州事件が起きなかったなら=あの事件で日本の世論を硬化させた。
・第二次上海事変による攻撃がなかったなら=全面戦争に発展する切っ掛けを
 作った。

ーーー日本と支那の全面戦争は起きなかったかも知れません。

昔から日本には「喧嘩両成敗」という言葉があります。

喧嘩をした同士双方に非があるのだという意味です。そういう意味では、蒋介
石=第二次上海事変で先制攻撃)毛沢東=廬溝橋事件で日本軍に発砲)による
挑発が支那事変を招いたとも言え、

闇雲に日本軍国主義を糾弾してやまない支那にも、支那事変における戦争責任
があるということです。

                        = この稿おわり =
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
▽
 南通行政区にも通州市がありますが、この記事に出てくる通州市は、現在の
北京中心部の東側の、北京市通州区となっている場所ですから、混同なされま
せんように。ーーー以前、そういうことを訊かれたことがありますので注釈。

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┌──────────「りんむうさん」 戦争犯罪を反省しろ!という趣旨ではありませんけれど、いったいいつまで自 己正当化論を展開するのでしょうかねぇ。「あんなことがった」「こんなこと があった」と過去の事実を掘り返しては、中国非難だけを繰り返す。 その先にどんな結論があるのでしょうか? 戦争行為の中では、双方に虐待、虐殺と呼ばれる行為があったはず。所詮「勝 てば官軍」なのですし「負け犬の遠吠え」でしかない。ーーー見苦しいとしか 映らないと思います。 └────────── ┌──────────「lonsome carboyさん」 南京大虐殺はあった、と何の根拠もなく言い張る連中=テレビの痴識人とやら や周りの知人など)の殆どがこの事件を知りません。若しくは敢えて無視して います。 ーーー感情が優先し、論理破綻してもなお信じるものを曲げたくないといった 輩が多いのが共通した特徴だと思っています。 本年も楽しく拝読させて戴きますので、宜しくお願いします。 └────────── ┌──────────「権兵さん」60代@男性@関東 通州事件について書いておられるが かなり誤謬があります。 ーーー事件は日本の傀儡政府の保安隊が起こしたこと。 では何故保安隊はかかる事を起こしたか? 日本の陸軍機が保安隊兵舎を誤爆 したことによる。先に手を出したのは日本側であること。 国民政府軍や八路軍と裏で通じてるとしても、正式な政府の軍ではないこと。 いうなれば、日本軍と味方と思われている翼東自治政府の保安隊が起こしたこ とである。味方同士の争いともいえる。 翼東自治政府は、交渉の決果謝罪し、当時のお金で120万円払い事件は解決 されている。この事件と南京大虐殺とを同列に論じることには無理がある。
└────────── ┌──────────「竹下義朗さんから」
権兵さん、反論を拝見しました。仰有っている事はもっともとも思えますが、 私としても矢張り異を唱えざるを得ません。 通州を襲撃したのが日本軍の支援を受けて成立した翼東防共自治政府の保安隊 だった事は私も承知しています。そして、日本軍機が保安隊の兵舎を誤爆した 事も承知しています。 その上で、保安隊がその仕返しといいますか、腹いせに通州を襲撃したことも 承知しています。然し、ならば何故、通州に駐屯していた日本軍守備隊の兵士 だけでなく、老若男女を問わず民間人まで虐殺したのでしょうか? その時点で、上記全ての日本側に起因するとされる原因等は吹き飛んでしまい ます。 ーーー所謂「南京大虐殺」なる事件は、多分にフィクションです。 私は、日本軍兵士が当時の南京にいた民間人を一人も殺さなかった等とは今迄 一度たりとも言った事はありません。恐らく民間人が犠牲になった事もあった でしょう。 然し、例えば、米軍がフセイン体制のイラクに軍事侵攻し、同政権を転覆する 過程で、又、米国による「傀儡」マリキ政権の成立後、現在に至る迄の間、米 軍による誤爆でどれ程の民間人犠牲者が出た事か? アフガンでもイラク同様、なんの罪もない民間人が米軍の犠牲になっている事 一つをとっても、戦争で故意・過失の如何に関わらず民間人に犠牲者が出ない 事はありません。 ましてや、南京での日本軍が殺戮したとされる被害者数は、白髪三千丈並に誇 張された到底あり得ない数字ですし、民間人に偽装していた便衣兵も多数紛れ 込んでいた状況で民間人を誤殺する事案があったとして、果たして日本軍を一 方的に糾弾できるものでしょうか? 又、当時、日本軍によって陥落した南京に於いて、敗軍たる蒋介石軍兵士が敗 走の過程で同胞を手に掛けた事案もあったであろう事を勘案すれば、民間人を 殺戮した加害者を全て日本軍とする事自体、無理があります。 南京事件の真実を明らかにしようとするのならば、支那軍兵士による事案をも 含めて検証すべきものと考えます。 日本は戦後、有償・無償を含め、支那に対して現在に至るまで莫大な金銭=事 実上の賠償)を行ってきました。それは、通州事件に対して翼東防共自治政府 が支払った120万円を遙かに上回り、60年以上もの長期間為されてきたも のです。 日本に戦争責任があったか否かの如何に関わらず、日本は道義的責任をとうの 昔に済ませている問題です。にも関わらず、支那が未だに「過去の戦争責任」 を蒸し返すのは如何なものか? 通州事件を含む、支那人によって引き起こされた在留日本国民に対する殺傷事 案を自国民にきちんと教育せず、闇雲に歴史問題を蒸し返し、更には詫びろ、 反省しろ、というスタンスに対しては、日本としても、通州事件その他諸々を 蒸し返して反論すべし、というのが私の考えなのです。 「目には目を、歯には歯を」「南京には、通州を」という事です。 └────────── ┌──────────「権兵さん」60代@男性@関東 前略 南京事件についてお聞したい。 南京大虐殺事件は、30万人の被害と言われてるが、小生も確かに多過ぎると は思います。ただ30万の1割〜2割の被害を与えたと思います。中には便衣 隊も含む筈ですが。 では、何ゆえ敵方の首都まで侵攻したか??国際上の条約に則してのことなの か??宣戦布告なしに首都への侵攻はなんでしたのか?? あくまで事変扱いとした理由を知りたい。解明されたい。
└────────── ┌──────────「竹下義朗さんから」
権兵さんのご意見を拝見しました。 宣戦布告無しに、何故、敵国の首都へ侵攻したのか?との事ですが、それ以前 の、例えば第二次上海事変についても、日本租界を包囲攻撃してきた支那軍は 宣戦布告しておりません。 上海は支那の領土です。然し、租界はその国の領土であって、実際には領土で はない。ーーーその国の公権力が及ばない地域ですから。 そこへの攻勢をかけるにつき、支那は日本に宣戦布告していないのですから、 宣戦布告云々の議論は五十歩百歩であり、日本に一方的に非があるとは到底考 えられません。 翻って現在の日本。日米安保条約に則って駐留している在日米軍基地、例えば 横田や厚木、横須賀の米軍基地に対して、日本自衛隊が宣戦布告なしに攻撃を しかけたらどうなりますか? 米国側が事態の沈静化を望むものの、日本側がそれに応じなかったら? 私が 米国側首脳だったら、首都・東京を制圧します。だらだらと戦闘を続けるぐら いなら、一挙に首都を制圧、戦闘を一刻も早く停止させた上で、二国間交渉、 つまり外交交渉での事態決着を図る。当然の事です。 当時の日華間では、大陸に派兵していたとはいえ、日本側には事態の拡大や支 那全土の占領支配をするつもりは更々なかった訳で、できる事なら早期に事態 の収拾が図られる事を願っていました。 それに対して、西安事件で共産党との抗日共闘路線に舵を切った蒋介石が応じ なかった事が事変の拡大を招いた訳で、日本が望んで事変を拡大させた訳では ないと私は考えます。よしんば、百歩譲ったとしても喧嘩両成敗、イーブンが 妥当なところです。 権兵さんは、南京事件に対して日本に非があったとのお考えのようですが、私 はそれとは真逆の考え方ですので、今後、やりとりしても恐らく平行線を辿る ように思います。 ついては、権兵さんのご意見に対しては、今後、回答を差し控えたいと思いま す。といいますか、後はその他多くの読者諸氏の判断に委ねたいと思います。 └──────────
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